ママちゃんへの道

モニョモニョくんとの未知なる世界

はかなき夢

2012-12-06 12:22:55 | つれづれなること



いつか勘三郎さんの歌舞伎を見てみたい。




と、ここ数年思っておりました。しかもかなり強く。



いつか。


いつか。





テレビの特集番組でほんの一場面、画面を通してみるものですら、歌舞伎なんて全く分からなくてもグッとひきこまれ心つかまれるあの舞台を、一度で良いからこの眼で見てみたい、と。



残念ながら、もはやかなわぬ夢となってしまいました。



テレビに出ている人で、「あぁ、この人亡くなってしまったんだ・・・。」と、ここまで残念に思ったのはこれが初めてかもしれません。



CM

2012-09-13 14:14:25 | つれづれなること
そういえば、最近フィン語で会話しているCMがあることにふと気がつきました。
もちろん主役の女優さんの方ではなくて、相手のイカつい男の人のセリフで気がつきましたが。

テレビでソフトに名古屋なまりの人が話しているのを聞き分ける感じに似ています。



梅しごと

2012-06-10 14:50:00 | つれづれなること

       

                 今年も梅しごと。



残念なことに今年はタイミングが悪かったのか、新鮮な青梅が売れてしまっていて、結構熟している物しか残っていませんでした。香りもあまりせず。上手くいくかどうかちょっと心配だったので、一旦冷凍してつけるハズレなしの方法に。


去年は大きなお腹で梅を漬け、爽やかな梅ジュースを飲んで暑さ&悪阻と戦いました。



新年2012

2012-01-12 13:18:35 | つれづれなること

         


今年も自宅にて迎春。


帰って来て間もなかったのでそれなりにバタバタでしたが、どこにも遠出することなく我が家でのお正月はやっぱりのんびりできて良いです。夏頃から急に金の亡者に変貌したモニョさんには、初めて我々からお年玉。ニッコニコの笑顔で受け取ったものの、100円玉5枚が入ったポチ袋を光に透かして、


              「小銭か。」


とのたもうた。

一瞬「ぬぬ!」と思った我々でしたが、あけてみたら?と言ってあけさせてみたら一転、「ひゃっほ~~~~!!」と大喜び!!!「100円が5枚も?!?!こんなに大きなお金良いの?!?!」ですと。

             小銭=1円、5円、10円
          大きなお金=100円、500円


だったようで。


ふ。やっぱり所詮幼稚園児よの。

でも、お金のことを気にしだして以来、苦手だった数字関係もちょっとは分かる様になって、それはそれで良いかな。と思っています。自由に使っても良い「自分のお財布」に大事そうにしまって、ほくほく顔。将来はパイロットになってたくさんお金を稼ぐから。真っ赤なフェラーリとキャンピングカーを買い、空港に行く時にはそのフェラーリで、休日はキャンピングカーで遊びに行くから。お母さん、欲しい物があったらモニョくんに言ってね。それが最近の口癖。えぇ、えぇ、頼みますよ。頼みますとも。


<2012年の目標>
 パパさん :ステップアップ
 私    :子育て
 モニョさん:ベベ子のお世話をがんばる


新たな子育ての年。
そしていよいよモニョさん入学の年。



しまっていきましょう。





2011

2011-12-31 18:10:34 | つれづれなること
自宅生活はまだまだバタバタ。
そんななかでも年は暮れていくものです。


2011年、我が家の一文字は、


               「慶」



想像もつかないような災害が起こり、日々のあたりまえの生活がこんなにも幸せで有り難いことなのだと思い知らされた一年でしたが、我が家にとってと言えば、間違いなく慶びの年となった2011年でありました。




新年

2011-01-05 23:34:16 | つれづれなること
        


珍しくおうちで迎春。

普段のお正月には食べない「おせち」らしきものを少しと、これまた普段は食べないお正月のお雑煮を食べて、今までモニョさんが行ったことのなかった初詣に行きました。

普段しないので、「おせち」「お雑煮」「初詣」の意味を知らなかったモニョさん。お気の毒に。


         

何年かぶりにひいたおみくじはなんと大吉。幸先よし。

         

しかも、詳細はこんな感じ。今年はいよいよモニョ家も増員なるか?






2010年

2010-12-30 23:44:47 | つれづれなること
秋、特に11~12月はバッタバタでした。予定のない日がないくらい。

やっと年の瀬になり、バタバタとはまだしてますが、一応落ち着いて新年を迎えようとしています。

2010年、我が家の今年の一文字は、

   

               「乱」




迷いましたが、あえて言うならこれですかね?
なんか他にもっとピッタリくるのもがありそうでもあるんですが。

戦乱とかの「乱」というよりは、あれこれ乱れまくった。といった感じの一年です。
新しい年には、もうちょっと良いイメージの一文字を思い浮かべられるような年にしたいです。


通い客

2010-07-20 13:51:37 | つれづれなること
暑くなったせいか最近ちょっと見かけませんが、しばらく毎日のように我が家の庭にランチを食べにきていた常連客がいました。



          
                  この水玉のお方。





        
         もぐもぐ。

        
         もぐもぐもぐ。


        
         ん?

        
         んんん???


 
鳴き声や気配、足跡から、夜、庭に来ていることは、引っ越して来て以来ずっと気がついていましたが、最近昼間に来る様になって侵入ルートがかなりお気軽だったのでびっくりしました。


庭の雑草は食べ放題。残さずきれいに食べておくれやす。


YVR

2010-02-15 00:36:56 | つれづれなること
かの地で観た長野オリンピックは、とても特別なものでした。

アメリカ時代に知り合った友達が目指していたオリンピック。トレーニングのため、普段の移動はほとんどすべてがローラーブレード、よく不意に転んで頭を打っていました。本当に不思議な空気を持つ人で、日常のコミニュケーションにおいて必要以上に性別を感じさせず、まさに「友」という存在。そしてなんというか他に類を見ないくらいオープンマインドな、それでいて物事に良い意味でほとんど執着がなく、たとえ悪い結果がやってきたとしても、コレがダメなら~んじゃ次はコレだ!と躊躇なくどんどん新しい目標を見いだせる、見かけのフニャリ~としたソフトな印象からは想像がつかないくらい強い強い人でした。

今、こう思い返しても、あの友ほど強い人にその後会った事がまだないような気がします。その強さはきっとその生い立ちにあるのですが。生い立ちや人生のダイナミックさもまた、実際に出会った人から聞いた中で間違いなくダントツです。

滞在中には「いくか~?」と声を掛けてもらい、キャンプやスキーに何度か連れて行ってもらいました。生き方も生い立ちもダイナミックなら、連れて行ってくれる場所や見せてくれる世界も、それまでの私の平々凡々な人生で見てきたありきたりなものではなく、ドーンと本当に潔いくらい度肝をぬくようなすごいもの。今思い返しても、あれは夢だったのかな?と自信がなくなるほど、それはそれは毎回特別なものでした。それでも、本人は全くそんな雰囲気の欠片も匂わす事なく、ただ本当に淡々とフニャ~っとソフトに生きている感じ。

最後に会ったのはいつだったのか、最後に交わした言葉はなんだったのか、不思議なほど覚えていません。代表選手ということで、日本、アメリカ、カナダ、ヨーロッパと、ビザの関係で行き来したり、基本的には雪があるところにあちこち行っていたので、あまり思わなかったのかもしれません。でも、最後ではなかったのですが「日本に帰ったらどうやったら連絡とれるんじゃ?」と聞いた事があって、「ん~?どっかにいるよ。」といつもと変わらないフニャリ笑顔でサラっと答えが返ってきた気がします。家を持たない人なのです。  と、本人も周りも言っていたのでそうなんでしょう。


私の今の人生は、間違いなくあの時に連れて行ってもらったキャンプで見た風景にあります。平々凡々と生きてきて、その後も良いと言われる会社に就職し、良いと言われる結婚をし、良いと言われる人生を送るのが最善で最良のことだと当たり前のように思っていた私に、人生の選択肢の広大さを教えてくれたあの風景。この地球上には、私の知らない世界がこんなにも堂々と広がっている、私はこんなにも小さいものかと知った時のその衝撃と言ったら、今私が知っている限りの言葉では表しきれない鮮烈なものでした。


ま。友はそんなことはつゆとも知らず。なぜなら友は、そんな世界の中で生きてきたから。


日本に帰ってきてからアメリカ時代の仲間から名前を聞いた時には、「練習中に大けがして助かったのが不思議くらいらしい。命はとりとめたけど、選手生命は終わりだって。」という話題でした。「長野見に行くよ!」と仲間達で約束していたくらいみんなそれぞれ自分のことのように誇らしく応援していたので、ショックでした。でも、きっと笑って「次は何やろっかなぁ~。」と言っている姿が目に浮かんで、会いもしないのに友の強さを勝手に感じていました。



そんな思いも胸に秘めつつ、友の出るはずだった長野オリンピックをあの街のあの部屋で観ていました。もちろん日本人選手の活躍なぞ、ほとんど放送されず、覚えているのは卑弥呼の聖火点灯に異常にウケたことと、なぜか欽ちゃんが何度も何度もクローズアップされていたこと。


あれから12年。そのことすら、もう思い出すべきではない事実なのだということが辛すぎて、今回はあまり観ていません。あの街の風景が、もう記憶の宝箱に入れておかなければいけない全ての事柄を鮮明過ぎるほどに呼び戻してしまうのが怖いのかもしれません。


それでもあのこじんまりとまとまった大都会はきっと、いつも以上に街中至る所で赤いメープルをはためかせ盛り上がっているに違いないのです。


eh?



おはなしを聞きに

2010-01-24 23:44:20 | つれづれなること
             


これだけの田舎に住んでいると、なかなか著名な方にお会いできる機会やご本人の講演を直に聴けるという機会もなく、ネットや通販が進歩して、モノに関しては都会と変わらない条件で手に入れようと思えば入れられる世の中になってはいるものの、やっぱり田舎特有のマイナスな壁で超えられない面があるというのはとても残念なことです。

今住んでいる所からだと、少なくとも神戸、ちょっとしたものだと大阪まで出なければなりません。こんなことなら実家にいる頃に、もっと色んなコンサートや、色んな講演会や、お芝居やお稽古事、展覧会、美術展、行っておけば良かったなぁ・・・。名古屋なら御園座で歌舞伎だって見られるのですよ。それが当たり前の環境だった頃には、有り難みどころかそれを意識したことすらなかったものです。人間てそういうものです。


「ぐりとぐら」の中川李枝子さんの講演が近くであるというので行ってみました。無料、しかも託児付き。パパさんも出張中で予定もなかったのでフラリと。


昔どこかで山脇百合子さんとの写真を見た事があったのですが、ステージの袖から入ってこられた印象は「上品なおばさん」といった感じでした。ごく普通のその辺の街の方に住んでいそうな。お話の内容は、戦後の物のなかった時代ならではの中川さんと本との関わり合い方の歴史を中心に、これといって太いテーマがあるといった感じではなく、いってみれば雑談風に。予想ではもっと短いイメージだったので、結局2時間という長い時間で正直ちょっと聴き疲れてしまいました。普段そんな長い間じっと座っていることがないからなのかも?ダメですね。


               


講演前に合計100冊準備されていた様々な中川さんの出版物も、あっという間に飛ぶ様に売れ、運良く最後の2冊のうちの一冊を手にする事ができたので講演後のサイン会にも参加できました。まだモニョさんにはちょっと早いような気がするので、また少したってからあげようかな。

もらってくれたらの話ですが・・・。


ヒャッホ~~~~っっっ♪♪と喜んで中に消えて行った託児室ですが、やっぱり2時間ともなると寂しかったらしく、迎えにいったらかなりおかんむりで、「こんな本いらないっっ!!!」と悪意むき出しで言い捨てられてしまいましたわ。ちょっとかわいそうなことをしてしまった・・ごめんね。