やや戦塵も晴れて、午後の青空が幸村の頭上にあった。
(これまでじゃ)
と、幸村はおもった。
(中略)
田圃道からつづいている崖道をのぼり、安居天神の境内へ入って行った。
深い木立と竹薮にに囲まれた、安居天神の細長い境内には戦死の死体も見あたらなかった。
幸村は、小さな社殿の前にぬかずき、抱角の兜をぬき、両手を合わせて頭をたれた。
安居神社の境内で自決することにしたのだ。
(出典:池波正太郎 - 真田太平記 第十一巻 大阪夏の陣)
というわけで、安居神社に行ってきました。
ここで真田幸村が息を引き取ったと言われています。
「日の本一の強者」と言われた真田幸村が、この場所にいたと考えると何やら感慨深いものがあります。
と思ったんですが、まぁ、実はこういうのもあってですね、
何と言うか、世知辛い世の中ですよねぇ・・・。
あとは、ついでに「真田の抜穴跡」にも行ってきました。
一説によると、大阪夏の陣の後に、真田幸村が豊臣秀頼と九州方面に落ち延びたらしく、その際に大阪城から抜穴を使って、ここに出てきたとかそうじゃないとか。
かなり眉唾ものではありますが。
抜穴の扉には、しめ縄と真田六銭文がありました。
で、こちらの神社にはバッチリ銅像が建っていました。
まぁ、この銅像も色々と寄進とかがあったのかと考えると、うーん、やっぱり世の中って世知辛いですよねぇ・・・。