that blog-ish thingy

ブログ的なアレです。

というわけで昨日も言ったように

2006年09月21日 | なんとなくアレなやつ
9月21日はボクの誕生日だったんですが、

特に何もなかったよ!

(明るく、でも何かを振り払うように)



でもコメントとメールはたくさんもらいましたよ。
皆さん、暖かいお言葉、どうもありがとうございました!

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まぁ、そういうわけでですね

2006年09月20日 | なんとなくアレなやつ
完全に私事なんですが、明日、9月21日は私の誕生日です。

まぁ、せっかくボクが寂しがり屋という事もあるので「おめでとう」って言ってくれてもいいんだよ!

・・・ま、まぁ、じゃあいいですよ、別に言わなくても。



それにしても、いよいよ27歳です。
で、27歳なんですが、なんというか嫌ですよね。

感覚的な話なんですけど、26歳だと、まだ若者って言えるけど、27歳ってオッサンなイメージがありまして。
まぁ、そのなんというか、テストの69点と70点だと全然喜びが違ったりだとか、打率が2割9分9厘と3割だと年俸が変わってくるだとか。

まぁ、そういう大台かそうじゃないかとかそんな感じなんだと思います、27歳っていうのは。

というわけでして、まぁ、そんな感じで今後ともよろしくお願いします。

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特に書くことないんで

2006年09月19日 | 仕事とか堅苦しい話
仕事の話でもしようかと。

昔、イギリスからとある人が出張にきて、その人と1週間ほど一緒に仕事をした事があるんですが、その人がボクにこんな事を問いかけてきました。

「けんた、良い上司ってどういう人だと思う?」

いきなり不意をつかれたわけで、何と答えればいいものやら。
とりあえず、

「リーダーシップがあって、ついて行きたいと思う人ですかね?」

と答えた。

すると、そのイギリス人、こう答えました。

「そうだね、それも大事だよね。でもね、思うんだ。良い上司っていうのは、部下がやりたい事を実現出来る人なんじゃないかって。」

今となってみれば、この人が言っている事、なんとなく分かる気がする。
言葉としては、色々な事に通じる深い一言だと思う。
なんというか、こういうのを珠玉の言葉って言うんだと思う。

そんな言葉を肝に命じながら私も頑張っていきたいと思う次第です。

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昨日の続き

2006年09月18日 | なんとなくアレなやつ
まぁ、あんまり大した話じゃないんですが、昨日の安居神社の向かいに、「一心寺」というお寺さんがありまして。

どうも、このお寺さん、昔からある由緒正しきお寺さんらしいのですが、まぁ、結論から言うとですね、もう「寺」じゃなくなってるんですよ。

例えば、この近代的な建物。



どうも、これ「映画館」らしいんですよね。
夏になると怪談やったりしてるらしいです。



あとは、まぁ、よくお寺には仁王像があると思うんですが、ここの仁王象はこんな感じです。



どこそこ美術館の近代アート的な「フルヌード阿形・吽形」に仕上がっています。



そういうわけでですね、一方は近代アートがあって、一方は5000円の寄進を求めているという、非常に厳しい現実が水面下にあるという事がお分かりになって頂けたと思います。

以上、よろしくお願いします。

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真田幸村の銅像があるとかないとか

2006年09月17日 | なんとなくアレなやつ
やや戦塵も晴れて、午後の青空が幸村の頭上にあった。
(これまでじゃ)
と、幸村はおもった。

(中略)

田圃道からつづいている崖道をのぼり、安居天神の境内へ入って行った。
深い木立と竹薮にに囲まれた、安居天神の細長い境内には戦死の死体も見あたらなかった。
幸村は、小さな社殿の前にぬかずき、抱角の兜をぬき、両手を合わせて頭をたれた。
安居神社の境内で自決することにしたのだ。


(出典:池波正太郎 - 真田太平記 第十一巻 大阪夏の陣)



というわけで、安居神社に行ってきました。





ここで真田幸村が息を引き取ったと言われています。



「日の本一の強者」と言われた真田幸村が、この場所にいたと考えると何やら感慨深いものがあります。



と思ったんですが、まぁ、実はこういうのもあってですね、



何と言うか、世知辛い世の中ですよねぇ・・・。



あとは、ついでに「真田の抜穴跡」にも行ってきました。



一説によると、大阪夏の陣の後に、真田幸村が豊臣秀頼と九州方面に落ち延びたらしく、その際に大阪城から抜穴を使って、ここに出てきたとかそうじゃないとか。
かなり眉唾ものではありますが。





抜穴の扉には、しめ縄と真田六銭文がありました。



で、こちらの神社にはバッチリ銅像が建っていました。



まぁ、この銅像も色々と寄進とかがあったのかと考えると、うーん、やっぱり世の中って世知辛いですよねぇ・・・。

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