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ブログ的なアレです。

武士道

2006年09月12日 | 本・映画・音楽レビュー
先日もちらりと書いたが、現在、新渡戸稲造著「武士道」という本を読んでいる。



欧米社会がキリスト教などに代表されるような「宗教」を通じて、道徳心・倫理観を養うのに対して、日本社会では「宗教」という名の道徳規範が外国ほど根強くはない。が、一方で日本特有の封建社会が形成した「武士道」という観念は存在し、それが日本人の道徳規範の根幹を形成している、というのが本書のテーマだ。

例えば、武士道において美徳とされている「義」と「仁」。
本当にざっくりとではあるが、「義」とは「人としての正しい道を、信念を持って突き進む力」、一方で「仁」とは「他人に寛容になり、それを許し、受け入れる力」といったもの。

本書で新渡戸稲造はこう説明している。

高潔な義と厳しい正義が男性的であるとするなら、仁における慈悲は女性的な優しさと説得力を持つ。

さしずめ、「義」は自分自身への厳しさ、「仁」は他人への優しさといったところであろうか。
(「自分に甘く他人に厳しい」ボクとしては何とも心苦しい限りですが)



文章はさらにこう続く。

だが、サムライたちは正義や公正さを持つことなしに、むやみに慈愛に溺れることを戒められた。伊達政宗がいったという、「義に過ぎれば固くなる。仁に過ぎれば弱くなる」との有名な言葉はこのことを表している。

「お前、また仕事の話か」と言われそうだが、この考えは仕事に関しても同様の事が言える。

「義」を貫き通し、自分のゴールをメンバーに理解してもらい「共に歩む」事が出来れば良いのだが、場合によっては、それが独裁主義的に捉われる事もある。

また「仁」の心を持って、他人の意見に耳を傾け、それを受け入れ、または失敗を許し、「共に歩む」という一体感を持つ事は重要だが、それが行き過ぎれば統率力はなくなり、チームとしての求心力は衰え、ただの烏合の衆と化してしまう。

このバランスがどうも難しかったりするわけだ。



ただ、こうやって書いていたら、自分の中でも改めて色々と疑問が湧いてきたりしてまして。

例えば、「義」でも「仁」でも良いのですが、これは「他人ありき」の考え方なんじゃないか?とか。

俺って他人を幸せにするために生きてるんだっけか?
確かに『他人を幸せにする≒自分の喜び』かもしれないけど『他人の幸せ=自分の幸せ』ではないよな・・・。
じゃあ、俺の幸せって何だよ・・・。
誰かが俺のこと幸せにしてくれるってこと?

といった具合にですね、もうなんていうか、答えの出ない禅問答状態になってしまいまして。




・・・ま、いっか!


なんか、もう考えるの面倒くさくなってきちゃったんで。
テヘッ☆

まぁ、五千円札の人、色々と良い事言ってるみたいですけど、適当にエッセンスだけ拾って、あとは自分に都合の良い解釈だけしていこうと思います。

そんな具合で、えーと、アレがアレなんですけど是非読んでみてくださいね!

コメント
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