問題はBなのかCなのかである(本記事の写真はB)。
子どもに選んだわけを聞いたが,論理的な意見が出ない。「自分はBが跳びやすかった」「Cが跳びやすかった」というような意見ばかりである。
「跳びやすさというよりも,どちらが速く走れるかを考えてみなさい」と指示した。しかし,意見が出ない。
「速く走るためには,スレスレで跳んだ方がよいか。それとも高く跳びあがった方がよいか」と聞いた。もはや誘導尋問のようである。「スレスレの方がよい」という。そして,「スレスレで跳べるのはBなのか,Cなのか」と問う。かなり強引なまとめ方である。
「一番よいのはCです。スレスレで跳ぶとよいです。そのためには,遠くから跳んで,近くに着地するとよいのです」と説明した。
場の設定を全てCに変え,練習させた。
子どもに選んだわけを聞いたが,論理的な意見が出ない。「自分はBが跳びやすかった」「Cが跳びやすかった」というような意見ばかりである。
「跳びやすさというよりも,どちらが速く走れるかを考えてみなさい」と指示した。しかし,意見が出ない。
「速く走るためには,スレスレで跳んだ方がよいか。それとも高く跳びあがった方がよいか」と聞いた。もはや誘導尋問のようである。「スレスレの方がよい」という。そして,「スレスレで跳べるのはBなのか,Cなのか」と問う。かなり強引なまとめ方である。
「一番よいのはCです。スレスレで跳ぶとよいです。そのためには,遠くから跳んで,近くに着地するとよいのです」と説明した。
場の設定を全てCに変え,練習させた。