渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

慣性斬り

2020年09月02日 | open



逆胴横薙ぎ (1993年)


この動画は剣道連盟二段の時です。
切り台の下は万一の時に刀を傷め

ないようにグラグラのセッティング
です。下手やったらすぐ倒れるよう
にしてある。
この一閃は二段の時の動画ですが、

段位なんてのは学年と一緒なので、
どうでもいいんです。
大学一年と四年で学力が違う訳では
ない。高1と高3で学力が違う訳では
ない。学習している内実が違うだけ
で。
武技も同じで、段位の高低なんてのは
関係ないんです。段位で敵は待っては
くれないのだから。
出来る者ができるし、出来ない者は
段位などには関係なく百年後も出来
ない。
キャット空中三回転みたいなもん

なんです。
段位はあくまで修行年限の目安で
しかありませんし、私のように受験
に興味がなく放ったらかしだと、年限
による受験資格は得られても段位など
は無論得られません。
それでも一応紋付を公式に着られる
段位は取っとくかと取りましたが。
家の看板をしょって公式な場に出ら

れる認可風習の構造がある場所で活動
する
ために。看板持ちになるために
は必要な段位だったのです。
同期はほとんどもう七段・八段です。

しかし、剣技の腕に段位は一切関係
ない。

出来る者は出来るし、出来ない者は
できない。
剣道連盟だけでなくどの連盟や団体
でも、高段者が剣技に長けていて、
空気斬りも実践斬りも両方巧者かと
いう
とそんなことはない。
段位だけ高くて、試斬がまったく
出来ない人などは沢山います。
本来、空気斬りのみやっていても、
刀の術なのですから、刀で畳表くらい
はサックサクのサクと斬れないと
ウソなんですけどね。
嘘がバレるのが怖いから、多くの人
は試斬など
はしない。
しなくても良いのですが。正しい刀術

ができているのなら。
でも、自分に厳しく実践刀法を検証

することをしないから、結果、誤った
刀法をやっていると
いうことに自ら
気づかないし、
気づいてしまうと怖い
ので隠す。

結局、自分に刃は向いてないんです。
それって、武士の性根じゃないん
ですよね。

現代に武士はいませんが、己の心に
切腹用の脇差を持っていない人は
武人であろうとしても武士の魂には
ほど遠い。
ではなぜ刀を帯びて剣技をやるのか。

私にはよく解りません。ほんと
解らない。別に侍のジャンルでなく
ともよいのではないかと思うのです。
武士の武技に関与したら、絶対に
武士の心、武士の魂、武士の一分
とは無縁ではいられなくなるのです
から。そんなしゃっちょこばった
厳しい世界に入らなくても、と
思うのですよ。

武技においても、自分が出来る事と
まだ出来ていない事を見極めて、
そして高度に出来るように己を
高めていく。
これしかないと私は思うのですよ。
どうやら段位とかのみに拘泥して
いる人は目が曇る。目が曇るから
手元も曇る。結果、切れない。
免許皆伝か切紙かで剣戟の勝敗や
巧拙は決まらない。
勝負はあくまで戦闘力です。
戦闘力に段位は関係ない。
強い奴が強い。
これはありとあらゆる勝負の定理
です。
そして、少しでも今よりも強くなろう

として武技をさらに磨く。

肩書や地位などにこだわっている
ようでは・・・。
それで対峙した敵は待ってはくれ
ませんし、そんなのをひけらかして
も主命を果たすこともできない。
有体にいえば、「斬るか斬られるか」
しかないんですよ。
もしくは、「斬り合いを避けるか」
しか。究極は後者ですけど。無手勝の
ように。
でも、抜き差しならぬ状況や、主命
を帯びての抜刀剣戟に至らざるを
得ない時、あるいは奸賊を討つ為の
決起や国事奔走の時の戦闘では、武士
は絶対に勝たな
ければならない。
対峙した互いが必死な訳
です。相手
も絶対に負ける訳にいか
ないから。
戦闘なんですから。
わいわいニコニコのバーベキュー

じゃない。
物を贖う時に武士に「それを負けろ」
「値を引け」という言葉を発する者
が皆無であるのは、「負け」「引く」
は絶対に武士は口にしないからです。
相手に負けてくれとか言う類では。

言霊として武士は自分を武士でなく
することはいつの時代でもしない。
それは今でも。「ざまあみろ」なんて
言葉はまかり間違っても口にしないん

です。
なので現代に残る剣道でさえ、試合

の勝負に勝ってガッツポーズなどは
厳禁である、剣士の心として認容でき
ない態度である、として戒められて
いるんです。
それは剣道が武士の武技の子孫だから
です。

居相剣戟の場合は殆どが前述のうち
後者の「意志を以ての抜刀」が多く、
緊急避難的な抜刀剣戟はあまり想定
していない。最初から斬るべくして
斬るつもりで刀を納めている。
正座で足を重ねていないのは、それ
は武術座りで「足を盗ん」でいる
のです。即応できるように。
とにかく、動作は先に制して勝つ。
先手必勝な訳。「先先の先」の心
構えがそうですよね。
そもそも、居相などというものは、
「相手の殺気を感じたら斬り倒して
しまえ」というのが居相であって、
実相としてはかなり過激なんです。
精神的攻防はあるが、それは物理的
な時間に換算すると1秒にも満たない。

そして、剣技は刀を帯びるならば
長けていないとならないんです。
昨日(きのう)の自分を明日(あした)
は超えましょう。
たとえきょうはきのうと同じであって
も、あすこそは超えましょう。
武術錬磨って、そういうものだと
思うのです。
つまらぬ体裁や世間的肩書に心が
囚われていては、そこで終わりです。
年齢も段位も性別も流派も関係ない。
出来る者が出来る。
これが「武」の定理です。


メタルファイアの楽しみ

2020年09月02日 | open


一人では自分の時間が流れる。
しかし、気の置けない仲間が集まると、
余興として腕比べが始まったりする。
元々、あらゆる競技はそうして始まった
のだろう。レースなどは典型だ。

メタルファイアスターターでの着火速度
の競い合いが先日自然発生的に起きた。
ガチンコ勝負ではなく、ゆったりとした
競い合いだ。
ガチ勝負になると、それは悠久の時を
楽しむブッシュクラフトの本義から逸脱
してしまう。ゆるゆるの競り合いだ。
まるで陣取り釘刺しやドッチボールや
缶蹴りみたいなもん。
(いや、今は消滅した缶蹴りというゲーム
は非常に面白かった。あれ、ルールはまる
でサバイバルゲームのフラッグ戦だよね)

次回、メタルファイア選手権をやろう、
という空気が自然発生的に今野外活動
仲間内で充満している。おもしろい。
先輩とも話をしたが、まず自分で選んで
バトニングで薪を割る。
そして、各人が好きなナイフでフェザー
を作る。ナイフは何でも良い。ノミでも
いい。
そしてそこからだ。
同じマグ棒とストライカーを使って自分で
作ったフェザーに点火する。
点火してから完全着火をさせて火口を火に
育て、さらに炎にさせる。
この点火から炎誕生までを各人でタイム
アタックをする。
巧い人はもしかすると10秒位で炎まで
持って行くかもしれない。
これは面白そうだ。
そして、現に、そうしたことをやりあって
楽しんじゃう雰囲気が前回の休日にはあった。

なぜ、そうした釘刺しゲームのような楽し
みながらの腕の競い合いが自然発生的に
起きたのかと思った。
普通のアウトドアマンたちは「競い合い」
を極端に拒否する人たちが多いからだ。
理由は分かった。
うちらは、ブッシュクラフター&キャン
パーである以前にエアソフトプレーヤー
だったのだ。楽しみながらの技比べが
嫌な訳がない。
そして、そこには屈託がない。
自分より優れた技能を見せた者には「む、
やるなあ」と素直に思い、さらに「よし、
俺が今度はそれを超えてやる。見てろー」
とニコニコしながらなるのである。
こういう性質はエアソフトプレーヤーだ
からなのではと思う。
実際にメタルファイア着火をしていた人
たちは、工夫しながらもニコニコして
やっていた。各人が自由な発想で自分で
創意工夫して。中には即行でフェザーを
何本も作って試している人もいた。
面白い。こういうの。
すぐにパッと点火させた人に「ジッポー
オイル撒いたろう?」と言う人がいて、
「そんなことするわけないだろー」
「わっはは」みたいな会話が実際に交わ
されていた。
なによりも、そこにいるみんなから笑顔
が溢れているのがいい。
そういう中にいると自然と誰もが柔らか
い笑顔になる。空気が良い。

次回のメタルファイア選手権が楽しみだ。
ある人が「賞品とかをあったらどうか」
言った。
アリかも。
それを下世話とは私は思わない。良いの
では。
賞品はインスタントラーメン1袋、とかさ。
賞品獲得が極度に目的化しないようなとこ
で。
でも、優勝して作って食うインスタント
ラーメンは、さぞかしウマいと思うよ。
勿論、お湯を沸かすのは、自分で作った
炎でね(笑)。
エスビットのポッケストーブや焚き火台
やグリルストーブとか好きな物で。
自分で生み出した炎で湯を沸かす。
充分創造的だ。
ブッシュクラフトは創作を主として指す
ので、演劇界でいうスープや食べ物の
いわゆる「消え物」についてはブッシュ
クラフトには該当しないけど、火を生む
ことというのは、創作ではなく創造で
あることだろう。
創造的であることは、極めて人類的な
ことであることだと私は思う。

ジッポー

2020年09月02日 | open



ジッポーは、なぜ個体ごとにこれほど
オープンの時の音が異なるのだろう。
同じ構造、同じ部品、同じ材質で
あっても、それぞれ個体差がある。
ジッポー好きな人たちは、その独特
な個別の音に魅せられている人たち
も多いのではなかろうか。
私個人は、フライロッドに装着する
リールのドラグ音は澄んだ音よりも
空き缶を転がしたようなカラカラと
いう乾いたオールドリールの音が
好きだが、ジッポーはチーンという
澄んだ音質の個体が好きだ。
オートピストルの空カートがコンク
リートの地面に落ちたときのような
金属音がするジッポーが好みだ。


BROWNING (ブローニング/ブラウニング)

2020年09月02日 | open


ブローニングM1910(1910年/明治43年)

ブローニングのナイフは多く所持して
いて室内デスクワークや野外フィールド
でそれぞれの個体を使い倒している。

現代銃のブローバック機構を完成させた
のはジョン・モーゼス・ブローニング
(1855~1926)だ。近代銃の神様とも
呼ばれている。
その彼の考案したシステムを採用した
初期の銃で、ベルギーのFN社が製造した
ピストル(半自動拳銃のこと)がある。
それがブローニングM1910だ。
FN社のM1910とコルト社のM1911は
まさにジョン・ブローニングのレガシー
ともいえる。
それと同時に、M1910とM1911は
人類史の中での遺産といえるだろう。



私は個人的に一番好きなオートピストル
は1930年代に登場したコルト.22口径
ウッズマンだが、FNブローニング1910
もかなり好きだ。
なんせ、一番最初に買ったオートの
モデルガンはFNブローニングM1911
だった。
現在その個体は金色に塗装して銃身
を完全閉塞してある(涙)。
まだブローバックのモデルガンが
地球上には存在していない時代の
「黒い金属製」のモデルガンだった。
その後、71年規制後のMGCとCMC
のブローニングM1911を持っている。
CMCのはブローバック方式だがよく
作動しなかった。ジャミングモデル。
その何年も後にマルシンから出た
MGキャップ仕様のM1911は快調な
作動で実に面白かった。
友人が所望したのでその個体は
進呈した。あれは快調すぎでかなり
楽しめた。作動の正確さはMGCの
ウッズマンと並ぶほどだった。
MGCウッズマンは、ほぼジャムが
皆無だった。

仮に、米国在住で拳銃所持が可能
な州に住んでいるとしたら、FN社の
M1910は確実に所有することだろう。
ただ、ビンテージガンの類なので
かなり高額なのだが。

このベルギーFN社のブローニング
M1910は、明治43年の銃であると
いうのに、多くの映画や劇画や
アニメに登場する。
そして、現実世界でも、旧日本軍
の将校の携帯拳銃(自弁)として
も使用された。
また、軍隊や警察のみならず、内地
から外地へ移動する国民たちが
銃砲店で購入したりした人気銃
でもあった。
戦後も日本警察でも採用し、警視庁
丸ノ内署のマル暴担当の私服刑事
などは.32口径のブローニングを
携帯していた。

ブローニングM1910。
非常に小型ながら頼れる頼もしい
やつだ。みためはとてもベビー
フェイスなのだが。
銃弾の雷管を叩くファイアリング
ピンを叩くハンマーは存在しない。
ファイアリングピンをそのまま直
に後方ロックして引き放つ仕組み
だ。
このストライカー方式は銃本体に
露出部分を設けないので抜き差し
がしやすく、古くから私服刑事等
に多く用いられてきたのだろう。

この銃、かわいいす。


プーッコ

2020年09月02日 | open
 
 
幼少時からフィンランドに長年住んで
帰国した奴に訊いてみた。
puukkoの現地での発音てどういうの?と。
すると「プーコ」だった。
むしろ、音は「プフコッ」に近い。
なぜ、最近流行りの日本語片仮名表記では
「プーッコ」などというへんてこりんな
記述をするのだろう。昔は北欧小型ナイフ
の記述は「プッコ」だった。
 
こうしたことは、英語についての表記に
も流行りによる変化がみられる。
fast food はかつてはファーストフードと
記載されたが、現在ではファストフード
だ。
ファストフードというと、日本語での発音
をした場合、まるでファストのトだけが
強調されて英語的ではなくなる。
たぶん、first と fast の発音の区別ができ
ない日本人が、first をファーストとし、
fast をファストとするように始めたのだ
ろう。
しかし、レディースはレディースである。
レディーファーストがレディファストと
詰まるのはおかしいし、英語圏の人には
通じない。
 
ただ、片仮名表記の変化で、原音英語に
近くなるように慣用書きが変化したもの
もある。
それの一つに main がある。
かつては新聞表記でも「メーンストリー
ト」だった。今は広くは「メイン」と片
仮名では書かれる。
また、building もビルヂングからビル
ディングに表記が変化した。
これらは、原音に近く変化した例だろう。
 
fast drow がファストドローというのは
私はどうもとてつもない違和感がある。
ファーストドロウだろうと思っている。
レディーファーストはレディーファースト
であり、レディファストではないのだか
ら。
 
むしろ、そうした表記変化はどうでもいい
のである。MaCdnald's が「マクドナル
ド」になってしまうような日本なのだか
ら。東京はマックだから本家にも通じる。
しかし大阪ではマクドだ。なんだそりゃ?
オイドでっか、さいでっか、みたいな。
 
一番いただけない日本人の風潮は、UFOを
ユーフォーと呼ぶようなことだ。
これは、1977年のピンクレディーの曲に
よって広まったということを今の人は知ら
ずに誤用を続けている。
UFO はユーエフオーであるのだ。
ピンクレディー登場までは、日本人は正し
くユーエフオーと呼称していた。
UFOがユーフォーならば、CIAはシアに
なってしまう。FBIはエフビーアイであり
エフビではない。ナサやネイサじゃないん
だからさー。
UFOはユーエフオーなのである。世界的に
は。俺様ルールでユーフォーと途中から
言い出しても、世界では通用しない。
日本人向けにわざとユーフォーと呼ぶ日本
のTV番組コメント用表現を使うアメリカ
もいるが、アホかと。忖度か?と。
日本
の番組の台本通りかよ、と。
ありゃDあた
りが収録者に指図してる
にちげえねえ。
 
しかし、もっとしどい日本人たちがいる。
UFOがいるかいないか、信じるか信じない
かとかを言い出す連中だ。
全く、UFOの意味を理解していない。
原語の英単語の意味が分からないで使って
いるからだろう。
UFOはお化けでも何でもない。存在する
正体不明で未確認の飛行物体のことが
UFOであるのに、信じるか信じないかと
か、意味わからん。
 
不審船 正体バレても 不審船
 
みたいな政府対応に皆さん洗脳されている
のではなかろうか。
まあ、そこでも「不審船というのはいる
のかいないのか。信じるか信じないか」
というような議論にはならないのに、こと
UFOに関しては、存在の有無を問う意味
不明な人たちの声がある。
「エイリアンクラフトはあるか、ないか」
というのならば分かるが、未確認飛行物体
を信じますか?信じませんか?とかは、
てんでUFOの単語の意味を分かってない
のでしどすぎる。
そして、大抵、UFOの存在の有無を言う
人たちは「ユーフォー」と呼ぶ。
結局、意味も解ってない単語を振り回して
俺様ルールをゴリ押ししているだけ
なの
だ。
酒池肉林の坊主が口にする意味不明の
外国語の呪文をありがたがっ両手を
合わせてこうべを垂れる日本人ら
しいや。
チーン。

けだし時代は熱くない。
すべてがテケトン予定調和の城内
平和がホントの平和だとか思って
る。議論を「ディスり」と思うその
未熟な脳。難しいことは考えられ
ない。
ベタベタよいしょで気分が良くなる
か「ディスり」と脳内二極判断で
気分を害するかしかない現代人の
脳の働き。幼児以下だ。世の中、
「悲報」か「朗報」かだけじゃ
ないっつーの。
そして、指弾者は年だけ取って
バラバラといなくなって行く。
ハチのムサシもジョーも死んだ
のさ。
50年以上前に。


 
 

猛暑

2020年09月02日 | open



朝、玄関のドアを開けたらカマキリくん。
まだまだ夏っぽい。
きょうも暑くなりそうだ。


咫尺(しせき)の間

2020年09月02日 | open



咫尺の間というもの、これあり。
状況に応じて臨機応変に処して勝ちを制
するのが武技だが、要するに刀術におい
ては、狭き所では刀は短く、広き所では
刀を長く使う。これは四方だけでなく、
上下にも。
超近接距離においては、英信流にはちらり
風車という猫パンチのような騙し業さえ
ある。
居相とは、相手次第で縦横無尽に武技を
発揮して勝つ合わせ術のこと。
決め事のお約束動作や見た目一義の体操
ではない。
敵なくば戦わなくてよい。
敵のいない独りよがりの健康体操は居相
などではない。根底からして違う。


日本刀研磨師の手業

2020年09月02日 | open

久しぶりに良作映画『武士の献立』
(2013/松竹)を観た。
この作品はきめ細やかに、役者の
演技も表現演出も編み上げられた
かなりの佳作だ。
脚本が優れれているのと同時に、
監督の手腕が冴えた一作だ。

作中、主人公が差料を自ら研ぐシーン
がある。奸計を計った藩の家老を
討つためだ。

やけに日本刀研磨の独特の「構え」も
しっかりしている
なあと思ったら、
本職の日本刀研磨師
が技術指導をして
いた。

そして、驚くべき事がある。
私はこの作品の初見では、このシーン
での日本刀は真剣だと思っていた。
しかし、個人的に技術指導の研師の
関係者から撮影裏話を聞いた。
この刀は何と模擬刀なのだそうだ。
模擬刀に真剣に見えるような加工を
日本刀研磨師の技術で施したのだと
いう。
これはしたり。してやられた。
映像上はどう見ても真剣にしか見え
ない。化粧研ぎの中の焼刃まで真剣
そのものに表現された、いわばリアル
なステージガンならぬステージソード
だったのである。
本職の技術者というのは凄いものだ。