渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

台風注意

2020年09月04日 | open





皆さん、台風注意でよろしく。
私は二輪車はロープで引っ張ります。
エイトノットともやい結びで。
きょう、船も見て来た。
ちょいチェックして対処して来たすー。

よくあるシステムのばかたれ

2020年09月04日 | open
時間をかけて書いた刃物の記事がアップ
と同時に消滅した。
gooブログにはよくある話。
クレームも多いし、gooから他社に乗り
換える人も多い。

しかし、ネットサービスなどは私はハナ
から信用していない。
Yahooもそうだが、ある日突然、サービス
を取り止めにしたりする。
それまでの公開情報はどうなるというの
か。
そんなことはIT産業はお構いなしだ。どこ
の企業も。
実に無責任。

そんなものに今の人間たちは拠り所を見つ
けようとしている。実はとても危ういの
に。
出版社からの出版物のような責任性は
ネット界には一切無い。

やはり、自己サーバーでの情報保管が
そうした欠点を補完するかとは思うが、
これとてネットサービスなので、いつ
サービス終了となるかは未知だ。
一応、2002年から私は世界で一つの独自
ドメインを取得しているが、今は過去の
データの保存にしか活用していない。

ま、腹かいてもしょんなかろーもん。
ネットちアホなもんやき。



切れなければ意味がない ~刃物~

2020年09月04日 | open



HELLEナイフのこの広告写真は、めちゃ
くちゃカッコイイと思う。
切る。
ナイフはそのためにある。
すべからく刃物は切る為に存在すべしと
いうことは論を俟たない。
切れない刃物は刃物としての使命を
果たせない。
つまり、切れない刃物は刃物ではない。





「君は親友である。お互いの長短全て
を受け容れての付き合いだ。意見が違う
こともあるが、本音で語り合う。それは
親友であるからだ」と私に言う先輩は、
近頃、フィンランド製本場プーッコを
手持ち野外活動用ナイフに導入した
模様だ。

切れるそうだ。到着後、喜びながら
「物凄く切れるよ」と笑顔スタンプ
交じりで連絡をくれた。
良い出会いがあったようだ。
そのように刃物と接して、ウホホと
なっているのを知るとこちらも自然と
嬉しくなってくる。笑顔がこぼれる。

この人、刃物についての感知能力が

凄く長けている。微細な違いについて
それを検知するのだ。それをつい先日
実際に目の当たりにして知った。

こういう人は恐ろしい。
たとえば、研ぎにしても刃付けにして
も、ほんの僅かな違いを体感で検知
する。
私は、こういう繊細な識別能力を持つ
人は
本物だと思っている。

大昔、それこそ大昔だが、ビリヤード
関係で、タップ削りの革包丁の研ぎに
ついて、撞球留学までしたオーソリティー
ともいえる人が言った。
「切れる革包丁は良くない」と。
私とはまったく見解がぶつかった。
撞球はともかく、こと刃物について

は真っ向から意見が対立した。
本当は意見などというものではない。

刃物という存在そのものについての
認知認識識別の中身が対立したのだ。
自分で使うからどうでもいいのだが、
それを私にまで強要して来て、キン
キンに無抵抗でタップが削れる私
の手入れ用具の研ぎを否定してきた。
それは良くない、と。使うのは私で

あるのに。撞球の先輩であっても、
刃物についての先輩ではない。
何を意味不明なことを人に押し付け
て師匠面するのか、と。
一挙手一投足私に指図し、それに私が
「はっ」と従うのは私が斎戒沐浴
して誓詞を差し上げて師弟関係を
結んだ私の武術の師匠だけだ、
と。
師とてどこかのカルトの教祖ではない。

万一仮に師が「これを殺せ」と命じ
ても私は
従わない。

その撞球名人が研いだとする刃物を
使うと
まるで金属モノサシを無理やり
押し
当てたようなもので、まったく
タップ
が削れない。
事実、撞球経験がその人とは比べ
ものにならないほど浅かった私の
研ぎ上げた革包丁のほうがはるかに
「まるで旋盤を使ったかのよう」に
奇麗に完璧にタップ装着と削り磨き
仕上げをすることができ
ていた。

事実は雄弁に真実を物語る。
切れない刃物が良い仕事をする、
というのはあり得ないし存在し
ない。
そんなこと大工にも言ってみろ、
板前にも言ってみろ、とその時
には思った。
そういう規定で断定をして世迷言
を口にする事がどう評価されるか、
と。
身を以て、「切りのプロ」に評価
してもらえばいい、と。

ある日、本職の大工が私に自ら研ぎ
上げた大工道具を見せてくれた。
その時、「研ぎの人から見たら、
これはどう?」と。
私を切り屋として見立ててくれて
自身研ぎの刃物を見せてくれたの
だった。
恐れ多いのだが、拝見仕った。
見事である。プロが仕事で使うのだ
から本物の商売道具だ。
口には出さなかったが、その研ぎを
観賞して、あることを学びというか
私は盗み取った。武術でいうところ
の見獲り稽古だ。なるほどなぁ、と
感心した。ここをこうしているのは
そういう意味か、と。
ざっくりとした早研ぎだとはいうが
大変勉強になった。
実は板前や大工でも、正確な研ぎが
出来る人は存外少ない。
研ぎの命は「正確さ」に集中する。
乱れのない研ぎ、それに尽きるのだ。
その刃物のストローク速度について
も、その人の研ぎの速度を教えて
くれた。大変勉強になった。

ある時、ある人が包丁を研いでほしい

と言ってきた。
いいよ~と請け負った。
研ぎ上げて渡した。
すると、どれくらい切れるか、刃先に
手を当ててみたらしい。スーッと
無抵抗でさっくりと指の腹が切れて
かなりの怪我をしたそうだ。
そして言う。
「切れすぎるからもう研ぎはお願い
しない。危ないから」と。
バガヤロ様かと思った。
そしてさらに続ける。
「それに、包丁は研ぐと減るだろ。
それはもったいないから」と。
バガヤロ様確定だなと思った。
減るのは砥石のほうが大きいわい、
と。
「バカナオール」という新薬を
つけ
てもこりゃずっと治らんだろな、と

思った。

刃物は切るためにある。
刃物の命は切れることにこそ輝きが
ある。
それを否定するのは人それぞれ自由だ。
しかし、「切り」について探求をする
切り屋である私とは一切関わらないで
ほしいのだ。

むこうから寄って来るんだよね。
なぜか。
変なのが時々。


2020年09月04日 | open


2020年9月4日午前1時丁度。
十六夜の月に照らされた秋の夜空に
風情を感じたので撮影した。
画像無加工。

ことしの仲秋の名月は10月1日だ。
みんな!見逃さないようにな〜。


夜食

2020年09月04日 | open


夜なべの夜食は緑のたぬき。

「夜食万才!」てもう一度タイムリーに
観たいなあ。
絶対に無理だろうけど。
革命でも起きない限り。