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礼拝説教、聖書を読んで感じた事

いのちの水の川が流れて

2013-10-23 11:32:12 | 礼拝説教

2013/10/20 礼拝説教(岡山伝道師)

■ テーマ:預言書から学ぶ
■ 説教題:いのちの水の川が流れて
■ 聖書箇所:エゼキエル47:1~12

47:1 彼は私を神殿の入口に連れ戻した。見ると、水が神殿の敷居の下から東のほうへと流れ出ていた。神殿が東に向いていたからである。その水は祭壇の南、宮の右側の下から流れていた。
47:2 ついで、彼は私を北の門から連れ出し、外を回らせ、東向きの外の門に行かせた。見ると、水は右側から流れ出ていた。
47:3 その人は手に測りなわを持って東へ出て行き、一千キュビトを測り、私にその水を渡らせると、それは足首まであった。
47:4 彼がさらに一千キュビトを測り、私にその水を渡らせると、水はひざに達した。彼がさらに一千キュビトを測り、私を渡らせると、水は腰に達した。
47:5 彼がさらに一千キュビトを測ると、渡ることのできない川となった。水かさは増し、泳げるほどの水となり、渡ることのできない川となった。
47:6 彼は私に、「人の子よ。あなたはこれを見たか」と言って、私を川の岸に沿って連れ帰った。
47:7 私が帰って来て見ると、川の両岸に非常に多くの木があった。
47:8 彼は私に言った。「この水は東の地域に流れ、アラバに下り、海に入る。海に注ぎ込むとそこの水は良くなる。
47:9 この川が流れて行く所はどこででも、そこに群がるあらゆる生物は生き、非常に多くの魚がいるようになる。この水が入ると、そこの水が良くなるからである。この川が入る所では、すべてのものが生きる。
47:10 漁師たちはそのほとりに住みつき、エン・ゲディからエン・エグライムまで網を引く場所となる。そこの魚は大海の魚のように種類も数も非常に多くなる。
47:11 しかし、その沢と沼とはその水が良くならないで、塩のままで残る。
47:12 川のほとり、その両岸には、あらゆる果樹が生長し、その葉も枯れず、実も絶える
ことがなく、毎月、新しい実をつける。その水が聖所から流れ出ているからであ
る。その実は食物となり、その葉は薬となる。

<はじめに>
今日は、旧約聖書の預言書の一つ、エゼキエル書のところから語りたいと思います。預言者エゼキエルに神様が見せた素晴らしい幻の箇所から、神様の恵みを受け取りましょう。

<Ⅰ:エゼキエル書について>
1.預言者としての召しと働き
このエゼキエル書の著者、エゼキエルとは、どんな人か、簡単に見ておきたいと思います。エゼキエルはエレミヤのように、預言者であるとともに、祭司という職務に就いていました。彼は、エルサレム滅亡の十年ほど前に、エホヤキン王と共に捕らえ移されました。そして、エゼキエルは、1章~3章のところで、神様から召命を受けます。エゼキエルは、ケバル川のほとりで神々しい幻を見ますが、その時に、主からの預言者としての努めを果たすように召し出されます。

2.エゼキエル書全般
 エゼキエル書全体を見ますと、エゼキエルは、神様から預言者としての召しを受けた後の区分は、エゼキエルの預言の内容についてです。2番目の区分は、「エルサレムとイスラエル民族の運命」について記されています。3番目の区分では、「諸国民に対する預言」が語られ、4番目の区分は、「イスラエルの回復」について語られています。エゼキエル書の簡単なアウトラインは、ざっとこんなところです。
イスラエル民族は、神様のことを伝えるために、特別に選ばれた民族ですが、真の神に背いてしまい、そのため、エルサレムは滅亡へと向かいます。しかし、その後のイスラエル民族に対する神様の回復が起こるという、励ましが預言者を通して語られます。今日のところは、その4番目の区分、「イスラエルに対する回復」にあたります。滅亡までの預言の後の、イスラエルに回復のときが来る預言です。クライマックスとも言える箇所です。

<Ⅱ:神殿から流れる水>
エゼキエルは、案内人によって、神殿の入口、東門のところに連れ戻され、そこで素晴らしい光景を見せてもらいます。(47:1~2)何と神殿から水が出ています。エゼキエルは、その流れを追っていきます。案内人が持っていた測りなわで距離を測ると、千キュビトありました。(47:3)1キュビト45cmくらいと言われます。ですから、水の長さは約450mです。そして、その水の深さは。この時点では、エゼキエルの足首までの深さです。さらに千キュビトいくと、水の深さはひざまで達し、さらに千キュビト行くと、腰まで達しました。そして、とうとう川の状態となり、泳げるほど、渡れないほどの水かさになったというわけです。(47:5)

<Ⅲ:いのちの川となって>
1.いのちの水の川の癒し
そして、案内人から、「人の子よ。あなたはこれを見たか」と言われ、川の両岸に連れ帰られ、そこで知らされるのは、「この川が流れて行く所はどこででも、すべてのものが生きる。」という素晴らしい情景でした。(47:8~10)この川は、アラバから、海、これは死海を指すようですが、そこまで流れ出るということです。アラバという所は、ゴツゴツした岩山しかないような場所だそうです。また、死海は、塩分が高いため、生き物は生きることが出来ません。その海でさえ、この川が注がれると、水が良くなり生物が生きられるようになるというのです。いわゆる、生命が生きるいのちの水の川となるわけです。

2.いのちの水の川の水源
このエゼキエルが体験した、いのちの水の川の水源はどこからかというと、水源は、エルサレムの神殿であり、神殿にある祭壇です。これほどまでの生命力に溢れるのは、
聖所から流れ出ているためだと言うのです。(47:12)なぜ、そんなに生命力に満ちているのか、それは、聖所は、神の臨在があるからだということです。神様の豊かな臨在は、神様ご自身がいのちが溢れ出て、その川の流れいくところは全て、生命力に溢れているためなのです。神の臨在を求めることがいかに素晴らしいことかを教えられます。また、この情景は黙示録22章にある、新しいエルサレムの命の川と似ていて、来るべき千年王国への希望を持つことができます。(黙22:1、2)

<Ⅳ:教会時代のいのちの水>
エゼキエルは、案内人に導かれて、神殿から流れ出る川により導かれました。この神殿とは、現代の新約の時代に生きる神の民にとっては、ある学者は、注解書の中で、神殿はイエス様ご自身とも言っており、神殿とは、確かに、神様のご臨在のあることが分かります。そして、このいのちの水とは、聖霊を指しているわけです。イエス様は、ヨハネ4:14において、サマリヤの女に対して、イエス様が与える水を飲む人は、「永遠のいのち」を得ることができると語りました。イエス様を信じる私たちは、聖霊を宿して、神の住まう「聖霊の宮」とされました。神の臨在を伴う者とされたのです。(Ⅰコリント6:19)

<Ⅴ:いのちの水の川の恵み>
 この生けるいのちの水、私たちの心の御座から流れれ出る聖霊は、どのような恵みを人にもたらすでしょうか?エゼキエルのこの箇所から、水の聖めや魚が生きること、樹木の生長や果実の実りを見ました。いのちの水は、今を生きる私たちに、具体的にどんな恵みが満ちているでしょうか?簡単に見たいと思います。
1)人々の救いがもたらされます。イエス様を信じる者は、十字架の贖いにより、神の子とされ、全く新しくされます。
2)聖霊により、御言葉を読む理解力や知識、そして、祈りの力を得ます。
3)イエス様を証しする力、奉仕の力が与えられる。
4)神様のご性質を受け取ることが出来ます。聖霊は罪を聖めます。聖霊の喜びを受けます。神の平安を得ます。神の愛を知り、神の良きもので満たすことができます。聖霊の実を結ぶ者とされます。
5)神の癒しを体験します。
6)神に対する信仰を与えられ、引き上げられます。聖霊の賜物を求めて得られます。

<Ⅵ:聖霊の満たしを求めて>
この生けるいのちの水は、クリスチャンたちの只中にあります。エルサレムの神殿まで行かなくてもいいのです。エゼキエルが見た、神殿から流れ出る水は、進むごとに水かさが増し、ついには歩いて渡れないほどの大きな川となっていきました。進むごとに水かさが増したのです。聖霊の流れも同じように、私たちが主に従う生活を行い、神様の働きを行うごとに水かさが増していくのです。前進するごとに、水かさは増すのです。私たちも、個人においても、教会においても、もっと聖霊を求めていきましょう。聖霊の働きは、神の臨在のある私たち教会を通して、どんどんと流れていきます。聖霊の水の川の導くまま、従順に従うときに、私たちを通して聖霊の祝福が流れ、その働きは豊かなものとされるのです。エゼキエルは自力でその流れを作ったわけではありません。水の流れより先にいたわけではありません。この川の流れに従っていったのです。聖霊の流れに、聖霊の導きに従順となり、豊かな聖霊の臨在と共に、生ける神の教会の真実を体験しましょう。

<結び>
主は、また、いのちの水を通して、渇いている者を満たすことが出来る方です。イエス様は、「だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。(ヨハネ7:37~39)と言われました。イエス様はこの時、人間のうちにある心の渇きに対して、大声で呼びかけたのです。皆さんのこの世においての傷んだ心や、罪の中にあって、闇のような道を歩くその足も、実は心や霊において神によるいのちの水が必要だからなのです。イエス様は、今も全ての人に「私のもとに来なさい」と呼びかけておられます。皆さんをご自分のもとに導かれたいのです。イエス様のいのちの水を飲んで、生ける神の霊を宿す人とされて、永遠なる主の祝福を受け取って頂きたいと思います。
エゼキエルが、導かれたいのちの水の川は、全てのものが生きるいのちを持っていました。魚も生き、樹木も枯れず、果実も実りました。いのちに満ち満ちた神の臨在は、多くの人々に真の神へ至らせ、霊の回復を与え、前進させます。私たちのまだ知らない聖霊の豊かさの水かさを増して頂きたいと思います。そして、今週も聖霊による豊かな恵みを受け取っていきましょう。
 
 


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