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礼拝説教、聖書を読んで感じた事

愛するという意志

2019-02-03 17:51:42 | 礼拝説教
2019/2/3 礼拝説教
【テーマ】  互いに愛し合う
【説教題】 「愛するという意志」
【聖書箇所】 Ⅰヨハネ4:7-11
4:7 愛する者たち。私たちは互いに愛し合いましょう。愛は神から出ているのです。愛がある者はみな神から生まれ、神を知っています。
4:8 愛のない者は神を知りません。神は愛だからです。
4:9 神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちにいのちを得させてくださいました。それによって神の愛が私たちに示されたのです。
4:10 私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、宥めのささげ物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。
4:11 愛する者たち。神がこれほどまでに私たちを愛してくださったのなら、私たちもまた、互いに愛し合うべきです。

○ 私たちは神を知っているでしょうか? 愛がある者はみな神から生まれ、神を知っています とあります。愛と神は切り離されない関係にあります。

Ⅰ.何が愛することなのか?
A.具体的なことがわからない
1.今日のテキストには 私たちもまた、互いに愛し合うべきです。 とあります。そんなことはたいていの人はわかっていることです。ただ具体的にどの様にするのが愛し合うことなのかがわからないのです。
2.人はみんな違うだけに幸せの感じ方も違います。ですから「愛する」と言っても具体的にどのようにする事がその人その人を幸せにできるかなかなかわからないのです。

B.愛はまず神から始まっている
1.では、聖書はどのようなことが「愛し合う」ことだと教えているのでしょうか? 神と人が愛し合うことから考えてみましょう。 4:9 神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちにいのちを得させてくださいました。それによって神の愛が私たちに示されたのです。 神が私たちを愛されたのはイエス・キリストをくださったことでわかります。
2.イエス・キリストを私たちの身代わりに十字架で殺すことが、神が私たちを愛してくださった方法です。ここには愛し合うというより、一方的な愛であり、私たちが神を愛することなど到底できない話なのかも知れません。

Ⅱ.私の中に始まった愛
A.はるちゃんとの出会い
1.私がクリスチャンになって4ヶ月、18歳、大学一年生の時、実習でS養護学校へ行きました。ここは多くの生徒が寮生活をしている学校です。そこの中等科の一クラスに入り、先生の指示に従いました。とても静かなクラスです。言葉の無いクラスだったのです。
2.私が特に担当したのは「はるちゃん」と呼ばれる20歳の男性でした。言葉がありませんので、何を考えているのかもわかりませんでした。この「はるちゃん」が険しい顔をしてソワソワし始めました。手を引っ張って場所を移動させようとしても動こうともしません。困ってしまった私に担任の先生は「あー、トイレだ! 連れて行ってやって」と言われました。そこでトイレに向かうと、先生はさらに「大だから」と。「えー。どうすればいいんですか?」と言う私に「ズボン下ろしてやって。自分でできるから。あと、拭いてやってね」と簡単に言います。こっちは「えーーー」です。確かに自分でしましたが、自分で拭かないのです。18歳の若き成年男子の私、人のお尻なんて拭いたこともありません。仕方がないから拭きました。一回じゃダメで2回。3回。立ち上がらせてズボンを上げて。私は水道にまっしぐら。自分の時より3倍くらい時間かけて手を洗いました。

B.お互いに変わった
1.この後です。「はるちゃん」が変わりました。私に笑顔を見せてくれるようになったのです。しかも私の手を引いてどこかに連れて行こうともします。先生に聞くと「あー、藤井君。はるちゃんに好かれたね。良かったね」と。はるちゃんは私に心を開いてくれたそうなのです。私の方は愛も無くていやいやお尻を拭いただけなのに、彼は私に心を開いてくれたのです。私には愛もなく、ただ行動しただけなのですが。
2.変わったのは彼だけではありません。私も変わったのです。彼のことを好きになっていくのです。私から愛したのでは無く、彼の方から愛してくれたのですが、その愛を受けて、私も彼を愛するようになったのです。
3.Ⅰヨハ 4:10 私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、宥めのささげ物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。 とあるように、神が私たちを愛してくださったことに始まるのです。そして、私たちも神を愛し、神が愛される人々を愛し始めるのです。

Ⅲ.愛は意志
A.結婚の誓約は
1.結婚式の誓約文は、・・・を誓いますか? と問います。それに対して、二人は「はい、誓います」と答えます。これは二人の意志です。「はい、誓います」と言わなければ牧師は二人を夫婦と宣言できないのです。
2.この時、「愛せますか?」とは問いません。そして、二人も「できるだけ愛するように努力はします」という答を要求してもいません。「愛します」という意志決定を求めています。夫婦が互いに愛し合う基本は「愛する」という意志決定なのです。

B.教会はイエスの花嫁
1.教会はイエスと私たちという夫婦関係です。イエスは私たちを愛すると言って下さったのです。私たちもイエスを愛すると誓うことで教会となるのです。それを家庭と考えれば家族を愛するように、教会は互いに愛し合うところなのです。
2.ヨハネはイエスに愛されたことで彼もイエスを愛するようになったこと、そして弟子達が互いに愛し合うようになったことを体験したのです。しかも、神の愛が内側にあるので、愛する決意をもってさらに愛を成長させることが大事だということも知ったのです。
3.はるちゃんが私を愛してくれたので、私も変わったように、誰かから愛し始めることが大事なのです。

● 再婚した夫婦がありますが、お互いに男の子が二人ずついました。この子達を愛さないならこの夫婦は成り立ちません。この新しい夫婦はそれぞれの子どもを愛したのです。そして、とてもよい家庭になっていきました。

★  4:11 愛する者たち。神がこれほどまでに私たちを愛してくださったのなら、私たちもまた、互いに愛し合うべきです。 と言われたとおり、私たちも自分から愛し始めるのです。愛することを決意しようではありませ

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