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礼拝説教、聖書を読んで感じた事

新しい戒め

2019-02-10 16:42:56 | 礼拝説教
2019/2/10 礼拝説教
【テーマ】  愛の命令
【説教題】 「新しい戒め」
【聖書箇所】 ヨハネ13:34-35
13:34 わたしはあなたがたに新しい戒めを与えます。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。
13:35 互いの間に愛があるなら、それによって、あなたがたがわたしの弟子であることを、すべての人が認めるようになります。」

○ 教会会議を終えて2週間、私たちは新しい年の歩みを始めています。「愛が見える教会」という標語。個人的には気に入っているのですが、現実、何がどのように世の人々に見えるとよいのか、まだまだわかりにくいかもしれません。人によって好みが違い、教会に対してもそれぞれの好みがあると思います。人々は教会をどのように見ているのでしょうか?

Ⅰ.新しく、かつ古い戒め
A.聖書の中心
1. 新しい戒め は 互いに愛し合いなさい ということです。が、「愛する」というのは命令されてするものなのでしょうか? 愛は自発的なものなのではないでしょうか?
2.しかし、イエスは わたしはあなたがたに新しい戒めを与えます。互いに愛し合いなさい。 と言われました。 新しい戒め と言われましたが、これはすでに旧約聖書の精神でした。十戒をまとめると「神を愛すること」と「人を愛すること」になるのです。

B.神を愛すること
1.では、「神を愛すること」とはどの様にすることなのでしょうか? 旧約聖書を読んでくださると、イスラエル人が度々神からお叱りを受けている理由がわかります。それは偶像礼拝、形式的な礼拝になっていたため、神の言葉を守らなかったためです。
2.ということは神を愛することは、正しい礼拝をすることであり、御言葉に従った生き方をするということです。

C.人を愛すること
1. レビ19:18 あなたは復讐してはならない。あなたの民の人々に恨みを抱いてはならない。あなたの隣人を自分自身のように愛しなさい。わたしは【主】である。 と、隣人を愛することを命じています。復讐を禁じ、恨みを持たないようにと命じています。人に悪しき思いを持たないことが人を愛する姿の一つでしょう。
2.さらに旧約聖書には障がいのある人に対しても、外国人に対しても優しくあるように神は命じておられるのです。弱い立場にある人たちに親切、優しくあることも人を愛する姿の一つと言えます。

Ⅱ.イエスの愛の実践
A.神を愛したイエス
1.さらに、神を愛すること、人を愛することはイエスに学ぶことができるはずです。イエスが人としてこの地上にお出でくださったのは、十字架で身代わりの死を遂げるという目的があったのは事実ですが、イエスの生き方を私たちが学ぶためでもあるのです。
2.神を愛するということでは、イエスは神の言葉に完全に従われたことが明白です。それは ピリピ2:6-8 キリストは、神の御姿であられるのに、神としてのあり方を捨てられないとは考えず、:7 ご自分を空しくして、しもべの姿をとり、人間と同じようになられました。人としての姿をもって現れ、:8 自らを低くして、死にまで、それも十字架の死にまで従われました。 とあるとおりです。

B.人を愛したイエス
1.人を愛することでは、病気の人を癒やしたり、死人をよみがえらせたりもなさいましたし、罪深いサマリヤの女のためにもわざわざ会いに行かれました。嫌われ者だったザアカイのところにも行って友となられました。
2.ユダヤ人にとっては、サマリヤの女やザアカイを愛することはあり得なかったのです。神の聖さに反するこのような人たちを受け入れることはできなかったのです。しかし、イエスはそうでは無かった。こういう人のところに積極的に行かれ、愛されたのです。それが聖書の言う愛だということです。

Ⅲ.私たちの愛の実践
A.神を礼拝する
1.ヨハネはイエスに愛されたのでしょうねえ。イエスのそばにいて彼は愛されたことを感じただけでは無く、イエスの父なる神への愛を感じたはずです。それはかつてのユダヤ的、律法的、形式的な礼拝では無く、実に自由な心からの礼拝だったと思います。
2.ヨハネはイエスが御言葉に命をかけておられることも感じとっていたのです。イエスにとって自分のすべき事が聖書にはっきり預言されていますから、それを実行されたのですが、その姿をヨハネは見てきました。
3.私たちも実は同じです。私たちのすべき事が聖書に書かれています。私たちも御言葉を実行しているということが人々に見られたらどんなにすばらしいことでしょう。

B.他の人を思う
1.ヨハネはイエスと共に歩み、イエスが病気の人を癒やし、死んだ女の子を生き返らせた事、サマリヤの女を訪ねたこと、ザアカイを尋ねたことも見てきました。ユダヤ人が避ける人を愛されたことを見てきたのです。イエスがいかに人々の辛さを思い、愛してこられたかを直に見てきました。
2.ですから、初代教会の彼らは自力でできないことを味わいながら、聖霊の助けを得て、互いに愛し合うことを実行してきました。その姿こそ人々が認めるものだったのです。

● 親が我が子を愛します。赤ちゃんの時には全てのわがままを受け入れます。しかし、大きくなっていっても同じようにするわけではありません。その成長具合に応じて働きかけが変わります。しかし、愛していることには変わりありません。思春期になると関わることさえできなくなります。それでも愛しています。祈ることしかできないのですが、それはとても大きな愛だと思います。 ルカ 22:32 しかし、わたしは、あなたの信仰がなくならないように、あなたのために祈りました。だからあなたは、立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。」 と、イエスはペテロに言われました。イエスを知らないと言ってしまうペテロです。そのペテロをイエスは愛されて祈られたのです。

★ 私たちもイエスに愛されています。私たちも愛の命令を実行しましょう。神と人とを愛することに励みたいと思います。新しい戒め、イエスが愛したように私たちも互いに愛し合いたいものです。イエスがペテロのために祈られたように、私たちも兄弟姉妹のために祈って参りましょう。

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