バイブルサロン

礼拝説教、聖書を読んで感じた事

イエスの手はあなたのそばにある

2021-06-05 07:07:04 | 礼拝説教
「あれは幽霊だ」 と叫んだのです。今では子どもでも「幽霊なんていないよ」と言うでしょう。

C.恐れた
1.「幽霊だ」と叫んだ弟子達は珍しいものを見たと言って喜んだでしょうか? 当然恐れたのです。大学時代、先輩が「恐い話をしてやる」と言って体験談を語ってくれました。バイトを終えて夜下宿に帰り、疲れていたのでそのまま寝てしまったそうです。夜中に何か風が吹いてくるので目が覚めて、ふと向こうにある椅子を見ると誰かが座っていてこちらを見ているというのです。先輩は幽霊だと思って、恐くて恐くて布団をかぶって寝ようとするのですが、眠れないのです。遂に朝になり、そっとそっちを見るとまだいるではありませんか。ところが、朝日に照らされた椅子の上には自分の来ていたバイク用ジャンパーがあっただけだそうです。どこが恐い話なのでしょう。
2.弟子達も「幽霊だ」と思ったから恐がったのですが、実際にはイエスだったのです。恐がるどころか喜ぶべきお方です。人生で勘違いしてイエスを幽霊と思ったりして恐がっていると喜びの人生を逃してしまいます。恐れは人に真実を見えなくさせるのかも知れないですね。

Ⅱ.歩かせてください
A.強気になった
1.湖を歩いてきたのがイエスだとわかると、一気に元気づいたペテロは 「主よ。あなたでしたら、私に命じて、水の上を歩いてあなたのところに行かせてください」 と言いました。いつものようにイエスがそばにいるので、安心感が出てきたのでしょう。そして、イエスなら自分も歩かせてもらえると信じたのです。
2.実際、彼は歩けたようです。何歩歩いたのかわかりませんが、 イエスは「来なさい」と言われた。そこでペテロは舟から出て、水の上を歩いてイエスの方に行った とあります。イエスの言葉に従うとこんな事までできるのですね。

B.沈む
1.せっかく歩けたのですが、しばらくすると 強風を見て怖くなり、沈みかけた とあります。今度は幽霊ではなく、現実の強風を見たのです。それで恐れが湧いてしまいました。私たちも強気で歩き出したのに、何か恐ろしいものを見て人生が沈みかけることがあるものです。
2. 見て とありますが、私たちの目は「百聞は一見にしかず」というほどに見ることは私たちに信じさせる力をもちますし、見て安心します。反面、見間違えることもあれば、見えるがために力を失うこともあるのです。
3.盲目の牧師だったY先生は真っ暗な部屋の中をスタスタ歩かれました。私は電気をつけないととても恐くて歩けなかったのですが。なまじ見えるということは怖さを生むものです。

Ⅲ.助けてください
A.「主よ、助けてください」
1.沈み始めたペテロは 「主よ、助けてください」と叫んだ のです。これは正解です。そばに弟子達はいません。少し離れたところで「あっ、ペテロが溺れるぞ」とか言うくらいしかできないのです。
2.湖の上を歩けるのはイエスです。私たちの人生に危機が迫っても、イエスに危機はありません。助けてくださるのはイエスです。実際イエスは私たちを助けてくださいます。ペテロのように 「主よ、助けてください」 と叫んでよいのではないですか。

B.私たちの声は聞かれている
1.助けていただけないという体験をする人も多いと思います。それはなぜでしょうか? 正直なところわかりません。聖書にも弟子の中で迫害の中、天使によって助けられた人がいるかと思えば、殺されてしまった人もいます。
2.「なぜ?」と言うのは確かに私たちの大きな疑問になりますが、私たちの考えを超えた神のお考えがあるということです。ただ間違いないのは神は私たちを愛してくださっているということです。そして、「助けてください」というその私たちの声を無視してはいないということです。イエスに「助けてください」と言って良いのです。

★ イエスはあなたの 「主よ、助けてください」 の声を聞いてくださっています。あなたの思うような助けかどうかは別として、いつでもあなたの手をつかもうとイエスはそばにおられます。助けてもらえば良いのです。イエスにつかまれてください。また、あなたもイエスの手をつかんでください。
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