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礼拝説教、聖書を読んで感じた事

主に信頼して出て行く

2019-03-24 17:55:33 | 礼拝説教
2019/3/24 礼拝説教
【テーマ】  伝道の心得
【説教題】 「主に信頼して出て行く」
【聖書箇所】 マルコ6:7-13
6:7 また、十二人を呼び、二人ずつ遣わし始めて、彼らに汚れた霊を制する権威をお授けになった。
6:8 そして、旅のためには、杖一本のほか何も持たないように、パンも、袋も、胴巻の小銭も持って行かないように、
6:9 履き物ははくように、しかし、下着は二枚着ないようにと命じられた。
6:10 また、彼らに言われた。「どこででも一軒の家に入ったら、そこの土地から出て行くまでは、その家にとどまりなさい。
6:11 あなたがたを受け入れず、あなたがたの言うことを聞かない場所があったなら、そこから出て行くときに、彼らに対する証言として、足の裏のちりを払い落としなさい。」
6:12 こうして十二人は出て行って、人々が悔い改めるように宣べ伝え、
6:13 多くの悪霊を追い出し、油を塗って多くの病人を癒やした。

○ 救われた人、つまりクリスチャンは伝道するのが大事な仕事です。イエスは12使徒をどのように伝道の現場に送り出したのでしょうか? この前の箇所では、イエスは奇跡を行うこともできなかったのです。ある意味「失敗」だったような伝道状況の直後にこのようにして弟子達を遣わすというのは、彼らにとってみると意気が上がらないのでは無いでしょうか。

Ⅰ.神に信頼すること 8-9節
A.イエスの権威と共に伝道する
1.まず、今日のテキストには 二人ずつ遣わし と、一人ではありません。これは教会としての最低単位とも言えます。イエスは マタイ18:20 二人か三人がわたしの名において集まっているところには、わたしもその中にいるのです。 と言われています。もちろん、一人でもしっかり神との交わりができるのです。しかし、二人いるとどれほど心強いでしょうか。そして、そこにイエスがおられるのですから。二人で神に頼りつつ励むのです。
2.そして、 彼らに汚れた霊を制する権威をお授けになった と悪霊に対する権威を与えられました。これは人間には無い権威です。なぜなら罪を犯した人間は悪魔の支配下にあるのですから。悪魔の支配から神の支配下に人々を取り戻すのが伝道でもあるのです。まさにこの権威は神からしかいただけないのです。

B.全て必要なものは神が備えられる
1.次に 旅のためには、杖一本のほか何も持たないように と、イエスは語られました。これは旅をする者の姿としてはあり得ない姿です。「充分な準備をしていきなさい」と言うのが普通ではないでしょうか? しかし、イエスは福音宣教に遣わす彼ら12使徒に神の祝福が伴っていることをわからせるため、このようになさいました。
2.私は幾つかの薬を常用しています。ですから旅行、出張というときにはまず薬を忘れていないか何度も確認します。特に三叉神経痛の薬を忘れてしまいでもしたら、とんでもないことになりかねませんから。さらに腰痛ベルト(コルセット)も必ず持って行きます。何と神に頼っていない姿なのだろうかと思います。(笑)
3.さらにイエスは詳しく、 パンも、袋も、胴巻の小銭も持って行かないように、履き物ははくように、しかし、下着は二枚着ないようにと命じられた。 食べ物も着物も全て神が備えてくださるというのです。出エジプトをした民が荒野では履き物も服もすたれなかったとあるように、神は彼らの旅を祝されるのです。

Ⅱ.人を信頼すること 10-11節
A.待ち望んでいるメシヤを伝える
1.私たちは伝道するにあたって神を信じて出て行くのですが、それは同時にそこに私たちを受け入れてくれる人がいると信じているからです。救われなければならない人たちがいるということです。
2.ただ、このテキストの12人と私たちの違いは何でしょうか?  12使徒がこの時点で出かけていった先は同胞ユダヤ人が中心でした(後に異邦人伝道、世界宣教へと広がっていくのですが)。その人たちに「神の国は近づいた、悔い改めよ」と、バプテスマのヨハネのように語るのです。
3.バビロン捕囚でユダヤ人はあちこちに散らされてしまいました。これらの人々に悔い改めを語り、神に立ち返らせることは大事なことでした。そして、イエスこそが待ち望んでいた救い主であることを伝えるのです。救い主を待ち望んでいるユダヤ人はあちこちのたくさんいたはずです。彼らはこの伝道者達を受け入れるというのです。

B.受け入れる人、受け入れない人
1.私たちも伝道していると、時に未信者の方なのにとても良くしてくださる方に出会うものです。まるで神が備えてくださっていたのではないかと思うような人にです。
2. 6:11 あなたがたを受け入れず、あなたがたの言うことを聞かない場所があったなら、そこから出て行くときに、彼らに対する証言として、足の裏のちりを払い落としなさい。」 これは相手と一切の関係を絶ち、神のさばきと責任が向こうにあることを表す動作だそうです。ユダヤ人には、異邦人の地から帰って来たとき、汚れを捨て去る意味で塵を払い落とす習慣があったのです。
3.しかし、受け入れてくれる人を神は用意しておられるのです。そして、その家人と親しくなることで伝道がより強くなるのでしょう。

Ⅲ.大胆に福音宣教すること 7,12-13節
A.イスラエルから教会へ
1.マルコは12使徒とも12弟子とも書かず、12人と書きました。もしかすると12という数字に意味を持たせたのかもしれません。とすれば、それはイスラエル12部族です。神がイスラエルを用いて全ての人に真の神を示し、神のみこころを教え、真の救いの中に入れることを考えておられたように、この12人は神の用意されたイスラエルなのです。
2.しかし、ここではまだ彼らは訓練を受けている段階です。使徒2章の聖霊を受けたところから彼らの真の伝道は始まりました。まさに全世界にです。それを今私たちが引き継いでいます。

B.今や本番の時代
1.イエスはこのようにして12人を訓練されるために伝道に出るように言われました。出て行った彼らはナザレでイエスが何もわざを行うことができなかったのに、 6:13 多くの悪霊を追い出し、油を塗って多くの病人を癒やした と、大胆にすばらしいことをやってのけたのです。もちろんこれは神のわざです。
2.しかし、このマルコの福音書の最後16章の最後には再度イエスが宣教命令を語っておられるのを見るのです。 16:15 それから、イエスは彼らに言われた。「全世界に出て行き、すべての造られた者に福音を宣べ伝えなさい。 ここからが本番なのです。今、私たちもこの本番の時代にいるのです。

● 20歳ぐらいの時、Hi-BAに協力していたので、何度か主事の方と一緒に駅前で高校生にチラシを配る奉仕をしました。たくさんのチラシを配ることができました。配り終わるとその主事さんはゴミ袋を出して、道に落ちているチラシを拾い始めました。私も一緒に拾い集めました。虚しくなる作業でした。全部捨てられたのではないかと思いました。遂に高校まで行き当たるので、学校の場所がわかるほどです。しかし、そのチラシを見て、次のHi-BAの集会に来てくれる高校生もいたのです。なんと全ての疲れが吹っ飛ぶような気持ちでした。

★ 伝道は成功するとか失敗するとか関係ないのです。聞いてくれない人たちもいます。反対にとても良くしてくださる人たちもいます。しかし、神から尊い権威をいただいて大事な福音を語るのが伝道です。その時に神を信頼していることです。信頼して出て行こうではありませんか。


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