2015/12/27感謝礼拝説教
【テーマ】 主を喜びたたえる
【説教題】 「目を留めてくださった」
【聖書箇所】 ルカ1:46-55
1:46 マリヤは言った。
「わがたましいは主をあがめ、
1:47 わが霊は、わが救い主なる神を喜びたたえます。
1:48 主はこの卑しいはしために
目を留めてくださったからです。
ほんとうに、これから後、どの時代の人々も、
私をしあわせ者と思うでしょう。
1:49 力ある方が、
私に大きなことをしてくださいました。
その御名は聖く、
1:50 そのあわれみは、主を恐れかしこむ者に、
代々にわたって及びます。
1:51 主は、御腕をもって力強いわざをなし、
心の思いの高ぶっている者を追い散らし、
1:52 権力ある者を王位から引き降ろされます。
低い者を高く引き上げ、
1:53 飢えた者を良いもので満ち足らせ、
富む者を何も持たせないで追い返されました。
1:54 主はそのあわれみをいつまでも忘れないで、
そのしもべイスラエルをお助けになりました。
1:55 私たちの父祖たち、アブラハムとその子孫に
語られたとおりです。」
○ 今日のテキストはイエス様誕生前のことです。天使から受胎告知されたマリヤはエリサベツのところに行きました。その時に言った言葉です。
Ⅰ.目を留めてもらったマリヤ
A.マリヤについて勝手な想像
1.マリヤとはどんな人だったのでしょうか? さまざまな絵画では美しいマリヤが描かれています。そのためいつしかマリヤのイメージはおしとやかな美人というイメージが出来上がっているのですが、果たしてそうなのでしょうか?
2.イエス様の写真もなく、マリヤの写真も無い時代ですから、当然勝手な想像をしてしまいます。聖書にはイエス様が泣かれたり,怒られた記事は出て来ますが、笑われた記事はありません。でも、きっとイエス様はよく笑われたと思うのです。
3.マリヤもきっと快活でよく笑った女性ではないかと思うのです。それぞれが絵画や映画のマリヤを想像しますが、美人では無かったかも知れません。
B.神が目を留めた人、マリヤ
1.私たちは自分の勝手な想像で神に選ばれたマリヤを想像しますが、そういう想像は同時に神様に用いられる、選ばれるのは美人だとかおしとやかだとか思い込んでいるのではないでしょうか? それはまるで偶像と同じです。
2.そして、私のような者は選ばれないと思ったり、反対に私こそ選ばれると思ったりするのです。もし、マリヤが美人でなかったら、おしとやかでなかったらどうでしょうか? 活発でケラケラ笑うような女性でしたらどうでしょうか?
3.神は上辺を見るのでは無く、心を見られます。マリヤは上辺で選ばれたのではありません。当然、その家柄等でないことは明白です。まさにマリヤは 主はこの卑しいはしために 目を留めてくださったからです。 と言ったように、その人が何ものかではなく、神が目を留めてくださったのです。
Ⅱ.私たちも目を留めてもらった
A.へりくだったマリヤ
1.マリヤは確かに神の子イエスを生むという特別選ばれた女性でした。しかし、人としては特別ではなかったと思います。特別な地位にあったわけでもなく、学歴があったわけででもなく、ミスユニバースに選ばれたわけでもなく、何をもって神様はマリヤを選ばれたのでしょうか?
2.マリヤの言葉では 主はこの卑しいはしために目を留めてくださったからです。 と言ってます。彼女は自分を 卑しいはしため と言います。ここだと思います。神様は彼女のへりくだった心を見ておられたのです。
B.神をたたえるマリヤ
1.へりくだった心とは神様を全面的に認めることです。自我を主張しないことです。もちろん、自分の意志はあります。その意志を全面的に神様に託すことです。
2.49節からの彼女の言葉は神様だけをたたえています。自分のことは出て来ません。48節のみ彼女は自分に目を留めてくださったことを感謝しているのです。
3.私は決してこの説教で彼女をたたえようと思いません。それはマリヤの望みではないからです。マリヤは神様がたたえられることだけを望んでいます。
C.目を留めていただく私たち
1.神様がマリヤに目を留められたように、私たちも目を留めていただいたことを覚えなくてはなりません。神様に目を留められなかった人はありません。私たちは、この一年、神様の恵みをいただいて過ごしてきたのではないでしょうか。神様に目を留めていただいた私たちです。
2.中には苦しいこと辛いことがあった方もいらっしゃっるでしょう。神様の恵みが無かったのではありません。神様に目を留められたマリヤがそのとたんに金持ちになったわけでもなく、家柄がよくなったわけでもありません。見た目はそのままです。しかし、彼女は 主はこの卑しいはしために目を留めてくださったからです。 と言える信仰を持っていたのです。
3.私たちも見た目には何も変わらなくても、神様に目を留めていただいていることに気がつけば、何とすばらしいでしょう。
★ 私たちはマリヤと同じく神様に目を留めていただいた者です。この一年、振り返ればそれが見えるのです。マリヤのように神様をたたえて一年を閉じたいものです。
【テーマ】 主を喜びたたえる
【説教題】 「目を留めてくださった」
【聖書箇所】 ルカ1:46-55
1:46 マリヤは言った。
「わがたましいは主をあがめ、
1:47 わが霊は、わが救い主なる神を喜びたたえます。
1:48 主はこの卑しいはしために
目を留めてくださったからです。
ほんとうに、これから後、どの時代の人々も、
私をしあわせ者と思うでしょう。
1:49 力ある方が、
私に大きなことをしてくださいました。
その御名は聖く、
1:50 そのあわれみは、主を恐れかしこむ者に、
代々にわたって及びます。
1:51 主は、御腕をもって力強いわざをなし、
心の思いの高ぶっている者を追い散らし、
1:52 権力ある者を王位から引き降ろされます。
低い者を高く引き上げ、
1:53 飢えた者を良いもので満ち足らせ、
富む者を何も持たせないで追い返されました。
1:54 主はそのあわれみをいつまでも忘れないで、
そのしもべイスラエルをお助けになりました。
1:55 私たちの父祖たち、アブラハムとその子孫に
語られたとおりです。」
○ 今日のテキストはイエス様誕生前のことです。天使から受胎告知されたマリヤはエリサベツのところに行きました。その時に言った言葉です。
Ⅰ.目を留めてもらったマリヤ
A.マリヤについて勝手な想像
1.マリヤとはどんな人だったのでしょうか? さまざまな絵画では美しいマリヤが描かれています。そのためいつしかマリヤのイメージはおしとやかな美人というイメージが出来上がっているのですが、果たしてそうなのでしょうか?
2.イエス様の写真もなく、マリヤの写真も無い時代ですから、当然勝手な想像をしてしまいます。聖書にはイエス様が泣かれたり,怒られた記事は出て来ますが、笑われた記事はありません。でも、きっとイエス様はよく笑われたと思うのです。
3.マリヤもきっと快活でよく笑った女性ではないかと思うのです。それぞれが絵画や映画のマリヤを想像しますが、美人では無かったかも知れません。
B.神が目を留めた人、マリヤ
1.私たちは自分の勝手な想像で神に選ばれたマリヤを想像しますが、そういう想像は同時に神様に用いられる、選ばれるのは美人だとかおしとやかだとか思い込んでいるのではないでしょうか? それはまるで偶像と同じです。
2.そして、私のような者は選ばれないと思ったり、反対に私こそ選ばれると思ったりするのです。もし、マリヤが美人でなかったら、おしとやかでなかったらどうでしょうか? 活発でケラケラ笑うような女性でしたらどうでしょうか?
3.神は上辺を見るのでは無く、心を見られます。マリヤは上辺で選ばれたのではありません。当然、その家柄等でないことは明白です。まさにマリヤは 主はこの卑しいはしために 目を留めてくださったからです。 と言ったように、その人が何ものかではなく、神が目を留めてくださったのです。
Ⅱ.私たちも目を留めてもらった
A.へりくだったマリヤ
1.マリヤは確かに神の子イエスを生むという特別選ばれた女性でした。しかし、人としては特別ではなかったと思います。特別な地位にあったわけでもなく、学歴があったわけででもなく、ミスユニバースに選ばれたわけでもなく、何をもって神様はマリヤを選ばれたのでしょうか?
2.マリヤの言葉では 主はこの卑しいはしために目を留めてくださったからです。 と言ってます。彼女は自分を 卑しいはしため と言います。ここだと思います。神様は彼女のへりくだった心を見ておられたのです。
B.神をたたえるマリヤ
1.へりくだった心とは神様を全面的に認めることです。自我を主張しないことです。もちろん、自分の意志はあります。その意志を全面的に神様に託すことです。
2.49節からの彼女の言葉は神様だけをたたえています。自分のことは出て来ません。48節のみ彼女は自分に目を留めてくださったことを感謝しているのです。
3.私は決してこの説教で彼女をたたえようと思いません。それはマリヤの望みではないからです。マリヤは神様がたたえられることだけを望んでいます。
C.目を留めていただく私たち
1.神様がマリヤに目を留められたように、私たちも目を留めていただいたことを覚えなくてはなりません。神様に目を留められなかった人はありません。私たちは、この一年、神様の恵みをいただいて過ごしてきたのではないでしょうか。神様に目を留めていただいた私たちです。
2.中には苦しいこと辛いことがあった方もいらっしゃっるでしょう。神様の恵みが無かったのではありません。神様に目を留められたマリヤがそのとたんに金持ちになったわけでもなく、家柄がよくなったわけでもありません。見た目はそのままです。しかし、彼女は 主はこの卑しいはしために目を留めてくださったからです。 と言える信仰を持っていたのです。
3.私たちも見た目には何も変わらなくても、神様に目を留めていただいていることに気がつけば、何とすばらしいでしょう。
★ 私たちはマリヤと同じく神様に目を留めていただいた者です。この一年、振り返ればそれが見えるのです。マリヤのように神様をたたえて一年を閉じたいものです。