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礼拝説教、聖書を読んで感じた事

祈りとは何か

2017-07-16 18:31:51 | 礼拝説教
2017/7/16礼拝説教
【テーマ】  神を求める
【説教題】 「祈りとは何か」
【聖書箇所】 詩篇25:1-5
  25:1 【主】よ。
 私のたましいは、あなたを仰いでいます。
25:2 わが神。
 私は、あなたに信頼いたします。
 どうか私が恥を見ないようにしてください。
 私の敵が私に勝ち誇らないようにしてください。
25:3 まことに、あなたを待ち望む者は
 だれも恥を見ません。
 ゆえもなく裏切る者は恥を見ます。
25:4 【主】よ。あなたの道を私に知らせ、
 あなたの小道を私に教えてください。
25:5 あなたの真理のうちに私を導き、
 私を教えてください。
 あなたこそ、私の救いの神、
 私は、あなたを一日中待ち望んでいるのです。

○ 「祈りとはなんでしょう?」と問われて、そう簡単には答えられないと思います。
  19世紀のアメリカで有名な伝道者D・L・ムーディがイギリスのエジンバラで子どものための集会で話をした時に、答は出てこないだろうと思いながら、「祈りとは何でしょう」と質問したそうです。すると多くの子ども達の手が上がり、一人の子どもに答えてもらうと「祈りとは、罪を言い表し、神の恵みを覚えて感謝しながら、みこころにかなうことのために、神に願いをささげることです。最後にキリストの御名によってと言って。」と正確な答えが返ってきたので驚いたということです。ムーディは「あなたがスコットランドに生まれたことを、神様に感謝しようね」と言ったそうです。

Ⅰ.神様を知るための祈り
A.願い事なのか?
1.多くの人は、祈りとは「願うこと」「求めること」と答えるかも知れません。 マタイ7:7 求めなさい。そうすれば与えられます。 とイエス様も言われていますので、求めることは大事なことです。祈りの一つの要素として「求めること」はあるのです。
2.しかし、祈りの本質は、今日のテキスト 25:1 【主】よ。私のたましいは、あなたを仰いでいます。 と、「魂を神に向けること」です。神様はいつも私たちと共におられますが、私たちの方はいつも神様と共にいるとは限りません。ですから、祈る時というのは自分が神と共にいるように時間をささげていることになります。
3.祈りは、私たちの願いを神に聞いていただくために、神様を説得するものでは無いのです。むしろ反対で、私たちが神様の願っておられることを受けとめるものなのです。

B.困った時だけの神頼み
1.また、ある人は祈りは緊急事態が生じた時だけにするものと思っています。病気になったり、経済的に厳しくなった時、問題が生じた時にするものと。まさしく「困った時の神頼み」というか「困った時だけの神頼み」です。
2.こういうことが祈りであればさみしい限りです。神様は私たちのことをよく知っておられますが、私たちはまだまだ神様のことを知りません。祈りは神様がどのようなお方なのか知っていくものでもあるのです。
3.つまり、祈りは神様との交わりの時間です。私たちが他の人のことを知るのはその人と話をするからです。神様を知るのも神様とお話をしてこそできるのです。

Ⅱ.神の臨在の中に留まる
A.神ご自身を求める
1.ある人が祈ると癒されたというような話を聞くと、その人の祈りがすばらしいと思ったりします。確かにそうなのですが、癒すのは神様です。そして、その人に癒しの賜物が与えられているのでしょう。
2.とすると、私たちも癒しの賜物をいただきたくなります。求めるのは結構なことなのですが、もっと大事なのは賜物よりもその賜物を支配しておられる神様ご自身を求めることです。

B.神の臨在を意識する
1.子どもは欲しいものがあるとお父さんのところに来て「●●が欲しいなあ」とせがんできます。しかし、何か欲しいものがある時だけしか、お父さんのところに来ない子どもではさみしいではありませんか。
2.私たちも神様のところに来るのが何か欲しい時だけでは神様がさみしく思われるのではないでしょうか。神様の臨在の中に留まっている時、私たちは自分が欲しいと思っているものよりももっとすばらしいものをいただくのです。
3.ブラザー・ローレンスは「祈りとは、神の臨在を意識することにほかならない」と言いました。事実、このブラザー・ローレンスだけでなく、信仰の勇者が祈っている時、周りの人々までもが、その人のそばに神がおられるという圧倒されるような雰囲気があったと言います。

Ⅲ.神を見る祈り
A.神の栄光をたたえる
1.神は目に見えませんが、その臨在はわかるものです。イエス様は マタイ5:8 心のきよい者は幸いです。その人たちは神を見るから。 と言われました。心が清ければ神を見るのです。それは最高の祈りの状態ではないでしょうか。
2.祈りは見えない神を見るものです。神は栄光に満ちておられるのです。恵みに満ちておられます。私たちはその神の栄光と恵みを誉め称えるのです。賛美するのです。

B.神を賛美する
1.神様は賛美の中に住まわれるのです。 詩篇 22:3 けれども、あなたは聖であられ、イスラエルの賛美を住まいとしておられます。 私たちが神の臨在に入るのは神様を心から賛美することにあるのです。
2.神に祈る時、私たちは賛美を切り離すことはできません。礼拝でなぜ賛美するのでしょうか? 神をたたえるところに当然神がおられるからです。見えない神を見ようではありませんか。

● かつて、イギリスで、「失敗の原因は、私たちが神を見ないで、人を見るところにある。マルティン・ルターが神を見た時、ローマ・カトリックは震えおののいた。ジョナサン・エドワーズが神を見た時、『大いなる霊的覚醒』が発生した。ジョン・ノックスが神を見た時、スコットランドは、はいつくばった。ジョン・ウエスレーが神を見た時、世界はひとりの人の教区となった。ホイットフィールドが神を見た時、おびただしい数の人が救われた。ジョージ・ミュラーが神を見た時、何千人もの孤児が養われることになった。そしてこの神は『きのうもきょうも、いつまでも、同じ』(ヘブル13:8)お方である。」ということが言われたそうです。

★ 祈りとは何か? 決して答は一言で言えるものではありませんが、その大事な一つとして、神とお会いするもの、神を求めること、ということが言えるのではないでしょうか。

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