バイブルサロン

礼拝説教、聖書を読んで感じた事

主に喜ばれることとは?

2021-03-13 16:22:53 | 礼拝説教
2021/3/14 礼拝説教
【テーマ】  クリスチャンの生き方
【説教題】 「主に喜ばれることとは?」
【聖書箇所】 エペソ5:9-14
5:9 あらゆる善意と正義と真実のうちに、光は実を結ぶのです。
5:10 何が主に喜ばれることなのかを吟味しなさい。
5:11 実を結ばない暗闇のわざに加わらず、むしろ、それを明るみに出しなさい。
5:12 彼らがひそかに行っていることは、口にするのも恥ずかしいことなのです。
5:13 しかし、すべてのものは光によって明るみに引き出され、明らかにされます。
5:14 明らかにされるものはみな光だからです。それで、こう言われています。「眠っている人よ、起きよ。死者の中から起き上がれ。そうすれば、キリストがあなたを照らされる。」

○ このテキストはもちろん2月14日(日)の続きで、 光の子どもとして歩みなさい に続けて語られています。主の喜ばれることとは何でしょうか?
 
Ⅰ.光は実を結ぶ
A.実を結ばない暗闇に加わるな!
1.今さら皆さんに「暗闇」が何かを説明する必要は無いと思いますが、クリスチャンは「光」とされました。光と闇は相反するものです。光が神の世界、暗闇は悪魔の世界、この世ということです。
2.ですから、 暗闇のわざ とは悪魔のわざであり、不信仰の世界です。ある先生は日本にキリスト教が広まらない原因として、「日本は唯一神を信ぜず、汎神論の信仰が中心だから」と、もう一つ「悪魔が強く働いているという霊的な問題がある」と言っておられます。全てが悪魔のわざでは無いにしても巧妙に働いていることは感じられます。
3.パウロはかなり当時のローマ帝国の世的な問題(性的な問題)が教会にも関係していたために「聖く生きること」を語ってきました。クリスチャンになったものの、ずるずると悪しきことを行っていた人達は心痛んだかもしれませんが、そうした 暗闇のわざ から離れる決心をしたことでしょう。

B.主に喜ばれることを吟味しよう!
1.暗闇は死をもたらしますが、光は実を結びます。 あらゆる善意と正義と真実のうちに、光は実を結ぶのです。 とある通りです。 光の子どもとして歩みなさい。 のために大事なことが 何が主に喜ばれることなのかを吟味しなさい。 です。クリスチャン生活の基本は神に喜んでいただける生活です。そのために私たちは聖書を通して神に喜ばれることが何かを吟味できるようになりました。しかし、巧妙な悪魔に対抗するためにはさらに聖書を学ぶ必要があります。また、祈りが必要でしょう。
2.先日、韓国人伝道師の方が「韓国はクリスチャンが多いけれど、日本では少ないのはなぜだと思いますか?」という問いかけに「韓国のクリスチャンはよく教会に来ます。日曜はもちろん、週の間に3~4日教会に来てよく祈ります。また聖書を勉強します。日本のクリスチャンもそうすると増えるのではないでしょうか」と言われました。それを聞いて「なるほど」と思いました。
3.教団としても、私たちの教会としても、聖書の学びと祈りに力を入れようとしています。御言葉と祈りによって光の子どもである私達は実を結ぶのです。 【新改訳改訂第3版】エペ5:9 ──光の結ぶ実は、あらゆる善意と正義と真実なのです──  【新共同訳】エフェ5:9 ――光から、あらゆる善意と正義と真実とが生じるのです。―― とあるように、私たちも善意と正義と真実という実を結ぶのです。

Ⅱ.光の子どもの働き
A.明るみに出す
1.パウロにとって異教徒が行っていたことは  彼らがひそかに行っていることは、口にするのも恥ずかしいこと でした。しかし、神に立ち返るということはそれらの罪、悪しきことを光である神の前に出すということです。 明らかにされるものはみな光だからです。 とあります。
2.しかし、ここで要注意なのは、ネットなどで他の人の問題を暴き出すようなことをすることではありません。暴くのは自分の行いです。神は私たちの悔い改めを見られます。そして善意、正義、真実の人へと変えてくださるのです。

B.死者の中から起き上がれ!
1.14節の 「眠っている人よ、起きよ。死者の中から起き上がれ。そうすれば、キリストがあなたを照らされる。」 は、パウロがどこから引用したのかわかりません。イザヤ書60:1かもしれませんし、当時の讃美歌の一節ではないかと言う人もいます。正に暗闇の中、死者の中にいる人に悔い改めて主に立ち返ることを語っているような言葉です。
2.パウロと共に働いた人にデマスという人がいます。 コロ 4:14 愛する医者のルカ、それにデマスが、あなたがたによろしくと言っています。 ピレモ 1:24 私の同労者たち、マルコ、アリスタルコ、デマス、ルカがよろしくと言っています。  と、パウロと共に働いた人ですが、 Ⅱテモ 4:10 デマスは今の世を愛し、私を見捨ててテサロニケに行ってしまいました。 と、世の方に行ってしまったみたいです。パウロはこの手紙を書いたときにはデマスがそんな状況になるとは考えてもみなかったかも知れません。しかし、後にキリストを離れて世に入って行ってしまったデマスを悲しく思ったことでしょう。もしかして、この手紙、あるいはこの歌をデマスが読んだか聞いたかも知れません。世に埋没したデマスがテサロニケの町を歩いていると、教会からこの言葉(歌)が聞こえてきたかも知れません。そして彼はその教会に入っていき、悔い改めて再度主のために働き始めたかもしれないのです。
3.私たちの周りにもかつてはクリスチャンとして礼拝に集い、奉仕をしていた人が、教会を離れ、交わりを絶ち、まるで「世の人」になってしまったという人がいるのではないでしょうか。御言葉には力がありますし、賛美は人の心にしみ入ります。それを聞いて 死者の中から起き上が る人がいるものです。私たちは実を結ぶ光として、愛を持って祈り続けましょう。

● 若い時に牧師先生から聞いた話ですが、ある牧師がバーで働く人達を救いに導こうとしてバーに通ったそうです。ところが、その牧師は反対に「世の人」となってしまい、牧師を辞めたというのです。悪魔は狡猾です。全ての人に伝道することは大事なのですが、私たちの世との関係は注意が必要です。

★   何が主に喜ばれることなのかを吟味しなさい。 常に主の喜ばれる生き方を目指そうではありませんか。それは聖書と祈りから始まるのです。

最新の画像もっと見る