2022/8/28 礼拝説教
【テーマ】 幕屋・神の臨在あるところ
【説教題】 「神の住まいを造る」
【聖書箇所】 出エジプト25:1-9
25:1 【主】はモーセに告げられた。
25:2 「わたしに奉納物を携えて来るように、イスラエルの子らに告げよ。あなたがたは、すべて、進んで献げる心のある人から、わたしへの奉納物を受け取らなければならない。
25:3 彼らから受け取る奉納物は次のものである。金、銀、青銅、
25:4 青、紫、緋色の撚り糸、亜麻布、やぎの毛、
25:5 赤くなめした雄羊の皮、じゅごんの皮、アカシヤ材、
25:6 ともしび用の油、注ぎの油と、香り高い香のための香料、
25:7 エポデや胸当てにはめ込む、縞めのうや宝石である。
25:8 彼らにわたしのための聖所を造らせよ。そうすれば、わたしは彼らのただ中に住む。
25:9 幕屋と幕屋のすべての備品は、わたしがあなたに示す型と全く同じように造らなければならない。
○ 荒野を旅するイスラエル人と神は共におられました。神は彼らの生活が神のみこころに沿うように戒めや諸規定を与えました。さらに、神の住まいを造るように命じられたのが「幕屋」です。一体「幕屋」とは何か? 見ていきましょう。
Ⅰ.幕屋は神の仮住まい
A.天国の出張所
1.幕屋と書かれているのはヘブル語で「ミシュカーン」と言い、「住まい(「人が住む家」とは違い、「仮住まい」とか現代では「会館」という意味を持つ)」という意味です。幕屋は移動型の神の聖所です。ソロモンの時代にはイスラエル人は定着したので、幕屋ではなく「神殿」が建設されました。神殿は幕屋に比べるとはるかに立派でしたが、それでも仮住まいなのです。
2.幕屋は ヘブル8:5この祭司たちは、天にあるものの写しと影に仕えています。それは、モーセが幕屋を設営しようとしたときに、御告げを受けたとおりのものです。神は、「よく注意して、山であなたに示された型どおりに、すべてのものを作らなければならない」と言われました。 と言われているように、天にあるものの「写し」「影」です。決してここが本当の神の住まいではないということです。この地上における神の出張所のようなもので、ここにはモーセが入り、神と会見したので、「会見の幕屋」とも呼ばれます。
B.最高の材料で作られた
1.幕屋も神殿もこの地上における神の住まいで、この地上においてはここだけが神の住まわれる場所でした。仮住まいですが、神の住まいとして当時の最高のものを使って作られました。人々は神様の住まいとして最高の材料を集めて、それも自ら進んで材料を持って来ました。
2.そして幕屋は聖所、人々の罪の生贄を捧げる場でもあるので、その奉仕をする祭司やレビ人の働きや着る服も決められました。こうして幕屋でどの様にするのが神への礼拝であるかを示して行かれました。
Ⅱ.神と人とは隔てられている
A.誰もが入ることのできない幕屋
1.幕屋はその内部が二つに仕切られており、手前の祭司達が入って働きをする「聖所」と、決められた大祭司しか入ることのできない「至聖所」があります。聖所には12部族を表す12個のパンが供えられ、七枝の燭台(メノラー)、香の檀があります。至聖所には契約の箱(十戒の石の板が入った箱)が置かれています。
2.この聖所に入れるのが特別な人たちで、誰もが入ることはできませんでした。神と人とは隔てられているのです。特に皆さんもよくご存知の話、イエスが十字架で亡くなられたとき神殿の幕が上から真っ二つに裂けた話 マルコ15:37 しかし、イエスは大声をあげて、息を引き取られた。15:38 すると、神殿の幕が上から下まで真っ二つに裂けた。 と。この時初めて神と誰もが神に近づけるようになったのです。それまで幕屋に神の臨在があっても、人々は近づけなかったのです。
B.幕屋の外側では・・・
1.幕屋の外側は庭のようになっており、さらに塀で仕切られて一般民衆は生贄を携えてでしかこの中に立ち入ることができません。この幕屋を中心に12部族が天幕を張って生活します。幕屋は神の臨在があるので、雲の柱が立ち上っています。移動するときはこの幕屋をたたんで持ち運ぶのです。
2.一箇所だけ東側に入り口があり、罪の赦しを願って生贄の動物を携えてこの門から入らねばなりません。 ヨハネ10:9 わたしは門です。だれでも、わたしを通って入るなら救われます。 を、あらわす門です。そして、祭司は洗盤で手足を洗いきよめ、祭壇に生贄を捧げるのです。
3.このように神はご自身がいかに人間とは違って聖いお方であるかを示し、罪汚れを持ったままでは神に近づくことはできないことを示されました。
Ⅲ.現代の我々と幕屋(神殿)
A.我々が神の幕屋(神殿)
1.幕屋は神の仮住まいと言いましたが、本当の住まいはどこでしょうか? 神が私たちにも幕屋の規定のように会堂を造るように命じられたら、世界中の教会は個性のない、みんな同じ教会堂になったことでしょう。
2.現在の会堂は集まるための場所に過ぎませんから、この地上における神の住まいはクリスチャンの霊です。イエスは助け主・聖霊を遣わすと言ってくださり、ペンテコステの日からイエスを信じる人々の中に聖霊が住んでくださるようになりました。私達が幕屋であり、神殿です。
B.万人祭司
1.幕屋ではモーセだけが神と親しくお話をしていたのですが、幕屋も神殿も要らなくなったので、祭司も要らなくなりました。神と親しくお話しするのは私たちみんなです。それで「万人祭司」と言われます。
2.イエスの十字架の時に神殿の幕が上から裂かれたのは、大祭司無しに直接神とお話しできる関係に入れられたということなのです。クリスチャンはみんなイエス・キリストを通して大胆に神の御前に出ることができるのです。
3.そして、私たちのすべき事は何かというと儀式としての生贄などの礼拝ではなく、霊的な礼拝です。私たち自身を献げ、賛美と祈りをもって神を崇め、御言葉のパンをいただき、神のみこころを行わせていただくことです。
★ イスラエル人は神に命じられたとおりに幕屋を造りました。そのために最高の材料で造り、主を迎えました。今は私たちの体こそが神の住まいです。神が私たちの内に住まわれるとは何とすばらしいことでしょう。最高の礼拝を捧げようではありませんか。
【テーマ】 幕屋・神の臨在あるところ
【説教題】 「神の住まいを造る」
【聖書箇所】 出エジプト25:1-9
25:1 【主】はモーセに告げられた。
25:2 「わたしに奉納物を携えて来るように、イスラエルの子らに告げよ。あなたがたは、すべて、進んで献げる心のある人から、わたしへの奉納物を受け取らなければならない。
25:3 彼らから受け取る奉納物は次のものである。金、銀、青銅、
25:4 青、紫、緋色の撚り糸、亜麻布、やぎの毛、
25:5 赤くなめした雄羊の皮、じゅごんの皮、アカシヤ材、
25:6 ともしび用の油、注ぎの油と、香り高い香のための香料、
25:7 エポデや胸当てにはめ込む、縞めのうや宝石である。
25:8 彼らにわたしのための聖所を造らせよ。そうすれば、わたしは彼らのただ中に住む。
25:9 幕屋と幕屋のすべての備品は、わたしがあなたに示す型と全く同じように造らなければならない。
○ 荒野を旅するイスラエル人と神は共におられました。神は彼らの生活が神のみこころに沿うように戒めや諸規定を与えました。さらに、神の住まいを造るように命じられたのが「幕屋」です。一体「幕屋」とは何か? 見ていきましょう。
Ⅰ.幕屋は神の仮住まい
A.天国の出張所
1.幕屋と書かれているのはヘブル語で「ミシュカーン」と言い、「住まい(「人が住む家」とは違い、「仮住まい」とか現代では「会館」という意味を持つ)」という意味です。幕屋は移動型の神の聖所です。ソロモンの時代にはイスラエル人は定着したので、幕屋ではなく「神殿」が建設されました。神殿は幕屋に比べるとはるかに立派でしたが、それでも仮住まいなのです。
2.幕屋は ヘブル8:5この祭司たちは、天にあるものの写しと影に仕えています。それは、モーセが幕屋を設営しようとしたときに、御告げを受けたとおりのものです。神は、「よく注意して、山であなたに示された型どおりに、すべてのものを作らなければならない」と言われました。 と言われているように、天にあるものの「写し」「影」です。決してここが本当の神の住まいではないということです。この地上における神の出張所のようなもので、ここにはモーセが入り、神と会見したので、「会見の幕屋」とも呼ばれます。
B.最高の材料で作られた
1.幕屋も神殿もこの地上における神の住まいで、この地上においてはここだけが神の住まわれる場所でした。仮住まいですが、神の住まいとして当時の最高のものを使って作られました。人々は神様の住まいとして最高の材料を集めて、それも自ら進んで材料を持って来ました。
2.そして幕屋は聖所、人々の罪の生贄を捧げる場でもあるので、その奉仕をする祭司やレビ人の働きや着る服も決められました。こうして幕屋でどの様にするのが神への礼拝であるかを示して行かれました。
Ⅱ.神と人とは隔てられている
A.誰もが入ることのできない幕屋
1.幕屋はその内部が二つに仕切られており、手前の祭司達が入って働きをする「聖所」と、決められた大祭司しか入ることのできない「至聖所」があります。聖所には12部族を表す12個のパンが供えられ、七枝の燭台(メノラー)、香の檀があります。至聖所には契約の箱(十戒の石の板が入った箱)が置かれています。
2.この聖所に入れるのが特別な人たちで、誰もが入ることはできませんでした。神と人とは隔てられているのです。特に皆さんもよくご存知の話、イエスが十字架で亡くなられたとき神殿の幕が上から真っ二つに裂けた話 マルコ15:37 しかし、イエスは大声をあげて、息を引き取られた。15:38 すると、神殿の幕が上から下まで真っ二つに裂けた。 と。この時初めて神と誰もが神に近づけるようになったのです。それまで幕屋に神の臨在があっても、人々は近づけなかったのです。
B.幕屋の外側では・・・
1.幕屋の外側は庭のようになっており、さらに塀で仕切られて一般民衆は生贄を携えてでしかこの中に立ち入ることができません。この幕屋を中心に12部族が天幕を張って生活します。幕屋は神の臨在があるので、雲の柱が立ち上っています。移動するときはこの幕屋をたたんで持ち運ぶのです。
2.一箇所だけ東側に入り口があり、罪の赦しを願って生贄の動物を携えてこの門から入らねばなりません。 ヨハネ10:9 わたしは門です。だれでも、わたしを通って入るなら救われます。 を、あらわす門です。そして、祭司は洗盤で手足を洗いきよめ、祭壇に生贄を捧げるのです。
3.このように神はご自身がいかに人間とは違って聖いお方であるかを示し、罪汚れを持ったままでは神に近づくことはできないことを示されました。
Ⅲ.現代の我々と幕屋(神殿)
A.我々が神の幕屋(神殿)
1.幕屋は神の仮住まいと言いましたが、本当の住まいはどこでしょうか? 神が私たちにも幕屋の規定のように会堂を造るように命じられたら、世界中の教会は個性のない、みんな同じ教会堂になったことでしょう。
2.現在の会堂は集まるための場所に過ぎませんから、この地上における神の住まいはクリスチャンの霊です。イエスは助け主・聖霊を遣わすと言ってくださり、ペンテコステの日からイエスを信じる人々の中に聖霊が住んでくださるようになりました。私達が幕屋であり、神殿です。
B.万人祭司
1.幕屋ではモーセだけが神と親しくお話をしていたのですが、幕屋も神殿も要らなくなったので、祭司も要らなくなりました。神と親しくお話しするのは私たちみんなです。それで「万人祭司」と言われます。
2.イエスの十字架の時に神殿の幕が上から裂かれたのは、大祭司無しに直接神とお話しできる関係に入れられたということなのです。クリスチャンはみんなイエス・キリストを通して大胆に神の御前に出ることができるのです。
3.そして、私たちのすべき事は何かというと儀式としての生贄などの礼拝ではなく、霊的な礼拝です。私たち自身を献げ、賛美と祈りをもって神を崇め、御言葉のパンをいただき、神のみこころを行わせていただくことです。
★ イスラエル人は神に命じられたとおりに幕屋を造りました。そのために最高の材料で造り、主を迎えました。今は私たちの体こそが神の住まいです。神が私たちの内に住まわれるとは何とすばらしいことでしょう。最高の礼拝を捧げようではありませんか。