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礼拝説教、聖書を読んで感じた事

あなたがたは世界の光です

2014-11-02 20:20:31 | 礼拝説教
2014/11/2WS礼拝説教
【テーマ】  クリスチャンとは?
【説教題】 「あなたがたは世界の光です」
【聖書箇所】 マタイ5:14-16
5:14 あなたがたは、世界の光です。山の上にある町は隠れる事ができません。
5:15 また、あかりをつけて、それを枡の下に置く者はありません。燭台の上に置きます。そうすれば、家にいる人々全部を照らします。
5:16 このように、あなたがたの光を人々の前で輝かせ、人々があなたがたの良い行いを見て、天におられるあなたがたの父をあがめるようにしなさい。

○ イエス様が語られて、2000年経った今も人々の心に残っている有名な言葉がありますが、その一つだと思います。「世の光」、人の名前に使われたり、ラジオ放送「世の光」に使われたりもしています。

Ⅰ.光はいのちに不可欠なもの
A.光を造られた神
1.この前のところに「あなたがたは地の塩です」とあり、塩が人間に不可欠であることも見てきましたが、光も不可欠です。光が無ければ「いのち」も無いと言われます。
2.「光とは何か」(江馬一弘著・宝島社新書)を読みました。光の速度をどのようにして計ったかとか、虹は7色なのかと言うようなことが書いてあります。虹を最初に7色と言ったのはニュートンで、音階の7音に対応して7色としたらしいのです。
3.イエス様は神様であり、光を造られた方です。光が人間に不可欠であることを当てはめて、クリスチャンを「光」と言われたことがすごくよくわかります。クリスチャンは世の中に無くてはならない存在なのです。

B.光の力
1.光があるお陰で物が見えるわけですし、光があるお陰で植物は光合成して、酸素を出したり、栄養分を蓄えたりするのです。現代には無くなったと言われた病気がここのところ子どもたちに増えているそうです。その病気とは「くる病」です。「ビタミンDの欠乏や日光に当たることの少ないのが主な原因で、骨の形成が不良となり、脊椎・四肢骨などの曲がる小児の病気。」と書いてありました。紫外線をやたら恐れて、子どもを日光から遠ざけすぎたのではないかと言われているのです。ビタミンDは太陽にあたることで形成される大事なビタミンです。
2.また、光は塩と同じように殺菌効果があります。できるだけ、洗濯物は太陽に当てて干します。光を虫眼鏡で一点に集めるとと火を噴きます。そのような力、エネルギーが光にはあるのです。
3.神様はクリスチャンのことを「世の光」と言われたのは、塩と同じように人々に大切な力やエネルギーを与える者として造られたからです。

Ⅱ.イエス様は世界の光である
A.イエス様が光そのもの
1.私たちのことを あなたがたは、世界の光です と言ってくださいましたが、そのイエス様がご自分のことを「光」であると言っておられます。 ヨハネ8:12 イエスはまた彼らに語って言われた。「わたしは、世の光です。わたしに従う者は、決してやみの中を歩むことがなく、いのちの光を持つのです。」 とも、 ヨハネ12:46 わたしは光として世に来ました。わたしを信じる者が、だれもやみの中にとどまることのないためです。 とも言っておられます。
2.光ですから、闇が無いのです。行くべき道がわかります。闇の中に留まることも無いのです。イエス様は光そのものですから、ご自身がどのような存在か完全に分かっておられます。
3.私たちはよく「自分探し」をしたり、死後どこに行くのかさえも分からずに悩んだりします。自分で光になれた人はいません。自分を太陽のような光として紹介するような人がいますが、神の前にへりくだる必要があります。

B.イエス様は私たちを光とされた
1.あなたがたは、世界の光です。 ここのところも、塩のところと同じで、「光になりなさい」と言われたのではありません。イエス様を信じたら「光」になっているのです。
2.ですから、塩のところで もし塩が塩けをなくしたら、何によって塩けをつけるのでしょう。 と言われたように、ここでは あかりをつけて、それを枡の下に置く者はありません。 と言われました。本来あかりは部屋を照らすためにありますから、それを隠したら何の意味も無いわけです。
3.クリスチャンというのは世の中で隠れた存在でいてはいけないようです。神様は全ての人が「光」としての存在になることを願っておられ、光になった者は暗闇を照らす働きをするように願われているのです。

Ⅲ.私たちは世界の光である
A.キリスト者はイエス様を表している
1.光とは言われましたが、イエス様は太陽のような存在だとすれば、私たちは月のような存在かも知れません。イエス様は光源そのものです。私たちはその光を反射させている月のような存在です。
.Ⅱコリ 3:18 私たちはみな、顔のおおいを取りのけられて、鏡のように主の栄光を反映させながら、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられて行きます。これはまさに、御霊なる主の働きによるのです。 この言葉のように、私たちは鏡のような存在と考えることができます。見えないイエス様を映し出す鏡のような存在です。

B.キリスト者の使命
1.このように、あなたがたの光を人々の前で輝かせ、 と、クリスチャンは光なので、それを輝かせることが使命なのです。そして、その目的は 人々があなたがたの良い行いを見て、天におられるあなたがたの父をあがめるようにしなさい。 なのです。神をあがめない人達が神をあがめるようになる事が神様の願いなのです。そのために神様はイエス様を信じて救われた人をイエス様と同じように光にされたのです。
2.そのために光である自分自身を隠してはならないのです。最近のLEDの光は熱量が少ないですが、イエス様の言われているここでの光は灯火ですから光であるイエス様を心に持つということは心の中が熱で熱くなってくるということです。隠しておけないと言うことです。

● 子どもの頃、日陰に向けて鏡で光を照らして遊んだ経験があります。懐中電灯では無いのですが、暗いところにあるものが見えるのです。鏡は光を発するものでは無いのですが、太陽の光を反射させるだけで光を発してるかのように見えるのです。

★ 神様は私たちを世の光として造ってくださったのです。日陰で苦しんでいる人達に救いの光を届けるのが私たちの役目なのです。あなたもこの働きをする人になりませんか。「世の光」にしていただきませんか。