10月31日に映画を観に行った。
映画館の近くの青山学院大学では、この日から学園祭が始まり、若者で賑わっていた。
平日の第一回目の上映ということで、観客はひとりで来ている中高年の男性と
女性が多かった。
フォルカー・シュレンドルフ監督は、できるだけ劇的なものを排除し、事実を淡々と
描いている。17歳のギィ・モケを演じるレオ=ポール・サルマン
(オーディション時は役者ではなく高校生)の透き通るような肌がまぶしかった。
そしてその恋人(オデット・ネリス)役のヴィクトワール・デュボワは、大地に
根差したような生命力を感じさせた。
映画の中で一番印象に残ったのは、シャトーブリアン収容所でドイツ兵が同志にいう
言葉だ。「ここでは何も考えるな」
そして処刑の場面で上官は、手際よく銃殺を行うために次のように命じる。
「テンポ、テンポよくしろ」
銃殺される人々は、心臓の位置が分かるように衣服の上から×印が付けられる。
全てのことが日常のなかで、淡々と進められてゆく。
「インターナショナル」を歌いながら、刑場に向かう場面では涙が出た。
また、独仏をステレオタイプに描くのではなく、ドイツ側の人物を丁寧に描いている。
ここより、パンフレットからの引用
この収容所のオットー・フォン・シュチュルプナーゲル将軍(その後、1944年
7月のヒトラー暗殺計画に加担し、失敗して処刑される)は、大尉エルンスト・ユンガー
に次のように命じる。
「この一件を記録してくれたまえ。時系列で時々刻々と。何が起こり何が語られたか。
軍事報告書ではなく、より文学的なものを」
エルンスト・ユンガーは20世紀ドイツ文学を代表する巨匠のひとりで、まさに彼の言葉が
あったからこそ映画化できた、とシュレンドルフ監督は語っている。
ユンガーは、当初150人の人質の即時銃殺を要求していたヒトラーとの交渉に注意を
払うだけでなく、ナント(フランス西部)で最初の人質が銃殺された際の彼らが静かに
死に赴く様子に個人的な見解を記していた。誰もが彼らの勇気と尊厳に満ちた
態度を讃えた。「死に直面した時にこそ、その人間の偉大さが分かる。人がこのように
人間の意志を賞賛する時、変革の兆しが現れる」
名前を呼ばれてから銃殺されるまで1時間。
収容所にモヨン神父がやってくる。のちに彼は、27名の人質の手紙を預かることになる。
神父は副知事が、「報復のリスト」作りに関わったと知り、
「君も加担していることになぜ気づかない?」と叱責し、
「銃殺は暗殺を、暗殺はさらなる銃殺を生み、報復の連鎖にしかならない」と語る。
お喋りをやめるよう促すドイツ軍人に対しても、
「あなたは何に従う?命令の奴隷になるな。良心の声を聞きなさい」と神父は
ひるまなかった。
パンフレットに載っているその他の言葉
シュレンドルフ監督
「この大虐殺の実行に関するすべての人間は、誰一人最終的な責任を負うことのない、
純粋な行政行為とすることに成功したのだ。(フランス人処刑のきっかけとなった)
ホッツ大佐の死からたった2日後の銃殺、人質の選択さえも官僚的に管理された」
「最後には数十人の死体が残る、しかし、誰も責任を負うものはいない。すべてが
行政行為だからです。誰もが、命令通りに動いた。市民としての勇気は発揮しなかった。
ドイツ側もフランス側も。私は、70年後の今日からみて、関係した者たちは、
それでも全員が人間だということを示したいと思いました。彼らは善意を持った
人間だった。完全な悪人はいなかった。
しかし、それでもなお虐殺は行われた。それが重要です」
「人間が自由意志で、どれだけ責任を負うか。『シャトーブリアンからの手紙』は人間と
しての誇り、心の姿勢、抵抗、不服従を扱っています。神父が言ったように、
盲目的に『命令に従うのではなく、良心に従いなさい』 と」
「これからの時代を生きる若い人たちにとって大事なのは、自分が責任を負わなくては
いけないという意識を持つこと、自分はどうなんだと一人一人が人間としての責任に
ついて意識することだと思っています」
五所純子氏
「・・戦争を身近に感じるようになったからだと思う。あたしはそれなりに短くない
時間を生きてきたつもりだけれど、これほど軍靴の足音が聞こえてきたのは
生まれて初めてのことで、かなり戸惑っている」
「目の前で進行してゆく暴虐を、止めもしないが、加担もしない。この消極的な態度は、
一見すると何も間違っていないように感じられる。けれども現状を黙認することで、
それを維持し補強している。つまり、消極的に見過ごすことは、暴虐を積極的に
押し進めているのと変わらないのである」
「フォルカー・シュレンドルフが胸をはって、この不幸な事件、恥辱の歴史を
『私の歴史』と呼びかけながら抱きしめ、あらたに差し出した。
それが『シャトーブリアンからの手紙』ではないかと、戦争のまがまがしい
予感を感じながら、あたしは見た」
最上敏樹氏
「おそらくシュレンドルフは、≪残された者の義務≫をいかに果たすかに最も関心が
あるのだろう。感傷を忍び込ませずに事実を淡々と描き、書き遺すことによって
先立った人々の存在意義を浮き彫りにする。実際、この映画を観ていると、
フランスの詩人、フランシス・ジャムの詩の、次のような一節を想い起こすのだ。
だからぼくは、この人生の続きを語ろう。
そして、生あるがゆえに知る、
今日のこの悲しみの喪について語ろう。
なぜ、みなが死ぬときぼくだけ生き残るのだろう。
「シュレンドルフがドイツ人であることを想い起こしておこう。彼はかつての自国の
恥部を見すえ、静かな口調で明るみに出しているのだ。それはドイツ国民にとって
恥ではない。見すえず、ほおかむりをすることこそが、民族にとって本当の恥なのだ。
そういう映画を仏独合作で作れるところに、この両国の和解の確かさがある」
渡辺和行氏
「処刑された27名中、ギィ・モケは最年少の17歳であった。彼が、ふたたび耳目を
集めたのは2007年のことである。この年、大統領となったニコラ・サルコジは
選挙戦の前からギィに言及し、当選後にギィが死の間際にしたためた手紙を
愛国心の発露と評価して、命日の10月22日に全国の高校生に朗読させることを
決定した。ギィが共産党の活動家であったことは伏せて手紙のみを朗読させる
大統領の手法に対して、記憶の政治利用だという批判が巻き起こった」
日本でも歴史修正主義が問題になっている。自分たちの都合のよいところだけ
ピックアップして政治利用する。これは見過ごすことの出来ない大きな問題だと、
私は思う。
観ながら、なんども鼻をかんだ。
そしてこれは決して過去の事ではないと、強く思った。
(画像はお借りしました)
映画館の近くの青山学院大学では、この日から学園祭が始まり、若者で賑わっていた。
平日の第一回目の上映ということで、観客はひとりで来ている中高年の男性と
女性が多かった。
フォルカー・シュレンドルフ監督は、できるだけ劇的なものを排除し、事実を淡々と
描いている。17歳のギィ・モケを演じるレオ=ポール・サルマン
(オーディション時は役者ではなく高校生)の透き通るような肌がまぶしかった。
そしてその恋人(オデット・ネリス)役のヴィクトワール・デュボワは、大地に
根差したような生命力を感じさせた。
映画の中で一番印象に残ったのは、シャトーブリアン収容所でドイツ兵が同志にいう
言葉だ。「ここでは何も考えるな」
そして処刑の場面で上官は、手際よく銃殺を行うために次のように命じる。
「テンポ、テンポよくしろ」
銃殺される人々は、心臓の位置が分かるように衣服の上から×印が付けられる。
全てのことが日常のなかで、淡々と進められてゆく。
「インターナショナル」を歌いながら、刑場に向かう場面では涙が出た。
また、独仏をステレオタイプに描くのではなく、ドイツ側の人物を丁寧に描いている。
ここより、パンフレットからの引用
この収容所のオットー・フォン・シュチュルプナーゲル将軍(その後、1944年
7月のヒトラー暗殺計画に加担し、失敗して処刑される)は、大尉エルンスト・ユンガー
に次のように命じる。
「この一件を記録してくれたまえ。時系列で時々刻々と。何が起こり何が語られたか。
軍事報告書ではなく、より文学的なものを」
エルンスト・ユンガーは20世紀ドイツ文学を代表する巨匠のひとりで、まさに彼の言葉が
あったからこそ映画化できた、とシュレンドルフ監督は語っている。
ユンガーは、当初150人の人質の即時銃殺を要求していたヒトラーとの交渉に注意を
払うだけでなく、ナント(フランス西部)で最初の人質が銃殺された際の彼らが静かに
死に赴く様子に個人的な見解を記していた。誰もが彼らの勇気と尊厳に満ちた
態度を讃えた。「死に直面した時にこそ、その人間の偉大さが分かる。人がこのように
人間の意志を賞賛する時、変革の兆しが現れる」
名前を呼ばれてから銃殺されるまで1時間。
収容所にモヨン神父がやってくる。のちに彼は、27名の人質の手紙を預かることになる。
神父は副知事が、「報復のリスト」作りに関わったと知り、
「君も加担していることになぜ気づかない?」と叱責し、
「銃殺は暗殺を、暗殺はさらなる銃殺を生み、報復の連鎖にしかならない」と語る。
お喋りをやめるよう促すドイツ軍人に対しても、
「あなたは何に従う?命令の奴隷になるな。良心の声を聞きなさい」と神父は
ひるまなかった。
パンフレットに載っているその他の言葉
シュレンドルフ監督
「この大虐殺の実行に関するすべての人間は、誰一人最終的な責任を負うことのない、
純粋な行政行為とすることに成功したのだ。(フランス人処刑のきっかけとなった)
ホッツ大佐の死からたった2日後の銃殺、人質の選択さえも官僚的に管理された」
「最後には数十人の死体が残る、しかし、誰も責任を負うものはいない。すべてが
行政行為だからです。誰もが、命令通りに動いた。市民としての勇気は発揮しなかった。
ドイツ側もフランス側も。私は、70年後の今日からみて、関係した者たちは、
それでも全員が人間だということを示したいと思いました。彼らは善意を持った
人間だった。完全な悪人はいなかった。
しかし、それでもなお虐殺は行われた。それが重要です」
「人間が自由意志で、どれだけ責任を負うか。『シャトーブリアンからの手紙』は人間と
しての誇り、心の姿勢、抵抗、不服従を扱っています。神父が言ったように、
盲目的に『命令に従うのではなく、良心に従いなさい』 と」
「これからの時代を生きる若い人たちにとって大事なのは、自分が責任を負わなくては
いけないという意識を持つこと、自分はどうなんだと一人一人が人間としての責任に
ついて意識することだと思っています」
五所純子氏
「・・戦争を身近に感じるようになったからだと思う。あたしはそれなりに短くない
時間を生きてきたつもりだけれど、これほど軍靴の足音が聞こえてきたのは
生まれて初めてのことで、かなり戸惑っている」
「目の前で進行してゆく暴虐を、止めもしないが、加担もしない。この消極的な態度は、
一見すると何も間違っていないように感じられる。けれども現状を黙認することで、
それを維持し補強している。つまり、消極的に見過ごすことは、暴虐を積極的に
押し進めているのと変わらないのである」
「フォルカー・シュレンドルフが胸をはって、この不幸な事件、恥辱の歴史を
『私の歴史』と呼びかけながら抱きしめ、あらたに差し出した。
それが『シャトーブリアンからの手紙』ではないかと、戦争のまがまがしい
予感を感じながら、あたしは見た」
最上敏樹氏
「おそらくシュレンドルフは、≪残された者の義務≫をいかに果たすかに最も関心が
あるのだろう。感傷を忍び込ませずに事実を淡々と描き、書き遺すことによって
先立った人々の存在意義を浮き彫りにする。実際、この映画を観ていると、
フランスの詩人、フランシス・ジャムの詩の、次のような一節を想い起こすのだ。
だからぼくは、この人生の続きを語ろう。
そして、生あるがゆえに知る、
今日のこの悲しみの喪について語ろう。
なぜ、みなが死ぬときぼくだけ生き残るのだろう。
「シュレンドルフがドイツ人であることを想い起こしておこう。彼はかつての自国の
恥部を見すえ、静かな口調で明るみに出しているのだ。それはドイツ国民にとって
恥ではない。見すえず、ほおかむりをすることこそが、民族にとって本当の恥なのだ。
そういう映画を仏独合作で作れるところに、この両国の和解の確かさがある」
渡辺和行氏
「処刑された27名中、ギィ・モケは最年少の17歳であった。彼が、ふたたび耳目を
集めたのは2007年のことである。この年、大統領となったニコラ・サルコジは
選挙戦の前からギィに言及し、当選後にギィが死の間際にしたためた手紙を
愛国心の発露と評価して、命日の10月22日に全国の高校生に朗読させることを
決定した。ギィが共産党の活動家であったことは伏せて手紙のみを朗読させる
大統領の手法に対して、記憶の政治利用だという批判が巻き起こった」
日本でも歴史修正主義が問題になっている。自分たちの都合のよいところだけ
ピックアップして政治利用する。これは見過ごすことの出来ない大きな問題だと、
私は思う。
観ながら、なんども鼻をかんだ。
そしてこれは決して過去の事ではないと、強く思った。
(画像はお借りしました)