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放射性廃棄物~終わらない悪夢~1

2014-08-23 14:45:52 | ②一市民運動
放射性廃棄物~終わらない悪夢~(2009年フランス映画)を観る。

EUの世論調査によると、75%の人々が原子力産業に不安を抱いているという。
その根源には、放射性廃棄物に対する恐怖がある。
この映画は、世界中の放射性廃棄物の実態を探っていく。

(1)2000年6月、グリーンピース(国際的な保護団体)は、海中に空っぽの
   ドラム缶が散らばっているのを見つける。
   (1950~63年に投棄されたと推定される)
   ドラム缶は腐り、中の放射性廃棄物は海にもれ出していた。
   近くには漁場や浜辺がある。ドラム缶の中にはウナギが棲みつき、
   食物連鎖のなかに取り込まれていた。
   放射性物質は臓器に付着し、消化器・心臓の病気やガンの原因になる。
   また遺伝子を損なうこともある。

   かって海は世界最大のゴミ箱と考えられていて、イギリス、フランス、アメリカ、
   ロシア、日本は放射性廃棄物をドラム缶ごと海に投棄していた。
   IAEAによると、50年間に10万トン以上の放射性廃棄物が海洋投棄されたという。
   1993年になって、放射性廃棄物の海洋投棄は全面禁止になった。

  
(2)アメリカでは、軍によるマンハッタン計画が進められていた。
   1942年にハンフォード核施設を核兵器製造拠点とし、世界で初めて
   プルトニウムの生産が行われ、長崎に投下された原爆のプルトニウムもここで作られた。
   砂漠の中に位置し、立ち入りが禁止され、放射能漏れや火災があっても
   全て機密とされた。
   そして使用後の廃液は川に流され、施設で働く職員やその家族でさえ、その危険性を
   知らされずに、普通に川で遊んでいた。
   流された廃液は周辺を汚染してゆき、コロンビア川を汚染した。
   コロンビア川の川底は放射性物質に覆われ、今も川底が汚染されているが、
   取り除く方法はない。

   次の化学物質が川に入りこんでいる。
   クロム・・・鮭の産卵を脅かす。
   ストロンチウム90・・・コロンビア川の魚から検出。
   トリチウム・・・周辺の川から検出。
   ウラン、ユーロピウム152、ヨウ素129(除去方法がない)等が検出された。

   1943年以降、最も危険性が高い廃液を貯蔵するための巨大コンクリートの
   タンク(ビル1個がすっぽり入る程の大きさ)170個が作られた。
   その後、リスクを減らすために地下に埋められた。
   1980年代には、60個のタンクから廃液が漏れ出し、地下水を汚染している
   ことが分かった。
   この地域は砂漠で、年間175ミリしか雨が降らない。
   それでも廃液を地下に沁み込ませ、地下水を汚染するのに十分な量だ。
   これから先、数十万年にわたり、施設の地下水は有毒のままだ。
   そして今でも地下には、危険性が高い廃液2億リットルが残っている。

   
(3)1976年、ソ連では反体制派のジョレス・メドベージェフが『ウラルの核惨事』と
   いう本を出版し、1957年に放射性廃液を貯蔵するタンクが爆発する
   事故が起きたことを公表した。
   事故から20年が経ってはいたが、西側はKGBの陰謀だとして取り上げなかった。
   CIAは事故を知っていたが、黙っていた。1976年は、西側の国々が盛んに
   原子力発電所を建設していた頃で、国民の恐怖心を煽りたくなかったのだ。
   この事故のことは、CIAやソビエト政府、原子力産業によって隠蔽された。
   放射性廃棄物のもつ熱で、水素爆発などが起きることを、この事故が示したからだ。

   事故の詳細は、1957年9月29日にソ連・ウラル地方のチェリャビンスク州にある
   マヤーク核施設(プルトニウム製造)で起きた。
   放射性レベルの高いタンクが、冷却装置の故障で爆発したのだ。
   爆発は上空1000メートルまで噴き上げられ、200人が死亡し、27万人が被曝、
   15000平方メートルが汚染されたが、公表されることはなかった。

   その時、近くのカラボルカ村では、生徒1500人が集団農場を手伝うため
   畑に出ていた。地面が大きく揺れ、空全体が真っ黒になったが、
   事故を生徒たちに知らせることも、また避難させることもなかった。
   2日後に生徒たちは、何に汚染されているかも知らされずに、
   収穫したジャガイモを穴に埋めた。
   この惨事はすべて機密とされ、データは何も残っていない。
   カルボルカ村の地域は地図になく、暗号で呼ばれた。

   その後も、放置すべきでない放射性レベルの高い廃液を、カラチャイ湖に
   投棄していたことが明らかになった。カラチャイ湖の放射線量が危険なレベルに
   なったため、そこを埋めるための岩を、5トンもの鉛で覆われた車が湖まで運んだ。
   それでも全ての作業を12分以内に終えなければならない程、放射線量が高かった。
   カラチャイ湖が埋め立てられると、投棄のための別の人口湖が作られた。

   現在のカラチャイ湖の近くのチチャ川で測定すると、
   毎秒1400カウント~16000カウントが計測された。
   これはチェルノブイリに匹敵するほど汚染されていることになる。
   だが立ち入り禁止ではなく、ムスリュモヴォ村(最後まで残った村)の人々は、
   アシを刈ったり魚を取ったりして50年間、汚染された中で暮らしている。
   また、危険を知らせることなく、1991年まで近くの高校で授業が行われていた。
   ガンで多くの人が亡くなった。
   国は毎年、水や牛乳の放射線量を測定し、健康診断を受けさせたが、
   村民には結果を知らせることは一切なかった。
  

   50年間に3万人の追跡調査を行い、被曝した放射線量とガンの発生、
   そして死亡率には明確な繋がりがあることが明らかになった。
   村民は不安に思いながらも、国が補償する280万円の引っ越し費用では、
   他に移りたくても移れなかったのだ。
   そしてわずか月9千円の補償では、汚染されたこの地のものを食べるしかなかった。

   「自分たちはモルモットにされ、わざとここで生活させられた」と
   村民の一人は言っている。
   今回、牛乳のサンプルを調べると、セシウム137、ストロンチウム90
   (骨に蓄積する)、トリチウムが検出された。
 
   川の水や土、魚のサンプルを調べたところ、チチャ川はトリチウムに高度に
   汚染されていた。
   セシウム137は、土壌そのものが放射性廃棄物のようで、1Kあたり18万ベクレル、
   魚からは、セシウム137が1Kあたり600ベクレル以上、
   牛乳は1Kあたり24ベクレルが検出された。
   地面からの放射線と、食物からの汚染の両方で、住民は大量に被曝していた。
   更に川の沈殿物からはプルトニウム239と240が検出され、
   1Kあたり2200ベクレルだった。

   軍事用か民間用かを問わず、原子炉には一つの共通点がある。放射性廃棄物を産み出し、
   その一部は環境の中に出て行くということだ。

   1986年のチェルノブイリ事故は、ゴルバチョフ大統領の時だったから
   公表されたのだ。

                                 2につづく

追記1
2013年2月15日、隕石がロシアに落下して周辺に被害を及ぼした。
「核施設の近くで危ないところだった」と言うコメンテーターがいたが、
その後、この話を聞くことはなかった。
チェリャビンスク隕石は、この地に落ちたということに今、気がついた。
核施設は、飛行機事故やテロのほかに隕石の落下による危険性もあるのだと、
改めて怖くなった。

小分けされていますが、こちらから動画を観ることができます。
            ↓
http://www.at-douga.com/?p=4847




(画像はお借りしました)
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