凄い映画を観てしまった。
観たからには、見なかったことにはもう出来ない。
今村昌平企画、原一男監督の奥崎謙三を追ったドキュメンタリー。1987年公開。
キャッチコピーは、「知らぬ存ぜぬは許しません」
奥崎は、ニューギニアの独立工兵第36連隊の帰還兵である。
部隊は飢えとマラリアで、千数百名の兵士のうち帰還できたのはわずか30数名だった。
かっての部隊の残留隊で、隊長による部下2名の射殺事件が起きる。
表向きは脱走兵として処刑されたことになっているが、これは戦争が終わって
1か月ほど経ってからのことなのだ。
奥崎は遺族と一緒に、当時おなじ部隊だった人たちを訪ねて、真相究明に乗り出す。
敗戦を迎えるまでのニューギニアでの数か月は、想像を絶する飢えがあった。
戦争をしていることさえ忘れるほどの飢餓。
その中で人間として赦されない行為が行われていたという事実を、
奥崎は生き残った人たちから聞き出そうとする。
子どもや孫と暮らしている元隊員を訪ね、家族が居ようが情け容赦なく話すことを強要する。
それが、たまたま生き残った人間の使命だと問い詰める奥崎の姿は、
執念という言葉を超えて狂気さえ感じる。
元隊員たちは、抵抗しながら、なじりながら、懊悩しながら、話し始める。
事実を明らかにすることが人類の財産となり、これからの戦争の抑止力になると、奥崎は言う。
奥崎の行為は過剰であり、その思考や宗教は納得できないものもある。
それでも奥崎の狂気がなかったら、「事実」が白日の下に曝されることが
なかったのではないだろうか。
人間の理性も慈愛も尊厳も、自分が人間であるという自覚さえ、戦争はかなぐり奪って
しまうものだということを、この映画は語っているように思う。
主義主張など吹っ飛んでしまうほどの現実が、そこにはあった。
見たくないものや酷たらしいものに目を背けるのではなく、事実の一片だけでも
見て欲しいです。賛否両論があるとは思いますが、戦争を知らない政治家の方々、
是非観てください。 (敬称略)
(画像はお借りしました)
観たからには、見なかったことにはもう出来ない。
今村昌平企画、原一男監督の奥崎謙三を追ったドキュメンタリー。1987年公開。
キャッチコピーは、「知らぬ存ぜぬは許しません」
奥崎は、ニューギニアの独立工兵第36連隊の帰還兵である。
部隊は飢えとマラリアで、千数百名の兵士のうち帰還できたのはわずか30数名だった。
かっての部隊の残留隊で、隊長による部下2名の射殺事件が起きる。
表向きは脱走兵として処刑されたことになっているが、これは戦争が終わって
1か月ほど経ってからのことなのだ。
奥崎は遺族と一緒に、当時おなじ部隊だった人たちを訪ねて、真相究明に乗り出す。
敗戦を迎えるまでのニューギニアでの数か月は、想像を絶する飢えがあった。
戦争をしていることさえ忘れるほどの飢餓。
その中で人間として赦されない行為が行われていたという事実を、
奥崎は生き残った人たちから聞き出そうとする。
子どもや孫と暮らしている元隊員を訪ね、家族が居ようが情け容赦なく話すことを強要する。
それが、たまたま生き残った人間の使命だと問い詰める奥崎の姿は、
執念という言葉を超えて狂気さえ感じる。
元隊員たちは、抵抗しながら、なじりながら、懊悩しながら、話し始める。
事実を明らかにすることが人類の財産となり、これからの戦争の抑止力になると、奥崎は言う。
奥崎の行為は過剰であり、その思考や宗教は納得できないものもある。
それでも奥崎の狂気がなかったら、「事実」が白日の下に曝されることが
なかったのではないだろうか。
人間の理性も慈愛も尊厳も、自分が人間であるという自覚さえ、戦争はかなぐり奪って
しまうものだということを、この映画は語っているように思う。
主義主張など吹っ飛んでしまうほどの現実が、そこにはあった。
見たくないものや酷たらしいものに目を背けるのではなく、事実の一片だけでも
見て欲しいです。賛否両論があるとは思いますが、戦争を知らない政治家の方々、
是非観てください。 (敬称略)
(画像はお借りしました)