今日のうた

思いつくままに書いています

"題詠blog" に救われた !

2022-04-15 09:50:31 | ⑤エッセーと物語
2007年の7月に健康診断を受けたところ、大腸の精密検査を
受けるようにとの通知がきた。
初めてのことで夜も眠れないほどショックだった。
居ても立っても居られず、うろ覚えの「題詠マラソン」を検索していた。
「題詠マラソン」は「題詠blog2007」に替わっていた。
この催しは誰でも参加でき、100のお題を10ヶ月の間に
順番通り1首ずつ詠み進めるものだ。
トラックバックのやり方も分からないまま、その場でエントリーした。

 まるまれるタラコのやうに写りゐる
 大腸ポリープ1・5センチ

その後2日間入院することになり、その間もひたすら歌を詠んだ。
気がつくと24日で完走していた。
歌を作っているとすべてが忘れられた。

2022年の4月、5年ぶりに大腸の内視鏡検査を受け、
当時と同じような大腸ポリープが見つかり入院となった。
今はラジオを聴く以外にすることがない。
あまりにも下手で非公開にしていた「題詠blog2007」を、
懐かしくなり公開します。

現在も五十嵐きよみさんはフェイスブックで、
「題詠100首★会場」を主催されているようです。

それにしても、2泊3日で入院したのだが、入院する際
PCR検査も、抗原検査も、抗体検査も行われなかったのには
はっきり言って驚いた。
なぜ日本は今もPCR検査後進国なのだろう!!!

これは私感だが、新型コロナが流行りだした頃に、
「東京オリンピックを控え感染者数が増えてはまずい」と
考えたお偉いさんが、「PCR検査数が増えると医療現場が逼迫する」
ということを国民に周知させたのが原因ではないだろうか?
その名残が今も続いているのでは?
日本では一旦決めたことを覆すのがいかに難しいかは、歴史が教えている。
こう考えないと、どうしても納得できない。

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あと千回の晩飯 ②

2022-03-28 09:36:45 | ③好きな歌と句と詩とことばと
山田風太郎著『あと千回の晩飯』を図書館で借りる。
1997年出版ということでかなり読まれたのか、
染みや傷みが目立つ。
著書に「忍法帖」シリーズなどがあるが、どれも読んだことはなかった。

作者はパーキンソン病や糖尿病、それに伴う眼の病などがおありだ。
それとこれは作者の造語だが、「アル中ハイマー」だそうだ。
病気を達観し、日々の生活を楽しんでいる。
好きなお酒を飲み、煙草を嗜み、奥様の美味しいお料理を味わう。
また好奇心が旺盛で、奇想天外なふるまいに何度も笑ってしまった。
夢に出てくるという空中歩行も、作者だったら信じられる。
こんな素直で正直な作者は、どんな小説を書いたのだろう。

大切な言葉を引用させて頂き、生きていく上の指針にします。

①実は私も、意識の底にいつも死が沈澱しているのを感じている
 人間である。

②それはそれとして、七十を超えて意外だったのは、寂寥とか
 憂鬱とかを感ぜず、むしろ心身ともに軽やかな風に吹かれて
 いるような感じになったことだ。

③七十歳を超えれば責任ある言動をすることはかえって有害無益だ。
 かくて身辺、軽い風が吹く。

④私は座右の銘など持たないのだが、強いていえば、
 「したくないことはしない」
 という心構えだ。

⑤会葬者なども家族をふくめて十人内外がよろしいと思う。
 その人数のお葬式が野辺送りという名にふさわしく、
 詩情にみちているからだ。

⑥私には風のなかに尾形乾山の唄声がきこえる。
 「うきこともうれしき折も過ぎぬれば
  ただあけくれの夢ばかりなる」
 しかし、そんな唄声をききながらあと千回の晩飯を食って
 終わるのは、あまりに寂しい気がする。

⑦私は、日本は昭和四十年代のころが一番「良き時代」では
 なかったかと考えている。・・・
 ものの本によると、一国の異常な繁栄期は意外に短いそうだ。
 人間の肉体も国家と同じく、外見異常はなくても内部で黙々と
 毒素をふやし、あるときから牙をむいて主人に襲いかかる。

⑧また大臣が議会で、何とも答えづらいことを聞かれて、
 言語明瞭意味不明の答弁でとぼけ通す技術にも感心する。

⑨若いころは、六十代だろうが七十代だろうが、身体に病気の
 ないかぎり同じようなものだろうと考えていたが、これが
 大ちがいなんですな。六十代はゆるやかなカーブで下ってゆく
 感じだが、七十代にはいると階段状になる、それも一年ごとに
 ではなく、一ト月ごと、いや一日ごとに老化してゆく感じである。

⑩陰蔽ないし空とぼけの言動は、日本人の間では特に多いような
 気がしてならない。日本人はこの種の「習性」に外国人より
 鈍感なように思う。
 戦後だけではない。戦争中もやっている。なかには、戦争を
 するのに、逆にこちらに致命的な罰をもたらした
 嘘(うそ)もあった。

 戦争の場合と平時の場合はちがうというかも知れないが、
 戦争の場合は陰蔽と空とぼけがいっそう大規模なものになる
 おそれのあることは右の例から見ても明らかだ。

⑪いったい日本人の独創性のなさは、先天的なものか、
 後天的なものか。
 それは先天的なものじゃないか知らんと私は思うことがあるが、
 それなら将来二流国の烙印からのがれる見込みはない。

⑫異思想、異趣味、異性格の人間が混じると、上からは排除、
 仲間からはハチブにされる危険が古来十分にあった。
 大航海時代以来、欧米諸国は争ってアジアを植民地化し、
 その末期に日本もその物真似をしたが、その評判が最も
 悪いのは、その重大な理由として、日本人が占領地を強引に
 日本化しようとしたことがあげられる。
 そしてそれは傲慢のせいではなく、日本人化しなければ、
 日本人は不安でたまらないという一種の弱気が裏目に出たのだ。

⑬それまでの軍国日本の洗脳ぶりを思い出すと、それも無理はない。
 特に満州事変以後の日本人を思うと、いまの北朝鮮が笑えない。
                    (引用ここまで)


一番印象に残るエピソードは、夜中に作者が夢の中で
大笑いするくだりだ。
突然起こされた奥様は、当然怒る。
このエピソードから、高校時代に母に言われた言葉を思い出した。
「おまえは普段あまり笑わないのに、
 夢の中だと大声を出して笑っている」
暗くて覇気のない高校生だった私は、どんな夢を見ていたのだろう。

追記
以前に観た映画『魔界転生(沢田研二主演)』の原作は、
山田風太郎の小説でした。なかなか面白い映画でした。
 
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春のこわいもの

2022-03-19 16:30:07 | ③好きな歌と句と詩とことばと
作家の皆さま、そして出版社の方々には申し訳ないが、
私は読みたい本のほとんどを図書館で借りている。
川上未映子著『春のこわいもの』を書評で知り、
早速、市の図書館にリクエストした。
誰も栞に触れていない本を手に取るのは快感だ。
ピンクを基調にした淡い装幀の本は春にふさわしい。
だが表紙の大半を占めるピンク色の頭陀袋は何なのだろう。
皺が寄っていて、何が入っているか不気味だ。

帯には「この作品はAmazon Audibleにて、岸井ゆきのさんの
朗読により配信されています」とある。
読むのと聞くのとではどういう違いがあるのだろう。

コロナ禍を生きる人間を描いた6つの短編は、どれも面白い。
どれもが五感に訴えてくるものだ。
その中でも「あなたの鼻がもう少し高ければ」と
「娘について」がよかった。
「春」に数滴の毒を垂らしたような内容だ。
一気に読み終えたが、読後感が実に爽快なのだ。

いつ終わるともしれないコロナ禍にあって、心も体も疲弊している。
自分の中の毒がじわりじわりと蓄積していくのが分かる。
この小説はまさに毒を以て毒を制す、作品の毒に救われた気分だ。

心に残った言葉を引用させて頂きます。

 わたしたちは互いにみわけがつかなくなるくらいに交わった
 ことがあったけれど、でも、うまくいかないときもあった。・・・

 彼の体は、まだ世界のどこかにあるだろうか、どうだろうか。
 わたしの時代のあの日々は、どこかに残っているだろうか。
 なぜ今も、わたしは思いだすのだろう。彼と交わっていた
 あの日々に、あのときわたしに満ちていたすべての死にたさ
 よりも、生き残った何かがあったということだろうか。

 家にひきこもっているのはいつものことだし、スーパーも
 昼間に行けば何の問題もないし、充分な量のマスクも消毒液も
 ある。人と会うことも話すこともないから感染の確率も低いと思う。
 でも、この騒ぎが起きてから眠れない日が続いている。やっと
 眠れたかと思うと真夜中に目が覚めて、そのまま朝を迎えるという
 ようなことも一度や二度ではなくなっている。

 新刊を出すたびに話題になって押しも押されもせぬ存在感を
 放っていたあの作家も、今では見る影もない。
 あんな人たちでもそうなのだ。彼らの足元にも及ばない、まるで
 水に濡れた紙コップみたいなわたしの先行きなんか、わざわざ
 想像してみるまでもない。         (引用ここまで)


そういえば、SEKAI NO OWARI のラジオ番組「The House」
(ラジオ欄ではセカオワ・ハウスになっている)の後に、
5分間だけの「東京カレンダーRADIO」という番組がある。
あやしげな物語で惹きつけておいて、「この続きはスマホアプリ・
オーディで」で終わる。オーディとは、AuDee のことらしい。

Amazon Audibleといい、AuDeeといい、
物語は聞く時代に変わっていくのだろうか

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82年生まれ、キム・ジヨン(映画)

2022-03-10 14:38:42 | ④映画、テレビ、ラジオ、動画
2019年製作の映画「82年生まれ、キム・ジヨン」を観る。
ジヨンを演じるチョン・ユミと、その夫を演じるコン・ユに好感が持て、
小説を読んだ時よりも心に切々と伝わってきた。
ジヨンを案じるオモニを演じるキム・ミギョンがすばらしい。

ジヨンの母親は兄さんたちの学費を稼ぐために進学を諦め、
工場でミシンを踏み続けてきた。
自分の娘には同じ思いをさせまいと育ててきたが、家族を含め
あらゆる場所でジヨンは差別を受ける。
父親からして息子と娘では扱いが違うのだ。
母親が父親に言った言葉が痛々しい。

「息子しか眼中にないの? 娘はやりたいこともできず衰弱している」

子育ての疲れも重なり、精神的に参ってしまったジヨンは
夫の実家で”憑依”を経験する。
コーヒーショップでは子連れというだけで「ママ虫」と暴言を受け、
再就職もままならず、何ともやるせない。
だがジヨンは理解ある夫とともに一歩ずつ歩き出す。
ふたりを応援したくなった。

ジヨンが精神科医に話す次の言葉が、ジヨンの閉塞感を言い表しているので
引用します。

「誰かの母親、誰かの妻として 
 時に幸せを感じます
 でもある時ふと閉じ込められている気分に
 出口が見えたと思ったら 
 また壁が立ちはだかっていて
 他の道にも壁が現れる
 ”最初から出口はないんだ”と思うと
 腹が立つんです」            (引用ここまで)


2019年7月31日のブログ「82年生まれ、キム・ジヨン(小説)」
            ↓
https://blog.goo.ne.jp/keichan1192/e/e4a0b976ddbca4cb7c8608341af9c087

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疼(うず)くひと

2022-02-25 10:57:33 | ③好きな歌と句と詩とことばと
松井久子著『疼くひと』を読む。

私は映画『ユキエ』の監督として松井氏を知っていた。
この映画は、テレビドラマのプロデューサーだった松井氏の
映画監督デビュー作だ。国際結婚が珍しい時代に、親の反対を押し切って
アメリカに渡った主人公の40年が描かれている。
倍賞美津子演じる主人公の老い、そしてアルツハイマーになってからの
夫婦の苦悩が丁寧に描かれている素晴らしい作品だ。
そしてどの場面でも倍賞美津子が美しく魅力的だ。

その松井氏の処女小説ということで、早速図書館に借りに行った。
以前、上野千鶴子氏の著書『発情装置』を図書館で借りた時の
戸惑いを思い出したが、あとがきによると上野氏に勧められての
執筆だそうだ。
この小説は次の言葉で始まる。
女性解放がテーマなのだろうか。

「とどのつまりが、自分をどこまで解き放てるか。
 あるがままの自分の、完全なる自由。
 それが、いつの頃からか彼女が求めるようになったものだ。
 常識、社会的な規範、世間の眼、愛する者たちの願い、
 そのときどきの美学・・・・・・。
 いずれも頓着(とんちゃく)せず、私自身でいること。
 それは、人生におけるいちばんの価値を、
 孤独におくことでもある。」

次の言葉からは主人公が同世代(70歳)ということもあり、
同じような経験を有する者として大いに共感を覚える。

「別に不機嫌なわけではないが、近頃は、一日中誰とも
 話をせずに過ごす日が多いので、最初に出る声は、いつも
 喉(のど)に何か引っかかったようなダミ声になってしまう。」

主人公は離婚し、働きながら一人娘を育ててきた。
娘からのひとことは痛い。

「ママは、いつも誰かのために生きているフリをして、
 いちばん大事なのは、自分なのよ。」

ここまではついていけるのだが、あとがきにある
「長いこと蓋をしたまま置き去りにしてきた『身体感覚』、
 この宿題に向き合ってみたい」との思いで描かれたのであろう
恋愛にはついていけない。

主人公はSNSで知り合った55歳の男性との逢瀬を重ねながら
自らを解放していく。
お料理を完璧に作り、疲れを知らず愛し合いながら二人の時間を楽しむ。
そして自分の考える人生を突き進む。
あまりにも完璧で、腰が痛いの具合が悪いの、今日は手抜き料理といった
次元でうごめいている私にとって主人公は、まさに【スーパー70歳】なのだ。
生身の人間として感じることができなかった。

結婚生活における元夫の女性蔑視、女性の解放、娘との関係、老い、
高齢者の恋、そして彼の特異な生い立ちなどがつぎつぎと描かれていく。
筋書き通りにピタッと、全てのピースが嵌っていく様は小気味よい。
だがもう少しテーマを絞って、たゆたいながら、余分に思われるものや
はみ出してしまうものを描いてもよかったのではないかと思った。


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あと千回の晩飯 ①

2022-01-30 17:14:46 | ③好きな歌と句と詩とことばと
不意に、以前新聞に掲載されていた記事のタイトルを思い出した。
「あと千回の晩飯」、調べると、1994年から1996年まで
朝日新聞に掲載された山田風太郎のエッセイで、本が出ているようだ。
当時の私は44歳、作者の「千回」と言い切ってしまうところに
ただならぬ決意というか凄みを感じた。

千回とは2・74年、このエッセイが始まったのが山田氏72歳なので
74、75歳頃を想定していたのだろう。
実際には2001年に79歳で亡くなっている。
当時の山田氏と同じ年代になった私も、あと何回、と思わずには
いられない。もう晩年は始まっている。

コロナ鬱か老人性鬱かは知らないが、どうもやる気が出ない。
最近読んだパク・ソメル著『もう死んでいる十二人の女たちと』に
次の言葉は出てくるが、まさにこの通りだ。

「生きるのに疲れすぎて面倒くさくて何もしたくないんです」

この本はいくつかの短編からなっているが、どの短編も確固たる
筋が分からない。展開が読み取れない。だが読み終えた後に
ある感覚が残っている。
この取り留めのなさは何なんだろう。

今日も宮本浩次(ひろじ)の「光の世界」「悲しみの果て」「さらば青春」
「遁世」「異邦人」「東京協奏曲」「十六夜の月」、
森田童子の「ぼくたちの失敗」「みんな夢でありました」、
「さよならぼくのともだち」
そして70年代のポップスを聴きながら、一日が終わる。

遁世
https://www.youtube.com/watch?v=nc9EsppQB3U

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彼は早稲田で死んだ

2021-11-29 09:21:24 | ③好きな歌と句と詩とことばと
樋田毅(ひだつよし)著『彼は早稲田で死んだ 
大学構内リンチ殺人事件の永遠』を読む。
私は本のタイトルが『彼は早稲田で殺された』とばかり思っていた。
なぜ曖昧な「死んだ」ではなく、「殺された」という言葉を
使わなかったのだろう。
1973年4月2日に再建一文自治会が発行した新入生歓迎パンフレットに
「彼は早稲田で死んだ」と表題をつけて、事件の経緯を書いている。
それで「死んだ」にしたようです。
それに「死んだ」を使うことでその背景を想像させ、タイトルに相応しい
ことに気づいた。

1972年の春、作者は早稲田大学第一文学部に入学する。
その年の11月8日の夜、文学部構内の自治会室で、第一文学部2年生だった
川口大三郎さんが革マル派の学生たちのリンチによって殺される。
この事件をきっかけに、一般学生による革マル派糾弾運動が始まり、
その過程で多くの学生が理不尽な暴力に遭い、作者も重傷を負う。
その後、作者は新聞社に入社し、退社した後もこの事件を追い続ける。
そして今も悪夢にうなされる。
プロローグには次の言葉が書かれている。

 その後、長い歳月が流れた。
 しかし、あの早稲田での出来事が、忘れ去られていいとは思えない。
 約半世紀前、東京の真ん中に、キャンパスが「暴力」によって支配
 された大学があった。
 
 あの時代の本当の恐ろしさを伝え、今の世界にも通ずる危うさを
 考えるため、私は自らの記憶を呼び起こし、かつての仲間や敵だった
 人々にできる限り会った。段ボールに詰め込んだままになっていた
 資料も読み返した。

 あの苦難に満ちた日々、私は、そして同世代の若者は
 どう生きたのか―――。           (引用ここまで)

私は作者より3年前に第一文学部に入学したが、当時文学部は全国の
革マル派の拠点と言われていた。
ノンポリである私も部外者ではいられない空気があった。
文学部は本部とは独立している。
長く続くスロープを上がっていくと、建物の入り口に多くの机や椅子で
がっしり固められたバリケードが築かれている。
人一人が通れるだけのスペースがあるだけだ。
そこで革マル派の活動家が、授業を受けに来る学生を一人一人チェックする。
他のセクトの学生は文学部に入ることができない。
授業が始まってまもなく活動家が教室に入ってきて、
クラス討論の時間をくれと言う。

この本を読むと「一文自治規約」により、このことが行われていたという。
当時私は学生運動・活動家と一括りに捉えていたが、目に見えないところで
「一文自治会」が関わり、全学部の学生自治会を「制圧」する
闘争が行われていたようだ。
革マル派は「早大全学中央自治会」を発足させる。
そして一文自治会の田中委員長が全学中央自治会の委員長に
就任する。2020年、作者は田中氏に会いに行く。
外から見ていたのではわからないことが精密に描かれている。
こんなことが行われていたのか、と改めて驚く。
たとえば次のことが書かれている。

 当時、第一文学部と第二文学部は毎年1人1400円の自治会費(大学側は
 学会費と呼んでいた)を学生たちから授業料に上乗せして「代行徴取」し、
 革マル派の自治会に渡していた。
 第一文学部の学生数は約4500人、第二文学部の学生数は約2000人
 だったので、計900万円余り。本部キャンパスにある商学部、
 社会科学部も同様の対応だった。             

 大学当局は、キャンパスの「暴力支配」を黙認することで、
 革マル派に学内の秩序を維持するための「番犬」の役割を期待して
 いたのだろう。               (引用ここまで)

2020年に作者は文学部の前で、「川口大三郎君虐殺事件」を知っているか
と学生たちにインタビューしている。だが誰一人知る人はいなかった。
また「早稲田大学歴史館」にもこの事件についての展示はなかったそうだ。

「早稲田大学歴史館」は2018年3月20日に開館している。
人間は同じ過ちを犯す。そうならないためにも「負の遺産」を直視し、
後世に伝えていく義務がある。
「川口大三郎君虐殺事件」が起きた時、現総長の田中愛治氏は
早稲田大学に在籍していたはずだ。
身近に起きたこの事件を、なぜ展示しないのですか。
その理由をお聞かせください。

ついでにもう一つ疑問なのは、2021年10月1日に「国際文学館
(村上春樹ライブラリー)」が開館している。
どういう経緯で開館することになったのだろう。
早稲田出身の文学者は数多くいる。だがなぜ村上春樹だけが選ばれたのか。
選考基準はどういったものだったのか。
彼がノーベル文学賞を取ったのなら分かる。だが取ってはいないし、
これからだって分からない。若者に人気のある作家だから?
ユニクロ会長の柳井正氏がお金を出すと言ったから?
はたして50年後、100年後に、彼はそれに堪えうる作家なのだろうか。
確かにこのことで受験生は増えるだろう。だが最近の風潮同様、
見た目を意識した軽さを感じてしまう。

私は短歌をやめてから、カルチャーの「文章教室」に9カ月通った。
その教室で、小説の・ようなものを書いた。
最後の方で「川口大三郎君虐殺事件」のことを書いているので載せます。

「こんぺいとう」
その後、内ゲバという内部対立が激しくなり、学生運動はさらに
過激になっていった。
一年後の二月には「あさま山荘事件」が起きて、山岳ベース事件
(リンチ殺人事件)が明らかになった。
それは「総括」という名のもとに、仲間うちで十二人が惨殺されたのだった。
同じ年の秋には、圭子の大学でもリンチ殺人事件が起きた。
革マル派から中核派と間違えられた学生が、真昼間に文学部の学生自治会室に
連れ込まれた。そこで八時間に及ぶリンチを受けて殺害されたのだ。
丸太や角材でめっちゃくちゃに殴られ、体全体が細胞破壊を起こしての
ショック死だという。遺体はパジャマ姿で東大附属病院前に遺棄されていた。
惨(むご)い! 彼はリンチを受けながら、遠くに学生たちの話し声や笑い声を
聴いていたかもしれない。
もしかしたらリンチされている時間帯に、圭子は学生自治会室を見下ろす
通路を歩いていたかもしれない。
キャンパスで一人の人間が撲殺された。たった二十歳で! 
しかも彼は中核派ではなかったというではないか・・・。
社会を良くしようと正義感に燃えていたはずの若者が、どこをどう間違えて
やくざ顔負けの凄惨な事件を引き起こしたのだろう。

思い出さないようにしていても、あのクリスマス・パーティーでの
罵声が蘇ってきた。
「ブント、帰れ! なんでのこのこ来たんだ。
 おまえなんかの来る場所じゃない!」
そして、Hの苦しげな顔が浮かんできた。    (記載ここまで)

※長くなってしまったので、追記を下に分けました。
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彼は早稲田で死んだ 追記1~4

2021-11-29 09:21:20 | ③好きな歌と句と詩とことばと
長くなってしまったので、追記を分けます。

追記1
この本の中に懐かしい名前を見つけた。
作者は非暴力で革マル派に対抗するため、全学部の学生数千人を結集
させる学生大会を計画する。
その前夜、「臨時執行部」の候補者を決めるための会合があった。
候補者の中に民青系の人たちがいて、作者は革マル派の妨害を怖れて
立候補を取り下げるよう彼らに要請する。
その中の一人が小此鬼(おこのぎ)則子さんだ。
作者は小此鬼さんの言葉を次のように書いている。

 「私も立候補は辞退します。でも、こんなことは本来、あってはならない
  こと。誰にでも立候補の権利はあるはずです。自治会の未来に
  禍根(かこん)を残すことを心配しています」

 川口君の事件が起きる以前に、私は文学部キャンパスで彼女が革マル派に
 取り囲まれても、一歩も引かず、理路整然と反論している姿をみかけた
 ことがあった。小此鬼さんの発言は的を射ていただけに、その言葉は
 私の胸の奥に棘(とげ)のように刺さった。
 小此鬼さんは後に児童文学編集者として多くの仕事をしたが、
 病のため五三歳で逝去した。
 あの集会での彼女の発言を、民主主義とは何かを考えるときに
 今も思い出す」                 (引用ここまで)

小此鬼さんと私は、一年生の時に1Mで同じクラスだった。
そしてたまたま入ったサークル・WTC(早大テニスクラブ)でも
一緒だった。
常に人を包み込むようなやわらかい笑顔が印象的な人だ。
美人で運動神経がよく、どこでも憧れの的だった。
1年生の時には彼女の家に泊まりに行ったりもしたが、2年生になり
私が演劇にのめり込むようになってからは疎遠になってしまった。
一度電話があり「文学部に入れなくなってしまったのよ」と話していたが、
留年せざるを得なくなったようだ。
その後、クラスメートの林太郎君と結婚したことまでは知っていた。
1年前に彼女の名前を検索したところ、小此鬼さんも林君も亡くなっていた。

樋田さんの文章から小此鬼さんの凛とした佇まいや、スコートを穿き
日焼けした小此鬼さん、手紙の最後に必ずある「鬼」の印、
そして涼やかな声を思い出した。

追記2
この作品は「第53回大宅壮一ノンフィクション賞」を受賞しました。
おめでとうございます。
(2022年5月14日 記)

追記3
樋田毅(ひだつよし)著『彼は早稲田で死んだ 
大学構内リンチ殺人事件の永遠』が原案の映画が製作されたそうです。
代島治彦監督、『ゲバルトの杜~彼は早稲田で死んだ~』
金平茂紀さんはフェイスブックに、「時代の狂気のせいにしてはならない
今につながるテーマだ」と書いています。
一般公開は2024年5月中旬です。
私は映画館には行けないので、DVD化されるのをひたすら待ちます。
(2024年2月9日 記)

追記4
2024年5月24日の朝日新聞の夕刊に、この映画の記事が載っていた。
公開は25日から東京・渋谷のユーロスペースで、その後各地で順次
公開されるそうです。
公式サイトは保護されていないみたい(?)なので、YouTubeを載せます。

①『ゲバルトの杜 ~彼は早稲田で死んだ~』本予告編/5月25日㊏より
  ユーロスペース他全国順次公開
         ↓
https://www.youtube.com/watch?v=5mpXoHv79-E&t=6s

②5月25日㊏~公開『ゲバルトの杜 ~彼は早稲田で死んだ~』代島治彦監督、
 鴻上尚史、20代出演者座談会
      ↓
https://www.youtube.com/watch?v=L0efPGLlWTI&t=21s

③ポリタスTV『彼は早稲田で死んだ』と統一教会|
 『彼は早稲田で死んだ』『記者襲撃』の著者・樋田毅さんを迎え、
 今だから語れる取材秘話、「銃撃事・・・」
          ↓
https://www.youtube.com/watch?v=MDxYXmc1Z4o

④Air Revolution 鴻上尚史氏出演!『学生運動とはなんだったのか?』
 (2024年5月23日生放送)
               ↓
https://www.youtube.com/watch?v=OFmrzuDm-Xo
(2024年5月24日 記)
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クララとお日さま

2021-08-21 16:22:07 | ③好きな歌と句と詩とことばと
カズオ・イシグロ著『クララとお日さま』を読む。

私が住んでいる場所には高いビルも山もない。
畑道を行くと360度空が見える。
早朝散歩に出ると、空はまるでキャンバスのように様々な形や色彩を
見せてくれる。雲の下に片脚の虹が見えていたりする。

真正面からお日さまが差すと、まぶしくて前が見えない。
歩く方向を変える時は背中のリュックを外す。
そして背骨にもお日さまが届くようにする。
太極拳の先生に「朝日は体にいいのよ」と言われてからは、
朝日をたっぷり浴びると体が喜んでいるように感じる。
いつだってお日さまは元気の源だ。

この小説でもお日さまが重要な役割を担っている。
AIを搭載したロボット・クララは病弱な少女・ジョジ―のAF(人工親友)
として買われていく。
家にいることの多いジョジ―にとって、クララは大切な友だちだ。
ジョジ―の母親の次の言葉からもそれが窺える。

「子供って、ときどき残酷よね。大人相手なら、何をやったって
 相手は傷つかないと思っている。それでも、あなたが来て
 くれてからは少しは成長したわ。昔より他人を思いやれるように
 なってる」               (引用ここまで)

クララはお日さまから特別な栄養をもらって生きている。
そしてお日さまを、ほとんど信仰の対象のように崇拝している。
ジョジ―の体が衰えていった時に、お日さまに助けを求めたのは
当然のことだ。
クララの奮闘があり、ジョジ―は病が癒えてゆく。

私は小説の細部に納得できない描写があると、そこからは
読んでいても白けたものになってしまう。
だがこの小説は十分に練られた言葉で丁寧に描かれている。
丁寧に描かれた小説を丁寧に読む楽しみを、この小説は
教えてくれる。
饒舌に語ることなく余韻を残した品のある終わり方で、
この小説が忘れられないものになった。

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緊急事態下の物語   復活の朝

2021-07-31 15:19:38 | ③好きな歌と句と詩とことばと
コロナ禍で様々な小説や音楽、ドラマやエッセイが生まれている。
「緊急事態下の物語」には、金原ひとみ、真藤順丈、東山彰良、
尾崎世界観、瀬戸夏子の作品が入っている。
中でも金原ひとみの『腹を空かせた勇者ども』と真藤順丈の
『オキシジェン』が面白かった。

①『腹を空かせた勇者ども』は、主人公の母親がコロナに罹ったことで
 学校や家庭での人間関係があぶり出されてゆく。
 ちょっとした言葉が物事の本質を突いている。たとえば

「この間担任の若槻先生に、『森山さんはあれとかそれとかこれとか
 こうとか、こそあどが多過ぎます』と注意されたけど、これとか
 あれとかこうとかそうとかそういうのが言葉にできないからこそ
 こそあどを使っているのに、彼女にはその言葉にできない気持ちが
 分からないんだろうか。ということの方が疑問だ。でも考えてみれば、
 パパとかママも、この世に言葉にできないものなどなに一つないと
 言わんばかりの我が物顔でつらつらと言葉を口にして、私の浅はかな
 主張を破壊していく。大人には、表現できない気持ちなんてないん
 だろうか」                 (引用ここまで)

 父親をコロナで亡くした友人が、人種差別まで受けていた。
 そのことを知った主人公は、「どうして話してくれなかったの?」と
 友人に詰め寄る。そのことに対して友人は

「私は心が泣いてても顔で笑う。そうしないと耐えられないんだよ。
 それに差別されてるって、レナレナに知られたくない。それは普通のこと。
 差別なんてしないレナレナに、差別の話なんてしたくない。本当は
 世界中の人が差別を知るべきかもしれない。でもね、差別された人が
 それを話せるようになるまでは時間がかかる」  (引用ここまで)

②『オキシジェン』は冒頭からして不穏な空気が流れている。

「さかのぼること二〇二〇年代からナショナリズムやポピュリズムを
 貪欲(どんよく)に呑みこむことで支持者も議席数も増やしていた
 政権与党は、歯止めのきかない人口の激減や少子高齢化、ふくれあがる
 財政赤字、差別や格差構造の悪化、マスメディアの大本営発表化、と
 坂道を転げ落ちるように劣化・退化・老化していくこの島国の歴史に
 おいて、たてつづけに重大な局面を迎えることになった。
 その一つが月禍症の感染爆発であり、そしてもうひとつが ”かならず
 起こる”と予言されていた南海トラフ巨大地震だった」 

 高額な報酬がもらえるという甘言にのり、主人公は臨床実験に参加する
 ことになる。だがそこはただ酸素が定期的に投与される治験の場と
 いうより、反(アンチ)ユートピアの作品を製造し続ける
 終身刑の獄(ひとや)だった。     (引用ここまで)


桐野夏生著『日没』といい、今の日本は小説家の眼にはこのように
見えるのか、と怖ろしくなった。

③岡林信康「復活の朝」
最近は朝の4時に目覚めてしまうことが多い。
4時に起き出すわけにもいかず、そんな時に「ラジオ深夜便」が有難い。
この時間帯にはインタビューがあるのだ。この日は岡林信康がゲストだった。
同じ時代を生きてきた人は、旧くからの知り合いのように懐かしい。

新型コロナで中国の工場が休みに入り、青空が戻って来たことを
報道で知った岡林は、不意に10年ぶりに歌ができたそうだ。
更に8曲が湧きあがるようにできて、1つのアルバムになったと言う。
YOUTUBEで「復活の朝」を聴いたが、穏やかで心が洗われる歌だ。

人間はほんの何十年の間に、これほどまでに地球を壊してしまったのか。
生まれ変わっても私は人間にはなりたくない。
アリがいいと思っていたが、集団行動が苦手なので蜘蛛がいい。
蜘蛛は生まれてから死ぬまで孤独だそうだ。

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岸惠子自伝 卵を割らなければ、オムレツは食べられない 1

2021-07-18 11:42:53 | ③好きな歌と句と詩とことばと
岸惠子著『岸惠子自伝 卵を割らなければ、オムレツは食べられない』を
読む。装幀・装画はお嬢さんのデルフィーヌ。

この自伝にはさまざまな逸話が描かれている。
知っているのもあるが、知らないものも多かった。
たとえばスリランカのヴァカンス中に、現地で岸信介にパーティに
招かれるが断った話。
本名を芸名にするのは、親がつけてくれた名前を呼び捨てにされる
ことだと断った話。(結局は聞き入れられなかった)
作品を選ぶ権利を勝ち取るために、女性だけのプロダクション
(にんじんくらぶ)を創った話。
イスラムの地で写真を撮り、刑務所に連行されそうになった話。
時に過酷な環境の中でも、国際ジャーナリストとして活躍している。
その逞(たくま)しさと勇気に読んでいてスカッとする。
デルフィーヌも冒険好きで行動的だ。

母と6歳しか違わないのに、なぜ当時からこのような自立した
生き方が出来たのだろう。
横浜の裕福な家庭の一人娘として育った。
自由な家風が、自立心やのびやかな性格を育んだのだろう。
私は彼女の、大らかで人を疑わない、人が何と言おうとわが道を行く
芯の強いところが好きだ。それでいて愛くるしいコスモポリタン。
彼女を知ると、誰もがファンになってしまうのではないだろうか。

あるコメント欄に、襟の合わせが開きすぎだと書いた人がいた。
私は「貞淑な妻でございます」といった襟の合わせが、私は嫌いだ。
この本の中でもそのことを話題にしている。

「細雪」の監督・市川崑が次のように言っている。
「着物の着方が最高だよ、ぞろっぺでだらしがなくて」
「先生!それ誉(ほ)め言葉?」

淀川長治も
「僕は昔からあの人のことを”おひきずり”と言ってるんです。
 つまり、昔の女郎さんみたいに着るでしょ、いいんだなあ。
 自然で、そのくせ色気があって、女らしくて」(引用ここまで)

他の女優が真似をしたら、だらしのなさだけが際立ってしまうだろう。
あのスタイルのよさと気品があればこそ、くずして着ることができるのだ。

これまでに観た作品は、「早春」「かあちゃん」「おとうと」「約束」
「雨のアムステルダム」「悪魔の手毬唄」「たそがれ清兵衛」
「細雪」「怪談」「風花」「黒い十人の女」
「我が家は楽し」(岸惠子のデビュー作 YOU TUBEで観られます)
「マンゴーの樹の下で~ルソン島、戦火の約束」(NHKドラマ)

TBSドラマ 向田邦子終戦特別企画(すべて久世光彦監督、岸惠子が
主演しています。どれも素晴らしく、後世に残したい作品です)
第一弾「いつか見た青い空」
第二弾「言うなかれ、君よ、別れを」
第三弾「蛍の宿」
第四弾「昭和のいのち」
第五弾「あさき夢見し」

どうしても借りられないのは「雪国」と「亡命記」だ。
「早春」はデジタルリマスター版になっているのだから、
岸惠子の「雪国」もそのようにして、後世に残して欲しい。

それにしても、「早春」の岸惠子は美しいが平凡な顔をしている。
それがだんだんと歴史が刻まれ、今の顔になっていくのは興味深い。
                   2につづく
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岸惠子自伝 卵を割らなければ、オムレツは食べられない 2

2021-07-18 11:36:52 | ③好きな歌と句と詩とことばと
心に残った言葉を引用させて頂きます。

①と、身近に爆音がして、B29とはちがう、小型の飛行機がぐーんと
 高度を下げ超低空飛行でわたしのほうへ飛んでくる。ピシピシという
 鋭い怪音を立てて機銃掃射が始まった。・・・
 「燃えろ、燃えろ」
 わたしは呪文のように唱えながら松の木にしがみつき、恐ろしさに
 がたがた震えていた。

 わたしが逃げ出した急ごしらえの横穴防空壕にいた人たちは、
 土砂崩れと爆風でほとんどが死んだ。大人の言うことを聴かずに
 飛び出したわたしは生き残った。
 「もう大人の言うことは聴かない。十二歳、今日で子供をやめよう」
 と決めた。

②当時(1956年)の日本には、我が聖なる日本国が外国人なんぞに
 分かってたまるか、というコンプレックス混じりの神経質な誇りが
 あったように思う。・・・
 今は違うかもしれないが、当時はかなりしっかりした知識人でも、
 外国人を前にすると、へんに遠慮がちになったり、腰砕けになる。
 か、不自然に居丈高(いたけだか)になったりする、とわたしは思う。

③わたしとイヴ(イヴ・シャンピ)は娘のために、日曜日の昼食を
 いつもともにした。けれどわたしの手料理が並んだ食卓に、娘が
 最後まで同席することは稀だった。口実を見つけては中座することが
 多かった。その都度、父親のせつない面差しを見るのは辛かった。
 太陽のように明るい餓鬼(がき)大将だった娘は、ひっそりと
 寡黙になり、偉大なピアニストである祖父が贈ったピアノに二度と
 手を触れなくなった。

④「無茶をやりますね」
 「ライオンと入れ込みのカットがあったらいいと思ったのよ」
 「撮りましたよ。ジープを降りずにね」・・・

 娘が、涙をためてわたしに駆け寄ってきた。
 「大丈夫よ、心配しないで」
 「ママンのことなんか心配してない!」
 「えっ?」
 「ママンのとんでもない行動で、あのライオンは殺されるところ
  だったのよ!サリーさんと二人のガードマンが銃を構えて
  いたのよ。ライオンが一歩でもママンに近寄ったら、三発の銃弾が
  あの哀れなはぐれライオンの命を奪っていたのよ」

⑤ある日、大事な仕事が一段落してぐっすり眠ったわたしは、
 豪勢なブランチを作って、ドア一枚で繋がっている娘を呼び出した。
 「美味しいブランチを作ったのよ。たまには一緒に食べましょう」
 娘は大きな瞳で、じっとわたしを見つめた。
 「たまに思い付く「家族ごっこ」はやめましょう。わたしはいつも
 一人でコーヒーを飲むことに慣れてしまったの」

 胸がささくれたように痛かった。

 しかし、自分の信念に徹して独り生きるスタイルは、家族にも
 ひどい犠牲を強いる。

 「わたしは絶対に女優にならない」と言った娘は、愚痴も言わない
 かわりに、心の内も明かさない少女になっていった。

⑥涙で濡れた大きな瞳でじっとわたしを見つめ、しがみついてきた。
 その愛おしい腕を剥がして娘の腕に返しながら、「祖母」という
 存在になったわたしという「母親」にも去るべき時があるのでは
 ないか、と突然に思った。胸がきゅんと痛かった。
                      (引用ここまで)

興味を持ったものに対して突き進む勇気、そして抜群の行動力は
時代を超えて語り継がれていくだろう。
若者にこそ読んで欲しいと思った。

記憶が曖昧な部分もあるが、以前に読んだエッセイに
次のようなものがある。
パリのアパートで水漏れ事件が起きた。
その時の交渉や工事の手配、賠償手続き、全部自分でしなければ
ならなかった。一人で生きるとはこういうことだ。

またセーヌ河を散歩している時にベンチに腰掛けたのだが、
ベンチにはホームレスの先客がいた。
その人にワインを勧められ、一瞬、躊躇したが頂くことにした。
ワインの味はともかく、いろいろと話題がつきなかった。

こうしたことが出来るのは、岸惠子を措いていないと思う。
地球規模の人だと、改めて思った。
私はデルフィーヌのことがいちばん胸に響いた。      
                        (敬称略)

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本心

2021-06-28 12:02:06 | ③好きな歌と句と詩とことばと
平野啓一郎著『本心』を読む。時代設定は2040年。
ロスジェネ世代の母親が高齢者になる近未来を描いている。
アラサーの息子と70歳前後の母が暮らしている。
20年後ということで、AIが発達し、ヴァーチャルな世界が
拡がっている。
人々はお気に入りの仮想空間に入り浸るようになる。

主人公は「リアル・アバター」という職業に就いている。
これはヘッドホンらしきものを付け、依頼人が望む場所に行き、
依頼人に代わって行動する。
つまり自分の存在を消し体を貸すことで、依頼人は家に
居ながらにして疑似体験ができるのだ。
格差は今以上に拡がり、あっちの世界とこっちの世界が
はっきり分断されている。
主人公と母親はこっちの世界に生き、二人とも仕事が
いつ切られるか分からない。将来が不安だ。
主人公はリアル・アバターの偽依頼人による嫌がらせによって
言葉に出来ないほどの仕打ちを受ける。
ここでも汗の臭いが効果的に使われている。
このくだりは読んでいて息苦しくなった。そして
近未来においてもディストピアなのかと愕然とする。

この頃になると自由死が認められている。
自己決定権に基づく「人生に対する十全の満足感」や「納得」と
いった肯定的な要件が独自に加えられた結果、かかりつけ医に
認められれば自死を選ぶことも出来る。
これを”自由死”と呼んでいるのだ。

母親は「もう十分生きたから」と自由死を望むが、息子はそれに
納得しない。そうこうしているうちに母親は事故死してしまう。
亡くなる時に一緒にいられなかった悔いや、なぜ母親は自由死を
望んだのかをを知りたくて、母親のVF(ヴァーチャル・フィギュア)を
作ることにする。
VFに知識を入れてゆくことで、より母親に近づくようになる。
こうした世界はとても興味深く読めた。

だがある事件をきっかけに、主人公はあっちの世界に住むようになる。
主人公は思慮深く、周りの人たちのことを考えすぎるくらいに考える。
彼を雇うことになるあっちの世界のアバター製作者、ルームシェア
する女性、犯罪に巻き込まれる元同僚、そして母親の過去や自分の出自、
こういったことが頭では分かっても、あまり心に落ちては来なかった。
私の理解力が欠けているのだろう。

最近の私も「もう十分に生きた」といった思いを強くすることがある。
だからほぼ同じ歳の母親の言葉にドキッとした。
自分が時と場所を選び、自分が望む人に見守られて死ぬ。
30年も宿痾に悩まされていると、これから先も1日に
目薬を9回注し、吸入を2回、服薬は1回、漢方薬は2回、
そしてアレルギーを抑える注射を2週間に1度自分で打つ、
これを生涯続けていくのかと思うと、もうそろそろいいのでは、
と思わないこともない。

この小説の初めの部分に次の言葉がある。

「僕たちが、何でもない日々の生活に耐えられるのは、
 それを語って聞かせる相手がいるからだった。
 もし言葉にされることがなければ、この世界は、
 一瞬毎に失われるに任せて、あまりにも儚い。」(引用ここまで)

この言葉に慰められた。

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生きていればきっと笑える時がくる

2021-06-17 11:28:33 | ④映画、テレビ、ラジオ、動画
追記
YOU TUBEで次の動画を見つけました。
私は上野千鶴子さんに同意します。

「シリーズ【コロナ禍の五輪開催を考える】
「(五輪開催で)“戦死者”がひとりでも出ないように祈るような気持ち」
 社会学者・上野千鶴子 #Tokyo2020
        ↓
https://www.youtube.com/watch?v=60jlR4a4GrE
(2021年6月18日 記)

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

ETV特集「生きていればきっと笑える時がくる」を観る。
【SEALDs】を創設した奥田愛基(あき)さんのお父さんが牧師で、
ホームレス支援をされていることは知っていた。
今回、ETV特集で奥田知志(ともし)さんの活動を知った。
NPO法人「抱樸(ほうぼく)」代表の奥田さんは、北九州市で
ホームレス支援を始めて33年、これまでに3600人以上の人が
路上生活から自立するのを手助けしたという。

支援はホームレスの人だけではない。居場所のない若者や
悩みを持つ若者にも手を差し伸べる。

中学生に襲われたホームレスの人が、次のように語ったという。
「たとえ家があっても誰からも心配されない。
 家があっても帰る場所がない。
 それはホームレスの俺と一緒」

奥田さんは、
「ハウスレス問題とホームレス問題は違う」とそのおじさんから
 教えてもらったそうだ。

困っている人がいたら、手助けしたい気持ちはある。
だが奥田さんのように、埋められないものを抱えた人に対して、
命がけで埋めていくことは私にはできない。
何があっても人を見捨てない、関わろうとする。
ご自身がお話になるように、人間が好きなのだと思う。
大変なことはしょっちゅうだし、いろいろな人間がいる。
だから人間が面白いのだ、と。   (引用ここまで)

そういえばアベノマスクを送った先は、確か北九州市だった。
そちらに届いたのだろうか。

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響子

2021-06-13 11:59:23 | ④映画、テレビ、ラジオ、動画
若い頃はあんなに眠かったのに、今は朝の5時がくるのが待ち遠しい。
時間は有り余るほどあるが、PCに向かったり読書をしたりすると
すぐに眼が疲れて頭が痛くなる。
1日が長すぎる。4時間程をどなたかにさし上げたいくらいだ。
それでいて気がつくとすぐに土曜日が来ている。

老後をどうやって過ごしたらいいのか、参考になる人が身近にいない。
母は62歳で亡くなっているが、それより9歳も長生きした私には
参考にならない。
父は若い頃から商売は母任せで、数学をしたり本を読んだり
短歌をしたりしていたので、亡くなる73歳のいつからが
老後だったのか分からない。

音楽も聴いたし何をしようか悶々としていたところ、
YOU TUBEで向田邦子のドラマを見つけた。
これが脳裏に焼き付いて離れないほど強烈なものだった。

「響子」
「向田邦子新春シリーズ」とあるのが、こんな濃厚なドラマを
TBSは新春早々家族が観ている茶の間に流せたのだろうか。
今だったら、BPO(放送倫理・番組向上機構)が黙ってはいないだろう。
脚本・筒井ともみ、監督・久世光彦(くぜてるひこ)。
石材店が舞台だが、みな石に取りつかれている。
主人公の響子は石を打つ時の音から付けられた。
響子役は田中裕子、その夫は労咳(ろうがい)で寝たきりだが、
この夫役が筒井康隆だったのには驚いた。
母は加藤治子、父方の祖父は森繁久彌、そしてアル中の職人に小林薫。

母と祖父は通じている。祖父も寝たきりで母は枕元に正座している。
その時の祖父の手の動きと目の表情、そして母の着物のしわが
やや動き、母は恍惚とした表情を浮かべる。
動きはこれだけで数分間の出来事だ。たったこれだけのことで、
永年の二人の関係を赤裸々に描いている。

田中裕子と小林薫も石に取りつかれた二人だ。
思い余って石を口に含んだ田中は、その石を小林に口移しにする。
こちらも森繁・加藤に負けず劣らず、ショッキングなシーンだ。

日常の中にひそむ情念をこのドラマは見事に描き切っている。
映画「天城越え」の田中裕子はよかったが、このドラマでも
他の追随を許さない素晴らしさだ。

田中裕子、黒木華、松坂桃李、二宮和也、自己主張をし過ぎない
美しい顔の役者は、どんな役でも様になると思った。

追記1
「岸辺のアルバム」もYOU TUBEで観られることが分かりました。
(2021年6月14日 記)

追記2
向田邦子原作、久世光彦監督・ディレクター、岸惠子主演のドラマ
「言うなかれ、君よ別れを」をYOU TUBEで観る。
こんな素晴らしいドラマをテレビで放送していたことに、ただただ驚く。
小林薫がこれまでとは違ったいい味を出していた。
状況劇場をやめるという小林を引き止めるために、唐十郎が包丁を持って
説得に行ったという逸話も頷ける。
(2021年7月3日 記)

追記3
若い頃に観たかった映画に「忍ぶ川」がある。
当時は照れがあって映画館に行けなかった。
今は便利だ。昔の映画をDVDを借りて観ることができる。
三浦哲郎原作、熊井啓監督、栗原小巻・加藤剛主演。
熊井監督だけに社会性のある作品だ。

私が小さい頃には、住処のない一家がお寺に住んでいた。
家賃の代わりに酒盛りの際、飲食を提供する手伝いをしていた。
割烹「忍ぶ川」で働く栗原の父親も病気で、故郷の神社にひとり
住まわせてもらっている。そして栗原が仕送りをしている。
当時は貧しくても、今よりも情があったように思う。

「純愛」という言葉が恥ずかしくなく言える映画だ。
シャンシャンと鈴を鳴らしながら、雪の中を馬ぞりがやってくる。
その音に障子を開けて二人で見るシーンは、想像以上に美しかった。
バレリーナを目指していたという栗原の体は、神々しくさえあった。
その後、栗原は演劇に移っていったようだが、もっと映画が観たかった。
(2021年7月28日 記)


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