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イプシロンではなくてエプシロン。

2024-05-04 14:25:05 | mathematics

大学以上の数学ではギリシャ文字をよく使う。

 

もちろん,物理学や化学など,他の理学分野でも多用される。

 

春先の新入生を悩ませるのが,それらギリシャ文字の,読み方よりもどちらかというと書き方である。

 

漢字には筆順という概念があり,小学校でひらがな,カタカナを含め,筆順が指導される。

 

ちなみに,漢字の故郷である中国でどの程度筆順が重視されているのか,非常に興味があるところであるが,全く知らない。

 

ともかく,日本ではそういった教育的な背景があり,英語のアルファベットも筆順を含めて指導を受けているはずである。

 

したがって,ギリシャ文字の書き方が気になるのは自然なことである。

 

現在は YouTube でネイティヴによるギリシャ文字の発音を音声で確認できるし,実際に筆を動かして書いている姿を動画で観ることができる。

 

私はちょうどコロナ禍の頃に,数学記号の世界標準を規定した ISO 80000-2:2019 で,自分が担当する科目においてなるべくそれに準拠した記法を用いるよう心掛けると共に,ギリシャ文字の読み方も英語読みではなく,ネイティヴに近いものを志向するようになった。

 

ちなみに,ギリシャ文字の字形や筆順は,私の手元にある日本人による 2 冊の解説書を見ても流儀の違いが見られる。最近になって YouTube でネイティヴの解説動画を数本視聴したが,やはり統一が取れていない。

 

したがって,新入生諸君に向けたアドヴァイスとしては,黒板に教員が書いたり,スライド資料やテキストで観るような活字に近い字体になるように意識して少しゆっくりめに丁寧に書き記せばそれで十分だとお伝えしたい。

 

活字の太字を手書きで再現するのが難しいため,アルファベットに数本,線の飾りを付け足して通常の細字体と区別する,いわゆる blackboard bold も,現在では LaTeX のみならず,Unicode で提供されたりして,活字の世界に逆輸入されている。

そちらについても,ヴェクターを高校で習ったばかりの,アルファベットのアタマに矢印 → を乗っけるスタイルではなく,旧態依然とした太字体を大学教員が使いたがるものだから,手書きのなんちゃって太字を上手に描くにはどうしたらいいですか,なんて質問も学生から受けることがある。

それもググれば日本人の先輩方がブログ記事等で手書きの太字アルファベット一覧の画像付きで解説してくれているので,そういったものを自分で探して参考にしていただければよい。ただ,私はさすがに Richard P. Feynman 氏のように「自分独自の記法を発案してもいいですよ!」(<a href="https://www.feynmanlectures.caltech.edu/II_02.html" target="_blank">You can invent your own!</a>) と学生にけしかける気はしないのだが。なお,Feynman 氏はヴェクターを活字では太字で,手書きで黒板に書いた際は上に矢印を付けていた。活版印刷の時代は,太字は活字フレンドリーであったが,矢印の方が手書きフレンドリーであった。Feynman 氏は上に矢印を付ける流儀を手書き用と考えていたようである。確かに,19 世紀末に Gibbs 氏と Heaviside 氏が現在も使われている形にヴェクター解析の記法を確立して以来,ヴェクターを表す活字は太字であって,それをわざわざ細字体の上に矢印を付す記法に変更する必要はなかったであろう。上に矢印の記法の方が,先に手書き界から活字界に逆輸入されたものと思われる。こういった記法の変遷についても Crowe 氏の ``A History of Vector Analysis'' に書かれているかもしれないが。

 

ギリシャ文字の発音の話に移ろう。

 

少なくとも,古代ギリシャ語風の発音,現代ギリシャ語の発音,そして英語風の読みの 3 種類がある。もちろん,他の言語独自の読みもあるに違いない。

 

そこで,ネイティヴの発音にこだわった場合,古代読みか現代読みのいずれに焦点を当てるべきかが悩ましい。

 

例えば β はかつてカタカナ表記のベータに近い発音だったそうだが,現代はヴィータ (veeta) に変わっている。

 

また,δ はデルタだったそうだが,現在はゼルタに近い,いわゆる濁った th 発音になっている。

 

他に,μ や ν はもともとミューやニューだったものが,ミー (me) と二― (knee) と発音する。

 

このように結構大きな変遷を経てしまっているので,どちらがよいのか悩んでしまう。

 

ところで,ネイティヴ発音の他に英語読みについて触れたのは,国際会議などにおいて英語で発表する際には英語読みに従った方が自然であろうという考えが背後にあったからである。

 

そのような配慮をした場合は,古代か現代かの問題に煩わされずに済むし,現在国際的に広く受け入れられていると思われる英語読みを身に付ける方が現実的であるということになるであろう。

 

こんな風に考えている最中であるため,私のギリシャ語の読みに関してはどうするかまだ方針がブレブレで定まっていないのである。

 

ただ,一つだけ強く主張したいことがある。

 

それは,日本独自の読みは控えようという提言である。

 

ε はエプシロンであってイプシロンではない。

 

いまだに初学者向けの入門書で ε の読みを「イプシロン」と表記している書籍が新たに出版され続けているが,微分演算子の &prime; をダッシュと読む旧弊と共に,令和の時代のうちに完全撤廃できないものかと画策している。

 

今のところ私にできることといえば,自分の教え子たちにそのことを訴え続けることしかできないが,高校の 2 年間ほどしか「ダッシュ」を使っていないはずにも関わらず,「プライム」読みへの改宗には全くと言ってよいほど成功していない。

 

けれども,あきらめることなく,希望を持ち続けて布教活動に勤しもうと決意を固くする次第である。

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