竹内薫,99.9%は仮説 思い込みで判断しないための考え方,光文社新書241,2006.
いわずと知れたベストセラー。
内容は面白く,1ページあたりの字数も少なくて,とても読みやすい。
じっくり考え込むと頭がこんがらがってくる話題だらけだが,表面的にざっと一読するなら一日で済む。
この本のおかげで,飛行機が飛ぶ原理が未だ科学的に解明されていないことを知った。
僕自身,「翼の上部と下部を通る流れが翼の後部で合流する」という説明を胡散臭く感じていたが,このことに本気で異を唱える専門家が最近現れたそうだ。
そうした腑に落ちない「ゴマカシ」をきちんと追求することはとても大事だということをあらためて気付かされた。
そういえば,最近読んでいる本は,そう気付かせてくれるものばかりである。
それは偶然ではなく,どうやら無意識のうちにそういう本ばかり探して手に取っていたらしい。ここ数日はなんだかそういう反省気分なのだろう。
なお,僕自身が他に抱えている高校物理で出てくる怪しい仮説は,波動の単元で気柱の共鳴を説明する時の「開口における空気の圧力は外気圧に等しい」という境界条件である。
そう言っておきながら,脚注などで,実際には「開口端補正」という修正が必要だと述べられている。
その開口端補正は経験上必要なのだろうが,それを理論的に説明できるものなのかどうか,教科書の記述を見ただけではさっぱりわからない。
どうやら,
湯川秀樹,田村正平共著,物理学通論 上巻 増訂版,大明堂,1973
という高校時代に古本屋で買った物理の古めかしい教科書(なにしろ,タイトルの「物理学」の学は旧字体で書かれている)の p.344 には
ということなので,開口端補正を算出する理論が提案されているらしいことがわかる。
ネットで誰か解説してくれていそうな気がする。音響学などの音の科学に関する文献には載っているのだろうか。調べることが一つ増えた・・・。
※補足。ネットで検索したら真面目に考察している人がやっぱりいた。
http://waveofsound.air-nifty.com/blog/2004/09/_0_.html
実験データをアップしている人もいるようだ。次のはその一例:
http://gakusyu.shizuoka-c.ed.jp/science/ronbun/0303/033014.pdf
http://tanufue.cocolog-nifty.com/tanuki/2005/03/post_8.html
話を表題に掲げた本に戻そう。
この本では科学哲学が紹介されており,巻末に挙げられている科学哲学の参考書も読んでみたくなった。
世の中のほとんどの事柄は「理論的に論証不可能である」という考えは中学時代にすでにそれとなく気付いていたし,物理学や数学の立場等について大学生の時に先輩達から教わっていたので,この本の主張はすでに僕自身が了承していることばかりであった。従って大したインパクトはなかった。
ただ,個々の話題,例えばロボトミー手術や相対論の考え方などは知らなかったことも多く,大変勉強になった。何しろ,「科学とは何か」という定義も満足に答えられない状態だったのである。
多くの話題の中で非常に興味をそそられたのは,5つのクォークからなる物質,「ペンタクォーク」の存在確認の話である。議論に白黒決着はついたのか,というその後の進展が気になって仕方がない。ネットで検索した限りではまだ結論は出ていないようである。
他に,科学につきものの「実験」という行為における仮説の役割についても気になっている。
例えば乾電池の電流を電流計で測定したとしよう。
電磁誘導を利用したアナログ式の電流計は,「磁場の強さが電流の大きさに比例する(のではないかもしれないけど,よく知らないので,例えばの話)」といった仮説に基づいて設計されている。
その上さらに磁場の反発力をばねによってメーターの振れに変換してようやく「電流の大きさ」というものを人間が読み取れる形に提示するわけである。
では,この仮説「磁場の強さが電流の大きさに比例する(間違いかもしれないけど)」それ自体を検証するにはどうしたらいいのだろうか?
この仮説を検証するためには,磁場の測定器だけでなく,電流計も必要になるだろう。
あれ?
「電流計の動作原理を検証するために電流計が必要になる」とは,これでは「ニワトリと卵」じゃないか!
というわけで,科学の方法,もっと具体的には「計測」という行為は仮説の上に仮説を塗り重ねるということではないかと思い至る。
ある物理量を測定する,ということは一体全体どういうことなのか。
この辺のことはきっと科学哲学者が考えているに違いない。そしてもちろん,計測工学などに携わる人たちにとっても常識だろう。
というわけで,この課題はおいおい調べていくことにする。
さて,この小文を本書 p.236 の著者からの謎かけに対する僕の答えを記して締めくくろう。
答えは,「否」。理由は全然ちゃんと考えていない。とりあえずなんとなくそう思うだけ。
この謎についてもいずれきちんと考えようと思う。
いわずと知れたベストセラー。
内容は面白く,1ページあたりの字数も少なくて,とても読みやすい。
じっくり考え込むと頭がこんがらがってくる話題だらけだが,表面的にざっと一読するなら一日で済む。
この本のおかげで,飛行機が飛ぶ原理が未だ科学的に解明されていないことを知った。
僕自身,「翼の上部と下部を通る流れが翼の後部で合流する」という説明を胡散臭く感じていたが,このことに本気で異を唱える専門家が最近現れたそうだ。
そうした腑に落ちない「ゴマカシ」をきちんと追求することはとても大事だということをあらためて気付かされた。
そういえば,最近読んでいる本は,そう気付かせてくれるものばかりである。
それは偶然ではなく,どうやら無意識のうちにそういう本ばかり探して手に取っていたらしい。ここ数日はなんだかそういう反省気分なのだろう。
なお,僕自身が他に抱えている高校物理で出てくる怪しい仮説は,波動の単元で気柱の共鳴を説明する時の「開口における空気の圧力は外気圧に等しい」という境界条件である。
そう言っておきながら,脚注などで,実際には「開口端補正」という修正が必要だと述べられている。
その開口端補正は経験上必要なのだろうが,それを理論的に説明できるものなのかどうか,教科書の記述を見ただけではさっぱりわからない。
どうやら,
湯川秀樹,田村正平共著,物理学通論 上巻 増訂版,大明堂,1973
という高校時代に古本屋で買った物理の古めかしい教科書(なにしろ,タイトルの「物理学」の学は旧字体で書かれている)の p.344 には
(開口端補正の)決定については Helmholtz や Rayleigh の計算がある。
ということなので,開口端補正を算出する理論が提案されているらしいことがわかる。
ネットで誰か解説してくれていそうな気がする。音響学などの音の科学に関する文献には載っているのだろうか。調べることが一つ増えた・・・。
※補足。ネットで検索したら真面目に考察している人がやっぱりいた。
http://waveofsound.air-nifty.com/blog/2004/09/_0_.html
実験データをアップしている人もいるようだ。次のはその一例:
http://gakusyu.shizuoka-c.ed.jp/science/ronbun/0303/033014.pdf
http://tanufue.cocolog-nifty.com/tanuki/2005/03/post_8.html
話を表題に掲げた本に戻そう。
この本では科学哲学が紹介されており,巻末に挙げられている科学哲学の参考書も読んでみたくなった。
世の中のほとんどの事柄は「理論的に論証不可能である」という考えは中学時代にすでにそれとなく気付いていたし,物理学や数学の立場等について大学生の時に先輩達から教わっていたので,この本の主張はすでに僕自身が了承していることばかりであった。従って大したインパクトはなかった。
ただ,個々の話題,例えばロボトミー手術や相対論の考え方などは知らなかったことも多く,大変勉強になった。何しろ,「科学とは何か」という定義も満足に答えられない状態だったのである。
多くの話題の中で非常に興味をそそられたのは,5つのクォークからなる物質,「ペンタクォーク」の存在確認の話である。議論に白黒決着はついたのか,というその後の進展が気になって仕方がない。ネットで検索した限りではまだ結論は出ていないようである。
他に,科学につきものの「実験」という行為における仮説の役割についても気になっている。
例えば乾電池の電流を電流計で測定したとしよう。
電磁誘導を利用したアナログ式の電流計は,「磁場の強さが電流の大きさに比例する(のではないかもしれないけど,よく知らないので,例えばの話)」といった仮説に基づいて設計されている。
その上さらに磁場の反発力をばねによってメーターの振れに変換してようやく「電流の大きさ」というものを人間が読み取れる形に提示するわけである。
では,この仮説「磁場の強さが電流の大きさに比例する(間違いかもしれないけど)」それ自体を検証するにはどうしたらいいのだろうか?
この仮説を検証するためには,磁場の測定器だけでなく,電流計も必要になるだろう。
あれ?
「電流計の動作原理を検証するために電流計が必要になる」とは,これでは「ニワトリと卵」じゃないか!
というわけで,科学の方法,もっと具体的には「計測」という行為は仮説の上に仮説を塗り重ねるということではないかと思い至る。
ある物理量を測定する,ということは一体全体どういうことなのか。
この辺のことはきっと科学哲学者が考えているに違いない。そしてもちろん,計測工学などに携わる人たちにとっても常識だろう。
というわけで,この課題はおいおい調べていくことにする。
さて,この小文を本書 p.236 の著者からの謎かけに対する僕の答えを記して締めくくろう。
答えは,「否」。理由は全然ちゃんと考えていない。とりあえずなんとなくそう思うだけ。
この謎についてもいずれきちんと考えようと思う。