担当授業のこととか,なんかそういった話題。

主に自分の身の回りのことと担当講義に関する話題。時々,寒いギャグ。

力積とか運動エネルギーとか角運動量とかに関する断想。

2024-05-26 19:10:11 | physics
久々に「力積」という言葉を耳にした。懐かしく感じた。

いわゆる Newton 力学での質点の運動は,Newton 方程式

ma=f

によって記述されるという。

もちろん,これは慣性系においてのみ成り立つ,という但し書きが付く。

いきなりわき道に逸れるが,その「慣性系」とやらの定義は難しいのではないかと思われる。

数学の公理論的な扱いに従うと,「慣性系」というのは無定義語として扱う他ないのではなかろうか。

その話はおいておいて,Newton 方程式に戻ろう。

これは質点の運動の時間発展を記述する微分方程式であるが,そういえば左辺の物理量には特別な名前が無いように思われる。

あと,質量 m の役割は,ここでは同じ力であっても,質点の速度変化に及ぼす影響が質量によって異なる,といった効果をもたらすもの,という観点に立つと,質量の逆数 1/m を前面に押し出した

a=(1/m)f

の形式の方が適当ではないかという気がしないでもない。

この形式ならば,力の大きさが同じであれば,質量が大きいほど質点は加速されにくい,という解釈がしやすいであろう。

ただし,これだと左辺と右辺のどちらにも質点に固有の物理量が散らばり,却って現象を理解し辛くするきらいがあるかもしれない。

実際,現代物理学においては運動方程式といえば最初に提示した方を指すのが普通である。

そして ma は,運動量と特別な名前を与えられた p:=mv の時間変化率と捉えられる。

量子力学に至っては,運動量は位置 r と対をなす基本的な物理量として認識されている。

場の理論に至っては,「場の運動量」なる概念まで現れる始末であるから,「物理学は運動量が大好きなんですね~」と言っても物理屋さんに怒られることはないであろう。

さて,件の力積であるが,質量 m が時間に関して一定であるという仮定の下で,運動方程式の両辺を直に時間変数 t で積分することで,

pafter-pbefore=∫fdt

のように表されることになる。あるいは,微分形で

dp=fdt

のように書き,右辺を時間 dt 内に力が質点に及ぼした力積と名付け,それが質点の運動量の変化量に等しい,と言い表される。

そういうわけで,質点の運動の変化を知りたければ,力の及ぼした力積を求めよ,というスローガンが確立される。

これはベクトル量のまま,微分されたものを積分しただけなので,元の運動方程式と論理的に等価であるといえる。


それに対して,力学的エネルギーの変化量に関する等式を導く操作は,運動方程式の両辺に速度 v を内積してスカラー量に落としてしまってから時間に関する積分を行う。

これを積分手前の微分の等式で表すと

(1/2m)dp^2=f•vdt

となるが,右辺の vdt は変位 dr と書き換えられるため,

d(1/2m)p^2=f•dr

のようになる。ここで,左辺に 1/m がはみ出してきたところが気にならなくもないが,それもここではスルースキルを発揮することとして,左辺には質点の運動エネルギーの変化量という新しい名前が付けられ,右辺には「力の場」の中で質点が dr だけ変位した時に「力が質点になした仕事」という,これまた新しい呼び名が与えられることとなる。

なお,こうした新概念を導入していく行き方は,数学では考えられない事態である。

例えば質点の速度は位置の時間変数に関する導関数であり,加速度は第 2 次導関数に過ぎない。これらに与えるべき特別な名称は数学が提供する語彙には見当たらないのである。

物理学では仕事率と呼ばれる f•v というものも,数学的には単にベクトル値関数 f と,ベクトル値関数 r の導関数との内積であるとしか言い表しようがない。

物理学においてはわざわざ導関数などに特別な思いを込めた名付けを行うことで「物理学的世界観」を色付けしていくわけである。

そしてどういった物理量に新しい「色」を付けるかについては,それが物理学的な世界を記述するのにどの程度有用であるかという指標が当然のことながら重要となる。

現在生き残っている古典物理学の基本的な用語は,特に 18 世紀と 19 世紀の理論の発展の過程で淘汰され,洗練された「物理学語」の結晶であると言えるが,それは同時に,物理学を駆使する者たちに対する足かせともなっていることであろう。それがどの程度物理理論の発展に影響を与えているのかは,こんなことは今初めて思いついたばかりなので,私には何一つわからない。

こんな風に運動方程式をあれこれ数学的に合法な操作でいじっていけば,他にもたくさん物理的に意味のある新しい物理量が見出されるかもしれない,とわくわくしてくる。

そんな物理量の一つは,3 次元 Euclid 空間のみの特権といえる,ベクトルの外積(ベクトル積,クロス積とも呼ばれるが,どうやらクロス積という呼び方が一番無難らしい。だが,ここでは内積と対にしてあえて外積と呼ばせていただく)という計算操作によって見出すことができる。

先ほどは内積を試してみたわけだが,ならば外積はどうだ,というわけである。安直であるが,こういう行き方もまたアリではなかろうか。

外積には掛け算の順序がある。いつの頃からか,r×p のような順番が標準となった。主に Hamilton の四元数の理論から内積と外積の概念を分離・抽出し,19 世紀末にほぼ完成形となっていた古典力学を中心にベクトルを用いた記述を試みた Gibbs あたりが嚆矢であろうと思われる。Heaviside はおそらく力学にはほとんど言及せずに電磁気学の理論の記述にベクトル記法を用いていたのではなかろうか。

位置を運動量の左から外積した L:=r×p は運動量のモーメントという位置付けであるが,それは固有の名称を持ち,角運動量と称される。

ちなみに,日本語では運動量とだけいうが,英語では linear momentum という。角運動量は angular momentum である。なぜ角運動量を <strogn>L と表したりするのかは謎である。それだとどちらかというと linear momentum っぽいではないか。それをいうなら,そもそも運動量をなぜ p で表すのか,そこから反省せねばなるまい。

運動量の方を線運動量とでもいうべきであろうと思うのだが,おそらく日本が欧米に近代科学を学んだ時期にいろいろ邦語での術語が提案されたことであろうが,今では「運動量」としかいわない。

そして憶測に憶測を重ねれば,運動量の方がまず先にあって,角運動量の方はそれから派生した「副概念」という格付けが背景にあるのやもしれぬ。

ところで,モーメントはかつて「能率」という語が用いられていたはずであるが,片仮名で「モーメント」と書かれるのが今や主流と思われる。

ちなみに,能率であろうがモーメントであろうが,私にはいま一つピンと来ない,よくわからない用語・概念である。

それはともかくとして,運動方程式の両辺に r を外積する,というのとはちょっと異なるのだが,どちらかというと r×p を時間変数 t で微分すると,平行なベクトル同士の外積はズィロゥ・ヴェクター (zero vector) になるという特殊事情により,その導関数は元来積の微分規則によって 2 種類の項の和になるはずが,項が一つ消滅してしまい,r×dp/dt だけになってしまう。

これと運動方程式 dp/dt=f とを合わせると,角運動量の時間変化率は力のモーメント N:=r×f に等しい,という「定理」が得られる。

これは,そう,運動方程式と外積や微分といった数学的な計算規則から導き出される数学的な定理なのである。だが,物理学においてはこれは「法則」として認識されているのではあるまいか。

あ,そういえばモーメント類は自由な雰囲気の速度ヴェクターを用いるのではなくて,縛られている感じの位置ヴェクターを使用して定義されるため,「どこを位置ヴェクターの原点に取ったか」という情報も明記しなければならない。つまり,座標原点を取り換える観測者の視点の切り替えに左右されてしまう物理量なのである。

そもそも力なるものも,実際には「作用点」に働く作用であるはずだから,なんとなく自由ではなくて束縛されている感じのヴェクター量に思えるのだが,着目している質点に突き刺さっている,もしくはそこから生えている力 f は,観測者が座標原点の位置をずらしたとしても,ある意味質点に張り付いたまま一緒に平行移動するため,座標原点のずらしの影響を受けないと考えるもののようである。

物理学者のいうヴェクターというのは,数学の線型代数に出てくるヴェクターほど単純な代物ではなく,ある意味,複雑怪奇な概念に思えて仕方がない。そのため,位置ヴェクターやら速度ヴェクターやらと,やたらと「ヴェクター」を使うのはやめて,単に位置,速度と言い表した方が良いように思う。

そこら辺も高校でヴェクターを習って以来,ずーーーーーーっともやもやし続けているので,死ぬまでに一度は本気で交通整理を試みたいテーマである。

そういう意味では,Hamilton の四元数の Lectures あたりに一度は目を通す必要があるように思っている。と思いながら全然読んでいないのだが。

運動エネルギーの変化率と力のした仕事の関係を得たときは内積でベクトル量をスカラー量に落としたため,ベクトルに内在した「向き」という情報が完全に欠落した。

角運動量などのモーメントを考える際も,位置ヴェクターに平行な成分の情報は落とされる。

ところで,ちょっと気になることなのだが,運動エネルギーと角運動量を知れば運動量が完全に再現されるであろうか,ということである。

ところが,残念なことに,

・運動エネルギーは,運動量と運動量の内積の情報で出来ている。

・角運動量は,位置と運動量の外積で出来ている。

という状況であって,どちらも素材に運動量を用いているものの,内積するヴェクターと外積するヴェクターとして別のものを用いてしまっている。

これは実に遺憾である。もはや物理から離れて数学的な整合性のみを重視するならば,

運動量&bullet;運動量,

運動量×運動量

などにすべきであるが,後者は常にズィロゥ・ヴェクターであって,無意味になってしまう。

ぐぬぬ・・・。

では,

位置&bullet;運動量,

位置×運動量

としてはどうであろうか?

前者の物理学的な意義は不明である。せっかく運動エネルギーが座標原点の取り換えに関して不変であったのに,その利点を失うこととなってしまう。

運動エネルギーと角運動量を同格の物理量として再定義しようという試みはあっさりと潰えてしまった。

これはこれで悔しいし,残念なことである。

運動方程式から派生した運動エネルギーの変化率と角運動量の変化率に関する「定理」から,逆に運動方程式を再生する試みについては,まだ全然真面目に考えていないので考察はここまでである。

こういった観点で力学の基本法則を見直してみるのもまた一興ではないかな,なんて考えてみたり,みなかったり。

あと,これら以外の運動方程式の「いじり方」があるのかないのかについては,解析力学や,そういった枠組みの中で変分原理によって浮かび上がる Noether の定理という奥深い理論が(おそらく完全な)解答を与えてくれるに違いない。
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エネルギーと力のモーメント。

2024-05-05 21:08:44 | physics
産総研が配布している SI 単位系の布教パンフレットをざらっと眺めていたら,力のモーメントの単位は SI では N・m であって,これはエネルギーの単位 J と次元が同じだけれども,力のモーメントの方を J と書くことはありません,みたいな注意が書かれていた。

確かに!

言われてみればそうかも~!

物理量としての次元が同じであったとしても,出どころというか,使いどころというか,両者は別物だもんねぇ。

これはベクトルで考えるとしっくりくる。というか,ごまかせそうである。

力がどういった意味でベクトル量なのか私は最近わからなくて悩んでいるのだが,それはともかくとして,それが動点から生えているとして,動点から生えているもう一つのベクトルである変位と力の,いわば互いに平行な成分同士の積が力学的な仕事であり,それをなすのに必要なエネルギーである。それに対して,物体の回転運動にもたらす力の効果を表す力のモーメントの方は,変位と力の互いに直交する成分同士の積に相当する。前者がいわゆる内積であり,後者はいわゆる外積とかベクトル積とかクロス積と呼ばれるアレである。

前者は余弦で後者は正弦,あるいは Hestenes らの幾何代数 (geometric algebra) でいうところの正射影 (projection) と反射影 (rejection) である。つまるところ,ヨコ成分を使うか,タテ成分を使うかの違いがあるのである。

物理量たちが作る代数系についても不勉強でまるでわかっていないのだが,こういったそもそもの物理量としての平行成分と垂直成分のような区分も単位演算の体系に取り込めないものだろうか。それとも,それは単位の体系ではなく,物理理論本体の方で展開すべき事柄であろうか。

なお,同じ単位に属する量の間には加法というか,和が定義されるのが普通である。同じ次元の量同士の積も,力学理論に限っても当然のように現れる。問題なのは,掛け算までしかできない環 (ring, algebra) なのではなくて,除法も当たり前のようにじゃんじゃん現れる体 (field) だということである。結構独特な数学的構造を醸しているように思われるので,私にはよくわからないのである。

ところで,反射影 (rejection) という用語に対しても思うところがある。否決とか拒絶といったキツい意味を連想させる rejection ではなくて,もっと柔らかい cojection「余射影」なんかの方がよかったんじゃないかなぁ。cojection なる単語は造語である。だからこそよい,という感覚は一時代前の日本人のそれであろうか。
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教え方の参考になりそうな資料。

2024-05-05 20:28:13 | Weblog

新興社啓林館の河合塾・大竹先生による先生方のための徹底入試対策講座は実に 139 回分もの記事が掲載されていて,いろいろと参考になりそうである。

 

そのサイトは高校数学における複素数の極形式とはどういうものかを確認しようとあれこれ調べていた際にヒットした。

 

学生の指導の仕方というか,教え方というか,学生に分かってもらえるような話し方などについては,大島利雄先生の大学における数学教育の問題点と工夫という論説も最近見つけた。こちらは冒頭から読み続けるのが辛くなってくるようなエピソードに満ち満ちていて,読んでいて辛くなってくる。だからあまり読み進めていない。最初の部分は大島先生ご自身の学生とのやりとりの例があれこれ出てくるのだが,似たような経験は私もたくさん心当たりがあるので,読んでいて「わかりみ~」と共感しか覚えないのだが,そういった現実をあらためて突きつけられるのが辛くもある。

そういう意味ではファインマンさん本のどれかに書いてあったブラジルの学生の物理の学び方についての感想や,深谷賢治先生の『数学者の視点』で語られているアメリカの大学で教鞭をとった際の体験談(3 クッキングコース)など,ある時代の海外の一大学の実態とはいえ,直視するのが辛い現実の報告の例であり。似た話は現在では枚挙に暇がないであろう。

 

この記事を書くにあたって大島先生の資料を再検索したところ,相転移 P 氏のアーカイブコンテンツに,彼自身が体験した思い出と共に紹介されているのを見つけた。

 

彼とはもうかれこれ二十年は会っていないのだが,元気でやっているだろうか。ぜひともそうであって欲しいものだ。

そういえば,肝心の極形式というのは,複素数 z を z=|z|cis(arg(z))

のような形式で書いたものだそうだ。|z| を r,arg(z) を θ のようにおなじみの記号で書けば z=r(cosθ+i sinθ) のことである。この括弧の中身をコンパクトに cisθ と表すのは,私が知らないだけかもしれないが,日本では全く見かけない。19 世紀前半のアイルランドでは Hamilton がその著書だか論文だかで「この頃は cisθ のように書くことがある」みたいなことを述べているそうなので,このセンス抜群の略記法は Hamilton よりも前の世代に遡れるものらしい。19 世紀の前半以前であれば Cajori の本でカバーされているはずなので,機会があったら探してみよう。日本で cis を導入するとしたら高校の「複素数平面」の単元しかない。大学に進学するとたいてい 1 年次の微分積分学の講義で Taylor 展開やら MacLaurin 展開を習った際,Euler の公式も紹介されるであろうから,それ以降は極形式を z=re と書けば済む話となり,cis の出番がなくなってしまう。

電気回路理論においては z=r∠θ のようにも書くそうだ。これは極座標を,2 つの実数の組だということで,数学の正規の記法に従い,(r,θ) と記すより好ましいと思う。ちなみに,角を表す記号 ∠ は日本の初等教育で使われているが,世界標準を謳う ISO やそれを翻訳しただけの JIS では扇形みたいな見かけの記号を使うことになっている。それは Unicode に取り入れられているのだが,こうしてブログで書こうとすると環境依存の記号扱いになってしまう。古いブラウザだったりすると ∢ は表示されないのかもしれない。扇形というよりもヒトの顔を横から見たときの目にそっくりである。目玉のおやじは瞼がないので,目玉のおやじの横顔とは似ても似つかない。

ところで,r∠θ という記法はすぐれていると思うのだが,ISO 流に偏角として負の角である単位円の下半周と,正の角である上半周を合わせた -π<θ≦π の方を採用すると,θ に符号がつくときにどう書くのか,ちょっと気になるところである。√3 ∠ -π/3 なんていう書き方はアリなのかなぁ。電気工学で偏角をどのような一周にとるのか気になるところである。

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イプシロンではなくてエプシロン。

2024-05-04 14:25:05 | mathematics

大学以上の数学ではギリシャ文字をよく使う。

 

もちろん,物理学や化学など,他の理学分野でも多用される。

 

春先の新入生を悩ませるのが,それらギリシャ文字の,読み方よりもどちらかというと書き方である。

 

漢字には筆順という概念があり,小学校でひらがな,カタカナを含め,筆順が指導される。

 

ちなみに,漢字の故郷である中国でどの程度筆順が重視されているのか,非常に興味があるところであるが,全く知らない。

 

ともかく,日本ではそういった教育的な背景があり,英語のアルファベットも筆順を含めて指導を受けているはずである。

 

したがって,ギリシャ文字の書き方が気になるのは自然なことである。

 

現在は YouTube でネイティヴによるギリシャ文字の発音を音声で確認できるし,実際に筆を動かして書いている姿を動画で観ることができる。

 

私はちょうどコロナ禍の頃に,数学記号の世界標準を規定した ISO 80000-2:2019 で,自分が担当する科目においてなるべくそれに準拠した記法を用いるよう心掛けると共に,ギリシャ文字の読み方も英語読みではなく,ネイティヴに近いものを志向するようになった。

 

ちなみに,ギリシャ文字の字形や筆順は,私の手元にある日本人による 2 冊の解説書を見ても流儀の違いが見られる。最近になって YouTube でネイティヴの解説動画を数本視聴したが,やはり統一が取れていない。

 

したがって,新入生諸君に向けたアドヴァイスとしては,黒板に教員が書いたり,スライド資料やテキストで観るような活字に近い字体になるように意識して少しゆっくりめに丁寧に書き記せばそれで十分だとお伝えしたい。

 

活字の太字を手書きで再現するのが難しいため,アルファベットに数本,線の飾りを付け足して通常の細字体と区別する,いわゆる blackboard bold も,現在では LaTeX のみならず,Unicode で提供されたりして,活字の世界に逆輸入されている。

そちらについても,ヴェクターを高校で習ったばかりの,アルファベットのアタマに矢印 → を乗っけるスタイルではなく,旧態依然とした太字体を大学教員が使いたがるものだから,手書きのなんちゃって太字を上手に描くにはどうしたらいいですか,なんて質問も学生から受けることがある。

それもググれば日本人の先輩方がブログ記事等で手書きの太字アルファベット一覧の画像付きで解説してくれているので,そういったものを自分で探して参考にしていただければよい。ただ,私はさすがに Richard P. Feynman 氏のように「自分独自の記法を発案してもいいですよ!」(<a href="https://www.feynmanlectures.caltech.edu/II_02.html" target="_blank">You can invent your own!</a>) と学生にけしかける気はしないのだが。なお,Feynman 氏はヴェクターを活字では太字で,手書きで黒板に書いた際は上に矢印を付けていた。活版印刷の時代は,太字は活字フレンドリーであったが,矢印の方が手書きフレンドリーであった。Feynman 氏は上に矢印を付ける流儀を手書き用と考えていたようである。確かに,19 世紀末に Gibbs 氏と Heaviside 氏が現在も使われている形にヴェクター解析の記法を確立して以来,ヴェクターを表す活字は太字であって,それをわざわざ細字体の上に矢印を付す記法に変更する必要はなかったであろう。上に矢印の記法の方が,先に手書き界から活字界に逆輸入されたものと思われる。こういった記法の変遷についても Crowe 氏の ``A History of Vector Analysis'' に書かれているかもしれないが。

 

ギリシャ文字の発音の話に移ろう。

 

少なくとも,古代ギリシャ語風の発音,現代ギリシャ語の発音,そして英語風の読みの 3 種類がある。もちろん,他の言語独自の読みもあるに違いない。

 

そこで,ネイティヴの発音にこだわった場合,古代読みか現代読みのいずれに焦点を当てるべきかが悩ましい。

 

例えば β はかつてカタカナ表記のベータに近い発音だったそうだが,現代はヴィータ (veeta) に変わっている。

 

また,δ はデルタだったそうだが,現在はゼルタに近い,いわゆる濁った th 発音になっている。

 

他に,μ や ν はもともとミューやニューだったものが,ミー (me) と二― (knee) と発音する。

 

このように結構大きな変遷を経てしまっているので,どちらがよいのか悩んでしまう。

 

ところで,ネイティヴ発音の他に英語読みについて触れたのは,国際会議などにおいて英語で発表する際には英語読みに従った方が自然であろうという考えが背後にあったからである。

 

そのような配慮をした場合は,古代か現代かの問題に煩わされずに済むし,現在国際的に広く受け入れられていると思われる英語読みを身に付ける方が現実的であるということになるであろう。

 

こんな風に考えている最中であるため,私のギリシャ語の読みに関してはどうするかまだ方針がブレブレで定まっていないのである。

 

ただ,一つだけ強く主張したいことがある。

 

それは,日本独自の読みは控えようという提言である。

 

ε はエプシロンであってイプシロンではない。

 

いまだに初学者向けの入門書で ε の読みを「イプシロン」と表記している書籍が新たに出版され続けているが,微分演算子の &prime; をダッシュと読む旧弊と共に,令和の時代のうちに完全撤廃できないものかと画策している。

 

今のところ私にできることといえば,自分の教え子たちにそのことを訴え続けることしかできないが,高校の 2 年間ほどしか「ダッシュ」を使っていないはずにも関わらず,「プライム」読みへの改宗には全くと言ってよいほど成功していない。

 

けれども,あきらめることなく,希望を持ち続けて布教活動に勤しもうと決意を固くする次第である。

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十進数を一桁だけ順に表示する CASL II プログラム。

2024-04-29 14:52:05 | 情報系
その歩みは亀よりも遅く,そして気まぐれである。


いまや廃れた CASL II で 1 から 9 までの数字を順に表示するプログラムを作った。

これは FizzBuzz 問題の解答を作ための練習の一環である。

SAMPLE START
                LD GR0,=#0030
LOOP      ADDA GR0,=1
                ST GR0,DEC
                OUT DEC,=1 
                CPA GR0,=#0039
                JMI LOOP
                RET 
DEC        DS 1
                END

1 行目は,今回作成した一連の手続きを "SAMPLE" という名称で呼び出せるようにしている。

2 行目は GR0 という汎用レジスタに 16 進数で 0030 と表される数を格納している。
CASL II では 10 進数は普通の数字,16 進数は # を最初に付けた 4 桁の数字で表す。
LD は LoaD である。
また,#0030 の前に = がついているのは,それがリテラル(即値)と呼ばれるもので,GR0 に #0030 番地の内容を読み込むのではなく,#0030 という数値を直に読み込ませるためのオマジナイである。

3 行目は GR0 に 1 を加える操作を表す。ADDA は算術加算 (ADD Arithmetic) で,ここでもアドレス 1 番地の内容を GR0 に加えるという意味ではなく,リテラルを用いて GR0 の値を 1 だけ増やしている。

4 行目は GR0 に,9 行目に DEC というラベルを付け,DS (Define Storage?) 命令により 1 語(16 ビット)分の領域を確保しておいたところに GR0 の内容を一時保存 (STore) している。

5 行目の OUT 命令はマクロ命令の一つで,公式の仕様で細かい規定はそれほどなされていないが,第一オペランドに記されたラベルの内容を,第二オペランドで指定された語数分だけ標準出力に出力することを指示している。これにより,シミュレータによっては出力表示部に DEC 内に格納された 16 進数に対応する文字コードの文字を 1 文字表示する。

6 行目において GR0 の内容が #0039 という 16 進数より小さいかどうかを比較している。GR0 の内容の最下位の数がちょうど表示したい 1 から 9 までの数に対応している。
そして,#0031 が文字 '1' の符号に相当し,#0039 が '9' の符号に相当するので,カウンタ変数として使用している GR0 にあらかじめ #0030 というゲタを履かせておいて,その最下位のところを 1 から 9 まで数えるカウンタの記録用紙として使用し,GR0 の内容をそのまま表示したい数字の文字コードとして使用できるようにしてある。

6 行目の判定結果が負になった場合,すなわち,GR0 が #0039 よりも小さければ,カウンタの値は 1 から 8 までのいずれかであるから,ラベル LOOP を付した 3 行目に戻って作業を繰り返す。

判定結果が初めて負でなければ,GR0 の値はちょうど #0039 に等しく,数字 9 の表示を終えたところであるから,7 行目の JMI (Jump on MInus) は実行されず,その次の 8 行目の RET 命令が実行され,実質的にこの一連のプログラムの実行は完了する。


このようにすると,カウンタ変数を 2 進表示から 10 進表示に変換する手間を省くことができる。だが,1 から 99 までの数字を表示するという次の段階のプログラムとの間の溝はそこそこ深いように思われる。

次回はその課題について考えたいと考えている。
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Peano の Principia Arithmetices.

2024-04-17 19:02:15 | mathematics
Giuseppe Peano の Principia Arithmetices はイタリア語で書かれているだろうと思っていたら,格調高くラテン語で書かれていた。

何しろタイトルページにしてからが,著者名が Ioseph Peano というラテン語表記になっているのである。

Isac Newton の Principia に倣ったということであろうか。

これで Russell と Whitehead の Principia もラテン語だったらどうしようと不安になったが,そちらは英語のようでほっとした。

Peano の書は前半の数理論理学の解説と併せても 50 ページもない。

数式というか,論理式も多いし,頑張って解読するのに無理のない分量といえようか。

そういえば日本語訳があるのではなかったかと思ったが,共立出版の現代数学の系譜 2 として,小野勝次,梅沢敏郎の二氏の手になる邦訳は,イタリア語で書かれた別の論文であったようで,そちらは『数の概念について』という名になっている。

archive.org と Google Books で見つけたので,記念のそれらの URL を記しておく。どちらも無償で閲覧/ダウンロード可能である。

https://archive.org/details/arithmeticespri00peangoog/page/n4/mode/2u

https://books.google.co.jp/books?id=UUFtAAAAMAAJ&printsec=frontcover&redir_esc=y#v=onepage&q&f=false
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約物 { } の呼び名。

2024-04-14 20:24:35 | Weblog
世界初の hello, world サンプルプログラムは, 1973 年の Kernighan 氏の手になる B 言語のチュートリアルに先立つこと 6 年,1967 年に Martin Richards 氏によって作成された BCPL のマニュアルにさかのぼるという話であるが,Denis M. Richie 氏が自身のコレクションを PDF 化したものを公開して下さっているものの,惜しいことにマニュアルは肝心のサンプルコードを述べようとしたところ (8.0 Example Program) で途切れている。

BCPL というプログラミング言語について調べようと日本語版 Wikipedia を見たところ,BCPL は世界初の弓カッコ { } を用いた言語とされる,とある。

この「弓カッコ」なる呼び方は初めて見た。言われてみれば { は弓の形にそっくりなので,その点については全く意義はない。

問題は,この呼び方が現在どの程度普通なのかということである。

ISO/JIS による数学記号の標準化文書などを見ていて,数式中に用いられる約物(区別したい記号列を囲う囲い,delimiter)に関する記述を目にすることがあり,また,LaTeX で文書を作成する際,集合を表すのに { } を用いるのが標準的であるため,カッコの中身に分数を入れたりしたときにカッコの大きさや,要素を表す見出しと,要素であるための条件を述べた本文との仕切りを表す縦線 | の長さを調節したいことがあり,それらの制御の仕方をちょくちょくネットで調べることがあり,また,行列を表すときの delimiter として ( ) を用いるのか [ ] にするかで常々悩んでいることもあり,最近はカッコの英語名まで含めて覚えてしまうほどの関心を寄せているところである。

( ) は丸括弧,parenthesis で,片仮名でパーレンとも書かれる。

[ ] は角括弧,日本のサイトでは square brackets と書いていることがあるが,英語圏では単に brackets といえばこれを指すらしい。私は子供の頃,数式を囲むとき一番外側に用いる大括弧と教わった。

< > は山括弧というそうで,Dirac 氏がかの有名な量子力学の教科書 "The Principles of Quantum Machanics" の第 3 版において本格的に導入して以来,量子論における状態ベクトルを表す標準的な記法となった bra ベクトル,ket ベクトルとして,<φ|,|ψ> のように左右に分離して単独で使われることもあり, 非線形偏微分方程式論のさらにとある一分野において,日本人が Japanese brackets と呼んだりしている(※)ものである。ちなみに,Dirac 氏の bra と ket では真ん中の c がどこかに消えてしまっているのだが,それがどういうことなのか,どこかでジョークだかなんだか,解説を見たことがあるような記憶がある。私見を述べれば,Dirac 氏は量子論で用いられる通常の数を c 数と呼び,おそらく演算子に相当すると思われるものを q 数と呼び表していたのだが,bra と ket でサンドイッチされるものは c 数よりも q 数の方が普通であるため,braqket になってしまうこととなって,いまいちおさまりが悪い。

この括弧は英語圏では angle brackets というようだ。

それでは真打ちの { } の登場といきたいが,これは現在あちこちで見かける日本語の名称は波括弧である。英語では braces といい,日本語による解説ではたいてい中括弧と記されている。弓括弧で検索したら,世界初の { } を使って記述するプログラミング言語は何だったのだろうか,という問題に関する考察を述べたブログ記事が見つかった。Wikipedia の記述はそのあたりに起源があるのかもしれない。

せっかくの休みなのに授業の準備をそっちのけでしようもないことばかり気にして調べたことを書き綴っているだけで一日が終わってしまった。

なんとか来週一週間も自転車操業で切り抜けることとしよう。

(;´д`)トホホのホ~


(※)たまたま私がその言い回しを講演中に用いている研究者として日本人の方しか見かけたことがないだけなのだろうとは思うのだが。
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お手軽数式環境。

2024-04-14 17:49:23 | 情報系
コロナ禍の時期に VSCode で手軽に数式入りのメモを作成する技能を獲得した。

その少し前から,この goo blog に対する大きな不満というか限界というか,ブログ記事内で気軽に数式表示を使いたいという願望が抑えきれなくなり,Terrence Tao 氏をはじめとする現代の名だたる数学者たちが WordPress で数式入りのブログを楽し気に執筆しておられるのを横目に見て大変うらやましく感じておったので,Mathlog や MathWills といった,日本発祥らしき数理系の記事に特化したようなブログサービスに手を出したり出さなかったりしていた。

今調べたところ,Mathlog は MathJax 系らしいが,残念ながら TikZ に対応しようと試みているものの,まだ実現していないとのことであった。ただ,私が参照した文書には日付がなかったので,実は少し古い記事で,現在は対応済みなのかもしれない。

確か私が最初に見つけたのは Mathlog だったと思うのだが,なぜかその後は MathWills に手を出した。MathWills は KaTeX を利用している。

その経験があり,VSCode でも KaTeX が使えると知り,現在ではすっかり KaTeX 派である。

ところが,KaTeX は元から TikZ に対応していないそうなので,その点が困っている。

また,VSCode では Mermaid というダイヤグラムを非常に手軽に描けるスクリプト言語も利用できるが,ダイヤグラム中に KaTeX のコードをラベルとして使用するのは難しそうであった。Mermaid の開発者が開発中と思しき記事をネットでいくつか見かけたし,"\" を含まない,例えば $y=ax$ のような通常のアルファベットや記号のみで記述できるようなものならば Mermaid のスクリプト中で KaTeX がちゃんと動いているようなのだが,$\int f(x)\, \mathrm{d}x$ みたいなコマンドは,私が試した限りではエラーが出てしまってうまくいかなかった。

TikZ で図を描きたいということならば大人しく本家の LaTeX で文書を作成すればよいといわれれば,それは至極もっともでございますけれども,例えばスマホでも利用しやすい授業資料として,文中に練習問題を仕込み,その解答を折りたたみ式ですぐそばに置いておけばとても利用しやすいのではなかろうかと考え,そのような仕組みを実現するには,HTML と LaTeX の機能をごちゃまぜにできる,VSCode で Markdown という選択肢が私の知る限り,現時点で最良なソリューションのように思われるのである。

実際にはそもそも TikZ で図を描いた経験がほとんどないし,これからも習熟度が上がる見込みは全くないのであるが,手軽な数学メモの作成にわざわざ LaTeX を使うのはどうかな,なんて余計なことを考えている今日この頃である。

そんな折,Typst なる新興勢力が存在することを知った。こちらは KaTeX やら MathJax とは異なり,そもそも TeX とは異なる組版システムらしいが,私が VSCode において KaTeX を用いた数式入りメモを作成している程度と同等のことは Typst 単体で可能なようである。だが,やはり TikZ のような描画機能はないらしい。

HTML 寄りで図を描くとしたら,一つの選択肢として SVG があろうかとも思うが,そちらは Rob Janoff 氏が提供して下さっている SVG 版の Apple ロゴに,さまざまな半径の円で齧り跡を追加して芯だけが残った "iApple" ごっこで遊んだくらいで,数式で表された関数のグラフなどを描くのは大変そうである。

そこでも素直に JavaScript に頭を下げればよいと言われるであろうが,将来的にはそうするしかなさそうだとは覚悟を決めている。

ところで,TeX に対して Typst なるものがあるように,Haskell を学んでみたいな~と前々から想いを寄せていたところ,PureScript なるものが存在することを数日前に知った。

Haskell に近い言語で,しかも JavaScript が生成できるらしい。

また,CASL II/COMET II に関連して,符号ありの数として扱う算術演算と,符号なしの数として扱う論理演算の違いというか,演算結果に関するフラグの立て方について,未だに理解が及んでいないのであるが,その悩みを解決する参考書は無いかと探しているところである。

問題はアセンブラ言語というよりも,機械語レベルというか,演算結果に応じたフラグの立て方といった,CPU の動きそのものといった極めて低レベルな部分での話題であるため,computer design ではなくて,computer arithmetic と呼ばれるジャンルの話かなと当たりを付けているところである。

1968 年に日本評論社から出版された一松信氏の『電子計算機のプログラミング』という,今からみてもはや半世紀も前に書かれた本であるが,やはりその内容はどちらかというとプログラミング技法の紹介といった感じのようなので,二進数の演算のような,プログラミング以前の話題は取り上げられていない。

その本のシリーズ第一弾に該当する『電子計算機と二進数』(1965) なる著書もあるそうなので,そちらにならば私が求めていることが書かれているかもしれないと大きな期待を寄せているのだが,あいにく,私がアクセスしやすい図書館には所蔵がない。そのため,ついつい Amaz〇n でポチってしまった。送料も含めて 1,000 円ちょっと。全然高い買い物ではないが,これ以上紙の書籍を増やしてしまってもな,という気持ちがあるせいで,やや気が重い。

実はちょうど 1968 年は Knuth 氏の生涯を賭けたプロジェクトの一つである "The Art of Programming" シリーズの第 1 巻が出版された年でもあったようだ。

CASL II/COMET II のような,今後当分顧みられる見込みがなくなってしまった絶滅危惧言語で遊ぶくらいなら,Knuth 氏がやはり精魂かけて編み出したという MMIX(エム・ミクス)を学ぶ方がうんとマシかもしれない。

ということで,このところ,3 つのジャンルで宗旨替えをしようかどうかと迷っている次第である。

KaTeX → Typst.

Haskell → PureScript.

COMET II/CASL II → MMIX/MMIXware.

なお,プログラミング言語である PureScript と MMIX にはどちらも手厚いサポートが充実している公式サイトがあるが,どちらも参考プログラムとして真っ先に挙げているのは,もちろん,Kernighan 氏による B 源吾のチュートリアルに見られる "hello, world" プログラムである。

余談であるが,たまたま行き着いた Go 言語なるもののチュートリアル・サイトで "Hello, 世界" と書かれていたのにはおったまげた。

余りに驚いて,サンプル・コードを「こんぬつは, 世界~!」に書き換えてしまったくらいである。

今どき,日本語の文字列を表示するプログラム言語は珍しくもなんともないであろうが,メニューや本文が英語で書かれたサイトなのに,見出しに「Hello, 世界」と書かれているのは,改めて見返してみても案外インパクトがあるものである。

ちなみに,我が(?)十進 BASIC なら,専用のソフトウェアを起動し,その編集画面に
PRINT "こんつぬは,世界~!"
END

と書いて実行ボタンを押せば,別窓が開いて「こんつぬは,世界~!」と表示される。事実上,1 行プログラムと言ってよいであろう。実にお手軽である!

Windows ならば Windows キー+r で cmd と打ち込んでコマンドプロンプトを立ち上げた後,
echo こんつぬは,世界~!

と入れて Enter キーを押せば,打ち込んだ文字列がそのままオウム返しに表示される。

こちらは真の 1 行プログラムである。
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ある勇気。

2024-04-14 14:26:12 | Weblog
それは決して蛮勇ではない,と私は主張したい。


20 世紀を代表する卓越した計算機科学者の一人である Donald Ervin Knuth 氏は,1987 年に Stanford 大学にて数学的な文章の書き方 (Mathematical Writing) の講義を行った。
その講義資料は,一部著作権が関与する資料を省いた形で,インターネット上で無償配布されていた(現在もそのままかもしれない)。

それは正式には Mathematical Association of America (MAA,アメリカ数学協会というのかな?) から 1989 年に出版されている。なお,その講義は録画されていたとのことであるが,どうやら現在 YouTube で視聴可能らしい。そんな時代になったのである。

その本は『クヌース先生のドキュメント纂(さん)法』と題して,日本の計算機科学者である有澤誠氏が共立出版から日本語訳を出されている。

その「訳者まえがき」において,当時の日本でも通用する英単語のカタカナ表記をどのようにしたかの方針が述べられている。できるだけ原音に近い書きかたをとるように努めた,と訳者の有澤氏は述べておられるが,video をヴィデオとすることにはしたものの,テレビをテレヴィと書くまでの勇気はもちあわせておらず,ほどほどのところでのがまんを甘受したとの旨を告白しておられる。


だがしかし,である。


有澤氏が躊躇した「テレヴィ」表記を敢行した猛者が,それより以前にいた,というわけではなく,その 8 年後の未来に現れたのである!

それは,惜しくも昨秋に亡くなられた,理論物理学者の江沢洋氏である。

岩波文庫から出ている朝永振一郎氏の『量子力学と私』の巻末に江沢洋氏による解説があるのだが,そこで氏ははっきりと「テレヴィ」と書いておられる。

その初版発行は 1997 年。有澤氏が「テレヴィ」と書くのに逡巡されていたときから,実に 8 年後の世の出来事であった。


蛇足であるが,Knuth 氏は 1938 年生まれ,江沢洋氏は 1932 年生まれで,今回話題にした三氏の中では最年長であり,有澤氏は今年の夏に 80 歳を迎えられるので,最年少である。

私は,有澤氏の逡巡も大いに理解できるという立場を取りつつも,江沢氏の生き様も見習いたいという気持ちを強く持ってもいる。

数値計算で計算結果の桁あふれのことを「オーバーフロー」(overflow) というが,原音はこんな平坦な読み方ではないであろう。

だから私は,その読みを「オゥヴァフロゥ 」と記すことを提案したい。せめて二重母音(オウ)と長母音(オー)の区別くらいは忠実に再現すべきと思うのだが,どうだろうか。

もっとも,令和になってすでに 6 年も経過したというのに,未だに日本の高校数学教育において導関数を表す記号を「ダッシュ」と読む古の伝統が頑なに守られ続けている(※)ようなので,このようなささやかな抵抗は全くの徒労に終わるであろう未来しか見えないのではあるが。

けれども,SI 単位系が改訂されてから,特に高校物理の検定教科書に広く見られた,物理量の単位を(しかも極めてマイナーな)亀甲括弧〔〕で括るという謎慣習は,すでに中学理科の段階から放逐されつつある(※※)ようなので,日本古来の風習が速やかに世界標準へと移行するかもしれない希望を捨ててはならないであろう。


(※)2024 年 4 月 11 日に,某大学の私が担当する 1 年生の微積のクラスでアンケートを取ったところ,つい一か月前まで現役の高校生であったろう学生たちが読みを「ダッシュ」としか習っていないことが確認された。

(※※)最新の某出版社の理科の教科書に物理量の書き表し方に関する細かい説明が掲載されていることを,量の理論や単位の扱いに詳しい物理学者の M 先生から教わった。
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ダッシュ目撃情報。

2024-04-10 20:33:53 | mathematics
十年近く前に,函数 f(x) の導函数を表す f ' (x) の読み方が,日本では未だに「エフ・ダッシュ・エックス」であるが," ' " は(この記事ではアポストロフィーにしか見えないかもしれないが)現代英語では prime(プライム)としか呼ばれない,というネタを書いたことがある。

その記事にはありがたいことに識者からのコメントがついて,大変有益な情報を得ることができた。

まず,日本評論社から出ている『数学セミナー』の 1985 年 11 月号の p.13 に,渡辺正氏(当時,東京大学生産技術研究所)の「「ダッシュ」と「活動寫眞」」と題する 1 ページのエッセイがあり,そこでなぜプライムを日本ではダッシュと読むのかの論考が述べられている。

渡辺氏はその疑問を知り合いのネイティヴにいろいろ尋ねたところ,第二次世界大戦のころまで英国ではダッシュと読んでいたが,大戦後にプライムと読むように変更されたのだという。

いずれにせよ,戦後生まれの若い世代(当時!)の英国人研究者はすでにダッシュと読むことを知らぬまま育っているということで,もはや古語というより死語というべきであろう,という厳しい見解が述べられている。

その記事が書かれてから 40 年が経とうとしているが,未だに日本ではダッシュが受け継がれていると思われる。とはいえ,私は高校の教育現場から離れてしばらく経つので,令和の時代でもそうなのかについてはやや不安が残る。

調査方法はいくつか考えられる。

まずは自分が担当する新入生にそれとなく聞いてみる。これが一番確実であろう。何しろ,ほとんどの学生がつい一か月前まで現役の高校生だったはずなのだから。

それに比べるとかなり間接的にはなるが,学部生くらいの若い講師による YouTube での微分積分講義を視聴することである。今の世の中,そういった動画で自主的に学習する中高生もそれなりにいるであろうから,むしろ「ダッシュ読み」撲滅委員会としては積極的に「ダッシュ読み」の監視を行うべきともいえる。もっとも,取り締まりというのは嫌な感じが付きまとうものであるが。年齢的には人生後半に入ってしばらく経つわけだから,ぼちぼち「老害」と世間から嫌がられることを覚悟のうえで「文化的」な活動に勤しまねばならないかもしれない。嫌われる勇気を奮わねばな。

さて,一昔前の英国で「ダッシュ」と読まれていたという証拠と,戦後のいつまでダッシュと読まれていたかを推察するための資料の 2 点を提供しようと思う。

Charles Babbage, 1864.



まず考古学的な文献であるが,今から 200 年ほど前の Cambridge 大学の,特に微分積分学の時代遅れであることに危機感を感じ,自主的に Analytical Society(解析協会)なるものを若い学者で結成し,大陸(フランス)の Lacroix の解析協定を英訳するなど,当時の水準での Canbridge 大学の数学教育の「世界標準化」を目差した Charles Babbage 氏の自伝的回想録 "Passage from the Life of a Philosopher"(『一哲学者の生涯からの小節集』とでもいったところだろうか。志村五郎氏の『記憶の切絵図』というタイトルを連想するが,『断片』とまではいかないかな。)の一節 (passage) にこんなものがある。Chapter IV. Cambridge のほぼ冒頭にある。

..., in the dots of Newton, the d's of Leibnitz, or the dashes of Lagrange.

Cambridge で伝統として受け継がれてきた,流率と呼ばれる,現在の導関数に相当するであろう数学的概念を表すのに使われる Newton 由来の記法とされるドット(流量と呼ばれる,函数に該当すると思われるものを表す文字の上に点を打つ。現在でも物理学,特に力学あたりで用いられている古の記法である),Leibniz(現在は t を入れずに書くのが標準的なようだ)の d,これは x の函数 y の x に関する導関数を dy/dx と書いたり,積分を ∫f(x) dx と書いたりするときに使われる,あの d のことであり,最後は Lagrange が導入したとされる,Newton のドットの変種に相当する,件の「ダッシュ」を用いる流儀と,三通りを列挙している箇所である。

Babbage 氏は Lacroix のテキストで Leibniz 流の "d-ism" に触れて感激したらしい。微分積分学の理論の習得を容易にするこの素晴らしい記法をイギリスの数学教育界に取り入れねば,という熱い情熱で解析協会の設立,そして Lacroix のテキストの英訳,出版という活動を行ったと推察される。

そういえば,自国の数学教育レベルを憂いて若き俊英たちが団結して自国の数学レベルを上げるためのテキストの編纂事業を立ち上げるというのは,Babbage の時代から 100 年ほど後のどこかの国で繰り返されたことのような気がしなくもないが,それについてちゃんとした調査は今後の課題である。

Babbage 氏らが当時まとめた報告書のタイトルは

The Principles of pure D-ism in opposition to the Dot-age of the University

という,ユーモアに満ち溢れたハイセンスなものなのだが,本当にこのようなタイトルが付けられたのかどうか気になるところである。

未見であるが,"Irascible Genius"(今風に訳すと『沸点の低い天才』とでもなろうか。怒りんぼだったそうな。)というタイトルの伝記があるそうなので,機会があれば手に取ってみたいものである。

話はズレるが,Babbage の訓として「バベッジ」と書かれるのが普通のようだが,綴り的には「バッベジ」になりそうな気がする。

Passages の意味を確認しようと思って検索したのだが,片仮名で passage の読みが「パッセージ」と書かれていた。次の成り立ちは

Babbage
passage

のように両者そっくりなので,それなら「バッベージ」になりそうなものなのだが,ネイティヴの発音はどう聞こえるのだろうか。

Babbage 氏は数学における記法の重要性についてかの有名な大数学者 Gauss 氏に書簡を送ったことがあるというエピソードもとても気になる。

また,フランスでは 1823 年だかに若き数学者 Cauchy 氏による解析教程が出版され,極限概念の取り扱いが刷新されようとしていた時代でもある。

ほぼ,同じ頃,粉屋の息子の George Green 氏が独学で Laplace の天体力学の(たぶんフランス語の)著書から学び取ったことを,当時最先端の話題であったであろう,電磁気学の数学的な理論構築の試みをまとめた冊子を自費出版 (1828) したり,チェコの哲学者 Bolzano がやはり実数の連続性だの関数の連続性だの(中間値の定理)に関する先駆的な考察を発表 (1817) したりと,まさに 19 世紀の学問が大きなうねりを伴って爆発的に発展しようとしつつあったところであった。そんな機運の中で,Babbage 氏も独自の道を進み,プログラミング可能な自動計算機の先駆けとなる,差分機械や解析機械という壮大なプロジェクトに身を投じたわけである。

それにしても,なぜ Cambridge 大学における数学理論の発展が停滞したのか,気になるところである。また,18 世紀はフランスの時代と言ってもよいほどにフランスの数学者が多数活躍したし,19 世紀の後半になっても Liouville やら Darboux やら Goursat,Hermite,Jordan など,名だたる大数学者がひしめいていたわけだが 20 世紀の初頭はドイツが数学のメッカといった様相を呈したように思われる。このような比較的短いスパンでの数学研究の主要地の変遷というものが,もし本当にあったとするならば,どういった背景によるものなのか,気になるところである。

ちなみに,Cambridge 大学の 19 世紀末頃までの数学研究の変遷については,W. W. Rouse Ball 氏の "A History of the Study of Mathematics at Cambridge" なる著作があるので,そういうものを紐解けば謎が明らかになるかもしれない。この書の 20 世紀版はちょうど 100 年ほど後に出た P. M. Herman 氏編集の "Wranglers and Physicists" かな,と思ったのだが,副題は 19 世紀の Cambridge 物理学に関する研究,となっているので,Rouse Ball 氏の物理学版らしい。

ともかく,1864 年に,英国で dash と書いても通じたであろうことが伺える資料であった。

John Backus, 1959.



私の 10 年ほど前のブログ記事にいただいたコメントには,1955 年の論文の脚注に dash と書かれているのを見かけたことがある,という,これまた貴重な情報が提供されており,それがもしかすると最後の目撃情報になるかと思われた。

だがしかし,である。

たぶんその頃,私は周期的に正規表現だの BNF だのを学び直したくなる発作を起こすのだが,その際にネットで入手した,BNF の発明者の一人と言われる John Backus 氏による報告文 "The syntax and semantics of the proposed international algebraic language of the Zurich ACM-GAMM Confarence" の最後のページ,p.132 の左の段の第 1 行に,それはあった!

If one wants to count backwards, a dash is added to i, e, g.

for all i ' ≧s

(meaning i=19, 18, ... s).


皆さん,確認されましたか?

そう,i に dash を付けて i ' と書く,という仕様を述べております。

あー,この発見を 10 年近くもの間ずっと胸に秘め続けていて苦しかった・・・!

いや,この記事のようにさっさとブログに書けばよかったのだが,どこで dash という単語を見かけたのかわからなくなって,ここ数年は何度もこの文書もしくは関連する文書を読み直しては,あれ,見当たらない・・・?と不首尾に終わって,ネタに上げられなかったんですよぉ~。

今年もまた BNF のことを思い出す発作が起きて,ようやく,久方ぶりにこの文書を再入手したので,Lagrange の dashes の話と共に記事として認めた次第である。

そしてもちろん新たな疑問も湧くけれども。

Backus 氏は生まれも育ちもアメリカらしいのに,当時もまだ dash と言っていたのか?

だがしかし,これはアメリカとヨーロッパの電子計算機学会の共同会議で協議された事柄に関する報告書であるため,ヨーロッパ圏の人々の語法を意識して dash を用いた可能性も無きにしも非ずである。

そして,この文書を最後に,欧米圏から果たして本当に dash が絶滅したのかどうか,それはもちろん,何らかの偶然に導かれた発見がなければ目撃年度の更新は起き得ないわけであるが,1959 年よりも新しい証拠が見つかるかどうか,残りの人生の楽しみの一つとしておくとしよう。

そもそも古めの微分積分学のテキストを漁っても,y ' を何と読むか,なんて文章で説明書きが見当たらないんだよねぇ。そこが悩みどころでもある。
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