日々雑感

心に浮かんだこと何でも書いていく。

彼女は所帯やつれの女から

2009年06月20日 | Weblog
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彼女は所帯やつれの女から、小野小町に変身している。

「えっ?それじゃあ、小町になり変わって、あなたが僕に話しかけているのですね。あなたが喋っているのは、あなたの思いや気持ちではなくて、小町の思っていること、しゃべりたいことを、あなたの口を借りて喋っているのですね。なんか変な気持ちがするが、、、、」

「いいえ。変でもなければ、不思議でもありません。今は姿かたちをなくした身だけど、あの時代に輝いていた私の魂は、何の影響を受けることなく、したがって何の変化もなく、もとの形です。
 
私の出自や生涯については、詳らかにしていない部分が多く、その分、時代や地方によっては、さまざまに語られていますし、また作家も好き勝手に、自分の想像によって、私を書いてくれます。私の事実と違うところもたくさん見つけますが、それをいちいち訂正してもらっても、どうなるものではないから、お好きなように想像して書いてくださって結構です。しかし私には自分のことだから、真実というものがありますよ。よくご存知の百人一首に読まれた
<花の色は、うつりにけりな いたずらに、わが身世にふるながめせしまに>
これは、古今集に載っています。読み人知らず、ではなくて、れっきとした私の作品です。」

「なるほど、あなたには、小町が乗りうつっているのですね。いや小町さんそのものですね。わかりました。今後、あなたがおっしゃることは、小野小町のことと心得て耳を傾けます。
じゃあ私の方からも、お尋ねしても良いですか。世界の3大美女の一人と謳われている、あなたは本当に美人だったのですね。」

「これは難しいお尋ねです。女は誰でも自分は美人だと、心の中で思うものですよ。だいたい、一般論として美人論はあるのでしょうが、これは主観の問題です。たとえば、顔一つをとってみても、おたふくのような下ぶくれの、笑みを浮かべた、丸顔を美人だと思う人もいれば、瓜実顔の細面のとりすましたような女性を美人だと、言う人もいる。こればかりは主観が大きく作用するので一概に超美人と言うのはどうかと思います。
 
とはいえ、世間からそのように、美人だと、思われることは、嫌なこと、迷惑なことである筈がありません。ただただ、素直に嬉しいことです。世間特に殿方に美人だと、認められていたせいか、多くの貴公子から想いを寄せられました。私としてはまんざらでもなく、多くの方々とお付き合いもしました。

中でも、伏見の深草少将さまには、ことのほか、御執心賜りまして、ある約束をいたしました。伝説となっている、百夜通のことでございます。明日1日で、思いが届くという段になって、すなわち99日目に、死ぬことによってその話は、悲劇の幕がおりるという物語になっていますが、真実は少し違います。少将さまは、男ぶりもいいし、教養もある立派な殿方でした。そんな方から、絶大な思いを寄せられて、憎う思うはずもありません。
 
百日も、私のもとへ通ってこなくては、熱意が足りないなんて思うほど、私は傲慢ではありません。ましてや熱い思いを素知らぬ顔をして、素通りする、させるほどの木石でもありません。50日を超えたころには、その誠意に、私の心もとろけました。そして、幾たびか、逢瀬を重ねて楽しみました。もちろん男女の色恋というのは、人に知られないように、隠せば隠すほど、情熱的になろうというものです。私たちは幾たびも、燃えあがったことでした。
この頃の気持ちを詠んだ歌があるのです。それは
< 思ひつつ ぬればや ひとのみえつらん 夢としりせば
さめざらましを>
あえて注釈をすれば、
あの人を思いながら寝るので、夢にみえたのであろうか。このままずっと夢を見続けていたいものを、なんといとしい事よ 
という素直な思いです。またそのときの気持ちは次のようなものでもありました。
<秋の夜も 名にみなりけり あふといへば 事ぞともなく あけぬるものを>
逢瀬の楽しさはあっという間で、いくら時間があっても足りないものですが、人生もこれと同じで、花と言われる楽しい時間はいくらあっても足りない気がします。あっという間でした。
 いくら歌才があるといわれても、心の底に潜む思いを素直に歌い上げることは、火が出るほど、気恥ずかしいものです。自分の気持ちを恋しい殿方のおもいに沿った形に言い表す事は。
 
少将さまは男子の約束は、貫いて見せると、それはそれはご自身の意志の強さをおみせになり、私もそれを、ただならぬご決意と受け止めておりました。ところが、九十日を過ぎた頃から体をこわされて、百夜通いも病のために達成できなくなりました。
 
私の方としては、そこまでしなくてもと、幾度となくお伝えしたのですが、途中で約束を違えるのは、男の恥と申されますので、私の出番は、なかったのです。
物語では、九十九日目に、夢を達成することなく、この世を去られたことになっていますが、実は、九十日を過ぎた頃から、病が篤くなり、立ち居振る舞いもままならない状態でございました。無理をなさらないように、と申し上げてはいたのです。が、病は篤くなる一方で、全復されるまでには、それから3年もかかりました。

さしもの情熱も月日の流れに流されたと見えて、いつの間にか縁は遠くなり、紅い糸が切れてしまいました。その後の消息ですが、詳らかなことは、私の手元には届いておりません。たぶん出家でもされたのではないでしょうか。その後のことは、洋としてわかりません。ただ思い出すのは、幾夜かの逢瀬の楽しい思い出だけですよ。」

「そうでしたか。よく、恋の甘酒を味わっておかれたことだ。明日のことが知れない人の身には、只今のことが、大切かと存じます。
燃えあがって、恋の花を咲かせる瞬間ほど美しいものは、この世にはありますまい。僕などはこの恋の蜜をすっただけでも、この世に生まれてきた価値が在るものだとおもいますよ。
そして恋などと言うものは当人同士しかわからないもので、外野席は文字通りカヤのそとです。

外野は自分勝手に想像をめぐらし、おもしろおかしく、また悲劇の主人公をいとも簡単に作り上げてしまいます。だから僕は才女のあなたに本当のことを聞きたいのです」

「なるほどね。私は世間で言うところの美人だったんでしょう。多くの殿方から、お誘いをうけました。こんな私のことを、よく思ってくださるなんて考えただけでも、うれしい話じゃありませんか。

気があるか、ないか、好みであるか、ないか、そんなこと超越して、私は好意を寄せてくださった殿方には、それなりに丁寧に、応対したのです。それは私の気持ちだから、私自身にしかわからないことかもしれないが、その真心の応対が誤解されて、浮き名を流す多情な女との評判が生まれたのでしょう。

またある時は、余り多くの人に言い寄られるので、どの方ともおつきあいを遠慮したことが在りました。そうしたら世間でなんと噂されたと思いますか。あれは女ではない。女の顔をしているが、きっと身体のどこかに欠陥があるのだろうといわれたのです。
全ての方々に気を悪くされないように、こちらが振る舞えば、こういう噂が立つのですね。

彼女は男嫌いだという噂ならまだしも、身体の欠陥まで想像されて
まことしやかに語られるのは、じつに悔しいことです。
世間の人々は私を外見だけで判断してました。世間というものはそんなものですかね。」
こういう話をしていると、僕は小野小町が完全に姿形をとってこの世に存在して、そして僕は今彼女と対座してリアルタイムで会話を交わしていると言う気になっていた。
 
思えば彼女が在世したのは、仁明天皇の時代だから、9世紀の中頃である。今から1200年余り昔の事である。その時間を超えて、こうして心の中で、会話を交わすことは、常識ではあり得ないことだ。しかし僕の耳には彼女の話し声が聞こえ、こうして会話をしているのだ。人間世界には不思議なことがあるものだ。僕は一人つぶやいた。

つづく