日々雑感

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枇杷の実が熟れる頃5-43

2019年07月25日 | Weblog
                枇杷の実が熟れる頃
梅雨入り
6月も中旬になると、毎日のように雨が降る。
雲は低くたれその雲に遮られて、太陽光線は地表には半分もとどかないのではないかからっと晴れた5月のさわやかな鯉のぼりの空とは大違いである。
来る日も来る日もしとしとかじとじとかで、こちらの気分までがはれやかにならない。
特に今年は雨や曇り空が続いて日照時間が短いので野菜がうまく育たないと農家がぼやいていた。
あじさいの花 は雨に濡れて美しく咲いている。

枇杷はこの時期に収穫期を迎える。卵形ほどの大きさで黄色に赤を混ぜたような色に、熟れた実は人間がとる前に、いろんな野鳥が着て、ついばんでいく。
果肉は皮をむくと、中に栗の実ほどもある大きな種が3つ4つあり、皮と種の間にある果肉が何ともいえず、おいしいものだ。
僕は自分が好きなので、枇杷をよく食べる。
この時期になりうっとしい天気になると決まって枇杷を思い出す。それには訳がある。

厳しくもかわいがってくれた、叔母が死んだのはこの時期、6月25日だった。

病院に入院していたが、抜け出して枇杷を買いに行って、病室の人と分け合って食べた。
叔母はこの世にこんなおいしいものがあるとは知らなかったと何回も繰り替えしながら、5つ、6つ食べたらしい。
だがこれが命取りになると言うことを知っていたのは多分医者や看護婦だけで本人はおそらく知らなかったのだろう。
病室の仲間の話では、枇杷が食べたいと看護婦には申し出ていたらしいが、それは体に良くないからと禁止されていたという。
気丈な叔母はよほど食べたかったんだろう、看護婦の目を盗んで、病室を抜け出し
自ら果物屋まで買いに行った。傘も差さずに、髪の毛をぬらし病室に戻ってきた姿を見て何と気丈なと同僚は驚いたそうだ。ということは、病状は相当に進んでいて、24時間ベッドに張り付いて、起きあがれない状態が続いていたからである。
よほど枇杷が食べたかったのだろう。それが死に至る食べ物だとは、知るよしもない。もしそれを知っていたら、きっと病院の目を盗んでまで、買いに行って食べると言うことはしなかったかもしれない。気丈な叔母のことだ。本人は自信があったのだろう。

叔母を亡くしてからいろいろ考えたが、結論は叔母のやった枇杷を食べる行為はもっともよい選択肢だったと思うようになった。