日々雑感

心に浮かんだこと何でも書いていく。

インドの女学生2 6-5

2018年04月05日 | Weblog
カーストによって職業が決められるなんて僕には考えられないことで、馬鹿馬鹿しい事だ。
欧米資本主義の原則は突き詰めていうと、安価で良質な製品を大量に作り、それを大量に販売することによって、利益を追求するということにある。それを社会システムや国家が保証しない限り、つまり、国民の一人一人が何物にも縛られず、自由に己の才能や能力を発揮 随o来る社会を作り上げない限り、インドの現状は経済発展の阻害要因になって開発はスローテンポにならざるを得ない。アメリカも、ヨーロッパも世界がしのぎを削っているときに、インドだけがその埒外にいる訳には行かない。だからインドは早急に世界に伍して行けるだけの条件を整える必要がある。それは僕が指摘したヒンズー教の負の部分以外に、ヒンズー教の教えの中にあるのかもしれん。僕には分からないが、ヒンズー教の教義の分かる人ならば、きっと見つけだすのではなかろうか。
重ねて言うが、現状は3000年の歴史をもつ差別社会が、経済発展の大きな阻害要因になっているということだ。あなたのような若い知識人が、これからのインド社会をよい意味で、大きく変えて世界の中で堂々と経済競争をして勝って、インドを経済的に豊かな国にしてほしい。」 と結んだ。
宗教については彼女の独断場だったが、貧困や差別を経済問題に搦めた話は不慣れなためか、彼女は聞き役に回り、特に異論は挟まなかったし、反論もしなかった。きっと世界的な情報化環境のなかで薄々気がついていたのだろう。
・             おばはん

先程からデブのおばはんは僕の目も気にしないで、太い胴回りの、脂肪の塊のようは体を、僕の目の前の寝台に横たえている。どうしてこんなに太っていて、しかも行儀が悪いんだろう。男の前で見てくれとばかりに横になって、サリーの間から素肌の腹をのぞかせている。脂肪の塊がだぶだぶと波打つような中年女性を見て、僕はうんざりした。何の魅力も感じなかったけど、アーリア系の中年女性はこんな体つきをしているのだなと、それなりの興味はもった。
目の前で横になるなんて、男の僕に対して失礼ではないか、せめて座る事がエチケットだよ。それとも、肉体美を僕の前でアピールしているのか、したいのか。言っておきますがね。僕は何の魅力も感じませんよ。第一、日本には男の前で肌を見せて横たわるような女はいませんよ。仮にいたとしたらその人は無教養な人間で、だれからも相手にされないだけだ。
あんたは日本にくると先ず鼻つまみで、ブーイングだね。
僕はちょっと嫌悪感を抱いた。ところが、後で聞いた話だが、インドでは既婚の中年女・ &ォは、いま目の前に横たわっているこの婦人のように、横に太いビヤ樽みたいな女性はセクシーで、とても喜ばれるし、夫の方も、女房がそうなる事を望んでいるとのこと、
「なんと、なんと。所変われば品変わると言うが、これも文化の違いか。」
僕は妙な所で感心した。だが、これで納得という訳には行かない。インドってけったいな国だなという思いはこの国を離れるまで頭の中から離れなかった。
彼女は娘と僕の会話には全く参加せず、かといって、妹と話をする訳でもなく、じっと僕のほう1点を物珍しいというような顔をして見つめていた。
新婚当初あんなに細かった、わが家のかみさんも30年もたつと確かに横に成長してい

インドの 女子大学生とおばはん6-5

2018年04月05日 | Weblog
インドの 女子大学生とおばはん
 

バラナーシーから、デリーにいく列車は比較的すいていた。3人掛けの一等寝台車は2段になっていて、日中は下の座席に降りて、景色を楽しんだ。僕の側は僕一人で向かい側は母と娘の3人連れだった。
 バラナーシーをたってしばらく走ると、日本人の僕がもの珍しかったのか、姉のほうが流暢な英語で話しかけて来た。 聞くところによると、母と娘2人で、二人は姉妹、姉21歳バラナーシー・ヒンヅー大学文学部在学中とのこと、妹は建築の専門学校の生徒だということで、おとなしく好感が持てた。
 彼女たちはラクノウというところに住んでいて、今日は彼女の大学のあるバラナーシーへ母と妹の3人で遊びに行って、今帰るところだと言う。
姉は男勝りと云うのか、気がきついというのか、不躾に矢継ぎ早に質問してくる。
頭の回転が早く、質問は核心をついていて、鋭い。日本の経済についての話題がおおかった。英語もぺらぺらで、それはインド訛りが感じられない、いわゆる英語だった。
 習慣も風習も違うから余計なことをいって、失礼になってもいけないので、僕は自分から積極的に相手のことやインドの事 ・スずねはしなかった。
彼女は僕がビデオカメラをもっているのに興味があるらしく、「金持ちか」と聞いて来た。
僕は経済的には平均的なクラスで、上流でもなければ、下層階級でもないと説明した。
次に「サラリーマンか、もしそうだとしたら、月収はいくらぐらいか」と聞いて来た。
見知らぬ人に月収を聞くなんて、失礼な話だと思ったが、インドと日本の経済力の違いを分からせるために、正直に云った方がよいと思い、年収1000万円だといった。全サラリーマンの年収は確か700万円位のはずだ、といったら、彼女の父は48歳で学卒、銀行の支店長クラスで18000ルピーが月給だといった。18000を3倍して約6万円、12倍して70万円か。それが彼女にいわせると中流の上ということになる。僕は年間に、彼女の父の15倍の金を稼いでいることになる。
はっはっはー。インドでは僕は金持ちになった。変な気分である。日本では全然光らないのに、インドでは金持ち?だ。
それから、話は宗教の方にむかった。もちろんヒンズー教の話である。これは僕が一方的に聞き役に回った。というより知識がないから、そうせざるをえなかったんだ。話題は僕があまり知識を持ち合わせていないために、途切れ、途切れになり、ぷつんぷつんと切れた。もっと 癜ラ強して予備知識を仕入れて来ればよかった、せっかくインドの若きエリートと話が出来るチャンスに恵まれているというのに。僕は不勉強を後悔した。ただ最後に

「インドと日本が経済競争をしたら、インドは日本には絶対に勝てないだろう、その根本原因はやはり差別からくる問題、すなわちカースト制度ではなかろうか。
 遠因はヒンズー教にあるように思う。これはヒンズー教をけなして、言っているのではない。ヒンズー教は立派な宗教だ。だが差別を認め、人間の絶対平等を教えないところに問題がある。 本来人間はいろいろな能力をもっている。その能力を発揮するのに、差別社会は障害になる。差別によって萎縮したり、差別の事に精力を割いたりして弱められ、インド国民が持つ力が国の繁栄や、国力の充実にむかわないのではないか