日々雑感

心に浮かんだこと何でも書いていく。

NHKの親方

2022年02月19日 | Weblog
何?赤城の山も今宵だと。
しゃらくさい。国定忠治が聞いたら、俺のツラ汚し、
おめえは人の風上にもおけねー野郎だ。」

熊「おいおい、ハチ。何をぶつくさ言ってるんだい、」
「こんな野郎は、とっとと消え失せるがが、いい。
熊、聞いてくれるかい。
NHKの親方が、その職をやめるにあたって、取材に来た。記者たちから、心境はと聞かれて、
赤城の山も、、、、ってタンかを切ったものだ。
だから、記者たちも、国民も、それは当然のことで、巷の常識だと思った。ところが、日が開けると、
顧問として残る。という話がないか。
熊公。俺は唖然としたぜ。開いた口がふさがらないとはこのことだ。」

クマ「ほう、そうかい。それはまたおもしろいヤツがいるもんだ。時たま、こんなのが出るほうが、面白くて良いじゃないか。」

「じゃかましい。何がおもしろいのだ。世間の常識を持ち合わせていない奴が、トップで、俺達は番組を見る見ないにかかわらず、見料をとらえているんだぜ。ふざけんじゃねー。
俺は、これから、NHKの受信料は、ビタ一文も払わんからな」

「こらこら、ハチ。てめえ一人でおこって、もうしょうがないじゃないか。いったいこれはどういうことなんか。正義派を唯一の誇りにしている。先生のことだ。お前が騒ぐ位なら、きっと。先生は日記の上で、何かを論じている。はずだ。先生のところへ行こう。」


二人は先生の書斎のふすまをすっと、開けたら、先生は、よだれ出しながら、お昼寝中である。

そういえば昨晩は、珈琲を飲みすぎて、寝つかれなかった。と、朝食のときに、細君にボヤいていたから。不足分をペンを握りながらを補ってきいるのだろう。

先生の日記をのぞいた二人は、顔を見合わせた。予想通り、案の定、原稿用紙には、びっしり書いてある。赤字で、注書きを入れているところもあるが、これはきっと。キーワードが、それとも、最もいいたいことなんだろう。

先生も今回の辞任劇を自分の正義感を振りかざして、寝たきりにしているのだろう。二人は問わず語らず、そう思った。

先生の日記

NHK会長として、権力の座についていた。彼は、なぜ辞任するはめになったのか、よく理解できない。これがもし普通の民間テレビ局の会長だったら、すぐ辞任する。

権力の上に、あぐらをかいて、おそらくイエスマンをはべらせて、そのじつ自体は裸の王様になっている。ことに気がついていない、
民間企業の厳しく冷たい風にさらされていない、役所で、のうのうと過ごしたきたもんだから、世間常識がない。
すなわち、己に向かって吹いている逆風を甘く、見ている。言い方を変えると、世間をなめているのである。彼に向かって吹く逆風の原因は、国民がどんな思いで、受信料を支払っているか。ということについて、まるで無知に等しい。

庶民の側からすると、受信料そのものは、払わないですむものなら、そうしたい。よしんば支払うにしても、安い方が良いと思っている。中には、少数派だが、只見を決め込んでいる人々もいる。
これは不公平である。

受信料でもって運営されている公共放送が、いろんな理由で持って、不払いが、多くなったら、やっていけないようになる。

ペンはここで止まっているが、先生の指摘が、世間の常識に照らし合わせて、ごもっともなもので、これから先のことも、何を書くかおおよその見当はつく。

熊さんとハッツアンは、音をたてないように、ふすまをしめた。

「それにしても、熊さん。往生際の悪い奴が入るもんだね。結局なにもわかっていないんじゃないのか、。男の花道を汚して、恥ずかしくはないのかな」

「ハッツアンよ。時代が変わっているというものさ。今の日本人は、立場のある人間でも、昔のように気骨がなく、プライドもないのだろう。そんな連中が、重要な楫を取るということに自体が、日本がおかしくなった証拠だよ。

限界

2022年02月19日 | Weblog
   限界


芸術作品は、作者において、すべてを表するとしても、受け手には、そのすべてが伝わるわけではない。人は、各個性によって、生活経験によって万人万様に作品を受け止める。そして人は、己の内部に沈潜するもろもろの感情を作品を媒体にして、引き出し、自分の好みの感情にひたる。ある人は、悲しみの音楽を聴いて、悲しみの感情にひたるのであって、喜怒哀楽そのまますべての感情に包まれるのではない。そういう意味では芸術作品は一切を言いつくというのはオーバーな表現だ。


昭和1桁悲哀節o

2022年02月19日 | Weblog
           昭和1桁悲哀節


1,花も実もある青春を  軍隊にとられ殺し合い。

 殺し殺されるのもイヤだけど、お国のためと強いられて、

運良く、助かって帰国したら、家も肉親も焼きはらわれて、瓦礫の山に呆然と立ち尽くす。

2,食うや食わずの日を過ごし、闇市で、カストリ飲んで、我が身を慰めれば、朝鮮動乱特需景気で、

祖国復興は軌道に乗り、 続く高度経済成長では、産業戦士とおだてられ、馬車馬のごとく働きバチ。

オイルショックの低成長では、情け容赦なく、窓際族 。家では住宅ローンの重圧に加えて、核家族。

子供は親の老後の世話をしないという。


3,男女同権 民主主義 自由平等の名の下に、女房からは粗大ごみ扱いをされる。

 広い天下に、わずか5尺の身の置き所なし。

迫り来る人生の夕暮れ 我が過しかたをながむれば、怒りのみぞこみ上げて、悲哀の嘆き声もなし。

4,鳥なら、とんで逃げる手段あるが、鳥ならぬ身飛ぶすべもなし 。たとえ飛べども行くところなし。

これは、我ら世代の宿命か。、 人の一生とは、こんなものか。

空に居ます神や仏や先祖たち、 我らの嘆きを聞きたまえ。物言いはぬ我らが心情察しあれ。

人間不信になるのも、神仏に、手を合わせないのも、すべて失われた青春の後遺症。


奈ー良の大仏っつあん o

2022年02月19日 | Weblog
                奈ー良の大仏っつあん

クリーム色の横長の紙に、墨で縦書きにされた。4行詩がどうして私の手元にあったのか。
今もって分からない。
それはともかくとして、目に飛び込んできた奈良東大寺長老、清水公照師作の「奈ー良の大仏っつあんー、心象五景をひと目見たとき、これはいける、ものになる、と直感した。
案の定、いつもの調子ですらすらと出来上がった。詩の中にリズムがあり、テンポがある。

 猊下と尊称される天下の東大寺の大僧正という厳しい肩書とは裏腹に、なんとユーモラスな詩なんだろう。師の絵が、墨跡が、エッセイが引っ張りだこになる秘密がここにあるのだろう。まさに師そのものがそこに浮かび出ている。

おおらかさ。春風駘蕩ののびやかさ 、童心 なじみやすさ 、庶民性、それでいて博識で、威厳があり、人を引きつける。
「奈ー良の大仏っつあん」は 「奈良の大仏さん」ではなくて「 ナーラのだいぶっつあん」 である。

日本全国民から、特に関西人から敬愛を受けるこの大仏さんは 「だいぶっつあん」 で親しまれ。「」大仏さん」ではかたぐるしい。
ナーラとなると、童べ唄を連想し、子供のイメージが強く、浮かび上がるが、子供一色ではなくて、
「寂の影踏み肉(しし)盛り返す」という難句もあるところを見ると、やはり大人の童謡というべきだろうか。

悲しみ

2022年02月19日 | Weblog
悲しみ

悲しみになれ染まってしまっているのだろうか。染み付いているのだろうか。影のように付きまとう。
悲しみに染まってしまうと、人間というやつは、それから抜け出られないらしく、いつも心の中に、悲しみの風が吹く。悲しみのない方ががむしろ不自然な感じさえする。考えようだが、釈迦様の言われるように、人生とは、四苦八苦の連続で、それが底抜けに明るい人間も、灰色の人生観をもつものに変えてしまうのだろう。それにしてもだ
人生、いちどきりしかない人生をブルーですごすが、ピンクですごすか。
つまり、情報の氾濫の選択が自由にできる場合には、あくまで自分にとって都合の良い面ばかりを見て少しでも、悲しみ面を少なくするというのは生活の知恵である。
明るい面を見ようそして明るくなろう。


 女二人o

2022年02月19日 | Weblog
           女二人

日向宮崎県の高千穂にある夜神楽を見に行く途中で、二人の年配の女性と知り合った。
偶然だが、明日の朝、阿蘇山に上り、それから車で、山鹿の灯籠を見に行くという。私が神仏の歌を作っては奉納するという話をしたことから、
彼女たちは、自身の信仰の話をしてくれた。

親鸞の教えを堅く信じていて、金粉は何回も経験したという。仏壇にまいっていると、金粉が降り、経机の足の部分だけが、金粉のないまま足跡として残ったという。彼女は学校へやってもらえなかったことが未だに残念で、結婚するまでは恨んでいたという。今は、離婚して、一人働きながら、生活をして、今回久しぶりに車で、友人と二人の旅に出たという。

阿蘇駅近くのレストランで、3人で、カレーライスを食べコーヒーを飲んでさようならをした。若い人のが代金を払ってくれた。高千穂から、高森 高森から、阿蘇山頂上まで、どうしていこうか。と思案中だったから、この同行3人の旅は渡りに舟で本当に助かったし、楽しかった。

景色、車の便 阿蘇山の雄大な姿 髭のように立ち上る白煙。目を景色から心に移して見ると
そこには親鸞への信仰と金粉の話。
そのどれもが脳裏に焼き付いた。意外なところで意外な発見があるものだ。目に映る阿蘇の雄姿も良いが、人各人が持つ心の風景を知ることだって負けず劣らず、素晴らしいものだ。
それは身につまされることあり、全く同感であり、意外な発見であり、喜怒哀楽の世界をさらに広げようとする。

嵯峨野漫歩o

2022年02月18日 | Weblog
嵯峨野漫歩

 今年の連休は雨が多くて最後近くなってやっと晴れた。目的もなくただぶらぶらと歩くのなら、雨でも晴れでもどちらでもいいのに、まだ雨だ晴れだにこだわっている。
雨には雨の風情がある筈。風情を味わえないのは自分自身の問題
小倉山にも若い命が沸き立っている。それを遠くから見ると緑の固まりがもくっもくっと沸き上がっているのだ。この時期これを見ると、いやがうえにも命の躍動を感じざるを得ない。命のれフレッシュのためにも連休はアウトドアーライフを楽しむべきだ。


                   渡月橋
 嵐山駅を降りたときからおおよその推測はついていた。人の波は切れ目がない。自分もその流れに乗った。流れに乗りながら一体わたしはどこへ行こうとしているのか、このまま時間の流れに乗って行くと100年もたたないうちに、今渡月橋をわたりつつある人はこの世をさることになる。 そんなことを知ってか、知らずか、人は平気な顔をして流れている。今に生きるということは未来に無頓着になるということか。これが案外賢い生き方かも知れない。

竹林
 小柴垣に囲まれた竹林の中には木、漏れ日がキラキラ光っている。その木漏れ日に誘われて小柴垣の跨いだ。手入れが行きとどいているのだろう。草が生えてない。ところどころにタケノコがニュッと、とんがり帽子の角を出している。時折さやさやっと葉ずれの音がする。その音が何とも落ち着いていて静寂をもたらす。天然の美はここに顕示されている。

              小督の局隠棲跡

 この世は悲しいことが多い。とりわけ我が命にかけてもと、執着する対象がある時、それが奪われた失望は口で言い表せるものではない。ましてや、それが人為的に奪われるとなると、いても立ってもいられない気持ちになる。
 命を懸けてもと思う恋人との仲を裂かれて西、東 となると、想いは余計に募る。
 小督の場合がそれである。
高倉天皇との仲を清盛によって強制的に裂かれ、嵯峨野に隠棲する小督が、つま弾く琴の音には万感の想いが込められていたことだろう。そして何百年か後にその場所にたたずむ僕までが、小督の心中が伝わってくるような気になる。
 春から初夏にかけては時節が悪い。燃え立つ命の前では、到底小督の心境は味わえない。やはり夏から秋にかけて、特に秋から冬にかけて、木枯らしが吹く一歩手前、そんな季節が似合う。
 これも人生、あれも人生、すべては神の手の内か。そんな理解の仕方で僕は小督局跡から立ち去った。

ワット、プノンo

2022年02月18日 | Weblog
ワット、プノン


 昨日、単車で市内を回ったから、めぼしい物 がどこに有るか、あらかた見当をつけておいた。雨期の湿気で湯船に入ったような街を地図を片手にマイペースであちこち市内を歩きまわった。
 ワットプノンはアチャミン通りを北上して、駅の北側の道を右、つまり東側に曲がりそれを少し北に行った所に有った。小乗仏教のにおいのするお寺で、タイのそれとよく似ていた。サップ川から近く、小高い丘の上にたつ、この御堂は石段を作りそこを上るようにはしてあるが下からみると自然の盛り土の上にちょこんと建っている風情で、どこからでも上れる感じがした。
 回りは緑が濃い大きな木々によって囲まれ、その木陰は何にもまして涼しさを作り人々に安息の場所を提供していた。サップ川から時折吹いてくる川風はすばらしい清涼剤、僕はしばらくここを離れることができなかった。

 こんな所でどうして小鳥をかご一杯に積めて売りにくるのか、鳥かごを持った少年がうるさくつきまとい、なにかしゃべりかけてくるの 曹、とましく思い、僕は少々怒気をふくんだ顔をし あっちへいけと怒 った 。何回いやな顔をしても懲りずについてくる少年には堪忍がならなかったのである。最後はじっと立ち止まって彼をにらみつけた。彼は悲しそうな顔をして、うるさく騒ぐ小鳥篭をもって黙って去っていった。
1人になると、またもとの静寂は戻ったが、なにか悪いことをしたような気がして心のなかは必ずしも穏やかでは無かった。
 こんな所で小鳥を買ってどうしろというのだ、餌をやるやる訳にもいかないし、第一飛行機に乗せて持って帰るわけにもいかないじゃないか。買えばたちまちにして処置に困る僕に対してどうして買えというのだ。所詮君は小鳥を僕に売りつけて僕から金を巻き上げれば好いと思っているのだろう。君はそれでも好いけれど期待に応えたら僕は大いに迷惑をする。だから買わないのだ。心の中でなにかにひっかている僕は、そう自問自答した。いや言い訳ををした。しかしもしこの時に放生と言う言葉が思い浮かんだなら、誰かが、たとえばさっきの少年でも好い、なにかそれらしいヒントをくれていたら対応はまた違っていただろうに、悲しいかな放生ということはまるで眼中になかった。

もし昨日キリングフイールドやツールスレンを訪問しないで、大量虐殺の事実を知らなければ、僕はワットプノンはよいところだとしか書かなかっただろうが、ポルポトの所業に対し心から怒りを感じていた僕はこの世に一体、神や仏は有るのかと強い憤りに身も心も包まれていた。罪無き人々を救うことができない宗教に対して怒っていた。こんな無力な宗教ならお布施の必要が無い、生きている人を救わずして何が宗教か。僕は怒りを神や仏に向けて悪態をついた。そうでもしなかったら気が収まらなかったのである。
 
幾時間が過ぎたのか分からなかったが、袖を引っ張られて気がついた。海外旅行ではよく経験する事だ 。いつのまにか自分の横に人が立っているのだ。韓国でもインドでもそうだった。それは突然地中からわき出るという表現がぴったりで、大抵の場合結果は悪い出会いになる。またか、思わず口からチョロと言う言葉が飛び出した。

インドで繰り返し繰り返しいやほ €ど使った言葉で、あっちへ行け、という意味である。
 チョロの意味が分からない青年はつったったまま片手を出している。情けを掛けるというよりは付きまとわれてはうるさいので、100リエル札を2枚渡して立ち去る振りをした。小鳥売りの時もそうだったが、普段考えていることと、現実の場面とでは丸で違ったように振る舞ってしまう。この青年の場合もそうだ。きっと少年の時に兵隊にかり出されたか、遊んでいて地雷を踏んだかで片足を無くしたのだろう。

同じ世代に生きている者として、どうしてもっと優しくできないのだろうか。そろそろ自分がいやになってきた。
 吹く風はさわやかで、辺りは静かでのんびりしている。旅の疲れをいやすにはもってこいの場所であるにも関わらず、心の中はなにかもやもやしている。肉体的には快適でも心の中はブルーで、何ともいえない、いやな気持ちである。
 小1時間もいたであろうか、僕はまた旅人にもどった。小乗仏教はいかんな、僕は訳の分からないことを言って自分をごまかしながら、サップ川の方をめざして歩き出した。

鳩山由紀夫元首相訪中

2022年02月11日 | Weblog

鳩山氏がいかに国益を害してきたかは枚挙にいとまがない。
 彼の言動には僕の理解が及ばないところが多い。世間で宇宙人と言われるのもむべなるかなと思う。そんな彼が、中国から招待状がきたから行くという。
当節なんのことが話題になるだろうか。尖閣問題だあろうことは
火を見るより明らかである。
中国の術中にはまって、中国寄りの発言になることだろうことは誰でも推測がつく。このややこしい時期に訪中する神経が理解できない。
首相経験者でもあり、その発言は、時期が時期だけに中国寄りの言質なんて許されるものじゃない。
中国を利するだけではないか。案の定問題なしとする政府の立場を超えて問題ありと表明した。もし彼が現時点で、そう信じて尖閣問題は係争の地であると、いえばその発言は国賊ものだ。実に不愉快な発言だ。
「領有権問題は存在しない」という政府の立場を踏み外し、中国側の意向に沿う発言を行うことがどれほど国益を損なうか。まだ、わからないようだ。
それ以外まだある。オバマ会談のときはっきりとTVの前でトラストミーといった。基地を沖縄以外のところで探すから、私に任せよという趣旨である。結果は基地問題は県外という発言とは裏腹に沖縄に舞い戻ってきた。
こういう状態になるのとトラストミーは実行の伴わないものであり、アメリカの大統領にさえも嘘をついた結果になった。
これはスミマセンで済む話か?アメリカは不信感を持っただろう。ということは日米同盟にヒビを入れたことになる。
彼の言動は、私の常識から大きく外れている。それはそれで良いが、政治の場で非常識なことをされては迷惑この上ないのだ。彼は一体自分というものがわかってちるのだろうか。結論はやはり宇宙人か。それなら住むところが間違っている。まして政治の場においては。異邦人としか呼べない。


大物と並

2022年02月08日 | Weblog
二一世紀の巨人欄で山田耕筰先生が取り上げられてた。(文藝春秋)。

並と大物とはどう違うのか?あらゆる面でずば抜けているパワーの差じゃないかと僕は考える。

例えば金銭感覚である。実際に起こった話として聞いたが、コンサートの入りが悪くて、幕をあければ

大きな赤字が見込まれても、借金をものともせず、コンサートを実施する。

僕だったら大損の前に、幕を開けないで、数人の観客に入場券の倍返しをしてでも引き取ってもらう。

いくら猛獣的バイタリテイといわれても、いけいけどんどんと言う計算はできない。そういう気分にはなれない。

このあたりで大きな差が出てくる。並は常に常識を基準にして考えたり、判断したり、行動したりするから並外れたことはできない。

自伝を読むと色の道でも、死ぬか生きるか、と言うところまで相手も自分も追い詰めるところまでいく。

事実かどうかはわからないが、相手と二人で死ぬところまでいって、相手は本当に死んだらしい。

自分も同じ行動をして運良く助かったみたいである。生死の境まで行って行動できるのは巨人である

僕ならもっと手前でひきかえすか、思いとどまる。

金や色事にかんして生死の境目までいけるのは巨人であろう。巨人と凡人との差はここにある。

感心するほかはない。

春の紀州路8-59

2022年02月06日 | Weblog
 春は名のみ 風の寒さや 詩の文句じゃないけれど、弥生の風は冷たく小春日和の太陽はまだパワーがない。

とはいうもののそれは僕の感覚で、野に咲く名も知らない小さい花は春を感じて可愛い花を咲かせている。人が感じられない微妙は自然の変化を感じそれに対応しているのだ。

紀州路線で山中渓をすぎてトンネルを抜けると左手には紀ノ川沿いの和歌山平野が一望される。
思わず歓声を上げたくなる場面だ。紀ノ川に沿って上流までずっと見渡せる。電車は一気に坂道を駆け下りる。紀ノ川を渡ると和歌山は目の前だ。線路の両側に染工場が見えて電車は止まる。

和歌山は晴れ。点在する雲は春の日差しを背景に消え入るように頼りない。

紀三井寺の早咲きの桜はまだ蕾のままで何の音沙汰もなく愛想のない話だが、冷水浦迄来ると海が見える。
初めて此の景色を見たときのあの記憶がよみがえる。もう40年も昔の話だ。 小さいときから僕は海が好きだった。が、不幸なことに僕は海の無い県に生まれ育った。

いや海の見えない所と言った方がよい。だから海はいつも心の中に有り目の中には無かった。つまり海は心の中にあこがれとして存在したので有った。

そういうわけで旅をするときは、僕はどんなときも海の見える側に席を取った。
そして車窓から見える海に熱中した。何のことはない、ただ海をしっかり見るだけのことである。

ただそれだけのことだが無性に楽しかった。そして大抵の場合側には母が居た。何に感動したのか忘れたが、一心に見つめる海は何か暖かく僕を包み込んでくれるような気がした。

そんな海に限りないあこがれとノスタルジャを抱いたのだろう。
そういえば蓑島駅で知り合いになったNさんは去年ガンで逝ってしまった。Nさんは僕より5つ年上で一人子だった。何が悲しいのか知らないが今日は海を見ていると涙が出た。。彼との別れが急に思い出されて鋭敏な神経がさらにとぎすまされて鋭敏になり何かを感じたのだろう。

海風景は僕にとって癒し薬だ。緑と藍色のうえに浪が乗っかっている。波頭はしろく風の強さを物語る。それで十分癒されるのだ。不思議というほかはない。

御坊をすぎると道成寺だ。ここは昨年訪れた。団体さんご一同の中に紛れ込んだのでじっくりマイペースで心ゆくまで見学は出来なかったのでいづれ一人で再び訪れることに成ろう。

人は男女関係なくあるものに思いを寄せる。男女共通のもので最高のこだわりは恋愛ではないか。
安珍清姫のラブストーリーはこのことを物語る。男に思いを寄せる女の情念が蛇となって逃れようとする男の隠れた釣り鐘を焼き滅ぼすという何ともすさまじい女の一念をストーリーは物語っている。
こんな思いを人生途上で一度でも味わってみたいなどとたわごとをいっている自分が何とも哀れに見えてきた。

西国33カ所、観音霊場巡礼o

2022年02月04日 | Weblog
西国33カ所、観音霊場巡礼

観音霊場巡りを始めたのは、昭和55年。1978年からである。途中いつのまにが中断してしまったおかげで、死に装束としておいずるの集印は3分の2ほどで、あとは空白だった

母がなくなった時に着せたが完成品ではなかった。

約30年の時を隔てて今年2006年にまた、観音霊場巡りを始めた

納経帳と、掛け軸には集印したが、この度、再び家内と自分の分のおいずるの集印を始めた。別に死に急いでいるわけではないが、人間明日がは何が起こるか分からないから兼好法師じゃないけれど、仏道は火急の出来事と受け止めて心の中では焦っている。

一度に3から4寺にお参りするのだが なにせかせかしてゆっくりお参りはできない。一つの寺の読経が終わる頃になると、二つ目の寺が気になり、せかせかする気分になる

真夏のことで、5時といえば、まだ昼の太陽だが、5時までに寺に入らないと納経との協調の集印が受け付けてもらえないから。どーしても時間に追われておろそかな読経になる。これじゃ、集印でありじゃないかと反省もするが。これが今のお参りの仕方で、ある

心ゆくまで祈り、祈りによる満足感があってはじめてお参りした気分になるのだが。今の私には次を急ぐために、その余裕は無い。

しかも、だいたいにおいて、本堂は小高いところにあることが多く、坂道が石段を歩いて上らなくてはならない。寄せる年波に勝てないのか。近ごろは坂道は体にこたえる。

特に息が続かなく、すぐ休む。先日、お参りした札所醍寺などは往復で2時間半。しか時間がなく、普通の人が上るのに1時間は十分かかるというのに。お参りを決行したものだから、死ぬほどのつらい思いを経験した。


5時になったら、第5次の山門が閉まるから。それまでに山門まで帰りつかないと、門の外へ出られなくなる。時間を見ると、午後2時半を少々回っている。往復と納経の時間を合わせても2時間弱。

坂道を上るにかけられる時間はせいぜい1時間2分ぐらいとして、坂道を登り出したが、延々と上り坂だけが続き、息切れがして死ぬような思いをした。時間にさえゆとりがあれば、マイペースで登れるが閉門になると、外部へ出る道がなくなるので、何が何でも5時にわ山門に到着しなくてはならないので、時間による負担は歩く速度に圧力となってのしかかる。

どんなに苦しくとも予定の時間内での行動だから頑張る以外にはない。心臓が破裂しないかと思うほど、息せき切ってなんとか閉門の5次にわ門の外へ出た。そのかわり、本堂では般若心経一巻を唱えたきりで、観音経は唱えることができなかった。だから上醍醐寺の観音さまにはあいすまない気持ちだけが残った。

正直なところ、こんな坂道の続く寺ばかりだったら、次もあるのなら、もう観音参りをやめてもよいとさえ思った

 恋衣o

2022年02月03日 | Weblog
        恋衣

 最近思ったことことですが、コンピューターでは作曲は出来ないと言うこと、アレンジは確かに便利ですぐ出来ます。
最初にひらめく曲想は人間以外のものでは出来ない、ということが判ってきました。

やはりギターとかピアノを演奏(さっきょくのための)をしながら作るすることの方が便利です。

今年こそはとかけ声ばかりですが、まこと今年こそはヒットする作品を書きたいものだと頑張るつもりです。

今書いているのは、鉄幹をめぐる2人の女、すなはち晶子と山川登美子の恋愛もので、これを登美子サイドから書いてみょうと思っています。

彼女については、かなり調べたので後は、作詞して曲をつければ良いのですが、さて歌手を誰にするか、が問題です。
恋争いで晶子に破れはするが、彼に対する思いは決して負けるものじゃないと言うところを強調して書くつもりです。人間の真実なんて誰にもわかったもんじゃない。

ただ調べるほどに彼女が気の毒な運命にあったようです。僕は彼女の実家のある福井県小浜まで車で行ってきました。
1人の人間の命が掛かっている作品だけにふさわしい作品を作らなければとはりきっています。

登美子に限らず恋愛は成就したほうの数が圧倒的に少なく、人は切なく苦い思いを経験させられる方が多いような気がします。
何故なら人生は自分の思うようにならない側面があるからです。

だから登美子のことを書いても実は大多数の庶民感情をすくい上げてると考えています。どんなものが出来るか楽しみです。
人生の様相は人様ざまです。しかしなべて人生は思うようにならない上に孤独です。

これは当たり前の話しですが、気もちとしてそう思いたくありません。





長崎カステラx

2022年02月02日 | Weblog

長崎カステラ

「明日から来なさい」
僕は先生のお誘いに甘えて、午前中は先生の自宅。午後は大学へ通うようにした。
「冷蔵庫の中に長崎カステラが入っているので食べよう」
「はい」、、、前のテーブルにお皿を置いた。
「君も食べなさい」
「はい。いただきます」僕は再び席に着いた。そして長崎カステラをいただいた。
気が利かんな。カステラだったら、コーヒーなり、日本茶なり飲み物が必要なのに。 何かいわれはしないか。そう思って先生の顔を見た。
それから再度「いただきます」と言って、顔を見たら、涙ぐんでおられるように見えた。
僕は急に胸が熱くなり、涙がこぼれた。
涙をこらえながら泣いている涙顔で二人は向き合った。
カステラに寄せる先生と僕の想いは、多分同じだったんだろう。
「君。腹が減ってね。かたらちの実をくったがあれはまずくて食えなかったよ。」
幼い頃、今日食べるものにさえ、こと欠いたあの飢えた時代を乗り越えて、今こうして美味しいカステラを口にする。
子供の頃の嘘みたいに苦しんだ、頃の思い出が一挙にこみ上げてきた。
「からたちの実は不味くて食えないんだよ。北原白秋に話したら、
白秋が「からたちの花」を書いてくれた。
そこですぐ作曲して、あのからたちの花が生まれたんだよ。」
「そうでしたか。先生も若いじぶん苦しい時代をお過ごしだったんですね。僕もずいぶん飢えの苦しみを味わったが、先生。思いは一緒でしょうか。」
そこで話は終わって、カステラの方へ手が動いた。
もう五十年も前の話だが、山田耕作先生のご自宅でカステラをご馳走になった時の思い出話は、今なお鮮烈に僕の胸で輝いている。

x安珍清姫x 

2022年02月02日 | Weblog
   清姫ってストーカーじゃないの

紀州路線走ると、御坊の次が道場寺である。ここには、安珍・清姫物語伝説が、ある。

恋にくる。が女が男を追いかける。思いついたら、彼が隠れている釣鐘を恋の炎で、焼き尽くす。

何もかにも忘れて、命をかけた恋の情熱は一体どこから出てくるのであろうか。

この物語は、何を語ろうとしているのか、
1,女の恋の情念の激しさ
2,なぜそこまでエネルギーを集中して、釣鐘を焼き尽くすのが、女の内なる世界は、閉鎖的だから、一点集中したエネルギーはすべてを焼き尽くすほどのパワーを持っている。

女にかかわらず、恋という情念のもつエネルギーの大きさ。そこには、男と女という差は無いと思うが、
一点集中となると女の情念の方が、大きいのかもしれない。

命をかけてもという。望みが、押しつぶされて、解放されないの情念の塊は、今年という形をとれば、幽霊になる。
清姫は、死んでから、蛇になるのではなくて、生きて、情念の炎を安珍が隠れたとする釣鐘を焼き尽くす。

現代の清姫に、この問題を尋ねたら、彼女達は何と答えるであろうか。

安珍代わりはいくらでもいるよ。 さっさと、乗り換え、するのだね。それが、かなわないのなら、生涯独身で過ごす。

結婚しても、離婚率が高くなる現代だったら、結婚していてもいなくても大差は無い。(本当は大差がある。)
離婚したと思えば、独身でいても、なんらさしつかえない。

女の執念
清姫  おいわ  お菊