過日、FBで十方山の主要登山道全域の笹刈が終わったとの情報を得て、気になっていた
内黒峠から十方山を往復してみた。上りと山頂で登山者は私一人、味のある山域を一人占めと
思いきや下山中に地元の単独行の男性1名に出会い、簡単な挨拶を交わした。
高低差はさほどないが、いくつかのこぶ(小ピーク)を越えて山頂にたどり着くといった行程だ。
下りで最後のこぶ(彦八)を登り返すあたりは、やや足にきそうだが、焦らずに歩き、登山口に
着いた。その山容は今夏歩いた越後駒ヶ岳に似ていた。また、いくつかのピークを乗り越す
感じはアスプスの縦走路を彷彿とさせる。
山頂で10分休憩した以外は上り、下りとも着衣調整(1回)、地図読み(2回)他撮影、
コースタイム記録で立ち止まった以外は休憩も取らずに歩き終える。
山頂ではランチパック半分、水分少々、写真1枚撮っただけでそそくさと下山にかかった。
休憩が短いのは体を冷やさないため、冷やし過ぎると温めるためにエネルギーを余分消費
する。この程度のコースを1ピッチで歩くのはスタミナ温存に他ならず、大きな山を
効率的に歩く時はこういう歩き方をしている。
コースタイム 内黒峠P→彦八(30分)→藤本新道分岐(45分)→丸子頭(40分)→
前三ツ倉(35分)→奥三ツ倉(20分)→十方山山頂(25分)→奥三ツ倉(20分)→
前三ツ倉(15分)→丸子頭(20分)→藤本新道分岐(20分)→彦八(55分)→
内黒峠P(25分) 上り 3時間15分 下り 2時間35分 出発 7:30 帰着 13:30
歩行ログ(測位70m毎、往路のみ)
内黒峠登山口
オールラウンドの岳人で西中国山地の自然保護や安全登山推進に功績のあった加藤武三氏の碑
自身も加藤氏著の「広島をめぐる山と谷」登山とハイキングガイド第14集を1969(昭和44)年に
購入し活用させて頂いていた。当時地方の山のガイドブックは少なく、頼りになるのはこの本と
金光さんの新聞投稿「防長山野へのいざない」ぐらいだったと記憶している。
上り登山道途中で恐羅漢山を望む。
丸子頭の大岩
岩の割れ目に生える樹木、生命力を感じる。
冬枯れの散歩道
笹原から残り紅葉ちらり。
ブナ林の散歩道
山を歩きながら考えた。山歩きを始めてもう50年経過した。こんなしんどいことなぜ続けている
のだろうか?矛盾に満ちたこの世の中、山歩きに関しては、知識・技術の習得や体の鍛錬など、努力を
続けていると少ないこともあるけど、必ず山から、何らかのご褒美がもらえることにあるのかなと思った。
自身、人間(じんかん)や酒に酔うことは苦手だが、今日は冬枯れの山を陶酔することが出来た。
これも山からの大きなご褒美なんだろう。
私の山歩きはエネルギーロスの少ないゆっくり歩き。いざという時は数キロ全力で走れるくらいの余力は
時間の制約が無い限り、残して歩くようにしている。そのためには早発、早着は鉄則ということになる。
こういうところが亀足文太郎たるゆえん。今日も自宅を4:30に出発し、日の明るいうちに余裕で帰宅した。
若い頃の遠征は公共交通を利用し、テント泊のフル装備だったので、体力の消耗も激しく、行動食を間を
開けずに食べないとすぐにしゃりばてしていたが、現在は日帰りのフル装備がほとんどで、荷物も軽く、
ゆっくり歩きだと至極当然のことかも知れない。
だが、遠征の時などは気合が入り過ぎるのか、この鉄則が崩れることがここ数年続いている。
へろへろになって下山し、次の登山口やPキャン地に向かうことが度々あった。
サンデー毎日の年金暮らし、時間だけはたっぷり取れるはず。へろへろの時は移動せず登山口で宿泊し、
次の山へ向かう等、余裕を持った日程にしたい。
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