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僕が透析を導入してから、まだ、10年位しか経っていない。今のクリニックに来た当初は、透析施設でヘルパーの介護を受けている人は、ほとんどいなかった。
年配の人も、一人でクリニックに来る人も多く、患者会の行事にも積極的に参加する人が少なくなかった。
しかし、最近は、ヘルパーの介護を受ける患者の姿が目立つようになった。患者会の旅行などに参加していた一人暮らしの人が認知症になり、結局は今の施設で透析を受けることが出来ずに、他の対応できる病院に転院していった事もあった。しかし、認知症や、透析施設に通うことが困難になった高齢者を受け入れる病院がほとんどないのが現実である。政府も、療養ベッドを病院からなくす方針だし、受け入れる病院に透析環境がなければ、透析患者は行き場所を失ってしまう。「透析難民」という言葉も出来ている。透析患者が、静かに死を迎えることのできる施設も求められている。
また、一部の透析施設では、家族に終末(ターミナル)医療の進め方を聴き始めている所が出ている。透析を受けることも、高齢になり、体力が落ちてくると、決められた時間に透析を受けることも苦痛となるようだ。そのため、透析時間がだんだんと短縮され、最後は、透析医療を止める決断を迫られることになる。透析を止めることは、尿毒症から死への経過をたどる、あるいは、合併症から死に至る道を選ぶことを意味する。昔、宗教者が自分の死を悟った時に、食を断ち、静かに死を迎えた事が、頭に浮かんだが、透析中止は、そのままでは、静かなる死を迎えるには、程遠いだろう。
体力のある患者には、元気なうちに、少しでも透析時間を長くすることで、来るべき高齢時代に備えて貯金をするようにアドバイスする。透析をできなくなる前に、長時間透析で体力をつけておくのである。しかし、現実には、長時間透析どころか、透析時間の延長を嫌う患者も少なくない。ある患者などは、透析時間が30分延長になったことで、他の施設へ転院していった。ある意味、緩慢たる自殺行為を自ら選択したことになる。また、医療施設の事情で、長時間透析を全ての患者に提供することは、不可能なことだろう。
透析患者も含めて、死の直前1年間に受ける終末医療をどうするかは、大きな問題である。無駄な延命治療を受けるか否かの、本人及ぶ家族の難しい洗濯もある。世にいう、体中に管を付けて生かされている「スパゲッティ状態」を続けることが、人間の尊厳に反する行為なのか、難しい問題である。
元気なうちに、自分で終末医療をどうするかの意思表示を求める病院も、今後増えていくだろう。
透析患者の場合は、延命治療を拒否することは、透析を止めることを意味し、後は、苦しまない状態での死を迎える事が出来るように、医療機関に求めることになる。
患者会の仲間にも、終末期になったら延命治療を拒否するという自筆の書類を金庫の中にしまっている患者もいる。また、自分は、年をとってからは、多分死にたくない気持ちが増すように思えるので、若いうちに、延命治療を拒否する意思表示をしたいと言っている患者もいる。
透析施設にも高齢化の影響が強く出てきた。透析導入年齢も、年々高くなり、現在は平均年齢が65歳前後なのかもしれない。
人は、誰でも年老いて死んでいく、透析患者の平均寿命は、一般人と比べて短い。また、原疾患が糖尿病の患者を中心に合併症の発症も少なくない。
僕自身は、まだ、自分の終末医療に対する気持ちを決めていない。今は、生きている事に感謝して、患者会の活動や自分の好きな事をすることを中心に考えているので、死に至る時の事は考えないようにしている。しかし、同じ透析施設にいる患者の姿の変化を見ていると、明日の自分の姿とダブっていく、
一日も長生きして、医学の進歩の恩恵を受ける事が出来ることを望む気持ちの方が大きい。
※2009年12月末現在、日本透析医会データ
導入平均年齢 67.2歳(0.43歳増)
患者平均年齢 65.3歳(0.46歳増)
年配の人も、一人でクリニックに来る人も多く、患者会の行事にも積極的に参加する人が少なくなかった。
しかし、最近は、ヘルパーの介護を受ける患者の姿が目立つようになった。患者会の旅行などに参加していた一人暮らしの人が認知症になり、結局は今の施設で透析を受けることが出来ずに、他の対応できる病院に転院していった事もあった。しかし、認知症や、透析施設に通うことが困難になった高齢者を受け入れる病院がほとんどないのが現実である。政府も、療養ベッドを病院からなくす方針だし、受け入れる病院に透析環境がなければ、透析患者は行き場所を失ってしまう。「透析難民」という言葉も出来ている。透析患者が、静かに死を迎えることのできる施設も求められている。
また、一部の透析施設では、家族に終末(ターミナル)医療の進め方を聴き始めている所が出ている。透析を受けることも、高齢になり、体力が落ちてくると、決められた時間に透析を受けることも苦痛となるようだ。そのため、透析時間がだんだんと短縮され、最後は、透析医療を止める決断を迫られることになる。透析を止めることは、尿毒症から死への経過をたどる、あるいは、合併症から死に至る道を選ぶことを意味する。昔、宗教者が自分の死を悟った時に、食を断ち、静かに死を迎えた事が、頭に浮かんだが、透析中止は、そのままでは、静かなる死を迎えるには、程遠いだろう。
体力のある患者には、元気なうちに、少しでも透析時間を長くすることで、来るべき高齢時代に備えて貯金をするようにアドバイスする。透析をできなくなる前に、長時間透析で体力をつけておくのである。しかし、現実には、長時間透析どころか、透析時間の延長を嫌う患者も少なくない。ある患者などは、透析時間が30分延長になったことで、他の施設へ転院していった。ある意味、緩慢たる自殺行為を自ら選択したことになる。また、医療施設の事情で、長時間透析を全ての患者に提供することは、不可能なことだろう。
透析患者も含めて、死の直前1年間に受ける終末医療をどうするかは、大きな問題である。無駄な延命治療を受けるか否かの、本人及ぶ家族の難しい洗濯もある。世にいう、体中に管を付けて生かされている「スパゲッティ状態」を続けることが、人間の尊厳に反する行為なのか、難しい問題である。
元気なうちに、自分で終末医療をどうするかの意思表示を求める病院も、今後増えていくだろう。
透析患者の場合は、延命治療を拒否することは、透析を止めることを意味し、後は、苦しまない状態での死を迎える事が出来るように、医療機関に求めることになる。
患者会の仲間にも、終末期になったら延命治療を拒否するという自筆の書類を金庫の中にしまっている患者もいる。また、自分は、年をとってからは、多分死にたくない気持ちが増すように思えるので、若いうちに、延命治療を拒否する意思表示をしたいと言っている患者もいる。
透析施設にも高齢化の影響が強く出てきた。透析導入年齢も、年々高くなり、現在は平均年齢が65歳前後なのかもしれない。
人は、誰でも年老いて死んでいく、透析患者の平均寿命は、一般人と比べて短い。また、原疾患が糖尿病の患者を中心に合併症の発症も少なくない。
僕自身は、まだ、自分の終末医療に対する気持ちを決めていない。今は、生きている事に感謝して、患者会の活動や自分の好きな事をすることを中心に考えているので、死に至る時の事は考えないようにしている。しかし、同じ透析施設にいる患者の姿の変化を見ていると、明日の自分の姿とダブっていく、
一日も長生きして、医学の進歩の恩恵を受ける事が出来ることを望む気持ちの方が大きい。
※2009年12月末現在、日本透析医会データ
導入平均年齢 67.2歳(0.43歳増)
患者平均年齢 65.3歳(0.46歳増)