トッペイのみんなちがってみんないい

透析しながら考えた事、感じた事。内部障害者として、色々な障害者,マイノリティの人とお互いに情報発信したい。

「ヨブ記」のように怒り ブログ書込み

2008-06-13 01:16:43 | 社会
 先日触れた、赤木氏のウェブ日記。それを読み説いた杉田氏は、赤木さんが両親からの仕送りが1日遅れただけで、文字通り「ヨブ記」のように激怒し、ネット上で両親への批判を書き散らしたと指摘している。ここで言う、ヨブ記の怒りとは何を指すのか、よく分からなかった。「ヨブ記」は、旧約聖書の中の物語である。以前読んだことがあるが、指摘した箇所がどこなのか思い至らなかった。

 ヨブは正しい人で信仰心も篤かった。男の子7人と女の子3人がおり、所有する家畜も羊7千頭、ラクダ3千頭、牛5百頭、雌ろば5百等、使用人も非常に多く、幸福な生活を送っていた。
 神とサタンのやり取りがあった。神の、ヨブほど正しい人間はいないとの発言に対し、サタンは「それは、神からたくさんの祝福を受けているからだ」と主張した。そこで、神はサタンにヨブを試すことを認める。
 初めに、サタンはヨブの財産をすべて奪い、子供全員の命も取り上げる。ヨブの信仰心は、それでも揺るがなかった。次にサタンは、ヨブの健康を奪い、重病に罹らせる。彼の3人の友人が見舞いに訪れる。彼らは、神が何の理由も無しにヨブを苦しめることはありえないから、原因はヨブ本人にあると責める。ヨブは、確かに自分は罪深い人間の一人だが、こんなに苦しまなくてはいけないような罪を犯したことはないと言い張る。
 やがて神が顕現するが、ヨブの問いには答えず、「わたしが地の基をすえた時、あなたはどこにいたのか、もし知っているなら言え」に始まる問いかけを続ける。
 ヨブは、「私は知ります、あなたはすべての事をなすことができ、またいかなる思し召しでも、あなたに出来ないことはないこと。」等に始まる、後悔の念と神への絶対な服従、信仰心を表明する。その後、ヨブは失った以上の財産と、新たな子供に恵まれる。
 この話は、信仰心とは何かを問うものらしいが、おいらには、どう解釈したらよいのか分からない難しい問題を扱っている。

 さて、本題に戻って。「ヨブ記」の該当部分が、大澤信亮氏の小説「左翼のどこが間違っているのか?」に出ていた。この話は、引きこもりの「ネット右翼」の青年の独白という形で描かれている。彼は、1日の大方の時間をネットの書き込みに費やす。特に、「左翼」と思われる相手への書き込みに生きがいを持っている。彼らに罠をかけて攻撃をする。その日、目覚めると家には母親の気配がしなかった。大声で「お母さん!」と叫んだ。玄関先に急ぐ。母親の靴が無かった、履き古しのベージュのパンプスは、母が父親が生きていた頃に買ったもので、最近は自分のために何一つ買い物などしていない。5年以上も履き続けられたその靴を思うと、彼は気が狂いそうになる。彼の母親は、市民運動系のおばさんがやっている引きこもりの子供を持つ親の学習会に行っていたのだ。参加するのが気に食わなかったので大喧嘩してしまった。その時、母親が包丁を自分の手首にあてた。
 こんな風に話は展開していくのだが、その日もまずブログに「左翼」の間違いと偽善者ぶりを書き込む。次に2チャンネルで、「左翼」に罠を張る。階下から、母親の呼び声。会から帰ってきたのだ。晩御飯だ。でも「敵」の反応が気になって返事はしない。やがて、「きみは本当にそれでいいのかい?」という一言から始まる「敵」の長い書き込みが始まった。
 父親の口調に似ていた。核心を突いてくる。下から、また母親の声。「うるせえっつッてんだろ!クソババァッ!殺すぞッ!」
※「母さんの泣き叫ぶ声が聞こえる。怖い。怖くて下に行けない。こんなにつらくて悲しい気持ちになっていても、数分後には「敵」の書き込みが気になって、スレをチェックして、再び論争を始めてしまうのかもしれない。何でだろう。何でぼくは書くことを止められないんだろう。書けば書くほど、読めば読むほど、自分が自分じゃなくなっていく気がずっとしているのに。この罵倒だって本心じゃないんだよ。」

 『なぜ わたしは母の胎にいるうちに 死んでしまわなかったのか。 せめて、生まれてすぐに息絶えなかったのか。 なぜ、膝があって私を抱き 乳房があって乳を飲ませたのか。 それさえなければ、今は黙して伏し 憩いを得て眠りについていたであろうに。』(「ヨブ記」第3章11~13節)

 ヨブは救われた。この怒りも否定された。でも、こうしている今も、ネットで憎悪が渦巻いているのかもしれない。

 

 


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