手塚治虫さんのライフワーク「火の鳥」を復習しようと、今日も角川文庫版5冊を図書館から借りてきた。残り3冊(望郷篇・乱世篇上下)は、貸し出し中であり順番をまつ。
読み終えたら総括をし、手塚さんが60歳という若さでこの世を去ったため構想のままで終わった「大地篇」(小説家の桜庭一樹さんが小説化していて、図書館に予約順番待ち)を読み解くよすがとしよう。
「火の鳥」はオイラが生まれたころから発表されているが、初期作品で50年代に「マンガ少女」に発表された少女向けの「エジプト篇」、「ギリシャ篇」、「ローマ篇」などを読めば、手塚さんが男女ばかりでなく、花から動物まであらゆる命を平等に扱っているアニミストだと分かる。それどころか、鉄腕アトムに代表されるロボットやアンドロイド、クローンといった人工物、無機質的なものにも愛情を注いでいる。これは有機物も無機物も宇宙の創生を根源としており、過去から未来に系統樹として根っこは同じという科学者のまなざしなのだろう。
そこは、「石っこ賢さ」の宮澤賢治さんと共通のものを感じざるを得ない。賢治さんは童話や詩、手塚さんはマンガやアニメーションと表現方法は異なるが、「生と死、あるいは死と再生」というテーマを終生追い求めたふたつの巨星。
巨星の光に導かれて歩みをすすめる子羊のように、トレランザックに二人の作品をしのばせてジョギングしようか。途中、ベンチに座り込んで、巨星たちのファンタジーに時を忘れよう。生きる元気をもらえるかもしれない。。
深田日本百名山登頂の思い出 12 八幡平 (1613米)
八幡平という山の名前はなく、沼や高層湿原が点在するなだらかなアスピーテ型火山一帯の最高地点が八幡平山頂とされている。沼や湿原は魅力であったが、アスピーテラインなどの観光道路が山頂近くまで走っているので、学生時代は敬遠していたが、八戸在住時の80年代半ばに山岳会の仲間と初めて山頂を踏んだ。あとは、山岳会のメンバーと大深岳や茶臼岳方面にスキーで歩いたりしていたが、絶景という樹氷には悪天候のため出会えていない。若い時から記憶に残るのは、山というよりは、麓の温泉。後生掛(ごしょがけ)、玉川、松川などの濁り湯をとくに愛していた。
その温泉を目的として、昨年の10月、安比スキー場から無人の山小屋を繋いで御所掛温泉まで縦走し、最終日は焼山を踏んで玉川温泉に下ったが、40年近くたっても変わらない御所掛の泥湯に感激しながら長いこと浸っていた。
若かりしとき敬遠した山が、老いた者には優しい山だと気が付いている。ことしも、昨年以上の紅葉や濁り湯への出会いを求めるため、バス時刻などを調べている。
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