かぜねこ花鳥風月館

出会いの花鳥風月を心の中にとじこめる日記

「雪渡り」を読みながら昭和の冬へ舞い戻ろう

2021-01-10 10:19:40 | 日記

「夜8時以降は外をうろつかないようにしてね。」

「宣言発出以降の大規模イベントのチケットは売らないでね。」

というお国のメッセージのせいで、大相撲も大学ラグビー決勝も大勢の「有観客」で行われようとしている。

大相撲などはPCR検査での感染者と濃厚接触者16人の関取が休場するという「前代未聞」の事態にもかかわらず、「有観客」で行うのだという。SNS上ではほぼ全員が中止すべきだという声が上がっているというのに「国民に元気を与えたい」(相撲協会)と真逆の発想力で国技を行うのだという。

政府(スポーツ庁)も何らコメントを出さず、NHKは通常放送の予定である。

これが、この国の緊急事態宣言下のありようだ。

首相は、「1か月で感染者数がステージ3以下に下がらなければどうするかは仮定の話だから答えたくない」というが、上のような事情を「綜合的・俯瞰的」に鑑みると、「仮定」はほぼほぼの確率で「現実」となるのであろう。

憂うべき2021年のスタートだ。


憂うべき新年に呼応するように、北国の氷の女王は冷たい吐息を日本列島に吐いて、日本海側の地方は大雪で、仙台も例年になく凍えている。

だが、考えてみるとオイラたちの昭和の少年少女時代の冬は冷たく、岩手の県境近くの内陸で幼少を過ごしたオイラの冬のイメージは、ほぼほぼ雪世界だ。そり遊びや雪だるまで遊んだたのしい季節が今でも光彩を放っている。冷たい内陸の田舎で暮らしたのは10歳までなので、記憶にある夢のような雪世界での生活は、時の長さからすればわずか4,5年という短い期間にすぎないが、遠近のからくりを施した万華鏡を覗くように、果てしない遠い向こうまで続いているかのようだ。

そんな甘美な雪世界の記憶と共鳴するのは、オイラの住んでいたところから、もう少し北の花巻地方で暮らした賢治さんの「雪渡り」の世界。11歳以下の子供だから見えて感じる雪世界の森羅万象のつながり、ヒトとその他のイキモノとの共生や幸福追求というテーマを音楽性豊かに描いた賢治さん25歳という傑作の森時代の愛すべき作品だ。

 

このファンタジーのテクストをほぼ忠実に抜粋し、素敵な絵本と朗読作品に仕上げた作品がYouTubeに公開されているのを見つけた。「おやすみまえの絵本と音楽」さんというサイト。絵本と朗読から浮かび上がる世界はあの幼少を過ごした甘美な昭和の雪世界と重なる。

 

2021年幕開けの鬱とした精神を癒す処方箋として、寒さの冬は賢治さんの「雪渡り」を服用し、病の悪化を防ごうかなと思っている。キックキックトントン♪

 

 

 

 

 


追記

 

「雪渡り」に登場する酔っ払いのおじいさんや青年は、高村光太郎さんの「山の秋」で紹介されたようなお酒の飲み方をして、大酒をふるまわれた家から自宅に帰る途中で体験した「超常現象」を、きっとキツネに化かされたと家のものに言い訳したのだろう。

 

高村光太郎「山の秋」から(青空文庫さん提供)

いったいに農家の酒ぶるまいというものは徹底したもので、まずその家によばれると、いちばんさきに軽い御飯が出る。いろりのへりで、みそ汁につけものぐらいで一、二杯飯をくう。そして煙草をのみながら客同士が雑談にふける。その時間が相当に長く、よばれた時間から大てい三、四時間は遅れるが、その間に頭数が揃ってくるのだ。やがてお膳がずらりと並んで席がきまると例の通りの盃のやりとりが儀式のように始まり、それがだんだん乱れて来て、席から立って大きな銚子と、外の黒く、内の赤いうるし塗の大きな木盃とを持って、ふらふらと客同士が往来をはじめる。そのうち主人側では奥から大太鼓を持ち出す。それをどんとたたくと、まず音頭とりの声自慢が先にたって、この辺ではおきまりの「ごいわいの唄」というのを合唱する。単調だが、どこかに格式のあるような、相当に長い唄を五段うたう。これを唄い終ってからはめいめい得意の唄を声をかぎりに唄いのめし、手拍子かけ声が外の山々に反響するかと思われるばかりだ。その間でも例の白いのはがぶのみだし、少しのまずに居る人を見つけるとたちまち主人側の人が無理にものませる。とめる手を押えつけてのませる。奥からは娘さんや小母さんやお婆さんまで列をつくって出てきてさまざまな踊をはじめる。よく大黒舞などというのを見た。客も立って踊り、よろけ、中にはへたばってしまうのも出来る。酔いつぶさなければ振舞したことにならないというのであって、わたくしなど幸に酒に弱くもないから、ともかくもふらふらするくらいですむが、いよいよ帰ろうと思って出口に腰かけてゴム長をはいていると、そこへ家人は銚子と盃とを持って追いかけて来て勢こんで又のませる。これを「立ちぶるまい」という。そしておみやげのご馳走を渡される。もう夜になりかけたたんぼ道を歩いていると、今の家からはさかんな大太鼓の音と人間のわめく声とが渓流の音を消すようにひびいてくる。いつまでやっているのか、わたくしはまだ見届けたことがない。ただ岩手の人たちは不思議に人が好くて、こんな大騒ぎをしても、ついぞ乱暴な喧嘩けんかをしない。口げんかは相当にやるようだが、関東の人のような手の早いところは八年間に一度も見かけなかった。

 

 

      

           高村記念館前の雪原に残されたキツネのだと思われるあしあと

 

    

 

 

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