「いつかは行きたい」と思い始めた四国遍路。
一時は「神も仏もない」と、教会でも寺院でも手を合わせる気にならなかった私が、
こうして四国遍路に行こうと思うようになるのだから、人の気持ちって解らないものだ。
この気持ちの変化は、年月によるものかもしれないし、
年齢とともに感じる体力の衰えからの焦りかもしれない。
が、とにかく、行ける時に行っておこうと考え出した。
しかし、出発を前にして何度も状況が変わり、延期に次ぐ延期。
このままでは今年中に行くのは無理かもしれない。
もしかしたら来年に持ち越してしまうかもしれない・・・
まあ、行ける時が自分にとっての導かれた時。
今はまだその時期ではないと理解して、焦らず、
その日に向けて心の準備に入る。
八十八ヶ所のお寺では、納札という小さな紙を写経の代わりに納めればいいらしい。
が、出来れば自分で書いた写経を納めたいと、毎日筆をとる。
子供たちが小学生時代に使った硯と文鎮を使って。
一時は「神も仏もない」と、教会でも寺院でも手を合わせる気にならなかった私が、
こうして四国遍路に行こうと思うようになるのだから、人の気持ちって解らないものだ。
この気持ちの変化は、年月によるものかもしれないし、
年齢とともに感じる体力の衰えからの焦りかもしれない。
が、とにかく、行ける時に行っておこうと考え出した。
しかし、出発を前にして何度も状況が変わり、延期に次ぐ延期。
このままでは今年中に行くのは無理かもしれない。
もしかしたら来年に持ち越してしまうかもしれない・・・
まあ、行ける時が自分にとっての導かれた時。
今はまだその時期ではないと理解して、焦らず、
その日に向けて心の準備に入る。
八十八ヶ所のお寺では、納札という小さな紙を写経の代わりに納めればいいらしい。
が、出来れば自分で書いた写経を納めたいと、毎日筆をとる。
子供たちが小学生時代に使った硯と文鎮を使って。