【”22 秩父夜祭】
秩父夜祭には何度も足を運んだが、今回は地元の知人から夜祭の由来や仕来り
など、詳しく聞くことが出来、夜祭が今までにない視点から見ることが出来た。
「御旅所斎場(亀の子石)」では、御神幸行列の到着後、斎場祭が行われる。
夜10時ころと聞いたので、見ることが出来なかったが、斎場祭は神前では
素面で舞う神楽が奉納され、屋台では稚児による三番そうが演じられる。
出陣を待つ下郷笠鉾
秩父神社境内では、宮地町の舞台歌舞伎が始まった。
舞台を片附けるのが一苦労だ!
夕陽を浴びた大イチョウをバックに、提灯を飾り付ける中近笠鉾。
神社境内では宮地屋台と中近笠鉾が並び、夜の準備を急いでいた。
神社行列に加わる御神馬・・・競技歴のあるサラブレッドだ!
午後6時過ぎ、あたりが暗くなり屋台の提灯に明かりが灯ると、境内は一段と
ざわついて来た。
動く陽明門とも呼ばれる豪華絢爛な笠鉾と屋台・・・見事だ!
ご神幸行列の先頭を行く大榊に巻き付けられた藁作りの龍神、この龍神は
毎年4月4日に行われる特殊神事「お田植祭」において、市内に鎮座する
今宮神社境内の龍神池から迎えた水神様のご神体に他ならない。
しかもこの龍神池の湧き水は、秩父神社に対面して聳える武甲山の伏流水で
あり、秩父盆地をうるおす大切な水源である。
神輿1基、御神馬2頭、大榊等をはじめとする神社行列を先頭に、中近・下郷
の2台の笠鉾と宮地・上町・中町・本町の4台の屋台が御旅所に向かう。
派手な衣装を身に着けた世話人たち、ひと昔前までは正絹の衣装だった。
百万円もする高価な衣装は、織人も居なくなり今では着る人はいない。
若者の威勢の良い掛け声が、寒さを吹き飛ばしてくれた。
勇壮な屋台太鼓囃子のリズムに乗って曳き回される下郷笠鉾。
屋台歌舞伎や曳き踊りは、夜の神幸祭に伴う「付け祭り」、つまり神賑わい
行事として、江戸時代後期から明治・大正かけて盛んになったものである。
笠鉾が方向転換する(ギリ廻し)の時には、笠鉾が傾く。
夜祭が武甲山の男神と秩父神社の女神との一年に一度の逢瀬の物語として
語られることも、中世以来の信仰史の育てた風土のロマンにまつわるものと
考えられる。
秩父神社は関東でも屈指の古社のひとつに数えられる。中世以降は関東武士団
の源流、平良文を祖とする秩父平氏が奉じる妙見宮として隆盛を極めた。
NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」にでる、畠山重忠は秩父平氏の出である。
愚直なまでに忠義を重んじる武将で今でも武士の鑑と称されている。