神なる冬

カミナルフユはマヤの遺跡
コンサドーレサポーターなSFファンのブログ(謎)

[SF] マップメイカー

2016-02-10 23:59:59 | SF

『マップメイカー(上下)』 S・E・グローヴ (ハヤカワ文庫 FT)

 

懐かしいNHKアニメの雰囲気がするジュブナイル。『未来少年コナン』とか、『太陽の子エステバン』とか、あるいは、『ふしぎの海のナディア』とか……。

ちょっとSFチックで、NHKにしてはちょっとおふざけが入って、それでもなおかつ品行方正というか、そんな感じ。

物語の始まりは1891年のボストン。とはいっても、世界は〈大崩壊〉によってずたずたになっており、いろいろな時代のパッチワークとなってしまったという設定なので、年号は余り意味が無いかもしれない。しかし、それでも主人公であるソフィアの文化的背景を規定するものとして充分に意味のある設定になっている。

思えば、世界は狭くなり、フロンティアはどんどん減っていった。暗黒大陸も、新航路も、大西部も消えてしまった。それでも、冒険家は未踏の高峰や深きジャングル、さらには、宇宙へ深海へと冒険場所を求め続ける。そのフロンティア消滅が意識され始めた時期というのが、19世紀末ということなのだろうか。

そうしたフロンティアの消滅を無効化し、地球上に新たなフロンティアをいくつも出現させたのがこの〈大崩壊〉というわけ。これによって、誰もが冒険者になりうる世界がやってくる。その中でも、マップメイカーとして天賦の才能を持った少女が主人公として活躍するという構成。

いろいろな時代のパッチワークと言うと、世界史上のビッグイベントをはしごするような旅行記にでもなりそうなのだが、今のところそうではなくて、まったくの未知の時代(遠過去、もしくは遠未来)への冒険が主眼になっている。

実際、ボストンを含む北米東海岸(ニューオクシデント)の隣には、海賊時代のカリブ海がある程度で、他はほとんど人間の住まない怪しい土地のようだし、たどり着いたノクトランド(メキシコシティーのあたり?)は、どうやら世界史上には登場しない時代のようだ。そういった意味では、この世界はまだまだ謎に満ちている。

このシリーズにおいて、ソフィアの最終目的は両親を探し出すことにあるので、そもそも今回は世界を説明するための横道っぽい。両親を探しにヨーロッパへ赴く時には、もっと紀行文的な、あるいは世界史をたどる的な物語になるんだろうか。

実は、世界がいろいろな時代のパッチーワークになってしまうというのは、フレッド・ホイルの『10月1日では遅すぎる』と同じ設定なのだけれど、扱っているテーマや読後感はまったく異なる。比較して読んでみるのも面白いかも。

 

ところで、Googleで「マップメイカー ハヤカワ」を検索すると、あの“早川マップ”がサジェストされるというのが、なんともかんとも。

 


[SF] ユートロニカのこちら側

2016-02-10 23:59:59 | SF

『ユートロニカのこちら側』 小川哲 (ハヤカワSFシリーズ Jコレクション)

 

 

第3回「ハヤカワSFコンテスト」 大賞受賞作。

ユートロニカとは、すべてが思い通りになるような楽園のこと。たとえば、扉を開けるときにいちいちドアノブを意識するか。すべてのことが無意識にできるようになると、人々は意識を失うかもしれない。

物語の中心は、すべての個人情報、行動履歴を把握することにより犯罪に走るような危険な兆候を見つけ出し、事前にこれを阻止するシステム、BAP。すべての個人情報の提供と引き換えに生活を保障するというアガスティア・リゾートを取り巻く人々を背景に、BAPの誕生とその功罪が語られる。

P・K・ディックの『マイノリティ・リポート』が下敷きにあるのは明示されている。言うまでも無く、楽園(ユートピア)において個人の意識が喪失するというのは伊藤計劃の『ハーモニー』でも描かれている。犯罪の事前阻止といえば、そのものずばりのアニメ『PSYCHO-PASS サイコパス』がある。それらの影響を受けた上で、その先を描くことができたか。

たとえば新潮社や文藝春秋などではなく、ハヤカワの新人賞を受賞して出版されたということは、必然的にSF的な考察に関してはそれだけハードルが上がるということだ。著者がそれを応募時に意識していたかどうかは関係なく。

タイトルどおり、この物語はユートロニカの“こちら側”でとどまっている。そして、物語が進むにつれれて、“こちら側”にとどめようとする人々の想いが主眼になっていく。

この物語では“こちら側”へのこだわりが強く見える。すべてをシステムにゆだねてしまうのではなく、人間が人間として、システムにはじかれそうな人間を人間のままで救い出そうとする努力。システムの前に、人間として人間のまま立ち向かおうとする戦い。

システムによって世界が住みやすい楽園となる期待感と、すべてをシステムにゆだねてしまうことへの不信感のジレンマ。その葛藤が生む物語。しかし、どうあがこうとも、“エントロピーの法則”には逆らえない。

神林長平がコンテストの選評で「なぜ日本を舞台にしないのか」と書いていた。読み終わってみれば、人権意識の強さと、キリスト教的な倫理感が物語の大きな背景となる以上、日本を舞台にすることができなかったのが良くわかる。

しかし、逆に、日本でこのアガスティア・リゾートが始まっていたらどうなっていたかという考察もおもしろい。日本人の横並び意識、お天道様が見ているという倫理感、人権意識の違い、それらは、おそらく違った物語をつむぎ出すに違いない。

すべての個人情報、プライバシーを買い取る企業と言うと、世界的にはGoogleが思い浮かぶのだけれど、日本のCCC(TSUTAYA)もなかなかのものだ。しかし、日本人のCCCに対する意識は両極端だ。便利になったと喜ぶ人もいれば、セキュリティ面の杜撰さを声高に叫ぶひともいる。さて、GoogleやCCCがユートロニカへの第一歩なのだとしたら……。

はたして、すべての個人情報、行動履歴からビッグデータ解析によって、個人の行動すべてが推測可能なのであれば、自由意識はどこにあるのか。あるいは、自由意識が存在しないことは何が問題なのか、なぜ問題なのか。

この手のネタ的にはまだまだ掘れそうで、ひとつの分野になるポテンシャルがありそう。