神なる冬

カミナルフユはマヤの遺跡
コンサドーレサポーターなSFファンのブログ(謎)

[SF] レダ

2010-02-21 23:49:22 | SF
『レダ Ⅰ~Ⅲ』 栗本薫 (ハヤカワ文庫 JA)




梓薫忌。
“しくんき”と読む。
中島梓であり、栗本薫であった女性の追悼企画。その中で復刊された長編『レダ』。

『レダ』を最初に読んだのは、中学生2年か3年の頃だったと思う。
市立図書館から借りてきた分厚い本。グインにはまり、『メディア9』や『時の石』に魅了されていた頃だ。

少年が世界の秘密を探り出し、閉塞した社会から抜け出そうというストーリーは、実はすごくお気に入りのテーマであった。
ハインラインの世代宇宙船の話や、新井素子の『大きな壁の中と外』なんかには、ものすごく心を躍らせたものだった。

しかし、『レダ』についてはあんまり憶えていない。
確か、大きなピレネー犬みたいな白い犬が出てくると記憶していたが、実は白黒グレーのセントバーナードだったりとか。

なんでだろうと思い返すと、レダがキライだったからだな、たぶん(笑)

レダは自由に生きる象徴みたいな書かれ方をしているが、実は36歳にして少女の精神を併せ持った変人。
それが純粋さを示す設定なのだろうが、どうしても嫌悪感を持ってしまう。なんだか面倒臭い女だなぁという感じ。
これに近いキャラクターをもう一人上げるとすれば、新井素子『チグリスとユーフラテス』のルナちゃんだ。
あっちはオバサンを通り越して、オバアサンだがな。

そんなわけで、レダも気に入らないし、そんなレダに惹かれるイヴも理解できないぜ。というのが感想。


さらにイミフなのが、主人公である少年の名前がイヴであること。
レダという蛇にそそのかされて、知恵の実を口にするというロールには確かにぴったりなのだが、なぜに最初の“女”なのだ。

栗本薫というと、ヤオイ小説にも力を入れていたせいで、その名前だけでイヴがホモに見えてくる不思議。カミーユばりに「俺は女じゃない!」と叫ぶシーンが欲しかったよ。

さて、イヴがイヴなのであれば、アダムはどこにいるのか?
レダは蛇。アウラとLAは母性の象徴。デイマーは神。
ブライは無頼。新しい世界を作るアダムとしては、古き世界に沈みすぎている。
であるならば、アダムはどこか?

そこで考え直さなければならないのが、ふたつの社会。《上》と《下》。宇宙と地上。
地上の管理都市が不完全な社会であるのと同様、ブライが所属する銀河政府もまた完璧な世界ではない。不完全な二つの社会。

地上にイヴがいるならば、アダムは宇宙にいるのではないか。新たな世界を作るために、惑星を飛び出そうとするアダムというの名の少女が!

そんなところにも、描かれなかった幻の小説を夢見て、追悼の意を厚くするのであった。


しかし、キャラクタ造詣以外は、この物語は秀逸である。何がすごいって、管理都市のファー・イースト30がどう見ても、一点の曇りもなく、ユートピアに見えることだろう。

管理社会であり、閉鎖社会であるものの、そこはカイゼンし続ける社会であり、停滞した社会ではない。
市民には管理から逸脱する自由が認められており、反逆者の存在が反逆者ギルドとしてすら認められている。
不幸であることすら自由であり、強制的な自己啓発の淘汰圧(派遣村の就職斡旋のような!)などとも無縁である。
『1984』や『未来世紀ブラジル』のような管理社会的ディストピアとはまったく違う、ある種の理想的な社会が描かれている。

しかし、その裏の意味はアーティストギルドの光景に明確に現われている。
人とちょっとだけ違うことを求める自由。それによって、大きな不満を持たないように飼いならされた反逆者。
他人から見て不幸であることが、当人にとって幸せであるならば、不幸であることを選択することもできる自由でしかない。その意味では、当人にとって不幸であることは市民には許されない。

この世界をディストピアというのであれば、ユートピアとはどこにあるのか。
人間が目指す究極の社会とはどんなものであるのか。
昨今、政治の問題で議論される友愛社会やら、高福祉社会やら、ベーシックインカムの問題なども、果たしてユートピアに繋がる政策なのか、ちょっと考えてみるきっかけになったり。


[SF] Self-Reference ENGINE

2010-02-21 22:54:24 | SF
『Self-Reference ENGINE』 円城塔 (ハヤカワ文庫 JA)




通称“黄色い本”と呼ばれるJコレクション版の文庫化。2編追加で全編を読み解く解説付き。


追加の2編は最初や最後ではなく、中間地点に投入されている。可愛い靴下がぶっきらぼうに喋り始める「07 Bobby-Socks」と、その靴下が意外な活躍を見せる「14 Comming Soon」。後者には靴下ボビーだけでなく、リタやらジェイムズやらユグドラシルやら、鍵を握る人物(?)が勢ぞろいしている。これをその名の通りに“次回予告=新刊予告”と見るべきかというのは、ちょっと無いんじゃないだろうか。

その挿入された位置は、第1部の後半、かつ第2部の前半である。第2部の最後ではない。ならば、ここで予告されている事象というのは、第2部の中で描かれるべきものである。いや、第2部で描かれなかったものである、というのが正しいのではないか。なぜなら、この物語は自己消失オートマトンである“Self-Reference ENGINE”が物語らなかった物語なのだから……。


さて、わからないのがおもしろい円城塔の作品であるが、『Self-Reference ENGINE』は比較的わかりやすい方だと思われる。
ようするに、賢くなりすぎた巨大知性体=(コンピューターなのか増補脳なのかは曖昧)が世界を演算し始め、時間と因果関係が壊れ、混乱していく。

そしてさらに、人間に観測可能な世界を演算する知性体と、その知性体が観測可能な世界を演算する超越知性体と、その超越知性体が観測可能な世界を演算する超超越知性体と……が少なくとも30段階積み重なって、いわゆる世界は存在している。

その中で、あんなことやこんなことが起こるのだが、結局、少年は少女に出会えたのか、というのが大まかなストーリーである。と解釈している。

いや、それが唯一の解釈でもないし、正解でもないんだろうけどね。

今回は再読ということもあって、読む順番を変えてみた。
この本の目次はV字型をしていて、第1部のNearsideと第2部のFarsideの各編が対応するように配置されている。
それならばということで、上から順番に横に読んでみた。
つまり、プロローグの次にエピローグ、01の次に20といった感じ。

それで何かわかったかというと、別に何も(笑)
ネタの繋がりに気付きやすくなった程度かな。読み方のせいではなく、再読のせいかも知れないのだが。
なにしろ、最初に読んだときは、リタとジェイムスが再度登場していることにも気付かなかったくらいだからな。

もしかしたら、対応する2編は、ネタ帳(円城塔にそんなものがあれば)の同じ文章からひねり出されたものなんじゃないだろうか。
「02 Box」と「19 Echo」は言わずもがな。「03 A to Z Theory」と「18 Disapper」も同じテーマを別なストーリーで書いているように思える。

いや、そんなことはまったく信じていないのだけれど。
( P, but I don't believe that P. )

2月20日(土)のつぶやき

2010-02-21 00:09:28 | つぶやき
09:43 from Tween
東大生協で『クォンタム・ファミリーズ』が売れてるとか。巻くだけダイエットとか写真集とかもランクインしてるんだが、これだけが東大風?
14:36 from Tween
すげぇよ!目黒△!
20:04 from web
ある意味、今年一番鍵を握りそうな選手になっちゃいました。 .@kats_takamiさんを選手に例えると25 堀田 秀平です。「MOVE」-より速く、より正確に、よりタフに- http://king-soukutu.com/twit/?n=consadole
22:51 from API
【SFが読みたい!〈2010年度版〉発表!ベストSF2009 国内篇・海外篇】を読んだ本に追加 http://book.akahoshitakuya.com/b/415209107X
22:54 from API
【SFが読みたい!〈2010年度版〉発表!ベストSF2009 国内篇・海外篇】塩澤編集長のSFコンテスト再開宣言と、新語「バカせつない」が印象的。 http://book.akahoshitakuya.com/cmt/5044417
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