神なる冬

カミナルフユはマヤの遺跡
コンサドーレサポーターなSFファンのブログ(謎)

[SF] グイン・サーガ・ハンドブック Final

2010-02-24 22:36:11 | SF
『グイン・サーガ・ハンドブック Final』 (ハヤカワ文庫 JA)




全体のほとんどが、登場人物、地名、用語を網羅した「グイン・サーガ 大辞典」。他に全ストーリー紹介と、小谷真理の評論。
正直言って、読むところが少ないので、持っていることに意味がある本。
老後にグイン全巻を読み返す時のお供用ですね。老後だと記憶力が足りなさそうだし……。

大辞典には、実は本編で明かされていない新事実があるのではないかと探してみたが、見当たらず。アウラの項目とか、ちょっと期待したのだが……。

今後、グイン・サーガはどうなるんでしょうね。誰かが書き継ぐのか、シェアワールド化するのか、それともこのまま未完で終わるのか。今岡さん当たりが鍵を握ってるのだと思いますが、このまま封印はちょっと惜しいんじゃないでしょうか。


小谷真理の「グイン・サーガ論 異形たちの青春」にはちょっと一言。後半の少女マンガや現代社会からの影響については同意できるが、前半の“グインはなぜ豹頭なのか”はちょっと甘いんじゃないだろうか。ウルフガイからの影響と結論付けられているが、これはいただけない。グインは人間から豹に変身するのではなく、頭だけ豹なんですよ。大丈夫ですか?

タイガーマスクの名前は出てくるが、あなたタイガーマスクのことをちゃんと知らないんじゃないの。その後で書いている「彼は帰属すべき世界を持たぬ」「孤独な存在」って、それ、タイガーマスクそのものですから!

たぶん、怪傑ライオン丸も知らないんだろうな。仮面ライダーは知っていても、敵役のショッカーの怪人も知らないんだろうな。
そういう日本的トクサツと、そして、スペースオペラに出てくるエイリアンを両親として、“豹頭の戦士”というキャラクターが生まれたのじゃないかと、自分はかなり確信を持っている。

小谷真理では栗本薫を語るには、守備範囲が狭すぎるんだよ。ならば、自分の守備範囲のことだけを書いとけばいいのに。
それだけ、栗本薫の守備範囲が大きすぎたということなんだろうが。さすが、栗本薫は5人いるとか言われただけのことはある。


[SF] さよなら、ジンジャー・エンジェル

2010-02-24 10:03:20 | SF
『さよなら、ジンジャー・エンジェル』 新城カズマ (双葉社)




新城カズマの新刊。でもSFじゃないやとスルーしようと思ったのだが、この表紙は反則過ぎ。
悪いけど、webマガジン「カラフル」の挿絵だったら、絶対買っていない(笑)

そして、読んでみたら、この女の子が可愛すぎ。
本屋で働くのを夢見る、妄想暴走少女。そして、語尾が時々、「なのでした」。
萌えます。やられました。
そんな書店員、いねぇなんて言わないでください。これはファンタジーですw

幽霊となってしまった主人公が、この少女を見守るお話。

それでも新城カズマらしいのは、新米幽霊(本当は幽霊と言ってはいけないらしいです)の主人公が彼女を守るために、「この世界の法則」を見つけ出そうとするところだろう。

世界の謎を探り、見つけ出すというのはSFの王道パターンのひとつ。そして、世界の法則が、我々の生きている世界と異なる世界を描くのもSFの王道パターン。つまり、このお話はSFだったんだよ。ΩΩΩ<なんですって!

拡大SF主義者として、無理にSFに結び付けているわけではないが、主人公が世界と係わろうとする方法は科学的方法論なんだよね。オカルトホラーの登場人物が頭の固いバカばっかりなのとは大違い。

人間は、実は無意識のうちに経験の中から因果関係というものを汲み出そうとするらしい。それは人間に限らず、哺乳類でも鳥類でも同じで、だからこそ学習という機能が発現される。レバーを押すと餌が出ることを覚えるというやつだ。

しかし、この学習結果が必ず正しいとはかぎらない。相関関係と因果関係の混同というのはよくある話で、偽科学がはびこる原因にもなっている。あるいは、ジンクスなんていうのも、この誤学習から生まれたものだったりするわけだ。

人間が不思議なものに遭遇したとき、オカルト的解釈に飛びついたり、ありえないと頭から否定するのではなく、冷静に科学的方法論で自分の体験を検証していくというのは、なかなかできるものではない。それが自然にできてしまうのが、いわゆる“科学の子”なんだと思うな。

あんまり小説の内容とは関係ない話だけど、そんなことを考えながら読んだ小説だった。


ところで、主人公の敵となる〈西〉とはなんなのだろうか。
“西の魔女”だと、オズの魔法使いが出てくる。“西の悪魔”で検索すると、なんだかちょっと怖い。

普通に考えると、〈西〉は日の沈む方向で、死者の世界なんだが、ここでは別の意味がありそうだ……。



もっとウィンタースポーツを

2010-02-24 09:25:01 | Weblog
女子カーリング、負けちゃったのか。残念無念。
さすがにオリンピックは簡単に勝つことはできないな。

大昔に、掃除の時間にカーリングごっこをやった記憶はあるんだが、実は本当のカーリングはやったことが無い。

カーリングって日本人向きな競技のような気がするんだが、競技人口がなかなか増えません。Jリーグ100年構想みたいに各市町村にカーリング場が出来て、ボーリングやゲートボールの替わりにカーリングに行くぐらいにはならないものか。

自分は旭川生まれ。親が転勤族だったために旭川→札幌→北見→旭川とわたりあるいた(笑)のだが、スキー、スケートなら人並みにできる。歩くスキーは大嫌いだが。そもそも走るのがキライだし。ちなみに、それぞれの地域で盛んな競技は異なっている。札幌周辺はスキー、北見はスケート、旭川はクロカン(歩くスキー)が盛んなイメージ。

他のウィンタースポーツといえば、どうかというと、道民にとってのボブスレーとは“氷上のF1”ではなく、スーパーでも売ってるプラスチック製のお買い物用ソリのこと。ジャンプは、実家から歩いて行けるところに小さなジャンプ場があったが、そこでの試合を見たのは中体連のスタッフをやったときだけだ。

実は、北海道にはウィンタースポーツの競技人口が意外に少ないんじゃないだろうか。

子供をボブスレー(おもちゃ)に乗せて引っ張るお母さんレースとか、ミニスキー履いて公園を走り抜けるレース(U-12)とか、そんな競技があれば世界的な選手が排出されるのかもしれないけど。

競技人口だけを考えると、アルペンスキーでも優秀な選手が出てきてもおかしくないんだが、何が違うんだろうか。冬の小学校の体育は全部スキーとか、全部スケートという学校があるのに、スキー競技がスケートのように盛り上がらないのは、何故なんだろうか。

ウィンタースポーツにかぎらず、たとえば、バスケットボールなんかは高校ぐらいまで花形スポーツなのに、その後の不遇さはどうしたものだろう。

一説には、身体能力に優れた選手はみんな野球に行ってしまうからということが言われている。確かに、稼げるスポーツといえば、野球の他はゴルフくらいだろう。Jリーグは給料安いし。それでも、中学や高校で身体能力に優れた人物が全員野球部に入るとは、経験上信じられない。

野球以外のスポーツでは、たとえ身体能力や反射神経が優れていても、世界的な選手に伸びるだけの環境が無いということなんじゃないだろうか。チーム、コーチ、その他を支えるスタッフ、そしてもちろん、財政的支援。

ウィンタースポーツの多くも同じで、やっぱり金銭的な問題があるのだろう。金をかければ勝てるとは言えないが、金をかけなければ勝てない世界にはなっている。そんな中で、設備や器具が高価なボブスレー(ホンモノ)などで世界に追いつくのは容易ではない。アルペンスキーにしても、世界レベルの環境を整えるのは難しいだろう。

そんな中で、世界に追いつく可能性が見えるのがカーリングだ。白人、黒人との筋力差が(今のところ)もっとも影響しないように見えるし、集中力と器用さでは日本人は世界に負けないはず。

日本の中の地域差も、もっとあっていい。リヒテンシュタインなんていう小国がアルペンスキー大国だったりする。北海道レベルの人口でも、国技ならぬ道技としてカーリングを位置づければ、世界と戦える!
……かもしれない。

そこまでしてスポーツに勝ちたいのかという反論も当然あるだろう。しかし、いろいろな意味で絶不調な北海道にとって、経済的にも大きな起爆剤になる可能性はあると思うんだが。

始めるならば、早いほうがいい。まずは、コンサドーレ札幌が総合スポーツクラブとしてカーリングチームを育てるというのはどうか。
今のH.F.C.じゃ、年間数百万の出費でもきついか。残念無念。