『紫色のクオリア』 うえお久光 (電撃文庫)
ライトノベル系は見切れないために、新刊を買って読むことが無くなって久しい。
それでも、ネット界隈で聞こえてくる評判を無視できずに、半年から一年遅れで入手し、読むことになる。
上遠野浩平も、秋山瑞人も、谷川流も、そうやって知った。
そして、今回出遭ったのが、うえお久光である。
看板に偽りありというつもりはない。これはライトノベルではないというつもりはない。
しかし、これは紛れも無くSFである。しかも、上質のSFである。
過去のSFの本歌取りのようなネタがいくつも、しかも露骨に散りばめられている。
評判どおり、『玩具修理者』で『酔歩する男』である。
秘密組織ジョウントの創始者フォイルなんて、有名すぎて恥ずかし過ぎるぐらいの名前だ。
しかし、ライトノベルのフォーマットで想定されている読者にとっては、驚愕の世界の入り口なのだろう。
そこから見えるのは、著者のSFオタクっぷりであり、ライトノベル作家としての矜持である。ここまでの現代口語とハードSFの融合は過去に類を見ないかもしれない。
まず、第1話の「鞠井についてのエトセトラ」で“すべての他人がロボットに見える少女”という設定の広げ方に感心する。汎用型とか周辺機器とかドリルのロマンとか。これの設定だけでもう満足だった。しかし、これが『玩具修理者』に繋がってしまう。
この時点では、正直言って、「ああ、それか」という感想だった。それ、もうクオリア関係ねぇし。
ここで終わっていたら、感想は大幅に違っただろう。
そして第2話、「1/1,000,000,000のキス」。
『酔歩する男』とは聞いていたが、そう来たか。そして、物語は暴走と言ってもいい展開を見せる。
この物語が暴走するのはあたりまえだ。なぜならば、極端に暴走する世界を選択し続けているからだ。
学がゆかりのことを忘れてしまった世界、あきらめてしまった世界は“いらない”ので、選択されないからだ。
えんえんと宿題を手伝わせ続けるドラえもん。エンドレスエイトの長門有希。
そんなものじゃない。それを遥かに越える。
水に溶けて拡散した一滴のインクが、コップの中で再びひとつにまとまるのを越える無限の確率の再試行。
そして、行き着いた先で主人公が見つけたもの。
これはSF的な感動が、ジュブナイルの瑞々しい感動へと昇華するステキな瞬間である。
ゆかりの才能は、彼女の脳内だけに納まらないがゆえに、それはもうクオリアではない。
また、学の特異能力はある意味彼女の脳内にのみ存在するのかもしれないが、最初っからクオリアの話ではない。
しかしながら、この物語は、徹頭徹尾、あなたの感覚はあなただけのものであり、あなたの見ている世界とは違う世界があるということを主張し続け、それを受け入れ尊重せよというメッセージである。
クオリアの本来の意味とはちょっと違うが、思春期の問題を科学的な切り口で切り開くという意味では、非常におもしろいテーマの選び方ではないだろうか。
ところで、鞠井のクラスメートは3人合わせて学天則なのかとは思ったが、かそくくんが加速地点なのは気づかなかった(笑)
ライトノベル系は見切れないために、新刊を買って読むことが無くなって久しい。
それでも、ネット界隈で聞こえてくる評判を無視できずに、半年から一年遅れで入手し、読むことになる。
上遠野浩平も、秋山瑞人も、谷川流も、そうやって知った。
そして、今回出遭ったのが、うえお久光である。
看板に偽りありというつもりはない。これはライトノベルではないというつもりはない。
しかし、これは紛れも無くSFである。しかも、上質のSFである。
過去のSFの本歌取りのようなネタがいくつも、しかも露骨に散りばめられている。
評判どおり、『玩具修理者』で『酔歩する男』である。
秘密組織ジョウントの創始者フォイルなんて、有名すぎて恥ずかし過ぎるぐらいの名前だ。
しかし、ライトノベルのフォーマットで想定されている読者にとっては、驚愕の世界の入り口なのだろう。
そこから見えるのは、著者のSFオタクっぷりであり、ライトノベル作家としての矜持である。ここまでの現代口語とハードSFの融合は過去に類を見ないかもしれない。
まず、第1話の「鞠井についてのエトセトラ」で“すべての他人がロボットに見える少女”という設定の広げ方に感心する。汎用型とか周辺機器とかドリルのロマンとか。これの設定だけでもう満足だった。しかし、これが『玩具修理者』に繋がってしまう。
この時点では、正直言って、「ああ、それか」という感想だった。それ、もうクオリア関係ねぇし。
ここで終わっていたら、感想は大幅に違っただろう。
そして第2話、「1/1,000,000,000のキス」。
『酔歩する男』とは聞いていたが、そう来たか。そして、物語は暴走と言ってもいい展開を見せる。
この物語が暴走するのはあたりまえだ。なぜならば、極端に暴走する世界を選択し続けているからだ。
学がゆかりのことを忘れてしまった世界、あきらめてしまった世界は“いらない”ので、選択されないからだ。
えんえんと宿題を手伝わせ続けるドラえもん。エンドレスエイトの長門有希。
そんなものじゃない。それを遥かに越える。
水に溶けて拡散した一滴のインクが、コップの中で再びひとつにまとまるのを越える無限の確率の再試行。
そして、行き着いた先で主人公が見つけたもの。
これはSF的な感動が、ジュブナイルの瑞々しい感動へと昇華するステキな瞬間である。
ゆかりの才能は、彼女の脳内だけに納まらないがゆえに、それはもうクオリアではない。
また、学の特異能力はある意味彼女の脳内にのみ存在するのかもしれないが、最初っからクオリアの話ではない。
しかしながら、この物語は、徹頭徹尾、あなたの感覚はあなただけのものであり、あなたの見ている世界とは違う世界があるということを主張し続け、それを受け入れ尊重せよというメッセージである。
クオリアの本来の意味とはちょっと違うが、思春期の問題を科学的な切り口で切り開くという意味では、非常におもしろいテーマの選び方ではないだろうか。
ところで、鞠井のクラスメートは3人合わせて学天則なのかとは思ったが、かそくくんが加速地点なのは気づかなかった(笑)