メイン記事はR・A・ラファティ生誕100年記念特集。
ラファティの未訳短編からインタビュー、エッセイ、さらには、浅倉久志の英文エッセイの逆翻訳と、いつも以上にバラエティに富み、質も量もすばらしい特集になっている。
惜しむらくは、俺がラファティのファンじゃないというところだ。
とにかく、ラファティの文章が良くわからない。おもしろいとか、おもしろくないとかいう前に、何が書いてあるのか理解できない。なので、新しい視点に慣れてないとか、そういう内容以前に、文章の問題なんじゃないかと思う。
今回掲載の3作品は、後に行くほどわかりやすいが、その反面、面白味も薄れているような気がする。いや、まぁ、俺なりの解釈ではあるのだけれど。
最初の「聖ポリアンダー祭前夜」は単語をランダムに並べただけかと思うくらいに、まったくわからないレベル。次の「その曲しか吹けない」は結末だけわかって、それによって何が書かれているのかがわかるレベル。最後の「カブリート」はそれなりにわかりやすいホラ話。
ラファティのインタビューに出てくる宗教観のあたりを読むと、キリスト教的な考え方が理解できないと、ラファティの小説は読めないような気もするが、それじゃ、これだけいるファティファンはキリスト教的考え方が染みついているのかというと、それも考えづらいんだけどな。
△「聖ポリアンダー祭前夜」 R・A・ラファティ
何が何やらさっぱりわからない。文章が頭に入ってこないし、基礎知識も足りていない気がする。
○「その曲しか吹けない――あるいは、えーと欠けてる要素っていったい全体何だったわけ?」 R・A・ラファティ
結末一文によって小説の全体像をひっくり返すタイプの面白さ。
○「カブリート」 R・A・ラファティ
ただのホラ話に読めるのだが、解釈の余地があるくすぐりがあるのはわかる。
○「About a Girl〈後篇〉」 吉上 亮
あいかわらず、読んでいるだけで、いろいろな意味で色相が濁りそう。社会がひとを助けるのではなく、ひとがひとを助けるのだという思想は諸刃の剣のような気もする。そもそも、社会がシステムと同一化されているというところが、SYCO-PASS的ディストピアの根源なのじゃないか。