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神なる冬

カミナルフユはマヤの遺跡
コンサドーレサポーターなSFファンのブログ(謎)

[SF] 月世界小説

2015-09-17 23:59:59 | SF

『月世界小説』 牧野修 (ハヤカワ文庫 JA)

 

いきなり脱線するが、山田正紀の解説がすばらしく面白い。電車の中だったけれど、「四大福音」の当たりでこらえきれずに吹き出した。最近の山田正紀は長老格になって怖いものがなくなったのか、いい感じで力が抜けて絶好調だ。

その山田正紀もそういえば、そのものずばりストレートなタイトルの『神狩り』でデビューしたのだったな。

この『月世界小説』は牧野修的「神狩り」の話とも言える。また、ニホン人とは何か、ニホン語とは何かというテーマの日本SFでもある。神狩りを成し遂げたニホン人が得た新たな規範が何だったのかというオチにもちょっと笑える。

妄想が妄想を産み、狂気が狂気を導く重層化された世界は「n-1, n, n+1」と表現され、悪夢の中で見る悪夢のように読者を泥沼に引きずりこむ。

この小説の一番の魅力は牧野修的世界描写にあるのだと思うが、これを不条理小説としてではなく、ちゃんと論理的な言語SFとして描いてしまうのだから、牧野修がSF作家で良かったと思える。

小説内ではカミは“しめすへん”が“ネ”ではなく、“示”の「示申」の字体が使われている。これはニホン語のルーツとして本来の“示”を明示するためのものか、はたまた、いわゆるキリスト教的神との混同によるクレームを避けるためか。

しかし、『旧約聖書』やミルトンの『失楽園』を下敷きにしている以上、キリスト教的呪縛からは逃げられないのだが。

そして、そのキリスト教的呪縛(=アメリカによる支配)を打ち破るのがニホン語で語られる物語の力だというのだから、深読みするなといわれてもいくらでも深読みできてしまう。

いくら山田正紀に表層的と一刀両断にされようとも、ニホン人とはニホン語を話す人々であるという定義は、ちょっと深く考えてみる必要があるのではないかと思う。少なくとも、ニホン語話者の思考がニホン語に制限されている、もしくは影響を受けているというのは否定できない側面であろうし、ならば、ニホン語話者という集団を分類することに何の問題があろうか。

もちろん、ニホン語話者以外を疎外し、不利益を与えることはポリティカルコレクトネス的にあってはならないのだが。

たとえば、ノリがいい、おもしろいといわれる関西人は関西弁話者として関西弁が思考や行動に影響を与えた結果ではないのだろうか、とか。

あ、そういう意味では、翻訳ニホン語話者という分類もありそうだな。海外小説ばっかり読んでる人。それはニホン人なのか、なんなのか。

 


[SF] 天冥の標Ⅷ ジャイアント・アーク

2015-09-16 23:59:59 | SF

『天冥の標Ⅷ ジャイアント・アーク』 小川一水 (ハヤカワ文庫 JA)

 

ここ最近のSFで背筋がゾクゾクするような衝撃といえば、個人的には“なんとかプロジェクト”とかではなくって、この『天冥の標』である。

10巻予定のシリーズもついに第8巻。PART-I、PART-IIと出たので、PART-IIIまで待とうと思ってたらIIで終わりだった。ので、今さら、遅れて参戦。

前巻までにおいて、やっと第1巻『メニー・メニー・シープ』の時代へ繋がったわけだが、今回はこれまでの答え合わせ的な展開。各章の頭に(B)と書いてあるように、過去に語られた出来事を別の登場人物の視点から見た状況が語られる。


(ネタバレ注意)


いやあ、あのイサリがこのイサリと同一人物だったなんて、今でも信じられませんがね。それを言えば、あのラゴスとこのラゴスが同一人物ってのもすごいわけですが。

フェオドールはけなげで格好いいし、カヨはどんどんおぞましくなっていく。しかし、カヨの身体に宿ったオムニフロラの言葉が、なんとなく二つの勢力の妥協点を見出すヒントになりそうな雰囲気。

これで今までの状況は再整理され、物語はクライマックスへ向けて残り2巻を駆け抜けることになる。

ところで、鯨波のルッツとアッシュは、まだ謎なままでいいんだよな。彼らがいるということは、おそらく、地球は滅びていないんだよな。そして、ドロテア・ワットがセレスを運んできた“ここ”はいったいどこなんだ!?


#それにしても、みなさんの感想を読むと、自分がいかに読み落としているか、記憶力が無いかに気付きますね。勉強になるわあ。

 

 


[SF] 紙の動物園

2015-09-04 23:59:59 | SF

『紙の動物園』 ケン・リュウ (新☆ハヤカワ・SF・シリーズ)

 

ケン・リュウは、ひとりストⅡみたいな筆名ながら、中国系アメリカ人。なので、基本的には日本とは係わりが無いはずなのだが、少し誇張された、ファンタジックな日本文化がたびたび登場する。これがちょっとくすぐったかったり、妙な違和感があったり。

「もののあはれ」なんかは、世界から見た忍耐強く、礼儀正しいという日本人像が描かれているけれども、実際にこんな事態になった時には、日本人は平静を保てるのだろうか。昨今の風潮を見ると、まったくそうは思えないのだけれど。

日本人ではないアジア系だからこそ、我々には見えないファンタジーとしての日本が見えているのかもしれない。

で、作風としては、非常に叙情的な記述が目立つ。人間を描かなくてもいい唯一のジャンルと言われるSFにおいて、敢て人間を深く深く描き続ける。これは賛否両論あっていいかと思う。

自分も、ケン・リュウの「紙の動物園」をSFマガジンで読んだときには、叙情的に寄り過ぎていてあまり好きではなかった。つい最近でも、ケン・リュウはSFである必要が無いといった議論がなされたりもしていたが、自分の印象も、まさに山本弘さんの指摘と重なる部分はあった。

しかし、短編集としてまとめて読んでみたところ、これもやはりSFマガジンに掲載され、ケン・リュウを一気に見直すきっかけとなった「良い狩を」を始め、まさしくSFとしか言えないようなコアSFから、一発ネタの馬鹿SFまでバラエティに富んだ構成になっている。ただの泣かせ小説屋かと思っていたけれど、SF、ファンタジーに対する偏愛と、深い問題意識が見え、SFである必要が無いなんてことはまったくなかった。

特に、後半の意識のアルゴリズム化が共通のテーマになっている作品群を読むと、シンギュラリティの果てにどうしても存在している西洋思想的な壁を、東洋思想的な力で軽々と飛び越えていけるような可能性を感じる。

SFファンとしては、著者本人も言及しているテッド・チャンとの関係も興味深いし、今年のヒューゴー賞を受賞して各方面で話題の『三体』の英訳者でもあるというのも面白い。中国系アメリカ人なので中国でも人気があるけれど、中国ネタの作品はヤバイので翻訳されないとか、本当にネタの宝庫だな、この人。

又吉が紹介していたから、といった理由で読んだ人にも、ちょっとはSFもおもしろいなと思っていただければと思う。

 


「紙の動物園」
感動的ではあるけれど、露骨に泣かせにかかっているようで、実はあまり好きではなかったりする。

「もののあはれ」
誇張された謎の日本人像が奇妙な感じ。ただ、英雄の自己犠牲的行為は好きだよね、日本人。

「月へ」
ファンタジーと比べるには過酷過ぎる現実。

「結縄(けつじょう)」
縄による文字というのは中南米の古代文化にも見られるのだけれど、そっちの方面にいくとは思わなかった。最初から順番に読んでくると、初めてSF的な驚きに曝される瞬間。しかし、結末はケン・リュウらしい。

「太平洋横断海底トンネル小史」
もしも太平洋戦争が起こる前に、日本とアメリカが世界恐慌の対策として太平洋横断トンネルを作ろうとしたら、というifに始まるものの、人間の本質は変わらず、歴史は過ちを繰り返す。

「潮汐」
あまりに科学的な整合性が無いので、ファンタジーのつもりなのかSFのつもりなのか判断が付かず、どう読んでいいのかよくわからなかった。

「選抜宇宙種族の本づくり習性」
本とは何か、記述言語とは何か。小品にまとまってしまっているので、もうちょっと突き詰めて欲しかったか。

「心智五行」
冷静に考えれば、どこかで読んだようなありがちなお話なのだけれど、中国文化が期せずして科学的な方法とクロスするところがケン・リュウらしい。漢方って、要するにこういうことなのだよね。

「どこかまったく別な場所でトナカイの大群が」
このあたりからシンギュラリティの影響下にある作品が連続。テッド・チャン+グレッグ・イーガン的な。この作品自体は、いまひとつな感じ。

「円弧(アーク)」
最初に不老不死を成し遂げた女性の一生。人生は始まりと終わりのある円弧。それだからいいというのは陳腐すぎる。それが選択可能であることに意味がある。

「波」
これも不老不死にまつわる話。資源の限られた世代宇宙船の中で不死が可能になったらという思考実験は面白い。宇宙船地球号も有限な資源であるわけだし。

「1ビットのエラー」
この手の宗教観が出てくる話は、本質的に理解できていないような気がする。著者がこの小説の出版にこだわったということは、ケン・リュウの認識する世界感を読み取る大きなヒントかもしれない。

「愛のアルゴリズム」
これもそう。いや、人間機械論にかなりのところまでは納得している身としては、その通りですが何か、としか。

「文字占い師」
台湾が舞台で、二・二八事件が出てくる。アメリカ国籍を持つ著者の、中国、台湾の歴史に対する複雑な思いが垣間見られる。

「良い狩りを」
中華ファンタジーからサイバーパンクへの飛躍にびっくり。古きものを新しきものが駆逐する。東洋的なものを西洋的なものが飲み込むという捉え方はもちろんだが、ファンタジーからSFへという流れも無視すべきではないと思う。

 


[SF] 我もまたアルカディアにあり

2015-08-17 08:57:31 | SF

『我もまたアルカディアにあり』 江波光則 (ハヤカワ文庫 JA)

 

なんだか、みょうちくりんな話だった。

働きたくない人たちを集めてマンションを作る。そこでは衣食住は保証され、何をやっていてもいい。ただし、いつか来る“終末”に備えること。これは現代社会批判なのか、果てしないスペキュレイティブ・フィクションなのか。

集団には必ず2割の怠け者がいるとか、会社は2割の働き者で動いているとか、そもそもがそういう話なのかもしれない。

働きたくなくて、餓死して死のうとまで思っていた主人公の前に、一緒に子供を作ろうと生き別れの妹が出てくるあたり、ラノベやエロゲーのパロディっぽくもあるのだけれど、そういった批判的パロディが主眼では無いのだろうとは思う。全編がこんな感じで何かのパロディだったり、ネタ的取り扱いだったりする。

餓死して死ぬはずの主人公がアルカディアマンションに入り、餓死するどころか暇をもてあまして働き始め、最後には大日本(そう、大日本政府なるものが出てくるのだが、これも昨今流行のネトウヨ批判ではなく、あくまでもネタ的取り扱いに見える)の未来に(間接的に!)関わっていくという皮肉な話になっている。つまり、主人公は怠け者の2割として隔離されたにも係わらず、その集団の中では働き者の8割になってしまう。

アルカディアマンションの管理者も、酔狂な金持ちや狂人的な宗教家ではなく、秘密の国家プロジェクトに係わる公務員だとか。つまり、アルカディアマンションは国家的な社会実験か、本当の意味でノアの箱舟として作られたものだ。その真相は思わせぶりに匂わされるだけで、明確には語られない。

それでも、幸か不幸か、大日本とアルカディアマンションを、前代未聞なテロと事故と天変地異が次々と襲う。それでも、終末は来ないと嘯いている主人公が可笑しい。それ、すでに終末じゃないか。

メインとなる主人公の一生を語る物語の合間に、彼の子孫と思われる人々のエピソードが挟まれ、アルカディアマンション、および、大日本の未来が語られていく。そして、その結末は、主人公と妹の(遺伝子の)世代を超えた邂逅であり、遠大なラブストーリーと読むこともできるようになっている。

しかし、“これ”はいったい何なんだろうか。

現代社会批判でもなく、未来社会予測でもなく、笑えるパロディでもなく……。ネタが詰め込まれている割に、それぞれの要素が弱いために、なんでもありで何にも無し。

しかし、こういうのが意外と著者の死後あたりに文学的に評価され、カルト的な人気を誇るようになるのかもしれないなと思った。

 


[SF] 折り紙衛星の伝説

2015-08-17 08:49:32 | SF

『折り紙衛星の伝説 年刊日本SF傑作選』 大森望/日下三蔵 編 (創元SF文庫)

 

毎年毎年お疲れ様ですといった感じの傑作選。今回はなんでこれが選ばれたのかというものが多かった気がする。作品そのもの力ではなく、2014年に活躍した人、見出された人という視点で選んでないか?

個人的ベスト1作品だけ選ぶとすると、「「恐怖の谷」から「恍惚の峰」へ」かな。次点で「わたしを数える」。



○ 「10万人のテリー」 長谷敏司
ゲーム中だけに実行される人工知性というアイディアもさることながら、アナログハック・オープンリソースという試みが面白いと思った。日本ではシェアワールドはなかなか成功しないので、ちょっと興味深い。

○「猿が出る」 下永聖高
もっと後味の悪い話だと記憶していたら、意外にさわやかな結末だった。

○「雷鳴」 星野之宣
それにしても、恐竜の謎は尽きないものだ。雷に結びついた連想もおもしろい。

○「折り紙衛星の伝説」 理山貞二
SFのロマンをストレートに表現するこのタイトルは反則的。収録作が「百年塚騒動」の方じゃなかったのは残念。

○「スピアボーイ」 草上仁
これはよい。スペースオペラは西部劇から来たものだしね。

○「Φ」 円城塔
初読の時は途中で気付いたが、わかった上で最初から再読してみると、思っていた以上に美しい。

○「再生」 堀晃
SF作家というのは何を書いてもSFになるものなんだなぁと。

○「ホーム列車」 田丸雅智
誰もが考えたことがあるようなネタ。そのままホームで寝てしまうというあたりがほのぼのしていて良かった。

○「薄ければ薄いほど」 宮内悠介
『エクソダス症候群』風。宮内悠介は完全に作風を確立してしまったが、ここからどう崩していくかが課題になるかも。ホスピスは緩慢な自殺というのは厳しい視点だが、反論は難しい。

○「教室」 矢部嵩
不条理。グロイ。

○「一蓮托掌(R・×・ラ×ァ×ィ)」 伴名練
うーん、やっぱりラファティはわからん。

○「緊急自爆装置」 三崎亜記
なぜ自爆なのか。

○「加奈の失踪」 諸星大二郎
だから、ネームバリューだけで選ぶな。

○「『恐怖の谷』から『恍惚の峰』へ0その政策的応用」 遠藤慎一
例のあれ。おお、論文形式なのに、ちゃんとSFになってる。すごい。

○「わたしを数える」 高島雄哉
いろいろなものがなんともミスマッチでありながら、なんだか切なくなる感じ。数えることは認識することというテーマはおもしろい。

○「イージー・エスケープ」 オキシタケヒコ
『トリノホシ』は、やってません。

○「環刑錮」 酉島伝法
著者本人のちょっとした解説があると、格段にわかりやすくなるものだ。

○「神々の歩法」(第6回創元SF短編賞受賞作) 宮澤伊織
いかにもゲームのシナリオ的な。アメコミの絵柄で脳内再生される感じ。え、この人、魚蹴さんだったのか!

 


[SF] ゼンデギ

2015-08-08 22:17:15 | SF

『ゼンデギ』 グレッグ・イーガン (ハヤカワ文庫SF)

 

イーガンの新作だと思って期待して読んだら、ちょっとびっくりした。

第一部の舞台となる2012年(原書刊行は2010年)のイランにおける市民革命は前振りだとして、2027年の第2部ではイーガン流のぶっ飛んだ理論が見られるのかと思いきや、主人公マーティンの余命が短くなるにつれて残りページ数も少なくなり……。

扱っているネタは『順列都市』や『ディアスポラ』に近いのだけれど、その扱い方がまるで正反対。古くは人間なんか添え物といった物語を展開していたのに、今度はなんと人間の心、気持ちが焦点だ。イーガンって、人間的倫理なんてくそくらえって作風じゃなかったっけ?

ゼンデギとはペルシア語で“人生”を表す言葉であり、より具体的には、作中に登場するバーチャル空間を示す。ユーザはヘッドマウントディスプレイやフィードバックグローブをつけ、ランニングマシーンのように床の動くカプセル状の空間に入って体感ゲームや参加型ムービーを楽しむという趣向。

ここで重要になってくるのが、ユーザやネットワーク経由の参加者以外の、いわゆるモブといわれるNPC。ドラクエなんかでは「ようこそ、○○へ」とか、「僕は悪い魔物じゃないよ」とか、固定した台詞しかいえないモブキャラが、AIの進化によってある程度、人間と変わりない反応を示すようになる。

そして、その先で問題となるのは、どうやったら人間のように反応するAIを作ることができるのか。どこまでなにをシミュレートしたら、人間と区別が付かなくなるのか、ということだ。

この物語中では複数のアプローチや考え方が紹介され、重要なキーポイントになっているところが興味深い。特に、人間と区別が付かなければいいという考え方は、古典的なチューリングテストの概念を発展させたもので、とにかく計算量の許す限り何でもシミュレーションしようという概念とは異なる開き直りがあって面白い。そこでは意識とは何かという問題は華麗に切り捨てられている。

で、結局のところ、SF的ネタや意識や知性の問題は背景に過ぎなく、死にゆくマーティンが息子に何を残せるのかと葛藤する物語になっている。過去のイーガン作品から考えると、短編を無理矢理長編に引き伸ばしたような感じがして、どうもにも違和感があった。求めているのはそうじゃないというか、それならイーガンじゃ無くてもいいというか。

でも、短編にはこの手の作品もいろいろあるので、イーガンの作家としての本質はこっち側なのかもしれないね。

 


[SF] SFマガジン2015年8月号

2015-07-24 23:08:59 | SF

『S-Fマガジン2015年8月号』

 

特集は「2000点到達記念特集 ハヤカワ文庫SF総解説 PART3[1001~2000]」。これで遂に完結。さぞかし大変だったことでしょう。お疲れ様です。

このあたりは読んでる本が増えてくるのだけれど、明らかに本棚にあるのに、内容を覚えていないものが多すぎる。どちらかというと、古い、いわゆる名作と呼ばれるのもの方が記憶に残っているのは、ガイドブック記事やなにやらで何度も記憶が強化されているからなんだろうか。

ブログをはじめた後は、記憶には無くてもブログ記事が残っているものがあって、その内容もまったく覚えてなかったりするので、すごく面白い。ほとんど記憶喪失レベル。というか、実は宇宙人がなり代わってるのかもしれない。

他の記事の中で面白かったのは、伊藤計劃を取り上げた「エンタメSFファンタジイの構造」(飯田一史)。残念ながら、これが最終回。なんだかんだ言われているけれど、伊藤計劃のやっていることはオーソドックスな王道だからな。アクションSFの新人賞を、というのは良い提言だとは思うけれど、今でも他で充分、間に合っているからいらないという反論はありそう。

確かに、リアルフィクションの頃はSF界が冬の時代だったせいで、いろんなところから人材を持ってきてたし、それはそれで多様性があって面白かった。ただ、それ以上にSFコンテスト出身者の小説は面白いし、今号で紹介されている『我もまたアルカディアにあり』の江波光則とか、リアルフィクションの系列も継続しているわけだし。

あと、山田某と並べて、有川浩の『図書館戦争』を、外側が描かれない例として並べるのはやめて欲しい。あれは『華氏451』を下敷きに、当時の表現規制法制化への動きに対する批判を込めたまともな近未来SFじゃないか。

 


「変身障害 《TSUBURAYA×HAYAKAWA UNIVERSE》」 藤崎慎吾
やっぱり、梅に鶯、牡丹に唐獅子。和室にちゃぶ台とくればメトロン星人だよね。

「縫い針の道」ケイトリン・R・キアナン/鈴木 潤訳
頭がぼけてて意味がわかりません。解説プリーズ。“縫い針の道”が出てくるのは有名なグリム童話じゃなくて、フランス民話版なのか。

「と、ある日の解凍」 宮崎夏次系
なんか怒りつつ、ちょっとうれしいのだよね。コミュニケーションの仕方をこれしか知らないというか。

「絞首台の黙示録」 神林長平
めでたく最終回を迎えたわけだが、なんとも消化不良。『太陽の汗』的な重ね合わさった世界と見るべきか、ただの憑依なのか。これ、単行本では大幅に加筆修正されるんじゃないかという気が……。

 


[SF] SFマガジン2015年6月号

2015-07-24 22:59:16 | SF

『S-Fマガジン2015年6月号』

 

特集は「ハヤカワ文庫SF総解説PART2」。このまま500巻づつ2000番台まで行くのか。

ぽろぽろ拾い読みしているが、このあたりのものは、タイトルに見覚えがあって、読んだはずなのに内容を覚えていないものが多すぎて困る。



[連載]
「マルドゥック・アノニマス〈第3回〉」 冲方丁
どんどんキャラが増えていく。しかし、ウフコックのパートナーがボイルドやバロットに比べて、どいつもこいつもあまりにダメダメ過ぎじゃないか。

「エピローグ〈エピローグ〉」 円城塔
ついに完結したのはいいけれど、これは連載で細切れに読む小説じゃない。単行本化されたら買う。

「絞首台の黙示録〈第9回〉」 神林長平
なんか、話が急に飛んだような気がして4月号に戻る。

「青い海の宇宙港〈第3回〉」 川端裕人
なんかこう、いてもたってもいられないような焦燥感。夏が過ぎていく。

 

[読切]
「神待ち」 松永天馬
10年後に読んだら、まったく意味不明になるかもしれない。それぐらい“今”を的確に反映している。

「《TSUBURAYA×HAYAKAWA UNIVERSE》 痕の祀り」 酉島伝法
ウルトラマンに倒された怪獣をいかに解体するかというのは確かに大変な課題だけど、たいてい爆発してなかったっけ。描写が気持ち悪すぎなわりに、爽やかな読後感が意外。

「『輸送年報』より「長距離貨物輸送飛行船」(〈パシフィック・マンスリー〉誌二〇〇九年五月号掲載)」 ケン・リュウ/古沢嘉通訳
炭素排出量規制が極端に先鋭化した社会での飛行船の有用性と、南北問題から生まれた夫婦間の文化の違いと固い絆。ものの見方はひとつではないことを強く印象付けられた。

 


[SF] イリスの炎

2015-07-15 23:59:59 | SF

『イリスの炎 グイン・サーガ136』 宵野ゆめ (ハヤカワ文庫 JA)

 

新生グイン・サーガのケイロニア篇。

冒頭にパロ篇の続きがちらっと出てくるが、ヴァレリウスご一行は、この後ケイロニア篇に合流するのか。パロ篇の五代ゆうが体調不良らしいので、その影響もあるのかと思っていたら、なんと宵野ゆめも体調不良だと。まさか……。

で、そのケイロニア篇。正妻シルヴィアはグラチウス軍団に連れされて行方不明の中、二号のヴァルーサが出産。この出来事がケイロニアの闇を払い、すべては正常に戻るのではないかと思われるけれども、結局それは元凶のグラチーがケイロニアを去ったというだけのことかもしれない。

まだまだケイロニアには、シリウス王子の件も含めていろいろ地雷が埋まっていそうだが、グインはまたまたシルヴィアを追って探索の旅へ出そうな感じ。

そうすると、焦点はやはりパロへ。

この先は書き手が五代ゆうになるのか宵野ゆめになるのか。

せっかくリブートしたシリーズなので、みんなが納得する形で結末まで迎えるためにも、お大事に、としか言いようがない。

 


[SF] 波の手紙が響くとき

2015-07-15 18:32:22 | SF

『波の手紙が響くとき』 オキシタケヒコ (ハヤカワSFシリーズ Jコレクション)

 

第三回創元SF短編賞優秀賞受賞者である著者が、ハヤカワのSFマガジンに掲載した連作短編に書き下ろしの表題作を追加した短編集。SFマガジン掲載の3話目までは既読だったのだけれど、最後の最後にこのネタを持ってきたかというのが驚き。

1話、2話は最新の音響工学の知見をネタにした、“空想”の付かない科学小説、もしくは、科学ミステリといった感じ。エコーロケーションや、局所音場制御は現実の科学技術であり、ここまでは今の現実と大きな隔たりは無い。

これが3話目でひっくり返る。いきなり武佐音研に強盗が入るという冒頭からして不穏であるが、ここで描かれるのは寄生虫のごとき“音”。ここでSFマガジンでの掲載は終わっているので、かなり違和感があった。

当時のSFマガジンでの感想でも、あまりに違和感があったので、あえて触れていなかった点だ。

そして、書き下ろしの最終話。このクライマックスで遂に連作を通して語りたかったテーマが浮かび上がる。この結末、この真相へ向けて、すべてが伏線だったのか。

まさしく、連作の4話がそれぞれ起承転結を象徴するような見事なプロット。これには脱帽である。

1話から4話までの登場人物たちが相互に意外な深い係わりを持つ点は、キャラクターの掘り下げがうまくいっている反面、世界が狭いような気がする。あるいは、周囲をことごとく巻き込む天性のパワーで、すべての焦点となる破天荒なアーティスト、響が全部悪い(笑)。

最後まで読み終わった後で、タイトルを眺めるとものすごく感慨深いし、真相を知ってしまった後では、このタイトルだけで感動できる。

ライトノベル的なキャラクター小説であり、音響工学ミステリであり、そして、あまりにもSF的なテーマを秘めた、SFらしいSFだった。ベタでも何でも、こういうのは大好物である。

 

……うちのSETI@homeもしばらく動かしてないんだだけど、再開してみようかな。と思ったら、処理ユニットが品切れとな!