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神なる冬

カミナルフユはマヤの遺跡
コンサドーレサポーターなSFファンのブログ(謎)

[SF] NOVA+ 屍者たちの帝国

2015-11-24 23:59:59 | SF

 

『NOVA+ 屍者たちの帝国』大森望責任編集 (河出文庫)

 

伊藤計劃が残したわずか30ページの序章。それが円城塔の長編小説となり、ノイタミナムービーとしてアニメにもなった。

魂を失った死体へ“霊素”をプログラムのように書き込み、屍者として復活させる。そのゾンビは奴隷であり、労働者であり、ペットであり……。

屍者=プログラマブル・ゾンビを扱った作品だけに、「伊藤計劃という死者を無理矢理動かそうとする悪ふざけ」というのは、円城塔の弁だが、これほどまでに愛情あふれた言葉は無いかもしれない。

この短編集は、それらを下敷きにしたシェアワールド短編集である。

最初に企画を聞いた時には、それぞれの作家が、伊藤計劃の序章の続きを書くのかと思ったのだけれど、さすがにそれはなかった。あくまでも、世界観を共通の下敷きにしたシェアワールド。

我々のよく知る(歴史上や他作品の)キャラクターが、伊藤計劃(と円城塔)が作り上げた魅力的な世界で生き生きと動き出すというのが面白さのひとつ。

架空の19世紀を舞台とし、歴史上の実在人物、フィクションの登場人物が次々と関わっていくヒーロー大決戦的な展開はスチームパンクの典型でもある。

そうか、19世紀というと既に著作権切れなのでこういうことができるのだな。

とはいえ、あちこちで出てくるあの博士の設定とか、もうちょっと作品間での横のつながりも欲しかった気がする。しかし、そこまで厳密なシェアワールドでもないし、いいか。

 


「従卒トム」 藤井太洋
主人公はアンクル・トムの孫。世界SF大会でアメリカ人にストーリーを話したら大爆笑だったというネタ。屍者と奴隷の相違、および、支配者と被支配者の逆転がツボなのだろうが、日本人としては幕末の登場人物の造形が楽しい。

「小ねずみと童貞と復活した女」 高野史緒
ロシア文学の『白痴』(未読)を下敷きにしているが、『アルジャーノン(略)』をはじめとしたSF作品からのネタがそこら中に散りばめられている。そうか、ドウェル教授はのちにサイモン・ライトになったのか!

「神の御名は黙して唱えよ」 仁木稔
屍者とイスラム神秘主義を重ね合わせた作品。宗教と科学の比較論ってわけでもないか。

「屍者狩り大佐」 北原尚彦
円城版『屍者の帝国』の正当な枝篇。いろいろ無茶な事件は、すべてあの博士の仕業か!

「エリス、聞えるか?」 津原泰水
タイトルから別な小説へのオマージュかと思ったけど、そうでもなさそう。藤井氏の作品もそうだが、“屍者”を十把一絡げの労働力として位置付けるのではなくて、こういう視点の方が日本人的感性に合うのかも。

「石に漱ぎて滅びなば」 山田正紀
なんだか一番“屍者”の設定や意味から離れていそうだが、それだけに、収録作の中ではいちばん破天荒な作品になった。

「ジャングルの物語、その他の物語」 坂永雄一
主人公のアランって誰かと思ったら……。ここでもあの博士が登場とか、歴史や名作に繋がっていく設定を読み解いていくのが読みどころ。小説内には直接は関係ない歴史のその後も描かれているのも、想像が膨らんで良い。

「海神の裔」 宮部みゆき
単純にうまいなという感想。これも新たな視点の“屍者”の捕らえ方だと思うけれど、やっぱり、こっちの方が短編に仕立て上げやすいのだろうね。

 


[SF] SF Jack

2015-11-20 23:59:59 | SF

『SF Jack』 編集:日本SF作家クラブ (角川書店)

 

日本SF作家クラブ設立50周年記念出版。当然、2013年の出版で、当時うかつにも新刊で買ってしまったのだが、分厚いハードカバーなのに短編集という取り合わせのため、家でゆっくりと腰をすえて読むにも、電車通勤のお供にも不適なので、本棚の奥に放置されたままだった。それが引越しを機に発見され、やっと読まれたというもの。

しかしながら、これが現在の日本SFの最高執筆陣かというと、まったくそういうわけもなく。さらに、各著者にとってもこの収録作品が最高傑作かというと、まったくそういうわけでもなく……。

この手の企画でありがちなように、特にテーマの統一性や、同時代性も感じられず、顔見世興行的な意味しか感じられなかった。

結局のところ、これがSF作家クラブの限界であって、2013年の時点ですら、活きのいい若手や話題の中心となる作家たちはSF作家クラブの外にいたということなのだろう。日本SFの中心は、すでにそこにはなかった。

この企画の直後に瀬名秀明はSF作家クラブ会長を辞任し、クラブも退会。恨み言(問題提起と言え!)を残して隠遁した。

そして、今年2015年の9月に、新会長となったのは、なんと、これまでSFコミュニティとは無縁の藤井太洋だった!

彼はSF作家クラブを改革していけるのか、それともしがらみに巻き込まれて、瀬名氏と同様に疲弊していくのか。興味深く見守りたい。

いや、ほんと、潰れないようにがんばってください。

 


「神星伝」 沖方丁
視覚的にはロボットアニメのノベライズながら、文体が文語調という微妙なミスマッチが魅力的な作品。しかし、本当にロボットアニメの第一話レベルで終わってしまっているのが惜しい。

「黒猫ラ・モールの歴史観と意見」 吉川良太郎
お久しぶりの吉川良太郎は相変わらず猫なのか。大穴に放り込まれたギロチン死体に生えたカビから新たな知性が生まれるという馬鹿SFっぽさはいいのだけれど、それだけで終わってしまった。

「楽園」 上田早夕里
死者のシミュレーションが導く楽園。人体改造により、従来の共感を超えた相互理解は可能なのか。その先に複数の未来を見せたままのオープンエンドというのはある意味、意地が悪い。

「チャンナン」 今野敏
空手の歴史的な薀蓄はいいのだけれど、SFとしては弱すぎ。

「別の世界は可能かもしれない」 山田正紀
共感能力によって人間を操るマウス。種族として、個体としてではなく、遺伝子の乗り物としての生存闘争。タイトルの言葉が作中に出てくるのだが、唐突過ぎて意味がわからなかった。

「草食の楽園」 小林泰三
第九条主義者と新自由主義者の末路。これはこれで生態系のバランスさえ取れれば、平和な社会になるんだろうけど、草食の親から生まれた子が草食とは限らないので不安定にしかならない。

「不死の市」 瀬名秀明
ケルト神話を下敷きにした文学的ファンタジー。著者はこの年に日本SF作家クラブ会長を辞任し、SFから離れる宣言をしている。この時期の作品の典型で、文学的表現に気を使いすぎて読者が置いてきぼり。

「リアリストたち」 山本弘
ネットなどで話題のネタを、アナロジーを用いてその問題を浮き出させるという、著者が得意とする形式。ちょっとキレが悪いし、焦点が散漫な気がした。

「あな懐かしい蝉の声は」 新井素子
新井素子語には、もはや懐かしさすら覚える。マジ電波受信で蝉の声も聞こえないっていう冗談みたいな話を、ノスタルジーを覚えるような小説に仕立てているところに、作風の老成(円熟と言え!)を感じるのは気のせいか。

「宇宙縫合」 堀晃
なるほど、縫合ってそういうことか。なんだか理屈が合っているような、おかしいような……。

「さようならの儀式」 宮部みゆき
日本人が家電製品や日用品をすぐに擬人化してしまうのは、すべてのものに神が宿るという八百万の神の信仰に関係あるのか。この作品はそんなことにあまり関係なく、もっと根源的な知性の可観測性の話。

「陰熊の家」 夢枕獏
傀儡子もの。バクさんは、もう本格SFには帰ってこないのか。SFマガジンに連載あるけど、あれも拡大解釈してもSFっぽくないよ。

 


[SF] SFマガジン 2015年12月号

2015-11-18 23:59:59 | SF

『S-Fマガジン 2015年12月号』

 

《SF Animation × Hayakawa JA》と題して、SFアニメ関連の記事が特集されている。

"Project Itoh"関連映画3作品は見たいんだけれど、最寄の上映館がいつもの立川ではなくて府中なので躊躇中。ビデオでいいかという感じ。

『コンクリート・レボルティオ』は、そんなに興味なし。昭和を舞台にって、あからさまにおっさん狙いなのか?

『蒼穹のファフナー』は再放送で見たけれど、現在放映中のやつは出遅れてしまったので、そのまま放置状態。

70年代のヤマト、80年代のガンダム、90年代のエヴァンゲリオンときて、その後は社会現象になるまでのSFアニメが出ていないなぁ。確かに、ファフナーは00年代を代表するアニメになりそうだったけれど、社会現象とまではいかなかった。

あとは、まど☆マギぐらいか……。

結局、エヴァンゲリオンがまともに完結せず、ガンダムも再利用され続けている状況では、新しいコンテンツの出番が無いのだよね。いや、これまた、ガンダムやエヴァを駆逐するようなSFアニメが生まれていない結果という逆の話なのかも。

掲載小説では《TSUBURAYA×HAYAKAWA》から小林泰三の『ウルトラマンF』が開始。これまた昭和のおっさんホイホイで、ウルトラマンのその後の世界を描くという意欲作。

冲方丁の『マルドゥック・アノニマス』はターニングポイントというか、これからまたお使いRPG開始?

新生SFコンテストからは、第1回、第2回と破天荒な力作が生まれてきたのだが、果たして今年はどうか……。

今号で一番面白かったのは、読者の意見が載るテレポート欄で、前号の前島氏の伊藤計劃をボンクラ先輩として捉える評論を岡和田氏が批判し、それに対して塩澤編集長自らが応答しているところ。

テレポート欄での論争は、以前は多くあったようだが、塩澤さんがテレポートで応答するのは珍しい。かつての「SFの冬」論争の時は、自分で仕掛けたくせにちょっと引いた立ち位置だったように思うのだけれど。

伊藤計劃論争、もしくは、伊藤計劃以後論争というのは微妙にくすぶっているように感じるので、この際、一気に片付けて欲しい。

あと、津原泰三が口火を切った『SF Japan』の「憑依都市」崩壊の犯人探し(?)や、日本SF作家クラブのゴタゴタとかも。まあ、あれはゴシップであって論争ではないか。

 


「ユートロニカのこちら側」 小川哲
新人賞受賞作としては、文章はかなりこなれてるし、感動的ではあるのだけれど、なんだかどこかで読んだような話に思えるのはなぜなのか。

「世界の涯ての夏」 つかいまこと
ありがちなVR世界と見せかけて、そうでもなさそうな感じ。これは長編で読まないと評価ができないだろう。

「終末を撮る」 パオロ・バチガルピ/中原尚哉訳
『神の水』からのスピンオフ作品。【PR】タグが必要でしょう。

「ビューティフル・ボーイズ」 シオドラ・ゴス/鈴木 潤訳
イケメン・ダメンズを安易にエイリアンに見立てたとしか思えないのだけれど。いや、やつらは本当にエイリアンかもしれない。

 


[SF] 伊藤計劃トリビュート

2015-11-11 09:31:23 | SF

『伊藤計劃トリビュート』 (ハヤカワ文庫 JA)

 

タイトル通り、伊藤計劃にささげる短編集……ということだが、もともとこの企画ために書かれたのではない短編や、これから出版予定の長編小説の冒頭などが混じっているというのが面白い。

しかし、特別にこのために書かれた作品ではなくても、特に“伊藤計劃以後”の若い書き手の作品には、意識的にか、無意識にか、伊藤計劃の作品から本歌取りしたようなモチーフが繰り返し現れる。

昨今では、どんなSFを書いても伊藤計劃的になってしまうというのは、伊藤計劃の先見性を讃えるべきか、伊藤計劃など所詮流れの中のひとつと見るべきか。

伊藤計劃をフラッグに掲げる問題の是非はともかくとして、現在のSFの面白いところが集積されていて、昨今まれに見る傑作短編集になっているのではないかと思った。


「公正的戦闘規範」 藤井太洋
『虐殺器官』、『ハーモニー』への応答としてはあまりにストレートなので、パロディっぽくも見えてしまう。まさに伊藤計劃の書きそうな小説ではあるが、たぶん、伊藤計劃ならばもっとバイオ側に寄せてくるかなと思った。どちらかというとネタ的には、とても藤井太洋らしい小説と言ってもいいんじゃないかと思う。それだけ興味の重なる領域が近かったということなのだろう。兵蜂の意味は検索してちょっと笑った。

「南十字星」 柴田勝家
なんと、短編小説ではなく、次回長編の冒頭。この人はまさに「伊藤計劃以後」というべき作家だろう。伊藤計劃に出合わなければ、SFを書くどころか作家としてデビューしていなかったかもしれない。それだけに、彼にとって書くこととは伊藤計劃の後を追うことに他ならないのだろう。けれども、そこから一歩踏み出した後の、柴田勝家を早く見たい気がする。

「仮想の在処」 伏見完
たとえば、難病や障害のある姉妹を持つことに通じるものがあるかもしれない。シミュレートされた姉のために虐げられ、愛情を与えられなかったと感じる妹の告白と、その葛藤が無意味であったかのような結末に、なんとも言えないもやもやした読後感だった。『ハーモニー』に触発された百合的展開というのはわからないでもないけれど、やっぱりなんだかもやもやする。

「未明の晩餐」 吉上亮
鉄道網の敷地が社会から分断されて生まれたスラム。死刑囚を乗せた護送車がその中を永遠にひた走るという設定はビジュアル的におもしろい。味覚臭覚舌触りまで、食事の経験をシミュレートする《偽食》というアイディアもおもしろい。ただし、この作品でそれらの魅力が伝わりきるかというと、ちょっと。連作として続けると、もっと大きなテーマにぶち当たるかもしれない。

「にんげんのくに」 仁木稔
この小説内での“人間”という言葉の使い方は、“アイヌ”という言葉の使い方に近いんだろうなと、直感的に思った。南米の一種族をモデルに、未来の“人間”を夢想することにより、括弧なしの人間の本質を考えようということがテーマかな。蛮族に見える部族が、実は古代文明から退歩した姿というのはSF的には珍しくも無いネタなのだけれど、現実でもそのような話があるということは意外に思われそうだ。

「ノット・ワンダフル・ワールズ」 王城夕紀
『ハーモニー』で取り上げられ、直近だとアニメ『PSYCO-PASS』に引き継がれてきた管理社会。それを、便利な世界ではなく、選択が狭められた世界と捉える。ユートピアとディストピアの表裏一体性が可視化され、世界がひっくり返る感覚が心地よい。《調和》という言葉は『ハーモニー』を意識していることはすぐにわかるわけだが、そこにある欺瞞を直視しようとしているのか。

「フランケンシュタイン三原則、あるいは屍者の簒奪」 伴名練
もっとも短編集表題に近い作品。もしくは、伴名練による『屍者の帝国』の完成形。“魂”を持たない人間とは、哲学的ゾンビとはまた違った怖さを持つ。死を目前にした伊藤計劃が魂の重さを考えなかったはずはなく、その点でも、彼が魂の不在をどのように考えるのかは興味深い。そして、作品中にちりばめられた、思わせぶりというにはあまりにも直截すぎるセリフやモチーフに感傷的な気持ちを覚える。

「怠惰の大罪」 長谷敏司
キューバの麻薬帝国にもたらされたAIによって翻弄される主人公の話。半分を過ぎるまでは、SF的雰囲気はまったく無く、ビッグデータから推論を導き出すAI登場後も現実の範疇に収まる。なるほど、これも長編の冒頭か。主人公が麻薬密売人の使いっぱしりから幹部へ、さらに帝王へとのし上がっていく過程が描かれるわけだが、本当の意味での伊藤計劃的な部分や、問題意識はまだ見えていない気がする。

 


[SF] 大尉の盟約

2015-11-11 09:19:39 | SF

『大尉の盟約(上下)』 ロイス・マクマスター・ビジョルド (創元SF文庫)

 

なんと今回はイワンが主人公。帯にはデカデカと「イワン、偽装結婚する」との文字が。“偽装”結婚とは、なんともイワンらしい。

それにしても、イワンという名前の男は何百年たっても「イワンの馬鹿」と呼ばれ続けるのだろうか。まったく、かわいそうなことで。

ところが、さすがに主人公の今回は、馬鹿というには失礼なほどの有能ぶりを見せ付ける。あまりに有能なマイルズのそばにいるとかき消されてしまっているけれども、イワンも充分に優秀な男なのだよね。

とはいえ、かわいい女の子の絶体絶命の危機を救う手段が、ヴォルである自分と結婚させるというのは、あまりにイワンっぽい解決方法で笑ってしまう。しかも、この二人はちゃんとお互いを好きになってしまうというのだから、さすが、イワンである。

何をやっても「イワンらしい」と読者が思えるのは、著者がそれだけ念入りにキャラクターを造形している証拠。ただの脇役ではなく、もうひとりの主人公足りえるくらいに、これまでにも充分書き込まれてきたということだろう。

前半はそんなこんなで、わけありそうな美少女テユ(巨乳!)とのラブコメタッチなのだが、後半は彼女の家族が出てきて何やらきな臭い感じ。

正直言って、テユの家族が阿呆すぎてなんとも言えない。これだけ阿呆なら、そりゃ、商館乗っ取りに合うだろうさ。

イリヤンも、さすがに往年のキレは無い感じだが、結果的に思い通りになっているし。このひと、外見からは想像できないくらいに、意外と内心ではいろいろなことを面白がってるんじゃないかと。

物語のテーマとしては、テユ側、イワン側双方の家族のキズナというところなのだけれど、いつにもましてコミカルな作風で笑わせてもらった。やはり、これも主人公がイワンだからなのかもしれない。

 


[SF] 複成王子

2015-11-11 09:08:57 | SF

『複成王子』 ハンヌ・ライアニエミ (新☆ハヤカワ・SF・シリーズ)

 

フィンランド発、ライアニエミの『量子怪盗』に続く《ジャン・ル・フランブール》シリーズの2作目。

火星から地球に舞台を移し、ポスト・シンギュラリティにおける高次情報生命体同士の派手な争いが描かれる。

アラビアンナイトに模した物語世界や、幾千の殺戮天使が砂漠に舞い降りる様子など、視覚的な面白さは抜群なのだが、すでに想像力の遥か彼方を行ってしまっているので、実際はうまくイメージができないシーンも多かった。

造語だらけで何がどうなっているのか詳細にはわからないが、とにかく雰囲気だけでもすごいというのは、個人的には『ニューロマンサー』を読んだときの記憶に近い。

おまけに、これは三部作で、どうやらこれまでに造語の意味が明かされていないものもありそうだ。とにかく雰囲気だけで読んで、想像と推測で補っている感じで、読みずらいことこの上ない。

これでも日本語版はまだ親切仕様で、英語だと漢字+ルビが無いのでさらに意味がわからないだろうというのは訳者(酒井さん!)のあとがきにあったけど、本当かいな。これ以上、わかりにくかったら、何が起きているのかさっぱりわからないだろうに。

それでも、どういう世界なのかがだんだんわかってきたからなのだろうが、1巻目よりは楽しめた。本当は完結したら最初から再読すべきなのだろうけど、そんな時間はどこにある。

今回は特に、著者の意図的なものから、こちらの読み間違いまで、叙述トリック的な登場人物の取り違えが多かった気がする。こういうのを楽しめるかどうかで、面白さは大きく変わってきそうだ。

そもそも、あの人はあの人の別人格(というか、ブランチ)なんじゃないかという疑惑が出てきたりもしたのだけれど、これもただの読み間違いか?

 


[SF] SFマガジン 2015年10月号

2015-10-10 16:26:36 | SF

『S-Fマガジン 2015年10月号』

 

隔月発行なのですっかり忘れていたSFマガジン。1ヶ月遅れで書店に行ったら平積みだったので一安心。その今号は伊藤計劃特集。

伊藤計劃はぜんぜん新しくなくって、あれはクラシックで王道だと言い続けているつもりだけど、いまだに“伊藤計劃以後”、“ポスト伊藤計劃”なんてことが言われ続けている。実に6年だよ、6年。

それはさておき、今月号の座談会を読んで、“伊藤計劃以後”と呼ばれるものが何なのかわかってきた気がする。それはSFのスタイルではなく、テーマにあるわけだ。

“伊藤計劃以後”を代表する作家として新鋭の(とはいえ、伊藤計劃と同世代の)藤井太洋に加え、仁木 稔と長谷敏司の二人が座談会に参加している。この二人は伊藤計劃よりも前にデビューしているわけで、“伊藤計劃以後”と名付けるにはかなりの違和感がある。

しかし、彼らは伊藤計劃と同世代として同時代を生きることによって、技術によるヒトの変革という同様なテーマを同様に描こうとしてきた。

ヒトの変革自体はSFの古典的テーマでもあるが、2000年代の日本において、社会をまさに変革したケータイ文化に代表される技術が、ヒトそのものへも変革を迫るという世相を反映した新しいテーマとして浮かびあがってきたのではないか。

それまでとは質的にも量的にも異なった、いわゆる普遍的にパーソナルなものとしての技術革新がSFの世界に“伊藤計劃以後”を作り出したのではないか。

“それ”は、伊藤計劃の死がなければ、おそらく別な名前で呼ばれていたであろうものであるけれども、どう呼ばれようが、新たなトレンドとしてくくられるべきものがあったのは確かだと思う。

で、その死を、良くも悪くも商業的に利用したのがハヤカワの“伊藤計劃以後”というキャッチフレーズであり、これが思いのほか成功して、若い人々の中に“伊藤計劃チルドレン”とでも呼ぶべき世代が生まれてきたというのも凄い話だ。

それでもやっぱり、このへんのムーブメントを“伊藤計劃以後”と呼ぶのは、納得し難いのだよね。伊藤計劃以外の業績を軽んじているようで……。

 

ところで、隔月刊行になったせいか、今号の小説は連載も読みきりも、胸焼けしそうなほどに濃厚でボリュームも大きかった。特に「アノニマス」は堪能したけれども、やっぱり隔月で連載っていうのは前回の出来事をすっかり忘れてしまうな。

 


「無能人間は涙を見せない」 上遠野浩平
元祖中二病小説。これって、不定期連載じゃなくて読みきりなのか?

「彼女の時間」 早瀬耕
夢オチかと思わせて……夢オチとか、時間の進みが出てくるので光速かと思わせて軌道上とか、いろいろ裏切られた気がするけど、気持ちよく読めた。

「イシン―維新―」 マデリン・アシュビー/幹 遙子訳
ドローンSFであり、バディもの。年配のオヤジと少年のコンビがスーツを通じて感覚を共有するとか、あっちの方面で受けそうな。上上下下コマンドはやり
すぎ。

「苺ヶ丘」 R・A・ラファティ/伊藤典夫訳
これ、著者名を隠して当てろといわれたら、絶対にラファティの名前は出ないと思う。えーっと、キング?

「罪のごとく白く、今」 タニス・リー/市田 泉訳
読みながら、これってシンデレラなのか白雪姫なのかと迷ったけれど、それらいろいろ全部なのか。最後に時系列のつながりを間違って理解していたことがわかって、ありゃりゃりゃ。

 


[SF] 孤児たちの軍隊4 ―人類連盟の誕生―

2015-10-10 16:16:07 | SF

『孤児たちの軍隊4 ―人類連盟の誕生―』 ロバート・ブートナー (ハヤカワ文庫 SF)

 

続編を最初から想定していたのならともかく、前作が人気だから続きを書いたというのは総じてクソが多いという印象。

このシリーズもご多分に漏れず、尻つぼみ。どう考えても、2巻と3巻が繋がっていないし、妙な方針変更があったような感じ。

単発モノ⇒三部作⇒3巻を引き伸ばしてさらに3部作追加、という変遷でもあったのだろうか。

もう読むの止めようかと思ったけれど、次が完結偏とのことなので、仕方がないので最後まで付き合うことにする。

今回の4巻は燃え成分も泣かせ成分も入っているくせに、読んでいてもなんとなく惰性っぽかった。飽きてきたとかの問題よりも、文体が淡々とし過ぎていて、最初の頃のクスクス笑えるユーモア成分がどこかへ行ってしまったのが原因か。

このシリーズの根底にある、政治家は無能、歩兵は有能というコンセプトは健在で、そこに世界情勢(というかアメリカの戦争外交)を揶揄した形で二つの有力同盟惑星(というか植民地)を絡めて語ろうとしてはいるんだろうけれど、なんとなくとってつけたようなイメージは拭いきれない。

主人公が出世しすぎ(今回で中将に昇格)て物語にあわなくなってきてからの方が長いというのがネック(ここから見ても、無理矢理延ばしただろ)なのだろうけれど、徹底して現場(前線の戦場)の話に絞った方が、このシリーズは面白いと思うんだけれどな。

 


[小説] 鹿男あをによし

2015-09-26 18:46:47 | SF

『鹿男あをによし』 万城目学 (幻冬舎文庫)

 

『赤朽葉家の伝説』が存外におもしろかったので、つづけて国産非SF小説の積読消化。

これはTVドラマ化されたことでも有名だが、そのドラマも未見。ドラマの評判は良かったようだが……。

万城目学といえば、一時期は森見登美彦のライバル的な存在だったが、今はどうなんですかね。二人の作風を比べると、関西圏を舞台にした奇想天外なファンタジーという点では重なるものの、万城目学の方が生真面目で現実に足がついている感じがする。

その辺が、万城目学の作品はTVドラマ化や映画化される一方で、森見登美彦の作品はアニメ化されるというところにも現れているのかもしれない。

で、この作品。明らかに夏目漱石の『坊ちゃん』を下敷きにしており、台詞や登場人物の配置が似ている。というかパクリ。しかし、その物語は、鹿島神宮から鹿に乗って春日大社までやってきたというタケミカズチの故事などを絡め、日本の存亡を描くスペクタクル……というよりは、かなり学園ドラマ風。

一番の見せ場である剣道の試合が、実は本筋に何にも関係なかったという肩透かしは狙ってやったのやら、後から後半を水増ししたものやら。

卑弥呼や古事記の歴史を越えた壮大なスペクタクルが、ひとつの学園内に収まってしまうというのも、ある意味セカイ系といえるんだろうか。

ミステリのネタ的にはデジタルカメラとアナログカメラの切り替わり時期という時代が垣間見えて、なかなか興味深い。この小説が出版された2007年は、まだそんな時期だったんだなぁ。

 


[小説] 赤朽葉家の伝説

2015-09-26 18:40:40 | SF

『赤朽葉家の伝説』 桜庭一樹 (創元推理文庫)

 

積読消化。

第60回日本推理作家協会賞長編及び連作短編集部門受賞、第28回吉川英治文学新人賞、第137回直木三十五賞、センス・オブ・ジェンダー賞と、やたらめたらに文学賞を受賞しまくった名作。

これはぜんぜんSFじゃないけど面白かった。

鳥取の旧家を舞台に、女三代の物語が語られる。これが、地方都市における戦後日本の歴史をそっくりなぞるような展開で、戦後の昭和期を振り返る大河歴史小説になっている。

第一部は戦後でありながら、まだ神話や伝承が実体を持って色濃く残る時代。サンカの捨て子であり、予知能力を持つ娘が旧家の赤朽葉家に嫁いでくる。

この第一部はファンタジーの名残が感じられる時代の話で、ぐいぐいと引き込まれた。それでいて、主人項の万葉と、親友となったみどりの掛け合いは、ちょっと現代的で心地よかった。

第二部はツッパリ、スケバン時代にレディースの総長を張った少女が、バブルのお立ち台を経て、なんと少女漫画家としてデビューする。

第二部は怒涛の展開。こちらも主人公の毛鞠の親友として描かれるチョーコがいい味を出している。いかにもなしゃべり方で、時代感覚がよく捉えられていると思う。

自分は毛鞠の世代が一番近いので、校内暴力(金八先生や、ビーバップハイスクールの時代だ!)やバブル時代のエピソードに懐かしさを感じて、ニヤニヤしてしまった。

おもしろいのは、第三部。第一部の主人公である祖母が残した謎の言葉をめぐるミステリーが突如として始まる。

これまでの一部、二部から打って変わった展開に驚いたものの、もともとミステリーとして書かれたんだな、この小説、と納得した。

時代や世相の記述はぽつりぽつりと現れる程度になり、祖母が語った幻想的な逸話の再検証が始まる。この先は良くも悪くもミステリーな感じ。

個人的には、一部、二部の、ちょっとファンタジックでエキセントリックな、昭和振り返り小説としての方が、この作品に面白みを感じた。

あと、舞台がいつまでも紅緑“村”なのが気になった。駅前や中心街の記述を見ると、小規模な市ぐらいには見えるのだけれど。