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[SF] ゼンデギ

2015-08-08 22:17:15 | SF

『ゼンデギ』 グレッグ・イーガン (ハヤカワ文庫SF)

 

イーガンの新作だと思って期待して読んだら、ちょっとびっくりした。

第一部の舞台となる2012年(原書刊行は2010年)のイランにおける市民革命は前振りだとして、2027年の第2部ではイーガン流のぶっ飛んだ理論が見られるのかと思いきや、主人公マーティンの余命が短くなるにつれて残りページ数も少なくなり……。

扱っているネタは『順列都市』や『ディアスポラ』に近いのだけれど、その扱い方がまるで正反対。古くは人間なんか添え物といった物語を展開していたのに、今度はなんと人間の心、気持ちが焦点だ。イーガンって、人間的倫理なんてくそくらえって作風じゃなかったっけ?

ゼンデギとはペルシア語で“人生”を表す言葉であり、より具体的には、作中に登場するバーチャル空間を示す。ユーザはヘッドマウントディスプレイやフィードバックグローブをつけ、ランニングマシーンのように床の動くカプセル状の空間に入って体感ゲームや参加型ムービーを楽しむという趣向。

ここで重要になってくるのが、ユーザやネットワーク経由の参加者以外の、いわゆるモブといわれるNPC。ドラクエなんかでは「ようこそ、○○へ」とか、「僕は悪い魔物じゃないよ」とか、固定した台詞しかいえないモブキャラが、AIの進化によってある程度、人間と変わりない反応を示すようになる。

そして、その先で問題となるのは、どうやったら人間のように反応するAIを作ることができるのか。どこまでなにをシミュレートしたら、人間と区別が付かなくなるのか、ということだ。

この物語中では複数のアプローチや考え方が紹介され、重要なキーポイントになっているところが興味深い。特に、人間と区別が付かなければいいという考え方は、古典的なチューリングテストの概念を発展させたもので、とにかく計算量の許す限り何でもシミュレーションしようという概念とは異なる開き直りがあって面白い。そこでは意識とは何かという問題は華麗に切り捨てられている。

で、結局のところ、SF的ネタや意識や知性の問題は背景に過ぎなく、死にゆくマーティンが息子に何を残せるのかと葛藤する物語になっている。過去のイーガン作品から考えると、短編を無理矢理長編に引き伸ばしたような感じがして、どうもにも違和感があった。求めているのはそうじゃないというか、それならイーガンじゃ無くてもいいというか。

でも、短編にはこの手の作品もいろいろあるので、イーガンの作家としての本質はこっち側なのかもしれないね。

 



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