メジャーリーガー松井秀喜選手が引退しました。
今朝はLive映像で引退会見をみましたが、どこか晴れ晴れしたような表情でした。
きっと今は限界までやり抜いたという充実感があるのでしょう。
でもグラウンドのいつもと違う場所で、一人の観客として試合をみた時、自分が“その場所”にいないドウシヨウモナイ寂しさが、ぐっと込みあげてくるものだと思います。
かつて“自分がいたその場所”を訪れることは、遠く離れた故郷を訪れた時の気持ちと、どこか似ています。
そこで親しい仲間が出迎えてくれると、自分の居場所に帰ってきたような気持ちになります。
しかし時間が経ち、よく知った風景が見る影も無く変わってしまうと、まるで思い出の一部分を切り取られたような気持ちになります。
自分も地元を離れて20年近くなりますが、実家の近所は、子供の頃遊んだ風景が殆ど残っていません。
それでも生まれ育った家で、両親が出迎えてくれると、「ただいま」という言葉が自然に沸いてきます。
そういう意味で、それまでは当たり前だった、“実家に両親がいてくれること”と“帰る場所があること”は、故郷を離れて初めて、本当にありがたいものだという事を知りました。
明日からお正月明けまで、実家に戻りますが、父親は入院しているので、今回出迎えてくれるのは母親だけです。
まだ想像ができませんが、いつか出迎えてくれる人がいなくなり、自分が生まれ育った家も無くなったら、いったいどんな気持ちになるのでしょうか。
18年前、父親の車に自分の荷物を詰め込んで東京へ旅立った、不安と期待が入り混じったあの日の気持ちは、もう今ではすっかり薄らいでしまいました。
毎年当たり前のように迎えていたお正月ですが、その父にとって、おそらくもう次という言葉は無いのでしょう。
残された時間が僅かだとしても、たとえその場所が病室だとしても、父親と迎える最後の時間を、大切に過ごしてこようと思います。