拝啓、世界の路上から

ギター片手に世界を旅するミュージシャン&映画監督のブログ(現在の訪問国:104ヶ国)

頑張ってという言葉

2012-12-04 | その他


昨日父親を見舞った時、最後に自分がかけた言葉が「頑張って」でした。

治る見込みが無いのに、絶望の中にいる父に対して、この言葉は残酷です。

父親は力なく、「ああ、頑張る」と返してくれましたが、その後なんだか自分の中でずっと引っかかっています。


父親へこれまでの感謝の気持ちを込めて書いた、「生まれ変わっても逢いましょう」という曲を昨日は聞いてもらいました。


父親は喜んでくれたものの、どこか寂しそうな表情を浮かべていたような気がします。

医師からは病気の進行状況がかなり厳しいことを直接告げられているものの、どこかに奇跡を信じたいという気持ちがあったのではないかと思ったりもしています。


父親が今年初旬に倒れた際にも、春先に危篤になった際にも、インターネットでその症状から対処法を調べて、母親経由で伝えたりして、まだ希望はあるとずっと自分が励ましてきました。

だからなのか、父は自分が見舞う前日、母に自分が妙案を何かまたインターネットで調べてくれたのではないか?と聞いたらしいです。

でも母親は、「今回はもう対処方法が無いと医師の先生にも言われたので、(自分に)頼んでいないよ」と答えたところ、力なく「そうか」と呟いたと言っていました。


そして自分が父を思って書いたと持ってきた曲のタイトルが、先述の通りなので、ある意味、最終宣告をしてしまったのではないかという気持ちもあります。


このような日がいずれくることは父も、母も、自分も皆わかっていることです。

実際に父は母に、父が死んだ後のことを具体的に託したりもしています。

でもやっぱりどこかで信じたくないのが正直な気持ちです。

特に今回はつい3週間前までは普通に生活していたのに、突然歩けなくなって、動けなくなって、みるみる症状が悪化しただけに、よりその思いは強いと母も言っていました。


生きている間に感謝の気持ちを、自分にしかできない“音楽”という方法で伝えられてよかったという気持ちと、ひょっとしたら残酷な事をしているのではないかという気持ちが入り混じって、今日1日、自分自身なんだかよくわからない状態でした。



最悪のケースでは、突然、、、というケースもありうるだけに、今日は仕事の近しい関係者に、父親の症状を伝え、その場合は1週間以上仕事に穴をあける事になるのでと、事前に伝えたりしました。

でもその話を周りにする度に、自分自身どんどん辛い気持ちになっているのが、自分でもよくわかりました。


辛い時、素直に辛いと涙を流せればもっと楽なのかもしれませんが、その気持ちをどこにもぶつけられずに飲み込んでいる自分がいます。

どうしてもポジティブな気持ちになれず、部屋で1人になると酷く落ち込んでいる自分がいます。


落ち込んでいる場合ではないのに、、、本当にどうしようもないですね。


明日また頑張れるように、今日はもう少しだけ落ち込むことにします。