久々に今クールはドラマをみてみようかと思っています。
と言っても、最近仕事に追われて帰りが遅く、もっぱら録画なのですが。
で、今日は家で、仕事帰りにコンビニで買った缶ビール片手に、本日スタートの「遅咲きのヒマワリ」(もちろん録画)をみました。
1人で四万十&中村を訪れ、レンタルサイクルを借りて旅したのが、もう10年位前の夏の事でしたが、僕達が忘れかけている古き良き日本という感じがして、初めて訪れたのになんだかとても懐かしい気がしたのを覚えています。
オマケに自分も20代後半から30歳にかけて、もしかしたら人生をやり直せるかも?なんて真剣に考えたりしていたので、このドラマをみながら少し共感できる部分があったりします。
(最近のドラマのターゲットはアラフォー世代(もう死語か?)らしいので、共感できる~なんて書くと、製作側はシテヤッタリかもしれませんが。笑)
まあ自分の場合は、田舎暮らしではなく(国内外の)旅だったのですが、それでも今振り返ると、その後の自分の人生にとって大きな転機となりました。
当時はまだ自分探しの旅などという言葉もなく、今みたいにその行為を冷笑する気風も無かったのですが、誰もが人生の中で1度位は、行き詰ったり、停滞感を感じることがきっとあって、その中で今の自分を変えたい、変わりたいと思うことは、決してネガティブな感情ではないと、自分は思っています。
大切なのは、いつどこで、誰と出会い、何を感じ、そこで得た経験を、その後の自分の人生にどう生かしていくか、、、という事なんだと、自分は思っています。
しかしその後、海外で暮らしたりして色々なことがあったのに、20代後半の自分と今の自分の何が違うか?と聞かれれば、年を重ねて多くの経験をしたけれど、“根っこの部分は何も変わっていない”気がしています。
どんなになっても幾つになっても、良い時も悪い時も、良いところも悪いところも、やっぱり自分は自分なのだと。
それは月日をかけて成長して、上へ上へと幹が伸び沢山の緑の葉をつけたとしても、地中深く根をしっかりとはったとしても、その根や木自体が別のモノに変わるわけではない事と同じなのかもしれません。
月日を重ねて成長するけれど、別のモノに生まれ変わる訳ではない、やっぱり自分は自分なのだと。
秋の夜長に、美しい四万十川の映像をみながら、そんな事を感じた1日でした。