拝啓、世界の路上から

ギター片手に世界を旅するミュージシャン&映画監督のブログ(現在の訪問国:104ヶ国)

Ground Zeroに「USA!USA!」の歓声が響き渡った日

2011-05-05 | 旅人のひとりごと


自分の生まれ育った場所で築いてきた価値観とまったく違う、別の価値観の中で日々生活していると、時々何がなんだかわからなくなりそうな時があります。


2011年5月2日、国際テロ組織アルカイーダ指導者ウサマ・ビンラーディン殺害の「朗報」が世界で駆け巡りましたが、実は先述の「何がなんだかよくわからなくなる」のと似たような感覚を覚えました。



その直後、インターネットで偶然目にしたアンパンマンの作者、やなせたかしさんの言葉に少し救われた気持ちになりました。

http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20110503-00000010-pseven-soci



個人的には昔から自分の顔を食べさせてしまうヒーローは、実写にしたらかなりホラーな話だと思っていますが(笑)、次の言葉には大きな共感を覚えます。



正義って普通の人が行うもの。

正義とは困っている人を助けること。

ひもじい思いをしている人に、パンの一切れを差し出す行為を「正義」と呼ぶのです。





自分の住んでいる欧州を含めて、「やられたら、やり返す」は世界の常識です。

もちろんNYで沢山の一般市民が犠牲になった、「9.11」は決して許される行為ではありません。



しかしアメリカの言う正義は、立場が変われば180度別のものになってしまう正義だと思います。


アメリカがアフガニスタンで、イラクで、そして今回パキスタンで行った行為は、個人的には正義ではなく「報復行為」だと思っています。
(イラクに関しては報復ですらないと思います)

そこに「正義」という言葉を繰り返し使われることには、正直違和感を覚えてしまいます。



目には目を、歯には歯をのハンムラビ法典ではありませんが、「やられたら、やり返す」は世界の常識ではあるものの、それがまた負の連鎖を起してきたのも、人類の歴史の事実です。


Ground Zeroに「USA!USA!」の歓声が響き渡ったこともニュースになっていましたが、9.11の時と同じように、今後無関係な普通の人達に、さらなる報復の刃が向けられないか心配です。


ではどうすればよかったのか?もし自分が被害者の遺族だったらどうだろうか?

そんな言葉に対して、何が正解なのかはよくわかりません。

もし自分にとって最も大切な人が殺されたとしたら、絶対にその相手を自分は許さないであろうとも思います。


しかし、「ビンラディンには賛成しないが、逮捕し裁判を行うべきだった」というエジプトの退役軍人の話は、なぜか納得感があります。



良いか悪いかは別として、負の連鎖を断ち切るには、どこかでその輪の外側へ抜け出すしかないのでは?と、個人的には思っています。

例えその相手を一生許せないとしても。



※写真:NYのGround Zero(2009年12月)