普通な生活 普通な人々

日々の何気ない出来事や、何気ない出会いなどを書いていきます。時には昔の原稿を掲載するなど、自分の宣伝もさせてもらいます。

カラオケ! 何年ぶりだろう……

2011-08-29 23:51:50 | 普通な人々<的>な
 夕べ、娘と奥さんと3人でカラオケに行った。新宿のなんだかお洒落なカラオケ。
 1時間ほどの間に、娘は「東京事変」「ミドリ」「9mmパラブラムバレット」「cocco」などなど10何曲かを歌いまくった。こちらは遠慮がちに1曲だけ。
 それにしても、うまい! どれもとてもじゃないが自分で歌ってみようなどとは思わない曲ばかり。
 今時の青年は、歌うことに怯えないし、自信たっぷり。声もよく出ている。
 それもファルセット気味なんだが、とてつもない声量。だんだん上手くなっている。そして難しい曲を難なく歌いこなす、

 アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア。

 いつか、娘のステージを観てみたいもんだ、と勝手に思っている。

36000PV!

2011-08-28 10:46:46 | 普通な人々<的>な
 また見落としていました。
 20日過ぎに35000PVを越えていました。
 現在36000PVを越えたところです
 本当にありがとうございます。
 思いつきや、根拠のない話もありますが、これからも書き続けていこうと思います。
 応援の程、よろしくお願いします。
 たまには書き込みもしてくださいませ。
 さらに励みになると思います。

 拝

島田 紳助!!

2011-08-27 18:56:03 | 普通な人々<的>な
 島田 紳助に関しては、正直なんの思い入れもないのだが、二つのことは書いておきたいと思った。

 一つは暴力団との関係。一つは「引退」の意味。
 
 暴力団との関係については、まずマスコミについて書かなければならない。
 それは、島田 紳助の暴力団との関係を、まるで鬼の首でもとったような報道をするマスコミは、それ以前に暴力団との密接な関係を持っているということ。大きなニュースソースの一つは暴力団がらみだということだ。よく、顔隠しの声変えで、暴力団関係者が映像に登場する。
 それ自体おかしいとは思わないか? 暴力団関係者との関係がなければ、そういう筋者とコンタクトなど取れない。
 そして、今回のようにどこからかのリークでことが運んでいるということは、警察関係者か、暴力団関係者いずれかの情報漏えいによるものであり、それ以外では、紳助を「引退」にまで追い込めるファクターにはなり得なかっただろうということ。
 マスコミは密接に暴力団とのからみがあるということなのだ。
 
 芸能界と暴力団との関係は、なにをどう糊塗したところで、当たり前にある。
 思い返せば、昭和の歌姫・美空ひばりがマイトガイ・小林旭と結婚した時、その結婚会見だったか離婚会見だったか、いずれにせよ記者会見を取り仕切ったのは山口組三代目・田岡一雄であり、記者会見の席上にも当たり前のように美空ひばりの後見人として参加していた。
 その映像は、どこにでもあるだろう。「明星」や「平凡」にだって田岡の顔は載っていたはずだ。この当時美空ひばりは、田岡が設立し社長だった「神戸芸能社」の専属歌手であり、この芸能社はのちに「ひばりプロダクション」になるのだ。
 暴力団は、戦後の日本の興行を一手に取り仕切っていたし、芸能ばかりでなくスポーツの興行も同様だった。
 彼等がいなければ、地方での興行はうてなかったし、興行主としての暴力団は当たり前のように芸能関係者との関係を公にした。それが暴力団にとっては、明確な社会的アイデンティティ足りえたから。それは今でも影の部分では変わりない。
 だからといって暴力団が闇の世界から、日の当たる世界で自由奔放に活動することが良いわけでも許されるわけでもない。だが、それをすべて否定できるものでもない。狭間に生きる人々はいるし、そこに有り得ないほどのクリエイティビティが横たわっている可能性だってある。
 シンセサイザーで世界的な権威である喜太郎の元奥さんは、先述の田岡一雄の娘・由伎だった。

 そして紳助の「引退」。なんだかこれほどラクチンな話もないのではないかと思う。もう稼げるだけ稼いで、ある意味悠々自適で残りの人生を送れるだろう紳助が、「一番重いペナルティ」的な発言をするのは、なにやら不思議な感じだ。
 「一番重いペナルティ」は、批判を受けつつ出続けることだろう。そして忘れ去られていくこと。
 「引退」という言葉の重みは、紳助の会見にも、その後の報道の中にもまったく感じなかった。むしろほっとしてるんじゃないかという感じすら受けた。

 すぐに復帰しそうな気もするが、まあ、金もあることだし、石垣島でペンション経営(若手芸人育成という名の只働きもいい加減にして)でもしていれば良いのではないかと思う。毎日朝日と共に起きて、夕陽とともに寝て、いつか本でも書いて小銭稼ぎでもすれば良いのではないかと思う。

 なんだか島田 紳助にこれほどの紙幅を費やすのもどうかと思うが、まあいいか……。
 
 ごくろうさん。

歌の力、音楽の力

2011-08-25 23:35:13 | 音楽にまつわる話<的>な
 いま、奇しくも二つのクライアントから、音楽の持つ力=人を繋ぐ力に関しての原稿を頼まれている。

 それはボクにとってはとても意外な依頼で、だけれどもその原稿の訴求するところは至極まっとうな内容で、正直涙が出るほどありがたい。

 音楽に関する原稿は、ボクの勝手な思い込みとわがままで、J-CASTなどに書かせてもらっているけれど、クライアントからの依頼原稿は、かつてもその昔も、ボク以上に企業の思い込みの強い内容であることが普通だった。なにか、音楽に関わる人々の意識が、どこかで変化してきているのかな? いや、変化せざるを得ないほど、逼迫しているのかもしれないな……。

 例えば。
 決して悪い流れだなどというつもりはないが、韓流の、いまの異常とも思えるK-POPの隆盛は、ハッキリと受け入れがたい。政治的に意図的なものを感じるし、アブノーマルだ。
 韓流を一つの見識として受け入れるにしても、拒絶する意志、拒絶する言葉を持つのもまた、一つの見識だ。

 そんな中で、今回のクライアントの依頼内容は、本当に読み手を意識した、ユーザーを前提とした内容にシフトしている。

 言葉を変えれば本当の意味での「音楽の力」をみいだそうとしているのかもしれないし、そうでなければ音楽は文化としての立ち位置を失ってしまいそうなほどに、危うい局面に立ち至っていると思いはじめているのかもしれない。

 そのことを、皆無意識に判ってきているのかもしれない。

 歌の持つ本来の力、音楽の持つ根源的な力……どちらも、音楽と真摯に向き合わなければ見えてこないものだ。

 とても難しく、とてもヤリガイのある、そして出来上がればとても喜びの大きな仕事になりそうな気がする。

能力者。

2011-08-23 12:38:51 | 極端な人々<的>な
 最近、時間をかけてじっくりと色々なサイトを眺める機会があった。
 そして、少し前にも書いたが、地震予知の「松原照子」さんのサイトにたどり着いた。

 その内容は、衝撃的ではあるけれど真摯で真面目な人柄がにじみ出ていて好感が持てた。ただ、それからすぐにそれまでのブログが閉鎖され、一般への発信もしつつ有料というサイトにシフトした。その理由はボクには分からないが、なにかそうすべき理由があったのだろう。

 同じ頃に、やはり地震予知を行なう「みゆ吉」さん、「イオン」さん、「カズ」さん、「小林朝夫」さんなどという人たちがいることを知った。

 松原さんのブログが引っ越したことは書いたが、多かれ少なかれ、どの方のブログもなにやら変化している。ひょっとすると、地震予知という特性上、当たる当たらぬということで、批判を浴びたりすることがあるのかなと、予測する。

 皆さん、さまざまな独自の方法で地震と向き合っている。その予知・予測が当たるか当たらないかは、科学的であると一般には思われている「地震予知連絡会」などの予測データでさえ、ヤマカンの域を出ないわけで、当たるか当たらないかを彼等に求め、その責を問うというのは、言ってみればおかしな話。

 こうした予知のような特殊な能力に対しては、ことに地震と言ったような大きな災害と背中合わせの予知に対しては、「人を惑わす」というような批判もあるようだが、世界の終わりを予言しているキリスト教ほどあほらしくもなく、金を取って人生の指針を下す「占い」ほど、あこぎでもない。
 むしろ、「サジェスチョンしてくれて、ありがとう」というべきだろう。

 それにしても。インターネットの中は、想像もつかない混沌が支配している。この数十億の混沌情報から、瞬時に必要なものだけを選び取ることができれば、生きる上での勝者になれるな。
 検索エンジンがどうしたこうしたと言うことではなく、正しい生き方の指針もクソのような情報と混在しているということを、言っている。

 いちばん必要な情報を阻害するのは、嫉妬、意味のない批判、愚かな自慢……要は、自分を正義だと思い、他者を排斥しようとする態度、言動、思想、哲学。

 だからといって、そうした傾向の情報があることを否定はしない。ただ、それを取捨選択できればなとは思う。

三浦明利住職! CDデビュー!!

2011-08-21 21:53:12 | 音楽にまつわる話<的>な
<先週、J-CASTに浄土真宗の寺の住職で、シンガーソングライターとして活動する、三浦明利住職のインタビューをUPしました。同記事を、こちらにも反映します>

「ありがとう」を歌で伝えたい
三浦 明利
「ありがとう~私を包むすべてに~」



SOLO DEBUT MAXI SINGLE
OMCA-1143
1000円
7月6日発売
オーマガトキ

奈良県吉野にある浄土真宗本願寺派の寺院、龍王山 光明寺住職、三浦明利(28)。明利は「あきとし」ではなく「あかり」と読む。本名であり、お気付きの通り女性住職。
しかも妙齢のすこぶる美人。昨年の春にはフジテレビ系列のお昼の人気番組「笑っていいとも」で、ご本人の本意ではなかったかもしれないが「美人すぎる尼さん」と紹介され、知名度は一躍全国区になった。某化粧品メーカーのCMにまで起用され、こちらも話題になった――。最近、シングル曲「ありがとう」でCDデビューも果たしたが、彼女は何を思い、歌うのか。音楽へのアプローチの仕方など聞いた。
(加藤 普)



三浦 住職になったのは3年前ですが、高校時代には既に得度を受けていましたので、家の跡を継ぐ形で自然に……。

学生時代から実力派ミュージシャンだった

女性が、しかもまだ年若い女性が寺の住職になるのはそうあることではない。そこには差し迫った理由があったのだろうが、それは「家庭の事情」ということで深くは詮索しない。
それまでの明利住職は、学生として勉学に励む傍ら、女性だけのバンドを組みコンテストで優勝するほどの実力派ミュージシャンでもあった。ギターとヴォーカルを担当しバンドの中心メンバーだった。インディーズでCDを出し、メジャーデビューの話もあったが、青天の霹靂とでもいうか、住職にならざるを得なくなった。
その彼女が今度、住職としての責務を果たしながら、再び音楽と真摯に向き合い、本格的なCDデビューとなったのだ。

三浦 以前といまの音楽へのアプローチは、違います。以前はいかに格好良く見せるかとか、テクニック的にもできるだけ複雑で難しいものをとか。簡単にいえば、皆を驚かせたいという感じでした。それがいまはシンプルこそ最良。私が皆さんにお届けしたい心を表現するには、できるだけシンプルでありたいと。

仏教をベースにした宗教と音楽の融合

確かに、デビュー曲「ありがとう」のシンプルさは特筆もの。一聴して、まるで「真言=マントラ」のようだと思った。浄土真宗でいえば「称名」とでもいうべきであろうか。

三浦 「ありがとう」は、これ以上シンプルにできない曲で、私にとってはチャレンジでもありました。

不必要な部分をそぎ落としてそぎ落として生まれた曲。ここで歌われる「ありがとう」という言葉は、まさに「真言=マントラ」。そうした意味では、明利住職のこのアプローチは、希な「仏教をベースにした宗教と音楽の融合」という、最良の結果を生み出しているようにも思える。
こうした音楽と宗教の関わりは、歌のうまいお坊さんが歌謡曲のCDを出すなんていうのはあったかもしれないが、これまで日本ではおよそ皆無だったのでないか――。
たとえば、世界に目をやれば、宗教と音楽との密接な結びつきを感じさせる音楽は数多く存在する。ゴスペルもそうだし、教会音楽の原点「グレゴリオ聖歌」へのアプローチ、ことにキリスト教と音楽の関わりは深く広い。何年か前、「ザ・プリースツ」というイギリスの神父様3人組が鳴り物入りでデビューしたのを思い出した。
また、仏教的なアプローチでは、チベット仏教の尼僧アニ・チョイン・ドルマは「マントラを唱える」CDを音楽として発表している。ドイツ出身でヒーリング・ミュージックのディーヴァ、デヴァ・プレマールはアルバムのほとんどをマントラで構成している……。
それでも、宗教の現場・最前線にいる尼僧・僧侶、神父・牧師などが、宗教をベースにポピュラリティーのある音楽を披露するのは、かなり珍しい。明利住職の「ありがとう」は、明らかにそうした音楽の一つだろう。

人を大切にする心を音楽に

この曲が生まれたのはずっと以前のことだったという。だが、同じ曲だが曲の理解、表現が大きく変化したという。その契機を、明利住職はこう言う。

三浦 住職になってから正直周りも見えないほどに突っ走ってきました。周りで支えてくださっている方々のことすら見えなかったり、自分の力だけでここまで来られたかのように錯覚したり。それが2年位前に、ふと立ち止まって周りを見ると、身近な家族、友人や御門徒の皆様はじめ、たくさんの人々が周りにいて。あぁ、皆さんのお蔭でこうやって毎日お勤めさせていただけているんだなと思った。当たり前のことなんですが、ようやくそのことに気付かせていただいたんです。その中で、音楽を続けさせていただけるご縁もいただいて、まず歌いたいと思ったのが、この『ありがとう』だったんですよ。

そして、こう続ける。

三浦 この曲は、私自身が仏教の教えから気づかされたこと、教えていただいたことを歌っています。浄土真宗の経典である浄土三部経の大経の中に、たくさんの音楽に関する描写があります。光と音楽という2つのモチーフが何度も出てきます。金子大栄さんは『光と音楽は浄土の二大荘厳である』と言われています。そういう意味でも、私がポップスを媒介にして仏教の心を歌うことは、自然な流れかなとも思いますし、ようやく思いを声に乗せて歌うことができるようにもなってきました。

2011年7月6日にCDが発売されたが、それは明利住職がすでに新しい一歩を踏み出したことと同義だ。信仰と音楽という、信仰者にとっては不可分の関係をさらに突き詰めていくことになるのだろうか?

三浦 これからもそういうスタンスで音楽と向き合っていきたいし、多くの方に心が届けばいいなと思います。仏教で大切にされている心、慈しみの心であり人を大切にする心を音楽に乗せて歌っていきたいと思っています。

短い時間だったが、明利住職に話を伺い、音楽としての表現の発露はそもそもそういうものだったのではないかと思わされた。そして、こうした音楽が増えることは、世界を変える契機にもなるのではと、つくづく思った。

【収録曲】
1. ありがとう~私を包むすべてに~
2. 「花束レクイエム」
3. ありがとう~私を包むすべてに~(Instrumental)

生きること、生き抜くこと

2011-08-19 23:03:01 | 普通な人々<的>な
 意外に、仕事の合間に時間があって、いろいろのことを考えてしまった。
 
 その一つ。福島第一原発が、秋から冬にかけて関東に相当の悪影響をもたらすだろうなということ。キーワードは「北よりの風」。これまでは、季節的に南からの風で助かっていただけの話だな、ということ。東京は心して秋冬を迎えなければならなくなりそうだ。

 その二つ。歩くことは相当に良いことなんじゃないかということ。最近人に「痩せた?」と言われる。それは毎日3~4キロは歩いている、良い効果。自覚できる体調も悪くない。まあ、「こいつ、癌じゃねえの?」と思われている節もあるが…。
 
 その三つ。金のないロクでもなさを痛感していること。これから先、生きる術をどう見出していくかを、この歳で考えなければならないこと(それは逆に嬉しいことでもあるんだが……)。

 三つとも何の関係もないようだが、実はボクの中で密接に絡み合って、たった一つのことのように思えていることなのだ。

 生きること。生き抜くこと。

てんこ盛りに、つけ麺を食べてしまった。

2011-08-18 19:20:04 | 普通な人々<的>な
 夏になると食欲が衰えると言うけれど、全然そんな兆候はない。

 昨日なぞは、立川のラーメンスクエアで、大盛りのつけ面(麺500gさ!)を、ペロッと食べてしまった。
 別にもたれるでもなく、残すでもなく、美味しくいただいてしまったのだよ。

 今日も今日とて、仕事先の社員食堂で、大盛りのカレーを瞬殺ですな。
 だからと言ってボクは太ってない。とりたてて大食いでもない。
 至って普通。

 むしろ知り合いに「最近痩せません?」と言われるほど。

 秋や春の食欲ならわかるけれど、このクソ暑い、熱中症がどうよと言っている時期の食欲、自分でもよくわからないのだが……なにか、やばいことでもあるのでしょうか?

この暑さったら、ないね。 

2011-08-18 01:07:37 | 普通な人々<的>な
 別に天変地妖だとは思わないが、この夜になってからの暑さは異常だね。

 熱気が去らないのは、年寄りにとっては酷だ。寝ることもできない。
 
 こんな様子だった時が、かつてあったか思い返してみても、思い当たる記憶がない。

 汗をかくだけかいて、気がつけば熱中症というのでは、浮かばれない。
 どうせ汗をかくのなら、「さっぱりした」感が欲しい。
 ところが、汗をかくべしで走ってみたり、身体を動かしてみると、どんどん汗はかくけれど、止まらない。もうこれで良いだろう的な感覚が持てない。

 これこそが熱中症の感覚なんだろうと思う。

 ご同輩よ、無理だけは禁物ということで、あとしばらくの日々をやり過ごしましょう!

トイレの電気が突然……!?

2011-08-16 23:01:53 | 超常現象<的>な
 久しぶりに、「おぉ!? 怖ゎっ!」シリーズ。
 
 あれは今から、ちょうど1ヶ月前の7月の半ば、16日のことだった。
 とある印刷会社の東京近郊にある印刷工場に行った。
 その日は土曜日で、出社する社員も少なく、いつもは大勢いるアルバイトやパートの社員も少なかった。広大な敷地の印刷工場はひっそりとして、いっそ薄気味悪いほどだった。

 例年ならまだ梅雨のまっただ中で、鬱陶しい時節のはずなのだが、すでに真夏の暑さだったが、アーケードの続く日陰のストックエリアは誰もおらず、いつもは走り回るフォークリフトも鳴りを潜め、印刷工場の佇まいの静かさだけが異様な雰囲気を醸し出していた。
 それにも増して、狭い廊下で繋がる印刷棟、校正棟などは数人の人間が巨大な建物のほんの一角で仕事をしているような塩梅で、まことに寂しい限りだった。
 
 僕は3階で校正の仕事をしていた。その場には10人ほどの校正マンが詰めていたが、部屋は校正のためにあるにも関わらず、天井の蛍光灯は、半分が抜き取られていた。節電だそうだ。こういうところは正直、まったく理解はできない。ケースバイケースで臨機応変にできないものかとも思うが、そうもいかないなにか理由があるのだろう。
 
 何時間か経って、トイレに行きたくなった。だがトイレは、ほとんど電気も点いていない廊下を2階まで降り、薄暗い廊下を100mほど行った、建物の端にあった。
 空調も入っていない蒸し暑い廊下を進み、廊下よりさらに暗い階段を下り、さらに続く薄暗い廊下を歩き、ようやくトイレのある場所に着いたが、見事に真っ暗だった。
 
 トイレの扉を開けると、一本の蛍光灯に照らし出された、だだっ広いタイル張りのトイレがそこに広がっていた。「ここも省エネかい」と思った。なぜか窓のあるはずの部分に無造作にベニヤ板が張られて、パタパタと音を立てている。どうにも言いようのない、重苦しく暑い空気が漂っている。
 
 それでも仕方がない、サッサと用をたそうと3つ並んでいる「朝顔」の真ん中の前で一物を取り出し、いままさに用を足すという瞬間、「パキン」と音がして、真っ暗になった。蛍光灯がなぜか破裂した。
 
 出るはずのものも止まってしまった。そのまま、真っ暗な中を扉のあったはずの方向に走り、扉を開けた。と、何かがぶつかってきた。
「フゲーッ」と声にならない声を上げてしまった。

 向うも驚いたろう、トイレのネクストユーザーだったに違いない。だが、中も外も真っ暗だ。
 お互いに、顔もわからない。こちらは怖さのあまり、ただその場から離れたく、脱兎の如く逃げ去ろうとする。
 おそらくのネクストユーザーはわけもわからず、「フニャ」と言った声を出し、その場に腰から崩れ落ちた。
 僕はひたすら逃げた。気がつくと、ズボンの前は開け放しだった。慌てて前を締め、校正室に戻った。もちろんなにごともなかったように。

 部屋の中はクーラーが多少は効いて涼しかった。
 だが、クーラーのまったく効いていない廊下を全力で走り階段を駆け上がったのに、僕は汗のひとつもかいていなかった。
 ずっと、ゾッとしっ放しだったから。
 あの工場へは、二度と行きたくないと、思っている。

20年ぶりくらいの二日酔い

2011-08-14 09:59:36 | 普通な人々<的>な
 時として、生きているんだからそれなりに羽目を外すことがあっても良いじゃないか。
 と、思う。

 数日前に、喫煙・飲酒は「長い時間をかける自殺」だと書いたばかりなのに、昨日は呑みすぎた。
 それも、いつ死んでもおかしくない年齢の、団塊世代が三人も寄って、酔って。べろべろよ。
 人間なんていい加減なものだな、と反省……なんてしないのよ! なんだか、良い感じだったんだ、これが。
 前向きになれたというか、生きる活力が沸いたというか。

 で、「羽目を外しても良いじゃないか」的な思いになったわけだ。

 世の中、杓子定規が良いとばかりはいえないね。

 それにしても……二日酔いの感じ、忘れてたけれど、結構辛いね。

インディーズで250万枚!?

2011-08-13 13:40:48 | 音楽にまつわる話<的>な
 久しぶりに音楽の事を書く。

 音楽遍歴として、ボクが辿っている(今もだからね!)プロセスを時々書き残しているけれど、バブルの頃の小室で止まっている。少し前に進めよう。

 バブルの全盛期、バブルの弾けた後しばらくは、ロックやポップスといった新しく生まれてくるはずの音楽は面白くも可笑しくもなかった。なんだか「自由な組み合わせ」で音楽は誰にでも簡単に出きるものとなり、ステレオタイプな音楽ばかりが登場し、受け入れられ、流行りもした。

 それが実は音楽の劣化の原因だったのではないかと思う。
「明日死んでも本望」というような音楽作りへのアプローチは、誰もしなくなり、サンプリングと焼き直し、組み合わせと「今風」のアレンジで、音楽は再生産され始めた。

 この時代に、画期的で面白かったことはなにかといえば、音楽の販売の問題だろう。
 いわゆるインディーズが、メジャーと契約できないミュージシャン、アーティストの受け皿めいた理解ではなく、きちんと商売になるチャンネルだという事を、若いミュージシャンが次々に証明して見せた。HYやハイスタンダード等の活躍もあった。MONGOL800などはインディーズで250万枚という途方もないセールスを記録して見せた。
 先に行くだけ行っていたP-MODELの平沢などは、とうの昔に音楽の配信による販売を始めていたが、それが徐々に陽の目を見始め、一気に認知された。

 要は、音楽の質ではなく、音楽の外堀(?)を固める作業の時代だったかもしれない。

 それでも、メジャーの音楽そのもののつまらなさは糊塗しがたく、今に至るインディーズ・アーティストの活躍が目立つ時代の始まりだった。

長い時間をかける、自殺?

2011-08-12 13:47:43 | まあまあ社会<的>な
 以前にも書いたかもしれないが、最近「自死」「自殺」について考える。

 断っておくが、ボクは鬱的傾向はあるが「うつ病」ではないから、「自殺」という概念に関して考えるのであって、「自殺」をしたいとか、止めようとかという次元とは別の次元での思考。

 よく「喫煙」「飲酒」などを、「長い時間をかける自殺」という。
 明らかに害のあることを止められないというのは、潜在的にその害を容認し、自分の寿命を縮めることになるのだから、それは「自殺」に等しいというわけだ。

 そういう言い方が成立するなら、昭和33年以降頻繁に使用されることになった食品添加物を使った食品の横溢は、国による自国民への大量虐殺行為ということになる。
 工場廃棄物による大気汚染、土壌汚染、水質汚染も同じだ。

 もっと卑近な例を言えば、原発の容認は、100%確実に大丈夫という安全性の確立が成されずに行なわれた、国家を挙げての国民を実験材料にしたモルモット実験だったということだ。その結果が今の日本ということだ。

 なんだか、この国は自分で思っているのとは裏腹に、「長い時間をかけた自殺・自滅」を演出しているように見える。

 ことに、菅の政権への居座りは、その演出を深化するようにしか思えない。

 ボクらは、なにをもってこの国家に対して報いていけば良いのか?
 ついでにそんなことも考え始めている。

世界経済の不思議な仕組み?

2011-08-10 16:53:13 | まあまあ社会<的>な
 さて、世界経済が逼迫している。こちとらにはさして関係もないのだが、客観的に眺めているとおもしろいことが見えてきた。

 簡単に言うと、これは単に資本主義の終焉、末路なのだろうということ。
 二十世紀の最後に共産主義・社会主義経済が破綻し、資本主義・自由主義へと世界中がシフトしたわけだが、それも一つの理由なのかもしれないが、資本主義が一気に疲弊した感が否めない。

 本来は、まるで誰かの意志の様に斬新的に前進してきた資本主義経済の枝葉であったはずの投機が、狂い初めて資本主義を一気に末路へと引きずり込んだ。本末転倒。
 投機という、本来であれば巨大資本がまるで卓上ゲームのように遊んでいれば良かったものが、金はあるが節操のない(投機に走る連中は、元々節操などないのだが)連中が金があるということだけで投機に参画し、優雅な卓上ゲームではなく、完全にマネー生産工場と化した。
 余裕もクソもない、ただただ金を生み出すための作業。結果、世界経済は前の見えない袋小路に入り込んだ。
 アメリカは、テロ事件を演出したり戦争を作り出したり、この十数年、忙しく「経済」活動にいそしんだが、タガの外れた投機筋の暴れぶりに、成す術もなく国債格付け「AA+」に転落。
 とっくの昔に「AA」という低信頼度の日本に、追いつけ追い越せか?

 エントロピーの法則ではないが、資本主義はゴミばかりを生産し、今度はCOを悪玉にしたてて、世界経済の転換を図ろうとしている。COは悪玉の、ゴミ扱い論議は、なんだか胡散臭さがぷんぷん漂ってきた。
 COを機軸とした、原子力発電容認やらエコ推進といった議論や流れは、なにかウソ臭い。

 それにしても。こうした流れを計画し、実際に作り出している連中がどこかにいるのだろうに、一向に姿が見えない。プレデターかい?

 見えれば拳骨で一発殴るくらいはしてやりたい。当たるものならね。

暑い!

2011-08-10 16:15:51 | 普通な人々<的>な
 暑い。

 もっともクーラーなぞ端からつけるつもりもなく(去年ぶち壊れた)、奥さんやお姫様にはブーイングを受けているけれど、オレは三十歳過ぎに結婚するまでクーラーなしで生きてたからね。
 と、負け惜しみ。

 子どもの頃、デパートに行ってもクーラーなぞどこにもなく、通路のあちこちに、大きな「氷柱」が置かれて涼を演出していただけだった。それでもなんだか涼しげではあった。氷の中に生花が封じ込められたりしていたから。

 デパートで初めて「エアーカーテン」(といったような記憶があるが、エアコンだね)を設置したのは、有楽町の「そごう」だった記憶がある。
 親に連れられて、早速その威力を確認に行った。入口を入る瞬間に、頭の上から冷たい空気が滝のように流れ落ちてきて心地好く、急かされなければ、ずっとそこに居たかったという思いの記憶もある。8歳頃だったかな…。
 
 なんだか懐かしく、良い時代だったな……と。