10月26日、桑名正博さんが亡くなった。
今年7月15日に脳幹出血で倒れて以来、意識の戻らぬまま104日に及ぶ集中治療室での病魔との戦いだったが、心不全で帰らぬ人となった。
ボクがまだロッキンFの編集をしていた頃、RCAからソロデビューした76年頃に六本木で取材をした記憶がある。背が高く男前だった。六本木交差点近くのジーンズの店に入ってあれがいいだのこれがいいだのと話したことを思い出した。
取材する前は、東のキャロル、西のファニカンと並び称されたファニーカンパニーの中心メンバーだったということもあり、ある種の高揚感があったのだが、実際に会うと良いところのお坊ちゃんという感じで、拍子抜けしたのを覚えている。だが、取材を進めれば進めるほどに、すこぶる圧力のあるお坊ちゃんだということに気づかされた。なにか怖いものなしという感じの存在感に、迫力があった。
最近は、元々関西の財閥の御曹司だった彼は、家業を継いで音楽活動よりは家業の社長業を中心にしていたようで、あまり見ることもなかったのだが、久しぶりに名前を聞いたのが病魔に倒れた7月のことだった。
なにかどんどんと一時代を築いた「タレント」が世を去っていく。桑名さんなどまだまだ若いはずなのに。
告別式は30日午前11時30分~、大阪市阿倍野区阿倍野筋4-19-115、やすらぎ天空館。告別式終了後には、「御堂筋桑名パレード」と題した“お別れ会”を実施する予定で、午後2時30分に梅田新道近辺を最高級リムジン・リンカーンの霊柩車でスタート、大阪の街の象徴である全長約4kmの並木道を北から南へ走行する。
心からの冥福を祈ります。合掌。
今年7月15日に脳幹出血で倒れて以来、意識の戻らぬまま104日に及ぶ集中治療室での病魔との戦いだったが、心不全で帰らぬ人となった。
ボクがまだロッキンFの編集をしていた頃、RCAからソロデビューした76年頃に六本木で取材をした記憶がある。背が高く男前だった。六本木交差点近くのジーンズの店に入ってあれがいいだのこれがいいだのと話したことを思い出した。
取材する前は、東のキャロル、西のファニカンと並び称されたファニーカンパニーの中心メンバーだったということもあり、ある種の高揚感があったのだが、実際に会うと良いところのお坊ちゃんという感じで、拍子抜けしたのを覚えている。だが、取材を進めれば進めるほどに、すこぶる圧力のあるお坊ちゃんだということに気づかされた。なにか怖いものなしという感じの存在感に、迫力があった。
最近は、元々関西の財閥の御曹司だった彼は、家業を継いで音楽活動よりは家業の社長業を中心にしていたようで、あまり見ることもなかったのだが、久しぶりに名前を聞いたのが病魔に倒れた7月のことだった。
なにかどんどんと一時代を築いた「タレント」が世を去っていく。桑名さんなどまだまだ若いはずなのに。
告別式は30日午前11時30分~、大阪市阿倍野区阿倍野筋4-19-115、やすらぎ天空館。告別式終了後には、「御堂筋桑名パレード」と題した“お別れ会”を実施する予定で、午後2時30分に梅田新道近辺を最高級リムジン・リンカーンの霊柩車でスタート、大阪の街の象徴である全長約4kmの並木道を北から南へ走行する。
心からの冥福を祈ります。合掌。