普通な生活 普通な人々

日々の何気ない出来事や、何気ない出会いなどを書いていきます。時には昔の原稿を掲載するなど、自分の宣伝もさせてもらいます。

最近惚け始めている? そんな気がする今日この頃

2014-03-30 14:32:18 | 普通な人々<的>な
「あれ」という言葉と「それ」という言葉と、「飯」、「うまい」、「いいね」、「寝るか」、「元気?」程度の言葉で、ほぼ一日の会話が成立する今日この頃。

皆さんお変わりありませんか?

この言葉しか思い浮かばないこと自体、大いに「お変わり」があるのだが、そのことに気付きもしない。

斯く言うボクもその一人になりつつあるのかもしれないと、最近、少し恐ろしく思えてきた。

皆、せっせと働こう!? 汗を流して、記憶の詰りも流し去って、決してアルツ呆けなどにならぬよう、人と触れ合って(握手、ハグなど肉体的な触れ合いは中でも大事)生き抜こう!

まず「あれ」、「それ」という代名詞を使わぬよう、常に記憶と向き合おう。そして、人とのかかわりを円滑にしたいあまりに、差し障りのない言葉しか使わないということのないよう、気を付けましょう。

ここに記事を書くことは、その一歩なんだが、少しテーマを考えにくい頭(脳)になってきているような気もする。

抗うには、書くしかないと、また書き始めます。
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明るい(?)未来≪008≫ 腑に落ちないこと

2014-03-30 13:27:44 | 思いもよらない未来<的>な
腑に落ちない、という言葉がある。

納得がいかないという意味だが、たくさん腑に落ちないことはある。

個人的な営為の中でのそれは、まあ、割り勘の時に「少しだけ俺の割り当てが多くないか?」程度のことで、特段に不思議がることもなく、おおむねすぐに忘れても何の差しさわりもないものだが、社会的なあるグループに属する場合の「腑に落ちなさ」は、そうはいかない。

腑に落ちないという言葉の意味するニュアンスに「騙されているのでは?」とか「不条理だ」とか「訳が分からない」といった部分がある。

突き詰めていっても、その先はあやふやになり、漠とした不明感だけが残る。

その最たるものが「ものの価値は誰が決めているのだ?」ということだろう。

例えば、北朝鮮という国家は、核開発というという一点でも国際的なルールを無視し、あまつさえ破るまでする犯罪国家だと、誰かが言う。だがよく考えると、核開発の善し悪しは別にして、核開発そのものはすでに多くの国が行っていて、兵器として使用した国さえもある。いまさら誰が開発に手を染めようが、四の五の言う権利などないはずだ。

兵器としての核を開発することの犯罪性は、いったい誰が言い出したことなのだ? と疑問に思っても不思議ではない。また犯罪者扱いに抗議することだって自由ではないか? と北朝鮮が思ったとしても決して悪くはない。

誰が核開発は犯罪であると言い出したのか? その一方で既に存在する兵器としての核を保有している国に、誰も異を唱えない。抑止力などというおためごかしが先行グループには通用する。「1万発は多いから、少し減らそうか?」などという誤魔化しが、まるで英断のように受け取られる。1発も1万発も、使われる側からすればなんら変わらない。

簡単に言えば、核という非常に大きな利権を独占したいグループが、後発のグループを牽制、あるいは恫喝しているという風にしか思えない。だが、誰が言い始めたことなのか、判然としない。世界的なコンセンサスだと思われている。

だが、そのコンセンサスそのものも国連という一つのグループ内のモノでしかなく、別のグループがあれば、何をどう判断するかわからない。

かつては、枢軸国と連合国、共産主義国家群と民主主義国家群という対比構造が存在し、異なる価値と権益を戦わせた。

それが、単一の構造へとシフトし、そこに乗り遅れる少数の国家を個別に叩いてきているのが、この30年の世界の歴史だ。

実はこの構造は、核という極端に思える例え以外でも、いくらでも出てくる。食糧、二酸化炭素、通常兵器、通貨、交易(TPPなど)、宇宙開発、新薬……腑に落ちないことだらけだ。

この腑に落ちなさの正体は、おそらく以前から指摘している通り個人に行きつくのだろう。世界規模の利権を持つ個人に。

その正体が明かされれば、腑に落ちなさは解消する気もする。

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娘の卒業

2014-03-19 02:03:13 | 普通な人々<的>な
昨日、3月20日。我が家の、下の娘の卒業式だった。無事に大学を卒業したのだ。何とも言えない感慨がある。

工学部で四年間学んだのだが、考えてみれば今流行の「リケジョ」ということになるか。

実は、わが加藤一族は、男どもはただの一人も大学を卒業しておらず、女性陣は高学歴。

父は尋常小学校しか出ていないし、二人の兄は東京で六大学の名門M大学に入りはしたが、いずれも中途で退学した。かくいうボクも、W大に入りながら三年で中退した。

息子は、私立のT大に入学したが、知る限りほとんど学校に行かず、にも拘らず7年間在籍し結局卒業せず、やめた。それはそれで価値ある時間だったと思うし、立派に社会で頑張っているが、大学は出ていないのだ。

ボクの母は、戦前の女性としては珍しく高等女学校を出ている。ボクの姉はボクと同じW大学を卒業している。妻もO阪音大を卒業している。そしてボクの娘も大学を出て、学士様ということになった。偏りの大きな一族ではある。

娘は4月から、中堅企業でSE的な仕事に就くらしい。

それにしても。昨日の天気は驚くほどに悪かった。今日は晴、一昨日以前も晴。昨日だけ雨風の強い一日になった。冷たい雨に濡れるのも可哀そうだし、ボクら夫婦も濡れるのは嫌で、レンタカーを借りて行き来した。それはそれで、何か楽しい記憶に残る卒業式ではあった。

昨日の袴姿の娘は、輝くほど愛らしく、希望というオーラに包まれ、まぶしかった! すでに良き人生の一歩を踏み出したという思いがして仕方ない。

今日は、一日遅れの謝恩会に出かけて行った。

ドレスコードのあるうようなフォーマルな会で、出渋っていたが、いざ出かけるときには、立派なレディの装いで出かけて行った。

頑張れ! ボクも妻も、いつまでも、そして常にキミの味方で、困ればいつでも力を貸す。

キミが娘で、本当に良かったと、心の底から思えた、昨日今日。


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180000&90000 over!!

2014-03-09 22:24:08 | 普通な生活<的>な
気が付くと、PVは180000を、IPは90000を同時に越していました。

なにか気の遠くなるような数字です。

もちろん1日で、このくらいの数字を超えるブログもあるのでしょうが、3年半という時間の経過の中で、これだけの皆さんが足や眼を止めてくれたということに、計りようもない喜びを感じるし、感謝の思いが沸々と沸き起こってくるのです。

本当にありがとうございます。

これからも末永くよろしくお願いします。

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日韓関係の悪化は、必然?

2014-03-08 17:06:38 | まあまあ社会<的>な
ボクは、北朝鮮のことは面白おかしく書いてきた。韓国に関しては触れないできた。一時、音楽に関わることで韓国に関して書いたことはあるが、政治的な側面からは、一切触れないできた。

その理由は、韓国と日本の関わりは、良くも悪しくもわずか数十キロの海で隔てられただけの、隣国であるということによる。

それは、好き嫌いも関係なく関わらざるを得ない地政学的意味を持つ。

意識するとしないに関わらず、無意識にでも関わらざるを得ない相手と、どう関わっていくかという問題への回答は、それほどたくさんはない。

その決定的な一つは、どちらかが「我慢する」というもの。

振り返ればわかるとおり、簡単に言えば戦前は韓半島が我慢し、戦後は日本が我慢してきている。

ところが昨今、我慢にも限界があることが分かりはじめている。日本が我慢の限界を超え始めているのだ。

特段に教科書を書くわけでもないので、個人的な見解と知りうる限度内での情報を元に書く。

我慢ならない理由。

その① 朴槿惠の日韓関係の政治利用。父親の朴正煕は旧日本陸軍(正確には満州国軍)中尉であり大統領就任中も「親日」的であったとされ、日本側が対韓賠償問題の根拠としている「日韓請求権協定」を締結した当事者。簡単に言えば、父親の政策を否定することでしか、自らのアイデンティティを見いだせないのだ。それが著しい反感を持った対日発言になっているように思う。あまりにエキセントリックで、彼女は更年期障害なのではないかとさえ思う。
その② 朴槿惠の日本「民族」への差別発言。『歴史を忘れた民族に未来はない』。確か大統領に就任してそれほど経たずに、朴槿惠は演説でこう言った。国でも政府でもなく「民族」と言ったと思う。日本人すべてが全否定されている。あからさまな民族差別発言。聞き逃すことのできない「歴史的」な暴言だと思う。
その③ 安重根の英雄視。日本の初代宰相であった伊藤博文を暗殺した安重根の碑を中国のハルピンに建設することを韓国政府が要求し、習中国はこれに応え今年開館した。例えどのような理由があろうと、暗殺者は暗殺者。人殺しだ。その行為に正当性などない。そうした人物を英雄視し義士と称えるということは、例えば今後日本の首相が韓国人、中国人に殺されたとしても、彼らは英雄視されることになるわけで、そのような国には恐ろしくて日本の首相に足を踏み入れてもらうわけにはいかない。いや行くべきではない。日韓、日中首脳会談がもし開催されることがあるならば、日本か、あるいは中韓以外の第三国で行うべきだ、と思うほどの問題ではないか? 中韓とも「文化度」「民度」という意味で、低劣である。
最後に、その④ 歴史認識。韓半島の歴史を語るのなら、対中国への恨みつらみも同時に中国にぶつければいい。中国4000年の歴史の中で、韓半島はただの一度も中国の侵略を跳ね返したこともなく、常に「侵略」「搾取」「併合」されていたはずだ。朴槿惠は都合よく「歴史」という言葉を使っていると思わざるを得ない。

従軍慰安婦に関することにも言わなければならないことがあるが、それはまたいずれかの機会に。

それでも、政治的な韓国との関わりは、前向きに発展的に考えていくべきものではある。それは近い未来の隣国同士の関係にとどまらず、遠い未来の関係を考えれば、なおさら当然だ。

我慢はならないのだが、残念だが、そのことだけは忘れてはならないだろう。

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脚が、速い!

2014-03-02 12:41:31 | 普通な人々<的>な
60数年生きてきて、最近不思議に思うこと。

普段、何気なく歩いている速度が、速い。

一生を通じて、今が一番速いのではないか? 最近、そう思っている。

思い出しても、どちらかと言えばゆっくりと、鷹揚に歩いていた印象を、自分でも持っている。

それが、ふと周りの人の歩行速度よりも速いことに気がつくのだ。つまり、早く歩こうとは、自分自身では考えていない。

何か生理的なものなのかもしれない。要するに、自分の中で、ゆっくり歩くことに飽きたとでも言えばいいのか。

それが何故この歳になって自覚できるほどの変化となって現れてきたのかが、不思議なのだ。

まあしかし、あながち悪いことでもないので、放っておいている。
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