普通な生活 普通な人々

日々の何気ない出来事や、何気ない出会いなどを書いていきます。時には昔の原稿を掲載するなど、自分の宣伝もさせてもらいます。

特異な思考法

2017-06-22 01:28:06 | こんなことを考えた
日本人は「モノを知る」という行為を、次の手はずで行う。

まず五感で識る。そして「それ」がそこにある理由を探る。それが人であれば、なぜそこにいるのかを識ろうとする。

そして「それ」が、自分とどう関わっているかを考える。さらにその関わりが生み出すこと、モノ、事象を考える。さらにそのこと、モノ、事象が取り巻く環境に及ぼす影響・関りを考える。

その上で、結果として生み出された環境がさらに社会全体に及ぼす影響、さらにその影響が導き出す社会的な結果を想起する。

そうした諸々の思考の挙句に、徐にそこにある「モノ」あるいは「人」と如何に関わるかを瞬時に判断し、実行に移すのだ。

これが日本人の特性だ。

この思考のプロセスは、日本人にしか辿ることのできない思考の道筋。

そんなことは考えてない、そんな面倒なことはしていない、なんだか胡散臭いぞ、と思う方もいるかもしれないが、それは気づいていないだけだ。

実は日本人は、この思考プロセスを常に、瞬時に行っているのだ。とは言え、多少のタイムラグは生まれるけれどね。

日本人の大きな特性の一つに「和をもって尊しとなす」がある。

この「和」は、前述のプロセスがなければ生まれないものだ。

このプロセスの途中で思考を放棄すると、誤解や思い込みから生まれる憤怒や瞋恚、焦燥やら拒否・否定などといった負の思考が生まれてくる。

負の志向は別段悪くない。時として人には必要な哲学的要素だ。ただ、それは個人の営為での話。人と自分の彼我の距離・関係を慮る時には、不要な思考だ。

他者と自分の関係は、前向きなものであるべきだと考える。……ボクはね。

この思考プロセスこそが、日本人の日本人たる由縁である。

大声で人を威圧したり、人に話をさせないほどに立て板に水のように話をする人、実はボクはあまり好きでない。ボクの概念から言えば、日本人から逸脱しているように思えるから。断っておくがすべての人が日本人である必要などない。世界の様々な国・地域で生まれ育った人々がいるわけで、ただ単にボクは日本人的発想、言葉の選び方、思考のプロセスが好きなだけだ。

日本で暮らしている日本人のように見える人が、逸脱していると、ちょっと嫌だなと思ってしまうのは勘弁してください。

まあ、ボク個人の単なる思い込みの話かもしれないがね。

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電車の遅れるわけ

2017-06-21 00:21:33 | こんなことを考えた
最近、とある印刷会社に詰め切りで、校正の仕事をしている。物販会社のカタログ(これが数千ページにも及ぶ分冊で、いつ果てるとも知れぬ作業)を校正するのだが、8時頃に出かけて10時頃に着くという、多分我が家から都内で最も遠隔地にある場所と言えなくもないところに出向いている。

その作業や、出かける距離や時間にはなんの文句もない。楽しく通い、果てのない作業も結構楽しんでいる。

だが、一つだけとても我慢ならないことがある。

通う道のりは、2度乗り換えて3路線を使うのだが、毎朝必ず遅れる。どこかの路線で必ず何か出来して遅れる。

ここでも一度電車が遅れることに文句を書いた記憶があるが、最近は当たり前のように遅れる。まるで遅れることを見越して出かけなさいね的な空気すら感じる。

日本の鉄道は、かつては時間通りに運行されることが当たり前だったが、今は違うらしい。そして毎朝聞かされる、遅延の理由がほとんど理解不能だ。

曰く。

・線路内に人が立ち入った
・線路内安全確認
・信号機故障
・車両故障
・車両点検
・混雑のため
・急病人発生
・客対応
・客同士のトラブル

酷いときには、雨天のためだの、朝間混雑だの、ホームからの客の転落だのと、本当に頭をかしげたくなる理由だらけだ。

このまま放っておくと、運転するのが怖いので遅れますなどと言い出しそうだ。

こうした理由の多くはおそらく符牒で、例えば「線路内への人の立ち入り」は「痴漢」のような別の意味がある気がする。

さらに、車掌がことに声高に理由をアナウンスするのが、客に問題があると思われる理由の場合。こんな時は、鬼の首を取ったように大きな声ではっきりと、「私らは悪くありませんが…お客さんが」的なニュアンスで理由を述べる。

電車が遅れることのすべてが悪いというのではない。マニュアルのテキストを読み上げているような理由説明にイラつくのだ。

正直、付き合いきれないなと思う。なぜなら、ボクらのような日雇い労働者と変わらない仕事をしている者は、一度の遅刻でクビになることだってあるのだ。

だから余計に、あの適当な理由にかこつけた遅延が、許せないのだよ。

だからと言ってどうにかなるものでもなさそうだがね。




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東京「昭和な」百物語<その28>音楽を聴く2

2017-06-15 22:43:08 | 東京「昔むかしの」百物語
ボクの稚拙な音楽体験の中でも、エポックメイキング(古!)な出来事はいくつもあった。

小学校の低学年の頃、第一回のレコード大賞曲、水原弘の「黒い花びら」を親戚の宴会で歌い大好評だった。

中学高校時代に、当時日本の若者の心をきっちりと虜にしていたアメリカのキャンパス・フォークの雄、キングストン・トリオのコピーバンドを演っていた。ローファーズ。大学生のバンドは、ニューフロンティアーズ、フロッギーズ、キャッスル&ゲイツ、ザ・リガニーズなどなど、後のグループサウンズなどに連なるバンドが幾つもあったけれど、中坊のバンド、高校生のバンドはボクらぐらいだった。地元では人気があった。

それからしばらくして、ボクは芝居の世界にのめり込んだが、その中で歌が大きなファクターになる芝居があった。日野原幼紀という作曲・アレンジャーが曲を作った。その芝居でボクはほとんどの歌を歌い、芝居を紡いだ。その芝居が縁で、レコードを出さないかという話になった。レコード会社は当時できたばかりのテレビ局傘下の〇〇レコード。その打ち合わせに何度か赤坂に出向いたが、突然プッツリと連絡がなくなった。潰れていた。

S-Ken(当時、ボクは「ただし」と呼んでいた)の結婚式で、アニマルズの「朝日の当たる家」をYAMAHAに連なる音楽関係者を前に熱唱した。好評だった。

編集者になって廣済堂で雑誌を作っていた時、川内康範先生が編集長になってこられた。その時に社員旅行があって、歌合戦のようなものが大宴会場で繰り広げられた。ボクは野坂昭如の「黒の舟歌」を歌った。そして康範先生から「グランプリ」を頂いた。そして「歌ってみるか」と言われたが断った。

すべては昭和という時代だからこその、ゆるさゆえに巻き起こった話の数々。

変な話、ある日突然歌手になるなんてことが、普通にあった時代だったのだよ。

まあボクは、なに一つ成就することはなかったけれどね!
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東京「昭和な」百物語<その27>音楽を聴く

2017-06-15 00:30:27 | 東京「昔むかしの」百物語
昭和を通して、音楽は、自分の意志で聴くものではなかった。

ことにボクが少年の頃は、ラジオから流れてくる音に耳を傾ける……。それが音楽を聴くということだった。

もちろん蓄音機を持っていた裕福な人たちもいたのだろうが、少なくともボクは、音楽はラジオから流れてくるものだと思っていた。

だから、誰がその音楽を選び、ラジオの電波に乗せるのかは、とても大事なことだった。新しい音を聴かせる奴、流行りの音ばかり聴かせる奴、意味を持った音楽を聴かせる奴、楽しきゃいいじゃんと音を聴かせる奴、そして気に入らない音ばかりを聴かせる奴と、さまざまな奴がいた。

彼らはいつの間にか、音楽のスペシャリストとしてDJと呼ばれたり、パーソナリティと呼ばれたり、はたまた音楽評論家などと呼ばれ始める。そしてそれが職業になりさえした。もともとはラジオ放送局の職員だったはずの人間が、プロとしてもてはやされたりもした。

音楽は、誰かにリードされて聴くものだった。だから、流行がありその流行は誰かが作ったモノだった。

それは音楽を伝える媒体がテレビに移ってもしばらくは同じだった。音楽番組も隆盛を極めた。

音楽が、誰のものでもない、ただ聴く個々の人々の営為であると捉えられ始めたのは、昭和も末の末、1980年代後半の事だった。

音源がレコードからCDに代わり、ウォークマンなどのパーソナルな再生機が誕生し、その傾向は一気に加速した。そして、音楽評論家も職業として廃れた。

聴かされる音楽から、主体的に聴く音楽へ。それが昭和から平成への大きな転換のキーワードだった。

そしてそこでは、音楽を聴く喜びの質さへも変化した。

簡単に言えば、選択肢が5つしかない中から自分に最もマッチした音源を、誰かに選んでもらって聴いていたのが、何十何百という中から、自分の好みでチョイスして聴くという姿勢に、大転換した。

だけど本当はね、昭和の頃の方が音楽は面白かった。平成に移行し自分で聴く音楽を選ぶようになって、逆に画一化が始まったといっても良い。その理由は、昭和の頃の評論家ほどには、誰も音楽に対して成熟もしていないし他の誰かに伝えられるほどにはエキスパートでもないということによる。単なる好き嫌いというレベルの音楽の選別は、音楽を育てはしない。

(この続きはまた…)
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奥さんの誕生日

2017-06-05 00:53:20 | 夫婦連載
6月4日は、奥さんの誕生日。マリリン・モンローと一緒。というよりアンジェリーナ・ジョリーと一緒といった方が、今どきは通りがいいかもしれない。いずれにしてもどちらも世界を席巻したハリウッド女優というのが良い!

以前にも書いたのだが、我が家の4人家族は、誕生日がほぼ一カ月に集約されていて、その初っ端が、奥さんの誕生日。時として面倒くさいので一緒に祝ってしまうなどということもあるのだが、今年は奥さんのためにボクが手料理でお持て成しということにした。

枝豆豆腐にはじまり、いんげんの胡麻味噌和え、タコのお造り、赤魚の粕漬焼き、口直しに豚の生姜焼き(要は娘・息子用)、卵焼き、そしてチェリーとアイスで締め。

なぜこんな献立になったかと言えば!

金曜日に息子君が母のために吟味して超絶にうまい日本酒と誕生日ケーキを買ってきてくれたのだ。

それに合わせた献立というわけ。

超絶にうまい酒が、こちら。

新潟県南魚沼塩沢の青木酒造謹製、新潟県産「越淡麗」100%の純米大吟醸酒「鶴齢」。



うまい。

というわけで、6月4日は幸せに過ぎていったのだった!

ちなみに、お嬢は6月26日で奥さんの父上と同じ誕生日。息子君は7月4日でアメリカ合衆国と同じ誕生日。ボクは7月12日で、中村珠緒さんと同じ誕生日! って……。

なんだかなぁ……。嬉しいような、そうでもないような……。
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